四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ!   作:怠鳥

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序章-4

 会場に入るとすぐ、スタッフの人達から挨拶。出せる精一杯の声でおはようございますと返す。

 そしてすぐに楽屋入り。

 リョウさんと虹夏ちゃんは楽屋の様子を見るやいなや、椅子を一列に寄せ始めて、

 

「よし、出来た。ぼっち用簡易ベッド」

「ちょーっと不安定だけど、地べたで寝るよりはいいよね」

「あっ……ごめんなさい」

「いいのいいの。あっ、でも今寝るより座ってた方が楽?」

「そ、そうですね……すぐセッティングとか入りますし、寝ちゃうとまたふらふらになっちゃうから……」

「じゃあ崩すか」

「っておーい」

「冗談。予備の椅子そこにあるし、これはこのまま置いておく」

 

 私用のベッドに使った椅子とは別に、予備として置いてあった椅子をリョウさんが並べていく。皆で着席。

 リョウさんが、

 

「虹夏、今日の流れの説明お願い」

「任された。えーっと、まずセッティングするにあたってスタッフさん達と挨拶。実際に機材セッティングしてサウンドチェックしたら一旦お昼」

「お弁当出る?」

「なんでお弁当の心配するの……?いや出るけどね?」

「よし」

「よしじゃないけど」

「しゃおら」

「そういう問題でもなーい」

 

 お弁当、その言葉で少し気が重くなる。

 胃があまり動かないから。このツアー中ずっとそうだった。

 頑張って食べて、それで逆に気分が悪くなったこともあった。

 

「あ、う、ぁあの……」

「ひとりちゃん、お弁当のことは心配いらないから!」

「あっそうそう、喜多ちゃん特製のぼっちちゃんスペシャルランチなんだよね?」

「そうです!」

「えっ……あの、なんで私だけ特別……」

「だってほら……お弁当屋さんには申し訳ないけど、いつもひとりちゃん食欲なさそうだったし、無理やり詰め込むみたいに食べてたじゃない?だから、食べやすくて食欲もきっと出てくる栄養のあるお弁当を作ってきたの!」

「あっありがとう……」

 

 俯いてしまった。

 私は、ここまでしてもらえる人間じゃないのに。

 そんな価値なんてないのに。

 ちやほやされたいという願いが叶っているのに、意外とそれが虚しいことだと気付いて、眼の前が眩しくなった。

 

「ひとりちゃん……?大丈夫?」

「あっ大丈夫……」

 

 大丈夫じゃなかった。

 なんで急にこんなことを考えてしまったんだろう、と思った。けれど、

 

「……あの、今日、低気圧」

 

 そういうことにしておけば、少し前向きになれた。

 

「ん……それなら……仕方ないのかしら」

「うん……大丈夫じゃないけど、大丈夫……」

「ん。じゃあ続きいくね」

 

 虹夏ちゃんが優しく微笑んで、続きを話し出す。

 

「お昼休憩終わったら、そこからはリハ。最終調整って感じかな。それ終わるとしばらく暇だから……2時間くらいはぼっちちゃん寝てて大丈夫かな。体力温存!」

「あっはいわかりました」

「それじゃー、ステージ行こっか!」

「待って虹夏。スタッフさんにちょっと問い合わせてくる」

「え!?リョウちょっと待っ」

「んじゃ」

 

 そう言うと、リョウさんはシュバッと楽屋を出て行ってしまった。

 

「……何しに行ったんだろ」

「さぁ……」

「はい……」

 

 数分経つとリョウさんが戻ってきて、

 

「……ここ、車椅子常備してないらしい」

「あー……なるほど。肩貸して移動より安全だよね……」

「じゃあお姫様抱っこで移動しましょう!」

「あ、あのあ、あのそこまでしなくても……」

「安全第一。今のぼっち、どこで倒れたりすっ転んだりするか分からないから」

「よし。ぼっち一回立って」

「は、はい」

「今度は暴れないでね」

「は、はいぃ……」

 

 またリョウさんに抱えられてしまった。

 

「掴まれる?」

 

 リョウさんが私の目を見て言う。

 

「えっと、あの、こうですか」

 

 右手で、リョウさんの左肩につかまる。

 リョウさんは頷いて、

 

「じゃあ行こう」

「虹夏、先導お願い」

「あいよー」

 

 リョウさんの歩みはふらつきもなく、ゆっくりと私をステージへと運んでいく。

 

「今回今までで一番広いハコだから楽しみよね、ひとりちゃん」

「あっそう、ですね」

 

 ギタリストとしての人生を振り返って、こんな言葉が浮かんだ。ちょっとしたウケ狙い。

 

「大きい押入れだなぁって、思います」

 

 押入れで育ったギタリストの私が、こんなところまで来てしまった。

 

「なにそれ」

 

 昔から変わらない華のような笑顔で、喜多ちゃんは笑ってくれた。

 

「やっぱりぼっち面白い」

 

 リョウさんもやっぱりいつも通り。

 

「ここもぼっちちゃんからしたら押入れかぁ」

 

 虹夏ちゃんも冗談めかしたトーンで言う。

 

「こりゃ、武道館どころかドームまで行かないとぼっちちゃんを押入れから連れ出せないかもね?」

「あ、わ、ど、ドームじゃなくてアリーナがいいです」

「そこかい」

「マジ面白」

「アリーナも憧れるわよね!横浜、埼玉……あとどこがあります、リョウ先輩?」

 

 そんな益体もない話をしていると、すぐに着いた。

 

「わ……」

「でかっ」

「うん。結構でかい」

「おっきいですね……」

 

 スタンディング1300人。

 ようやくだった。

 そんなたくさんのチケットを、私達は完全に売り上げた。

 数字だけでも震え上がった。そして今、目の前の空間が人で埋まるというすぐそこの未来に、身震いする。

 

「……ぼっちちゃん、一応スタッフさん達との顔合わせだから……立てる?」

「あっはいがんばります……」

「下ろすよ」

 

 リョウさんの腕から下りる。

 

「いいトレーニングになったぜ」

 

 腕の筋肉を服の上から見せつけるポーズをして、リョウさんが鼻を鳴らす。

 マイペースなようで、実際びっくりするほどマイペースだから、こういう時もいつも通りのふりをしておどけてくれる。それが本当にありがたかった。

 

「ひとりちゃん、すぐ椅子用意してもらうから……大丈夫?」

「あっ立ってるだけなら大丈夫です」

「んじゃ手早く……おはようございまーす!」

 

 スタッフさん達が集合して、挨拶と自己紹介。誰が何担当かもここである程度覚える。

 この人達との連携がダメだとライブが壊れてしまうから、仕事の分だけはなんとか人見知りを克服できている。

 

「結束バンド、ドラムでリーダーの伊地知虹夏です。よろしくお願いします」

「リズムギター、ボーカルの喜多郁代です!よろしくお願い致します!」

「どうも、世界のYAMADAです」

 

 どっと笑いが起きる。

 

「……ベース、山田リョウです。よろしくお願いします」

「ご、ごご、後藤、ひとり、です……よよよよ、よろしく、おお願いします……あっリードギターです……」

 

 スタッフさんの一人が、

 

「後藤さん、病み上がりからツアーで、今日ファイナルですけど……大丈夫なんですか?」

「いやー、今日も大丈夫じゃないんですけど、挨拶はいつも通りなので!」

「は、は、はい、ただのコミュ障……人見知りなの、で……大丈夫です……」

「わかりました……」

 

 他のスタッフさんが一歩寄ってきて私達にひそひそ話で、

 

「いや、彼大ファンなんですよ。後藤さんの」

「あっそう、なんですね……え、えへへへ……私のファン……」

「……本当に後藤さん大丈夫ですか?」

「調子悪くて承認欲求のブレーキ効いてないだけです。どちらかといえば平常運転」

「……イメージ違うなー」

 

 と言われても、私のイメージってどんな感じなんだろう。

 あまり考えずにやってきたけれど……

 

「寡黙でミステリアスな超人ギタリストじゃないんだなぁ……」

 

 そう呟きながらそのスタッフさんは元の立ち位置に戻った。

 

「……えっ」

「あぁ……またイメージ崩壊しましたね……」

「えぇ……」

「素で面白キャラなんだからそれでいいのに」

「いや、仕事でもこのレベルの人見知り発動するのは大っぴらにしづらいでしょ……」

「あっそれはそうです……」

「あーあのね、今までで言ってなかったけど、実はぼっちちゃん個人へのインタビューのオファーとか、私と司馬さんで握り潰してたんだよね……」

「え、ええ……」

「いやだってぼっちちゃん、断れずにっていうか、喜んで受けといて本番でビビりまくった挙げ句大火傷しそうじゃん?」

「あ、わわ、たしかに……」

「崩壊した顔面でギタマガに載ったら超面白いのに」

「わ、私が通訳としてついていけばいつか受けられるわよ!そうよねひとりちゃん!」

「あっはい……」

 

 同じ日本語話すだけなのに通訳が要るんだ……私……。

 実際誰かついてないととんでもないこと言い出しそうだし、それと結束バンドだとボーカルギターの喜多ちゃんが適任……。

 

「喜多ちゃんがいないと生きていけないんだ……私……」

「ひとりちゃん……ずっと私がお世話するから……」

 

 私が情けなさで肩を落としていると、喜多ちゃんが肩を抱いてくれた。

 

「郁代、私も飼って」

「さっき私のご飯食べたいって言ってたでしょうが」

「家は郁代、飯は虹夏に頼る」

「節操ないな!」

 

「バンド仲めっちゃいいですね……」

「現役高校生でインディーズデビューして10年やってきてるんだから、そりゃあ仲良しだろ……」

「仲良しというか介護チーム……?」

 

 スタッフさん達がひそひそ話をしているけれど、嫌な感じはしなかった。

 スタッフさんの中の、さっき私達に寄ってきた人が一度咳払い、それで仕切り直して、

 

「機材はすべて入って来ています。あとはステージに持ってきてセッティング、据え終わったところから順次サウンドチェック入ります」

 

 空気が引き締まった。

 私はというと、緊張で心臓が跳ねている。体が弱っているから弱々しいけれど。

 

「では始めましょう!」

 

 気合を入れるための柏手一回。スタッフさん達の表情が変わり、動き出す。

 今までのハコのスタッフさん達も凄かったけれど、ここは更に別格に見えた。

 機材が入ってくる。そう思って身構えていたら、真っ先に来たのは、

 

「まずは後藤さんの本日の椅子入ります!」

「いよぉー!」

 

 なぜか拍手と一緒に椅子が入ってきた。重ねて片付けられる、背もたれ付きで座面の広い椅子。

 

「ご着席の前にサイン頂いてよろしいでしょうか!」

「えっ、えっ、あっはい」

 

 背もたれ、クッションの反対側でプラスチックの部分。椅子を持ってきたスタッフさんがサインペンを私に手渡してくれた。手が震えないように、でも緊張しすぎないように私のサインを書いていく。

 

「あっ終わりました」

「ありがとうございます!サインいただきましたー!」

 

 本当になんで拍手……?

 

「じゃあサインに保護シール貼らせていただいて……どうぞ!」

「あっありがとうございます……」

 

 手際よく私のサインにカバーシールを貼ったスタッフさんが、私に着席を促した。

 

「それじゃ後藤さんの機材据えましょう!」

 

 そのスタッフさんが言うまでもなく、私の機材が運び込まれて来た。

 

「続いて喜多さんの機材も運んで!」

 

 私の機材の設置と並行して、喜多ちゃんの機材の搬入……全てが無駄なく手際よく進んでいく。それ故のさっきのお遊びだった。

 

「すごいね……」

「流石。やっぱり格が違う」

「見ていてワクワクしてくるくらいです!あ、ひとりちゃん、イソスタに写真上げるから!」

「えっ……どんな写真ですか」

「今回は自撮りじゃなくてポートレート調!椅子のサインとひとりちゃんの背中が見える感じで……髪ちょっとどけるわね……はい!どう?」

「わ……」

 

 そこには、私のサインが入った椅子の背もたれ、そして私の後ろ姿。少し斜めから撮影されたから、横顔も僅かに写っている。

 

「え、えへ、えへへ……」

「早速アップしーましょっと」

「喜多ちゃん喜多ちゃん、どんな写真撮ったの?見せて?」

「伊地知先輩も、ほらリョウ先輩も見てください!」

「おう」

「これは……シブく撮ったねー!珍しい!」

「モノトーンなのもそれっぽいね。郁代、いいの撮った」

「やった!」

「えへへ……えへへへへ……」

「ぼっちちゃんのニヤケ笑いが止まんない!」

「そんなに気に入ったのか」

「自信作ですし!……あ、もういいねが付き始めてる」

「おー……凄い勢い」

「こうして無口なスーパーギタリストのイメージが作られるのかぁ……」

「”かっこいい”ってコメントもついてますよ!ほら!」

「郁代、それ以上いけない。ぼっちが戻れなくなる」

「え?」

「わ、私かっこいい……スーパーギタリスト……うぇへへ」

「いかーん、ぼっちちゃんの承認欲求に火が着いちゃったしもうこっちの世界からテイクオフしてる……」

「あぁ……ひとりちゃん!こっちの世界に戻ってきて!もうすぐ設置終わっちゃう!」

「えーっと、あの……後藤さん、エフェクターボードこの辺設置でいいですか?」

 

 スタッフさんの声で現実に戻ってきた。

 

「……はっ!あぅ、あっはい、その辺で、お願いします」

「戻ってきましたね」

「あっじゃあ私、スタッフさんと打ち合わせ入ります……」

「ん」

「私もセットの組み立てとかあるから、また後で!」

 

 みんなと一旦離れて、スタッフさんと向き合う時間。

 

「とりあえず仮でセットアップ完了しました。今回後藤さん、基本椅子座っての演奏で、あとギターのチェンジはスタッフに一任する形で聞いてます」

「あっはいお願いします」

「で、返しがステージ際なので、ボードと椅子移動しましょうか」

「あっはい」

 椅子から立つ。椅子を持とうとすると、スタッフさんが遮って、代わりに持ってくれた。返しのスピーカーの前に立つ。

「サウンドチェックやリハでまた動かすときは気軽に声掛けてくださいね!」

「あっすみません……」

「僕もベストのパフォーマンス見たいですから、位置もベスト探していきましょう!」

 

 ……今回、スタッフさんにも特別気を遣ってもらってる。申し訳なく思ったけれど、私がちゃんと演奏できれば、それが恩返しになると思った。

 

「がんばります……」

 

 リードギター単体、次々進んでいく他の楽器のチェックもスムーズに進んで、最後に皆で音を鳴らして仮のバランス調整。

 

「OKです!休憩!」

 

 セッティングが終わった。リハでも調整するけれど、ここから大きく変わることはない。でも今日の私の場合、いざ本番同様の音を鳴らして、返しからの音の聞こえ方が良くなければ椅子、それに伴ってエフェクターボードの移動まで必要になる。結構な面倒をかけるかもしれない。不安で気が重かった。

 

「ぼっちちゃん、楽屋戻るよー」

「ぼっち」

 

 虹夏ちゃんが舞台袖を指差して、リョウさんは腰を落として構えている。

 私は立ち上がって、少し身を固くする。

 

「あっはい……お願いします……」

「リョウ先輩、私もひとりちゃん抱えたいです!」

 

 私を抱えると、またリョウさんは少し悲しい目をして、喜多ちゃんに言った。

 

「……ん、落っことしたら危ないから、また今度」

 

 いつもと違う、少し濁したトーン。

 

「……うーん、それもそうですね!ごめんなさい、ひとりちゃん」

「えっあ、あの、こっちが、ごごめんなさい……」

「じゃあお昼行こう」

 

 楽屋に戻ると、机に人数分のお弁当が置かれていた。多分、川崎のお弁当業者さんのだと思う。全国を回ったけれど、業者さんによって箱が違っててそこは少し面白かった。でも傾向としては、なにか花の模様やお弁当の名前が入っていたり。今回もそれに当てはまっていた。でも、見ると気が重くなる。

 喜多ちゃんが言っていた通り、食べなきゃ体が持たないのに食欲が出ないから。多分美味しいのに、鬱で調子が悪いと味がよく分からなくなるせいで無闇にかき込むように食べていた。

 

 ……というか、私の分もあるけど、どうしよう。

 椅子に座ってお弁当の箱を見つめていると、

 

「ぼっち、それちょうだい」

「あっはい、あげます……2つ食べるんですか?」

「1つは今食べるけどもう1つは明日のお昼食べる」

「あっあの腐ったりしませんよね」

「冷蔵庫入れとけば大丈夫。だから心配せず郁代スペシャルを喰らえ」

「あっありがとうございます」

「リョウ先輩、私からもありがとうございます!」

「よせやい」

「あ、でもぼっち」

「あっはいなんですか」

「郁代スペシャルにも興味あるし、お弁当もらってあげたから代わりに一口ちょうだい」

「あっ……はい」

「山田ァ!」

「怒られた」

「リョウ先輩……今回はひとりちゃんの分量で作ってきたので……今度また同じもの作りますから、食べに来てください!」

「やった、1食浮く」

「浮くも何も実家でご飯食べてるでしょーが」

「仕事サボって外出する日とか、昼代なくて今でも草食べてる……ソフト音源で金が飛ぶ……」

「マジかぁー……」

 

 リョウさんはバンドとは別で、作編曲家としての仕事もしている。だから楽器以外の出費もかなりエグい。

 

「デモ用とか、私が弾いて問題ないギタートラックは一本のギターでどうにかできるようになった。だからギター沼は卒業できたけど、ソフト音源とかプラグインの沼にはどっぷり」

「大変ですよね……仕事量大丈夫なんですか?」

「外部の仕事しないとソフト音源買えないからこれからも仕事受ける」

「リョウ、仕事のために買ってるのか買いたいから仕事してるのかどっち……」

「どちらかと言えば後者……」

「でも評判いいですよね、リョウ先輩の曲。タイアップしてるアニメ、私も見てますけどすっごく合ってますし」

「ありがと。そういえば言ってなかったけど、私の曲、大抵イライザさんが弾いてる」

「え゛っ」

「イライザさんって、SICK HACKのイライザさんですよね?あ、もう元SICK HACKですけど……」

「うん。でもSICK HACKまだやってた時から一緒に仕事してた」

「まぁあの人なら対応できるよねぇ、技巧派だし」

「でも毎回”コレぼっちちゃん基準デショ?癖強いヨ!難しいネ!"って怒られる」

「うわぁ……」

「良くも悪くも私達、ひとりちゃんに慣れすぎてますよね……」

「あっあっなんかすみません」

「ぼっちちゃーん、それ逆にイヤミになるから」

「ひぃぃすみませんすみません」

「でもちょっと単純にすると今度はSICK HACKっぽくブチ壊されるから悩ましい……お腹すいた。いただきます」

「えっこの流れでいきなり食い出すの」

「時間は有限」

「あんたが溶かしたんでしょーが」

「まぁまぁ伊地知先輩。あ、それじゃあひとりちゃんのお弁当出すわねー」

「あっありがとうございます」

 喜多ちゃんがバッグの中から太くて短い筒のようなものを出す。ステンレスみたいな表面の円筒。

 そういえばこういうお弁当箱もあったな、と思い出す。喜多ちゃんが蓋を開けると、湯気が立ち上った。

 そう、保温できるからお弁当があったかいんだった。

 それにこの匂い、多分日本人の大体が好きだと思う、

 

「私特製、ひとりちゃん用!スープカレーリゾットになります!」

「わぁ……」

「おー……しかもこの香り!まさか自分でスパイス調合した?」

「はい!でもあんまりスパイシーだとひとりちゃんが気分悪くしちゃうかなって思ったので、スタンダードめに作ってみました!それに野菜も蒸してから裏ごし、更に豆乳ベースなので野菜もタンパク質も十分のはずです!」

「凝ってるねぇー……でも喜多ちゃん?スパイス自分で調合したりするの、モテない男の趣味っぽくない?」

「え?そうですか?私、パフューマーみたいで楽しい趣味だと思いますけど」

「あー、食べられる香水って考えると調香師かもねー……」

「それに挽きたてのスパイスって本当に素敵な香りなんですよ!」

「き、喜多ちゃん……これ、凄くいい匂い……」

 

 そこまで複雑ではないし、強烈でもないカレーの香り。けれどとても豊かに薫ってくる。

 喜多ちゃんが私の顔を覗き込んで、

 

「気分悪くなってない?大丈夫?」

「だ、大丈夫……食欲湧いてきました……」

「良かった!それじゃあ召し上がれ!」

 

 スプーンを持って、カレーリゾットを掬う。口に含む。

 爽やかな辛さと香りが口いっぱいに広がる。優しく夢から手を引いて連れ出すような、私を目覚めさせる味。

 

「おいしい……」

「本当!?嬉しいわ!ひとりちゃん専用だから遠慮せず食べて!」

「は、はい……!」

 

 スプーンが止まらない。

 豆乳ベースって言ってた。だからか、たまに気になる牛乳の臭みとかもないし、後味あっさりとしているのにまろやかでもある。たっぷりと溶かし込まれた野菜、それとふやけたお米のおかげで少しとろみがあって食べやすい。

 

「お、おいしい……おいしいです」

「嬉しい!飲み物も準備してあるから飲んで!」

「うんうん、やっぱカレーは魔法の食べ物だよねー」

「私もカレーは大好き。野草のカレー粉炒めもおいしい」

「いやリョウのそれはカレー粉凄いってだけの話でしょ……」

「というかリョウ先輩、出先でキャンプでもしてるんですか……?」

「出先の公園で摘んだ野草をコッヘル使って料理してる」

「不審者じゃん……通報されないの?」

「何回かされたけど、開き直って堂々とやったら全然通報されなくなった」

「流石リョウ先輩ですね……あっひとりちゃん、はい、生姜入りのチャイも持ってきたから飲んでみて」

「あっありがとうございます……お洒落……」

 

 生姜とスパイス入りだけれど、尖った辛味は抜けていて口当たりがいい。

 心が和んでため息が出る。

 喜多ちゃんは私の正面に座って弁当の箱を開けながら、

 

「体が冷えると心も落ち込んじゃうかと思ったの。気休め程度だけど」

「あっでも、すごくうれしい……頑張れそうです」

「私も嬉しい!」

 

 喜多ちゃんもお弁当の蓋を開けて食べ始める。

 虹夏ちゃんはいつの間にか天ぷらにかぶりついていた。

 

「こういうお弁当ってさ」

 

 天ぷらを口に含みながら虹夏ちゃんが話し始めて、

 

「なんで統一感ないんだろうね?メニューに」

「私は天ぷらとハンバーグのセットいいと思う。デミグラス天ぷらもイケる」

「リョウは節操がなさすぎ!食のハードルが低すぎるんだよ……美味しいの好きかと思ったら食えればいいレベルまで落ちるし」

「でもそれだけ逞しいってことじゃないですか!」

「喜多ちゃん、リョウへの欲目が10年以上続いてるの凄いよ……」

「え?もうそこまででもないですよ?リョウ先輩頭カラカラですし、でもそこも愛嬌ですけど」

「いやそれはそこまでって言うよ?」

 

 そんな昔から変わらない益体もない話をして,昼休憩を過ごした。

 

 お弁当を食べた後、寝るのはやめておいた。

 休憩明けにはリハに入るから、寝起きでやるのは怖い。そして時間になって、

 

「よし、そろそろリハの時間だからステージ行こっか」

「あっはい」

「じゃぼっち」

「あっはい」

 

 ご飯を食べたばかりで抱えられるのが怖い。吐いたらどうしよう。どうしよう。

 考えるだけでなぜか吐き気がしてくる。怖いって思っているだけで、それが現実になろうとしている。

 

「腹ごなしになるから歩いて」

「あっはい……はい……」

「郁代、肩貸してあげて」

「もちろんです!ほら、行きましょ」

「あっうん」

 

 恐怖がなくなると、吐き気も収まった。胸に手を当てて深呼吸する。

 

「あ、あの、喜多ちゃん」

「なぁに?」

「肩、借りなくてもだ、大丈夫です」

「本当に?」

「うん……ちょっとくらい体動かさないと、逆に動きが悪くなりそうで」

「そうかもしれないけど……無理しないでね」

 

 喜多ちゃんから離れて、私は自分の足だけでステージに向かっていく。

 体中がじんわりと温かくなってきた。リハ中は上着を脱いでやっても大丈夫そう。足取りは弱くても、地面を確かに踏んでいる。行ける。

 

 §

 

 けれど、それは多分勘違いだったんだと思う。

 

 §

 

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