四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
ステージに着いた。照明が暑い。上着を脱いで椅子の背もたれに掛ける。
ステージ向こうのPAさんが手を振り、
『それじゃあリハ始めましょう。よろしくお願いします』
返しのスピーカーから声が聞こえた。全員でマイクに向かって、
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします……」
お辞儀をして私は椅子に座る。
『……後藤さん、マイク入ってます?』
「は、入ってます……声が小さいだけです」
『あ、すみません。じゃあレベル上げましょうか』
「あっその私MCもコーラスも出来ないのでむしろミュートしてもらって大丈夫です……」
……返しからこらえた笑い声が聞こえる。皆も笑ってる……。
『わ、分かりました……レベルこのままで行きましょう』
「あっはい……もうそれでお願いします……」
マイクを通してみんなの声も聞こえた。
『いや、昔やってたじゃん……』
『そうですよね……未確認ライオットの時に。懐かしいですね』
『まぁ予選抜けられなかったけど……』
また笑い声。ホール中に響く。
そうして程よく空気が解けたところで、リハが始まる。
PAさんから、
『音量の差が一番大きいところから調整掛けていきますか。じゃあ早速ですけど、最後の曲から─────』
私の独奏から始まる曲。一応アンコール含めなければ最後。イントロは10年以上の間に随分改造されて、今では喜多ちゃんがフィードバックを豪快に鳴らす見せ場。
「はい!じゃあひとりちゃんからスタートね」
「あっはい」
『好きなタイミングで始めちゃってくださいー、どうぞ』
§
こうしてリハもスムーズに進行して、曲ごとのバランス調整プランまで固まった。
返しの聞こえ方についても詰めていったけれど、結局私の椅子の位置は仮に決めた位置のまま確定した。
返しとの距離が近くて、椅子に座ってもペダルを踏めるようになっている。右手側にスタンドが2脚立っていて、その片方にはサブのギターが吊られている。
持ち替えはスタッフさんが補助、というか私のところまで持ってきてくれて、どうするのが一番やりやすいかも決まった。
曲中に持ち替えるなんてことはしないから慌ただしくはない。
全曲を短く、かつ軽くさらい、ギターソロも何曲か弾いて、大体1時間半くらいでリハは終了した。
『……よし!PAさーん、音量調整大丈夫ですかー?』
『えーっと、はい。一応全曲把握しましたしね。皆さんの返しのバランスも問題ないですか?』
『みんな、大丈夫?』
『問題なし』
『私もOKです!』
「あっ大丈夫です……」
『それじゃあ皆さん、お疲れ様でしたー!本番よろしくお願いしますー!』
『ありがとうございましたー!」
『ありがとうございました』
『ありがとうございました!』
「あっありがとうございました……」
……お辞儀をすると、脳が揺れる感覚がした。
疲れているのかもしれない。
立ち上がる前に、担いでいたギターをスタンドに戻そうとする。
「後藤さん後藤さん、ギター僕が持ちますんで」
「あっ……すみません……」
スタッフさんにギターを預ける。丁寧に受け取って、スタンドに吊ってくれた。
足を少し伸ばせば踏めるようにセッティングされたボード、長いシールドが床を這っている。
短くしてもよかったけれど、長さは変えずにここまでやってきてしまった。そういう自分のいい加減さにため息をつく。
立ち上がる。
ふらつく。
たたらを踏む。
爪先が踏んだシールドが転がる。
「ひとりちゃん!?」
「あ」
そのまま前に転んで、
「─────」
みぞおちを、返しのスピーカーの角が、突いた。
「─────か、ふ」
「ぼっちちゃん!?」
「ぼっち!」
「ひとりちゃん!ひとりちゃん大丈夫!?」
「後藤さん!大丈夫ですか!?」
痛い。息ができない。喉から熱さがせり上がる。
こぼれ落ちないように手で口を抑えようとして、
「うぇっ」
間に合わなくて、胃の中身が、口から漏れ出た。
スピーカーに貫かれたままの姿勢で、ステージの下に吐き出したものが滴る。
喜多ちゃんが一生懸命作ってくれたお弁当が。もしかすると虹夏ちゃんが用意してくれた朝ごはんも。
「ご、め、かはっ」
「後藤さん!起こしますよ!」
「ひとりちゃん!」
返しから体が浮いていく。そしてそのまま椅子に座らせられた。
「ぼっちちゃん!大丈夫!?」
「あ、は、い」
「あ……私が、そばにいたのに……」
「郁代は悪くない。ぼっちも悪くない。事故」
「でも!」
「それより……ぼっち、楽屋で休もう」
「は……い」
また、抱き上げられた。
私、汚いのに。臭いのに。
「リョウ、さん……私、汚れてます……服、だめにしちゃう……」
「どうせ着替える。気にしなくていい」
「ごめんなさい……」
意識がぼんやりしている。
照明の熱さから逃れた。そして冷えた空気の舞台袖と通路を通り抜けて、楽屋に戻ってきた。
「ぼっちちゃん、ベッドで寝かせよう」
「いや虹夏。さっき吐いてたから一旦座らせよう。ぼっち、下ろすよ」
「あ、はい……」
椅子に座らせられる。
「ひとりちゃん、口濯いでから着替えましょう?」
「あ……」
喜多ちゃんの声で、涙が出てきてしまう。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「喜多、ちゃん……せっかくお弁当作って、くれたのに……」
「ひとりちゃん……いいの、また今度作ってあげるから。みんなで一緒に食べましょう?」
「ごめんなさい……」
「大丈夫だから……伊地知先輩、リョウ先輩、私お水汲んできます!」
「あっ……」
行ってしまった。
「ぼっちちゃん、吐き気はない?」
「虹夏ちゃん……もう、多分大丈夫、です……」
「そっか……リョウ?」
「まだ。私も医者でも看護師でもないけれど、もう少し様子を見ないと。本当なら即医者に見せたほうが」
「だめ、です」
「ぼっち」
「それじゃ、ライブ、できません……」
「ぼっちちゃん……」
「やれます……やります」
「……それより、ぼっち。どこを打ったの?腹?胸?」
「……みぞおち、です」
「……」
リョウさんが考え込む。
「ぼっち。何が起きるかわからないから、痛み止めとかは飲ませられない」
「えっ……」
「何もなければそれでいいけど、痛み始めたらちゃんと言って」
私が何か返す前に、リョウさんは私のそばを離れて、カバンからノートPC、オーディオIO、ヘッドホンを取り出して、
「それじゃ私は仕事するから」
「えっ」
「ちょっと待ったリョウ、仕事ってまさか」
「……一応まだ納期まで余裕ある」
「じゃあなんで今やるの?」
虹夏ちゃんが青筋を浮かせて詰め寄る。
「昨日ボツ連絡あったからまたモックアップ作って送らないと……」
「ツアー中もやる羽目になってどーすんの!仕事もうちょっと計画的に受けなさい!」
「受けるか受けないかもインスピレーション次第……」
「なんでリョウが作曲家として成功しつつあるのか分かんなくなってきた……」
「私は天才」
「じゃあ天才なら一発OK……とはいかないよね。どんな人でも何パターンも作って通すんだよね……」
「ちなみにまだ1パターンしか送ってない」
「……なんでそれだけしか送ってないの?」
「天才だから通ると思った……」
「あのさぁ……」
そのうち、少し慌ただしい足音を立てて喜多ちゃんが戻ってきた。
「ひとりちゃん、お水ペットボトルに汲んできたわ……って、リョウ先輩。パソコン出してどうしたんですか?」
「暇になるから仕事を……」
「作曲のやつですよね!?私どんな風に仕事してるのか見てみたかったんです!後から見てもいいですか!?」
「それよりぼっちのお世話してあげて」
「わかってます!……ひとりちゃん、お水口に入れて濯いで。後でトイレで顔も洗いましょ?それともう着替えも……」
「あっ大丈夫です……一人で着替えられるから……」
「……本当に無理しちゃ駄目よ?」
「だ、大丈夫……大丈夫です……」
相変わらず、顔の筋肉が強張ってしまう。笑ってみせようとするといつも。
ふらりと立ち上がって、鏡台に置いた机から着替えを取り出す。今日のステージ衣装……とは言っても、いつものバンドTとジーンズ。ダメージジーンズが良かったんだけど、喜多ちゃんに止められて妥協案としてこの褪せた色合いのものを買った。嫌いではないけどステージでしか穿かない。
喜多ちゃんが今日の服として選んでくれた、というか買うときも喜多ちゃんに選んでもらったハイネックセーターを脱ぐ。あまり首に違和感のある服は着たくなかったけれど、これはかなり緩めで絞められる感じがない。これも別に好きではないけれど、暖かいし、痩せても太っても着れるから便利だと思った。
鏡に映った体を見て、一瞬息が止まった。
鏡越しに後ろを見る。
誰も見ていない。
すぐにTシャツを着てしまう。
そのままロングスカートも脱いだ。厚手ですこしモコモコしているけど、肌触りが良い。これも喜多ちゃんセレクト。どうして喜多ちゃんは私に飾り気のない服ばかり選ぶんだろう。
この2つはさっき私が吐き出したもので汚れている。鞄に詰め直すにしても、何か袋に入れてからにしたかった。
汚れが鏡台に付かないように丸めながら一旦鞄の口の上に乗せる。
ジーンズを穿いて一応着替えを終わらせないと。
ベルトを締めると、
「……っ」
何故かお腹が痛んだ。
さっきは鳩尾を打ったのに、お腹が痛くなるから理由が分からなかった。気分が重かったり、緊張のせいだろうと思った。
「あっ喜多ちゃん……服、汚しちゃったから何か袋……」
「あっ……そうよね。スタッフさんに何かビニール袋ないか聞いてみるわ」
「ご、ごめんなさい」
「いいのいいの、待ってて!」
「あっ私、トイレ行ってきますね」
「一人じゃ大変だと思うから、伊地知先輩お願いしていいですか?」
「あい。任されたよー。ぼっちちゃん、今度は私が肩を貸すから」
「あっ虹夏ちゃん……」
「今日、私だけぼっちちゃんを支えてあげられてないし、ね?」
「いいいい、いえ、そんな朝ご飯とか」
「別にあれはもとからあった私の作り置きを温めたりしただけだし。リョウなんてお姫様抱っこまでしちゃってさ。……私にも出来るかな?」
「いや、あの、やめたほうが」
「うん。今遊びでやるもんじゃないしね。さ、行こ」
「はい……」
虹夏ちゃんの肩を借りながら、廊下を行く。
トイレまでは短い。
リョウさんはソフト、というかプロジェクトファイルが読み込めたみたいで仕事を開始していた。
トイレの洗面台の前に立つと、虹夏ちゃんが小脇に抱えていた水のペットボトルから、蓋に被せるように持ってきた紙コップに注いでいく。
「口濯いだら顔も洗おっか。いやー、すっぴんだったのは運が良かったのかもね」
「そう、ですね」
運が良かった。
胸の痣がすごかったのを、見られなくて良かった。
口を濯いで、サングラスを外して顔を洗うと、少し安心できた。
でも鏡の中のやつれた自分の顔は、昔よりも肌が青かった。あまり鏡を見ずに生活しているから、こう思ってしまう。
「ほら、ハンカチ。顔拭いて」
「あっありがとう……」
虹夏ちゃんに肩を貸されながら楽屋に戻ると、リョウさんも着替え終わっていた。
喜多ちゃんは戻ってきていて、私の服を袋で包んで鞄に入れるところだった。
リョウさんはPCに向き合って真剣な目をしている。
「ひとりちゃん、服は片付けておいたわよ」
「あっありがとう……」
服、だめになったんだろうな。
そう思うと、選んでくれた喜多ちゃんに申し訳なかった。だから、
「服、クリーニングに出せませんよね……」
「え?出せると思うわよ?」
「あっそう、なんだ……」
あっさり罪悪感をかき消してもらってしまった。
「それじゃ、ひとりちゃん。寝る?」
「あっ……リョウさん」
「……うん。吐き気とかないなら。本番30分前には起こす」
「ん。そうしよっか。あー、あとぼっちゃん。寝る前にお茶でも飲んどく?」
「あっはい、そうします……」
楽屋に置いてあった緑茶の2Lペットボトル。紙コップもある。さっき私が口を濯ぐのに使ったものはここの備え付けだった。
「はい、どうぞ」
「ん……」
胃液でちょっと焼けた喉に沁みる。
あまり冷たくないお茶だけど、体を壊してからはコーラでも調子を崩すようになっていたからちょうど良かった。
「それじゃ、おやすみ。ぼっちちゃん」
「おやすみなさい」
「ぼっち、おやすみ。……郁代、仕事見る?」
「見ます!」
簡易ベッドに横になると、すぐに意識が薄れていく。ある意味便利な体になった……。
「これでも一応守秘義務あるから固有名詞とか口に出すの控えて。こういう感じ」
「あっ……はい……そう、ですか……へぇー……」
けれど、痛い。
声が出ないよう、息で痛みをいなす。
お腹から胸まで、まんべんなく痛い。
多分、落ち着いたから痛みがやってきただけ。
酷い痣でここまで痛みがさほどじゃなかったのはそういうことに違いない。
こんなことで、ライブを止めるわけにはいかない。
痛みが続いて、結局寝られたのは眠気がやってきてすぐの数分だけだった。
後の時間は、ひたすら寝ているふりをしていた。
だんだん寒くなってきたから体を少し丸めると、誰かが私に布を掛けてくれた。ひざ掛けか、ステージに置き去りにしていた私の上着かどちらか。
顔を見せたくなくて、背もたれが目の前に来るように寝返りを打った。慎重に、ゆっくり。顔を見せたくない。
誰にも表情を見られないと思うと、少し安心できた。痛みは止まらないけれど。心臓の動きに合わせて、焼けるような感覚がお腹の上の方に走る。
「……ふぅ」
そうだ。病院だって、明日行けばいい。今日で一区切りしてみんなで充電期間。私も健康に気をつけながらのんびりする。それでいい。
眠れないけれど、意識はぼんやりしてくれた。眠気がそのまま勝ってくれたらありがたかったのに。
§
私は、昔みたいに分かれ道を間違えてしまったんだと思う。
§