四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
「ひとりちゃん?起きれる?」
「あっ……あ……はい……」
喜多ちゃんの声が降ってきた。それに向き合うように、仰向けになった。痛みを顔に出さないように表情を固める。
「……大丈夫?」
喜多ちゃんが覆いかぶさるような体勢で私の表情を伺う。
それに、いつも通りの下手くそな笑みで、
「だ、大丈夫です……」
「本当に?」
「本当に大丈夫……」
そういうことにするために、転げ落ちないように気をつけながら身を起こして簡易ベッド、もとい椅子に腰掛ける。
急に世界が回る。頭が揺れる。重い。投げ飛ばされているみたいな感覚。椅子に爪を立てて踏ん張ろうとするけれど、昨日切ったばかりで指が滑る。だから右腕に体重を預けて、体を傾けさせて持ちこたえる。
「はぁー……」
そのうち、大波のような目眩は収まった。
「ひとりちゃん……」
「大丈夫です」
「ぼっち」
顔を上げると、また脳が揺れた気がした。
リョウさんの声。目はピントが合うまで少しかかった。
ヘッドホンを首にかけて、私を見ている。
どこか、私を観察しているようだったから、大丈夫なふりをした。
「あっおはようございます……」
へらへらと、卑屈に笑う。
「おはよう。寝れた?」
いぶかる視線が心臓を刺す。私には後ろめたいことなんかない。お腹が痛いのを我慢しているくらいで、それも別に、結構気になるけれどのたうち回るほどじゃないから。
「け、結構ぐっすりでしたかね?」
「いや、ちょっとうなされてるっぽかった」
「え」
そんなはず。ない。
「冗談。寝返りまで打って寝てたし」
「あっ……」
頭が混乱する。なんでそんな冗談を言ったんだろう。リョウさんのことだから、突飛なジョークはいつも通りだけれど、背筋が凍った。
リョウさんの考えが知りたくて、
「あ、あの、私の顔色、悪いですか……?」
「良くない」
このままだと、病院送りにされちゃう。
そうしたらライブはなくなる。もうすぐお客さんが来る。裏切りたくない。
やめられない。やめるわけにはいかない。こんなことで。
「でも……ぼっちの顔色が悪いのは10年前からそうだったし、最近もっと悪くなったから誤差といえば誤差」
そう言うと、リョウさんはPCの画面に視線を落として、
「……そろそろ本番の準備しよう」
PCを閉じた。
「じゃあメイクしないとですね。ひとりちゃんのは私が担当します」
「うん。よろしく」
「えっあの私、自分で出来る……」
「体力温存!」
「ん」
「あっ……はい……」
押し切られてしまった……。
鏡台の前の椅子に腰掛ける。
そして、顔色を見る。顔に光を集めるようになっているからか、皮膚が光で透けて見えた。つまり、血の気がないのがバレバレだった。でも、誤差らしい。多分、みんなそう思うだろうから気にしないことにした。
「それじゃ、ひとりちゃん。今回薄めの化粧にしましょ」
「え」
「えっ、えっとあの顔色悪いとただでさえ見栄え悪いのに気持ち悪くなってそのキモいので白塗りでいややっぱりダンボール被ります……」
「すっぴんじゃなくて薄めって言ってるじゃない……それにダンボールも禁止!もう、そういうところまでずっと変わらないままじゃなくていいのに……」
「あっずっと子供のままのティーン精神引きずったままの女ですみません……大人になれなくてすみません……」
足音とビニール袋のシャリシャリした音が近づいてきて、ドアが開いた。
虹夏ちゃんだった。
「あ、ぼっちちゃん起こそうと思ってたところだった……ってメイク始めるとこ?」
「伊地知先輩!ひとりちゃんの顔崩壊しないようにちょっと押さえてもらえますか!?」
……どこかへ行っていた虹夏ちゃんと喜多ちゃんの二人がかりで、私はなんだかんだとメイクされてしまった。そしてぼうっとしながら他の3人が自分の顔を仕上げるのを待っている。
喜多ちゃんはここ数年、イソスタ用とステージ用で顔を変えるようにしていた。
普通はステージの方はカッコよくするんだろうけどそうしない。
私達にはわかる。10年くらい前、私達が始まった時の喜多ちゃんの顔。舞台の上では、私達はいつもあの頃の喜多ちゃんと一緒にいる。
虹夏ちゃんは段々あの頃の店長さんに似てきたけれど、笑顔だけは変わらない。
……リョウさんは、ライブごとに違う。その時々持ってる服に合わせているようにも、ただ単にいつも同じだけど服の違いで顔まで変わって見えるのかもしれない。
「あっあの……リョウさんのメイクって」
「……どうしたの?」
「その、いつもその時々で違うなって……今更ですけど」
「うん。大体いつも何かしら切らしてて代用したり、そのせいで別の化粧品の減りが早くなって……ピストン式に次々切らすから」
「えっ」
「今ちょうどアイシャドー切らしたから左目は口紅」
「あっあの目に入ったら危なくないですか」
「てかリョウ、青とピンクで色バラバラじゃん……」
「ウケると思って……」
「それにさ、今までまじまじと見てこなかった私が悪いのかもしれないんだけどさ、今の話初耳なわけよ」
「リョウ先輩……私もですけど……」
「まぁまぁお二方は自分の顔面を」
「顔面って言われるとなんか生々しいからやだな!」
「あの、私のアイシャドー使います?」
「いや、郁代はイエベ系だけど私はモロにブルベだから多分合わない」
「あのね、そういう問題じゃないでしょ……」
「あっあの、あ、私、多分顔色悪いのでぶ、ブルベで合うと思いますから使ってください……」
「そういえばそうですね」
「その言葉を待ってた」
「化粧品までぼっちちゃんから集るんかい」
昔から変わらない、話題がいつまでも尽きないやり取りの中でも、やっぱり痛みが続いていた。
額を触ると、少し汗が滲んでいた。秋に入って、もう暑くもないのに。寒いくらいなのに。実際、触っても熱くはなかった。
深呼吸で痛みや緊張を解そうとする。痛みは消えないけれど。
「あっ……とぼっちちゃん、ちょっとだけど改めて栄養補給したほうがいいかなって買ってきたんだった、これ」
「あっ……ありがとうございます……」
小さなマイバッグから虹夏ちゃんがゼリー飲料を取り出して渡してくれた。それを受け取って、
「いただきます……」
すぐに飲む。
吸いきるためにお腹を踏ん張ると、痛みが増した。でも仕方ないと思った。冷たくて脂っぽい汗が噴き出す感覚がする。
「……ごちそうさまでした」
「うん、お粗末様」
メイクを進めながら、虹夏ちゃんがそう返してくれる。
「終わった」
「終わりました!」
「よーし、全員終わったね!じゃあMC台本だけ確認しよっか!」
「じゃあ私とぼっちはやることない」
「毎度毎度言ってるけど一応見といてくんない……?」
「あ、あはは……」
笑いながら、私は左手を右手で揉み解していた。
手の感覚が、怪しい。
血の巡りがどうしてここで悪くなったんだろうとも思ったけれど、汗で滑る手を必死で、でもこっそりといじくり回している。
動く。動くけれど。どうにも感覚が鈍い。手応えが、一枚布を挟んだような。
「ぼっち」
「あっ……は、はい」
リョウさんに声を掛けられて、頭が真っ白になる。
「手、どうかした?」
「あ、いや、その、えっと、緊張でちょっと手汗、気になるというか」
「……うん。今までで一番大きなハコだから仕方ない」
「あっはい、そうですね……」
「でも、押し入れなんでしょ?ぼっちには」
そう言って、リョウさんは拳を握って、
「いつも通りやろう」
「あっ……」
私の左手も握りこぶしにさせて、軽く当てた。
いつも通りの表情が、少しこわばっていた。
「でも実は超ビビってる」
「あっ……えへへ……」
『結束バンドさん、そろそろお願いします!』
楽屋の外から声。スタッフさんの。
「よーし、じゃあ円陣はステージで。GOGOGO!」
「行きましょう、ひとりちゃん!リョウ先輩!」
「うむ。じゃあぼっち」
「あっあのやっぱり」
「やっぱり抱える」
「あぁ……」
なんだか締まりきらない始まり。リョウさんに抱えられながらステージへと向かう。
ステージに着くと、幕が下がっていた。それを通り抜けて聞こえてくる、フロアのざわめき。
「いやー入ってるみたいだねー……」
「ま、まぁチケットは全部ハケたって知ってるわけですし、当然ですけど……」
「うおめっちゃ緊張する」
「あっあのゆれ、ゆれるの怖い……」
「リョウ、腕やられてないよね?」
「たかが上腕二頭筋がやられただけだから」
「リョウ先輩、さっきお姫様抱っこに腕力あんまり関係ないって言ってましたよね……?」
「へへ、聞こえんな」
「あっあの私降りますから降ります」
「じゃあ椅子に降ろすから」
「あっはい……」
リョウさんが私を椅子に座らせると、
「よし円陣!」
虹夏ちゃんの音頭で、いびつな円陣を組む。私が椅子演奏なせいで、エフェクターボードが邪魔になっている。
みんなで左手を出す。虹夏ちゃん、喜多ちゃん、リョウさん、そして最後に私。
「いつも通り、楽しくやろう!」
応、と皆で声を出す。
円陣を解いて全員が持ち場へ。
眼の前が一瞬、すっと暗くなり、
「後藤さん、ギターお持ちしました!」
「あっ……」
明るくなる。と言っても、開演前の薄明かり。
スタッフさんがギターを持ってきて、私にストラップを掛けようとする。座ったまま一礼して、
「お……お願いします」
「はい!」
黒い塗装。金のパーツ。いつものギター。重いから、少し背筋を伸ばすとお腹を圧迫する。痛みが走ったから、逃れようとして猫背になる。結局いつも通り。うめきそうになった声を堪えて、
「あ゛……りがとうございます」
「いいライブを!」
スタッフさんが下手側に引っ込んでいく。
それを横目に見ながらチューニングを始める。足元のチューナーに視線を落とし、ペグを回す。
「……よし」
準備出来た。
喜多ちゃんがこちらに歩み寄ってきて、
「大丈夫?」
「だ、大丈夫」
「本当に?」
顔を近づけてきた。
「ちゅ、チューニング終わってますから……」
「……」
私の顔を、まるで睨むように見ると、喜多ちゃんはいつも通り、それもあの頃のままの顔で、あの頃と変わらない笑みを浮かべて、
「ううん、それならいいの。がんばりましょ」
自分の持ち場に戻っていった。
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もう、このときには手遅れだった。
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