四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
フロアの照明が落ちた。幕の向こうはもう暗闇。
ステージの青白く薄暗い照明もすっと消える。
幕が上がり、虹夏ちゃんがスティックを打ち鳴らしてカウント。
私も準備は出来ている。
「鳴───」
ストローク。
「──り 止まなくて なにが悪い 青───」
ストローク。
「───春で 何が 悪い」
ちゃんとコードは押さえられる。
指は相変わらず妙な感覚だけれど。
ソロもなんとか弾けた。力加減が狂ってるせいか強く押弦してしまって、音程が少しシャープしてしまうところもあったけれど、概ね問題ない範囲。モタることも走ることもなく、多分及第点。
続けて2曲目が始まる。また虹夏ちゃんが4カウント。
バスドラに合わせて私がイントロリフ。
「……」
目が霞む。手は動く。多分そのうち治る。止める訳にはいかない。元々押入れやダンボールの暗闇で弾いていたんだから、目のかすみ程度問題ない。でも、やっぱり明日は病院に行こう……。
猫背が過ぎて観客席すら見ていなかったことに気付いたから、落ちた視力で観客席に視線をやる。
頭上が眩しいのにあっちはそこまで明るくなくて、あまりよく見えない。一人ひとりの顔なんてわからない。けれど、
「……!」
あまり見えない目でも、分かった。
ふたりがいる。最前列。
どんな顔をしているかも分からないけれど、分かった。
そっか、もう一人で見に来れるくらい大きくなったんだ。
私、まだ27歳だけれど。
歳を取ったことを実感した。
まぁ今の私の体力、そこらのおばあちゃん以下だろうし、余計にそう思ってしまうんだろう。
§
中盤を過ぎた。目のかすみは何曲か演っている間に収まって、はっきり見えるようになった。代わりに、寒気がして息が上がる。汗が止まらない。
そして何より、なぜかお腹にベルトが食い込んで痛い。
深呼吸も出来ない。ゆっくり息をしていたら、そのまま窒息してしまいそうで。
手も冷たい。
でも、まだ動く。腕も、指も。
やれる。顔を上げると、今度はふたりの顔がはっきり見えた。手を振りたかったけれど、ライブ中にやる勇気はなかった。
§
もうすぐ。
終わる。
終わったら、ゆっくり休もう。
最後の曲だから。
そう思った瞬間、心臓が空打った。
そして、弱く、速く、鼓動が走る。
目眩はしなかった。ただ力が入らなくて、座っていることすら出来なくなって、私は椅子から右に倒れた。
ステージの上に崩れ落ちても、もうあまり痛くなかった。けれど、ギターのストラップピンが壊れて体から外れた。パシフィカは……もうこのステージでは使えない。でも最後の曲はまた持ち替える予定だったから、不幸中の幸いだった。スタッフさんが多分持ってくる。でも、一向にギターが手元に来ない。
「ひとりちゃん!ひとりちゃん!?しっかりして!」
喜多ちゃんの声がする。少し遠いのに、耳に響く。
いつの間にか落ちていたまぶたを開くと、すぐそこに顔があった。
「大丈夫です……」
声が小さいからか、よく聞こえなかったみたいで喜多ちゃんがまだ叫んでいる。
「やっぱり……こんな……ひどい顔色……もう終わりにしないと……」
「まだやれます……」
「ひとりちゃん、ごめんなさい、運ぶから……」
そう言うと、喜多ちゃんは私を抱き上げようとして、
「……っ!?」
顔をしかめた。とても辛そうな顔。
ああ。私、死ぬんだ。そっか。
抱えられながら、ふたりの顔を見る。
何か叫んでいる必死の形相。でも、1300人の声の波に掻き消されて何も聞こえない。
泣いていた。
こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
もう仕方ないのかもしれない。
だから、
「喜多ちゃん、下ろして」
「え?」
「ギター」
「ちょ、ちょっと待って、ひとりちゃん……」
立つ。
死ぬと分かったら何故か立てた。しっかりと、前を見て。
ギターを持ってきていたスタッフさんの目を見て、
「ありがとうございます」
強引に、ネックをつかんで奪い取った。
床に亡骸のように転がるパシフィカからシールドを引っこ抜く。
轟音のハムノイズ。
すぐに後ろのアンプからの音だけになる。PAさんがミュートしてくれたんだと思う。
痛みはもう何も気にならなかった。気になるのはこの、死に急ぐ鼓動だけ。あとどれだけ刻めるのか。
ただ、それだけ。この一曲持てばいい。
深呼吸。そして、ジャックイン。
フロアを一瞬眺める。
心配と熱狂が綯い交ぜになった観客の顔。
私を射抜く視線の集中砲火。
もう怖くなかった。
だから、
「─────」
ふたりに軽く手を振って、笑いかけた。
約束、守れなくてごめん。
ギターはもう教えてあげられない。だから。
見て、聞いて、覚えて。
そして忘れないでほしい。
私に出来るのはそれだけ。
マイクスタンドからピックを一枚取って、軽くピックスクラッチ、そしてコードストローク。
フロア向こうのPAさんに向けて、フロアに向けて、
「”あのバンド”」
観客が沸く。
10年以上前、即興で入れたソロがあった。
それとは別のソロを、10年以上練り上げてお決まりとして使い続けた。
でも、一番最初に吐き出したものが、指から迸った。
ソロが終わるとフロアが燃える。
なのに、カウントが聞こえない。
虹夏ちゃんを見る。ドラムスローンから立ち上がろうとしていた。
喜多ちゃんもギターをまだ構えていない。
リョウさんは、舞台袖に引っ込んでスタッフさんと話をしている。
困ったなぁ。
もう私、死ぬのに。曲名コールまでしちゃったのに。
そう思いながら、虹夏ちゃんを見た。
立ち上がって、私を見て、それからリョウさんを見ていた。
リョウさんが戻ってきていて、虹夏ちゃんを指差す。
まだ喜多ちゃんは構えていない。
喜多ちゃんもリョウさんを見た。
リョウさんは、うなずいてベースを構える。
「喜多ちゃん、演ろう」
虹夏ちゃんがマイクを通さずに呼びかける。
「伊地知先輩……!待っ─────」
4カウント。
凶暴なベースライン、重く速いドラミング、それにギターを重ねる。
足りない。これじゃ足りない。
アンプの前まで歩く。
シールドの長さがいつも通り長くて良かった。
激しくピッキングしてフィードバックノイズを起こさせる。これでいい。
隣のアンプにも喜多ちゃんが寄ってくる。
もう顔色を伺うつもりはなかったから、見ないつもりだった。でも、突然喜多ちゃんがギターを持ち上げて、頭の後ろに持っていった。
背ギター。
そういえば一発ネタとして伝授したことがあったっけ。
私みたいな人間には考えることすら口幅ったいけれど、師匠としては不思議な気持ちになる。
本当は私まで鳴らすはずがなかったフィードバックの分、小節が増えてしまったけれど、リョウさんと虹夏ちゃんは対応してくれてる。目線を送ってエフェクターボードの前に戻る。喜多ちゃんもセンターへ戻り始めた。
刻む。ひたすら刻む。指板のハイポジションへ移動しながら、右手はひたすら速く。
全ての音が途切れて、私の鳴らすリフだけ。
観客の声。
『はァい!』
「あ の バンド の歌 がわ たし には 甲高く響 く 笑い 声 に 聞 こ え る」
ライブ最終盤だからだけじゃない、外してはいないけれど荒れた歌声。
「あ の バ ンドの 歌 がわ たし に は つんざく 踏切の 音みたい」
でもそれでいいから。
歌声が背中を押す。
「背中を 押すなよ もうそこに 列車 が 来る」
心臓を叩く。もっと動けと。まだ動けと。もう少しだけ動けと。
「目を閉じる 暗闇に差す後光」
目を閉じても音が眩しい。
「耳塞ぐ 確かに刻む鼓動」
ここに刻んで逝く。
「胸の奥 身を揺らす心臓」
生きていた。
「ほかに何も聴きたくない 私が放つ 音以外」
リフ。ピックが指から滑り落ちる。もう手にも力が入らない。続けられない。
悔しい。膝にも力が入らない。
最後の力で、マイクスタンドからもう一枚ピックを引き抜いた。
みんなには悪いし、つなぎも不自然でメチャクチャだけど、ギターソロへ直行。
フルボリュームでコードストローク一発。
皆が察してブレイク、虹夏ちゃんが再度4カウント。合わせてピックスクラッチ。
ソロを始める。
心臓が動いてる。やめない理由はそれ以外いらない。
心臓が動いてる。やめる理由は何もない。
生きてるこの最期のときに、私を認めさせてやる。
私を見ろ。聞け。叫べ。
称えろ。
今のフロアは、突き上げた腕と声が大波に見える。
手元なんか見なくてもいい。突き刺さる視線を全て受け止める。
ああ、でも。ふたり。ふたりには、ちゃんと見ていてほしい。
見る。まばたき一つしていなかった。
嬉しかった。
歌が入る。
「背中を」
ストローク。もうピックは落とせない。
「押すなよ」
曲を勝手に縮めたんだから。
「たやすく心 触るな」
トレモロ気味の刻み。
自分が死ぬのはもうどうでもいい。
「出発の ベルが鳴る」
申し訳ないのは、
「乗客は私一人だけ」
みんなを置いていくことくらい。
膝がカクン、と落ちて座り込む。
またまぶたが落ちる。
喜多ちゃんの歌とリズムギター、遠鳴りのような手拍子が聞こえる。
少し、休む。ピックはまだ持ってるはず。弦に当てると硬い反発が返ってくるから。
「─────足跡残すまで!」
本当に、あと少し。
「目を開ける」
最後の一歩を踏むんだ。
「孤独の称号 受け止める」
ぼっち・ざ・ろっく。
「孤高の衝動 今胸の奥」
虹夏ちゃんが名付けてくれたロックが鳴る。
「確かめる心音」
確かに鳴っている。
「ほかに何も聴きたくない 私が放つ 音以外」
今ここにぼっち・ざ・ろっくが鳴っていた。
指の感覚が完全になくなった。目も霞んでよく見えない。
動いている事実と耳だけが頼り。
リフが何音か欠けた。ピックはもう落としているみたい。
後は爪。最後まで弾き切る。
永遠のように長い数秒。果てしなく遠い8小節。
終わった。
……まだ、生きてる。
体の感覚はなかったけれど、すくりと立ち上がって、ギターをスタンドに立て掛ける。
そのまま、また世界が横倒しになった。
まぶたが落ちる。
万雷のような手拍子。
まだ生きてるから。
だから、行かないと。
「アン、コール……」
§
§
私には人生が2つある。
幼稚園でこの指とまれを見て、食らいつくように必死で走るこの私。
それと、あの指にとまっていいのか分からなくて一人になる私。
私じゃない私が3人いる。
友達に囲まれる私。けれど寄る辺なきストリーマー。
ひとりぼっちの私。つまり寄る辺なきコントリビューター。
元カノに追い回される私。酷いタナトフィリア。
誰にも見られていない私。酷いタナトフォビア。
彼氏のできた私。ひとときのロマンスヒロイン。
嘘をついた私。いつでも独り身。
陽キャもどきの私。
陰キャの私。
精神分裂病?私は、最低の四重人格者だ。
§
四重人格者ならロックをやれ!