四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
本編-1「The Real Me」
物心ついたのはいつだっただろう。
でも、最初に自分自身でものをはっきりと考えている、と認識できた時には、“27歳で死にたくない”ということで頭が一杯だった。幼稚園に入る前だったはず。
そして、いつかの「この指とまれ」を見た時、私はあの指に止まれないと、孤独になるんだと理解した。
同時に、私には27歳で死んだ、もう一つの私の人生があることを思い出した。
幼稚園児の脳は多分まだ発達途上で、27年分の人生が突然降ってくるなんてことには耐えられなかったんだと思う。
記憶の中身には目もくれず、あの指に止まれたのに安心して、私はそのまま数日寝込んだ。
もう一つ人生があった、とは言っても、別にその続きに私の人生があるという感じではなかった。ただ、もしもの私があるというか、このままだとこうなる、というか……。
だからギターで自分を変えようとするんじゃなくて、普通に踏み留まるために普通を頑張ろうと決めた。
普通に生きて長生きしたい。
それに、私はすぐに全てを間違える。
私が正しいと思うことは間違いで、周りの言う事のほうが絶対に正しいんだ。
普通に生きるんだから、普通の人がやることをただ真似る。
寝込んでいる数日、段々具合が良くなってくると急に頭が冴えてきて、どう生きればいいかをひたすら考えていた。
私の着たい服はダサい。間違ってる。
私の描くデザインはダサい。間違ってる。
私の振る舞いは気持ち悪い。間違ってる。
私の死は早すぎた。間違ってる。
私の人生は間違ってた。
だからこの私は間違えずに生きるんだ。
私の嫌いな服はかわいい。正しい。
皆の描く絵は素晴らしい。正しい。
皆がするようなふるまいが真っ当だ。正しい。
皆病室か布団の中で死ぬのが普通だ。正しい。
普通に生きるために、私は私を否定する。
§
それから、この指とまれには必死で走って一番か二番くらいにとまるようになった。
幼稚園の先生から元気な子だって褒められるようになった。
友達もできた。おままごととか、花を摘んで編んだりした。うまくできなかったけれど、練習した。
休みの日、公園に連れて行ってもらってひたすら花を編む。
お母さんのお手本を見ながら、公園から野花が消えるまで必死に練習した。だからか、お母さんは、
「ひとりちゃんはお花が好きなの?」
と聞いてきた。”出来なきゃいけないから”とは言えなくて、
「うん」
と答えた。女の子は花が好きなのが普通だから、これでいい。
§
日曜の朝は早起きしてアニメを見た。みんな見ていたから。面白いはずだと思ったけれど、面白いと感じられなかった。でも、1シーンも見逃すわけにはいかないと思ってテレビに齧り付いた。30分が長くて疲れて、終わるとまたすぐに寝た。
ある日の土曜日、寝坊してしまった。慌ててリビングでテレビを付けると、仮面ライダーが流れていた。私は癇癪を起こして泣いた。私はあくまで幼稚園児で、27年分の記憶があるだけの幼児だったから。
お母さんもお父さんもそれを見かねて慰めてくれた。
週明けの幼稚園で話が出来ないのが怖かった。
どうしよう。何も話すことがない。輪に入れない。お花もうまく編めない。おままごともよくわからない。
失敗した。
流れたままの仮面ライダーの方が、アニメより面白かったのが、逆に恨めしかった。
§
週明け、この世の終わりみたいな気分で幼稚園に行った。行かなきゃいけないから。それが普通の子供だから。幼稚園児だったはずなのに、何が”多分普通”なのかは知っていて、それに従わなければならないと思っていた。
案の定、アニメの話にはついていけなかった。
お友達とお話をする方法がわからなかったから、それからもあの指に一目散に走る日々を続けた。そうすればお友達ではいられる。私は一人じゃない。
でも、居心地が悪い。すごく場違いな、恥知らずな感じがして。
ここにいてはいけないような気がする。
§
幼稚園で私は突然泣き出すようになってしまった。
なんでもない、ふとした瞬間に涙が出てきて叫びだしてしまう。
先生はいじめがあるんじゃないかと疑い始めた。
私はそうじゃないと訴えた。なのに疑うことをやめてくれない。
誰かが悪者になるのかと思うと耐えられなかった。
§
何日か経って、私は幼稚園を休むことになった。
消えたい。
そう思いながら、布団の中でずっと泣いていた。
「ひとりちゃん、嫌ならもう幼稚園、行かなくてもいいのよ……?」
お母さんの優しい言葉が辛い。すがろうとするこの手を刺したい。
死んでしまいたい。
この人生も失敗だった。
27年分の人生が幼稚園児の自意識を完全に汚染していた。私はもう4歳でも27歳……いや、31歳でもなかった。
自分の心がめちゃくちゃになってしまっていた。
後藤ひとりが大嫌いだ。
あの後藤ひとりが。
27歳で死んだ後藤ひとりが。
§
お母さんとお父さんに連れられて病院に行った。
うつ病だって言われた。
私はまだ4歳なのに、あの後藤ひとりよりもずっと早くしくじってしまった。
私は何を言われているかわからないふりをした。
と言っても、何を言われても関係なかっただけ。
お母さんは泣いていて、お父さんは俯いていた。
お医者さんがお母さんとお父さんを詰めている。
適切な養育を行っていたか。
異変に気付かなかったのか。
その他諸々。
柔らかい口調で、けれど目の色は幼稚園の先生と同じだった。
「おかあさんも、おとうさんもやさしいです。だから、わたしがおかしいだけです」
そう言った。
私は別室に連れて行かれて、両親と引き離された。
§
別室には、優しそうな女の看護師さん、多分カウンセラーの先生が待っていた。
私はまた癇癪を起こした。
とにかく手でつかめるもの全て、投げつけた。
お父さんもお母さんも幼稚園の皆も誰も悪くない、私だけが悪い。それを信じてもらえなくて。
§
入院させられて、両親と本格的に引き離された。
周りには変な声を上げる子供、暴れる子供、色々。
私もその中の1人。
絶望した。
これじゃあ、完全にあの後藤ひとり以下だと思って。
まるで27歳で死ぬのが後藤ひとりにとって、最も自然で、最も上等な人生であるかのようで。
認めたくなかった。
カルマという言葉を知っている。
あの後藤ひとりから押し付けられた知識。
逃れられない、人が一人で抱えなければならない、生まれつき持った性質、あるいは宿命や運命。
人生が良いものか悪いものかをすら決めてしまうもの。
私は、それから逃れようとしたから罰を受けているんだろうか。
認めたくない。認める訳にはいかない。
私は度々病室を抜け出して、家まで走って帰ろうとした。裸足のままで。
アスファルトの熱さが小さい足を焼く。
幼い体にとって、家路は果てしなく長く。
結局、見つかって病室に連れ戻される。
どれだけ暴れても。どれだけ帰りたいと訴えても。
病院での生活は続いて、両親はお見舞いに来てくれなかった。
なんでだろう、と思ったけれど、私を見放したんじゃないかと考えた。
その方がいい。こんなおかしい子供、いなかったことにしたほうがいいに決まってる。
忘れてほしかった。
忘れてほしくなかった。早く助けに来て欲しかった。
でも、もしかしたら。
病院が私と両親を引き離して会わせないようにしているんだったら。
逃げ出さなきゃ。
今すぐここから逃げ出さなきゃ。
§
眠れない夜、私は病室を抜け出した。
忍び足でナースステーションをやり過ごし、巡回している看護師さんから隠れて、階段にたどり着く。
ひたすら下る。そして玄関にたどり着くと、ガラスの自動ドアが立ち塞がっていた。
動くわけもない。
だから、何か硬くて、重いものを探した。
公衆電話を見つけた。そして、そこには電話帳があった。
電話帳を抱えてヨタヨタと歩きながら、自動ドアの前に立ち、角を向けて何度もガラスに叩きつけた。
何度も。
何度も。
何度も。
逃げ出すためなら何度でも。
私は子供だった。弱くて小さい存在だった。
けれども。ガラスに亀裂が走った。
この病院に来て初めて笑えた。
ガラスの破片が雫のように床に溢れていく。後少し。
そして、小さな穴が空いた。続けて穴を広げるためにガラスを崩していく。
通れる。逃げられる。
警報が鳴り響く。
けたたましい音を背に、私は地獄を脱出した。
割れたガラスが足の裏に刺さる。
気にならない。むしろ嬉しい。痛みが。
走った。生け垣の中に小さい体をねじ込む。
枝葉が肌を切る。痛いけど嬉しい。
ここに私がいる気がして嬉しい。
茂みの中から顔を出すと、排水路があった。
そういえば、敷地は水路で囲まれていたんだった。
まだ諦めない。
生け垣の枝を掴みながら、橋になっている出入り口を目指す。足を踏み外して落ちないように。
ざらついたコンクリートの表面が皮膚を削り、足の裏に刺さったガラスの破片が引っかかって痛む。
「あはは」
痛いほどいい。頭の中でじんわり何かが溶ける感覚。
道路に車がやってくる。ライトと人目から逃れるように、生け垣にまた入り込む。
どんどん車がやってきて、多分3台で打ち止めになった。
病院はいつの間にかどの部屋も電気がついていて、まるで夜景から切り取られたビルだった。
ついに排水路を渡る橋にたどり着き、私は敷地から抜けた。
あとは家に帰るだけ。
深夜だったからアスファルトは冷たくて気持ちいい。たまに踏む礫も、足を取る道路の凹みも、転んで擦りむいた膝も、すべてが楽しい。
はるか遠い家までの道を、休まず走り、歩いた。
そして、朝が来た。一睡もしていなかったけれど、眠くなかった。
実のところ、私は家の場所をよく分かっていなかったから、早く見つけなくちゃいけなかった。
家に帰れなきゃ、失敗なんだ。
それに、もしかすると病院が私を追いかけてきているかもしれない。
また連れ戻されるなんて絶対に嫌だ。
家に帰りたい。
でも、大体このエリアということは分かっていたからいろんな筋を歩いてはやり直して、次の筋へと、それを繰り返した。
そして、私は、
「……ここ」
奇跡的に、見覚えのある筋にたどりつく。
そして、
「あった……」
家に帰ってきた。
朝日が眩しく照らす中、私は精一杯背伸びをして、玄関の呼び鈴を鳴らした。何度も。何度も。
「おかあさん、おとうさん、あけて、あけて……」
疲れて大きな声が出せない。
背伸びも出来なくなって、呼び鈴を押すのをやめた。
そしてドアを叩く。何度も。何度も。
声が聞こえた。
「ひとりちゃん……?ひとりちゃんなの……!?」
「おかあさん、あけて……!」
お母さんに、必死で呼びかける。
ドアを叩く。あまり大きな音にはならなかったから、思い切って頭を叩きつけた。
「待って、待って……!鍵開けるからね……!?」
私は一歩下がって、地面にへたり込んだ。
ドアが開いた。お母さんが顔を出す。
「ただいま……」
「ひとりちゃん……!?どうしたの、そんな怪我……!それになんでここに……」
お母さんは私を抱えて家の中に入れると、そのまま玄関の地面に膝をついて私を抱きしめた。
「おうちに、かえりたかったから……」
「そう……ごめんね……ごめんね……」
お母さんの顔をよく見ると、やつれていた。
私のせいだってことはすぐに分かった。
「おかあさん、ごめんなさい……でも、おうちにかえりたい、もうびょういんはいやだから……」
「うん……」
私はそれだけ言うと眠くなってきて、あっさりと意識を手放した。