「ねぇ母さん。ねぇ、母さんたち」
コーデリアは蠅たちに話しかける。生前の母に話しかけるように。
都市は地獄と化して、母親には死なれ、しかし少女は幸せだった。
なにしろ彼女には母親がいる。愛する母が、蠅に転生してまで自分を守ろうとする母がいる。
生きていた時の百倍も、千倍もいる。
「ねぇ母さん、母さんたち。この都市の人たちには、ずいぶんいじめられたね。汚い母娘と蔑まれて、犬猫よりも下に扱われた。私はさ、あいつらを憎んだよ。殺してやりたいほど憎んだよ。でもね……」
言いながら人差し指を立てると、すぐさま一匹の蠅がそこに止まった。
生きていた頃もこうだったなとコーデリアは思う。寂しくなって手を繋ぎたくなったら、いつでもこうして繋いでくれた。
ああ、やっぱり母さんは母さんだ。蠅になっても母さんだ。
「でもね、母さんたち。殺したい人たちは、もうみんな死んじゃった。死んで、ゾンビになっちゃった。火葬されるどころか土にも還れず、死んでも死ねずに彷徨い続ける……それはでも、なんだかすごくかわいそうだよね」
蠅たちが『ブァン』と羽音で応じる。
母の相槌にコーデリアは嬉しそうに微笑んで、だから、と続けた。
「だから私、あのゾンビたちを葬ってあげようと思うんだ。死んでも死ねないあの人たちを、私がきちんと死なせてあげるの。ねぇ母さんたち、手伝ってくれる?」
ブァァァァァン!と盛大な羽音があがった。
もちろん! と、そう娘に応じて。
※
そのようにして少女の戦いははじまった。
それは暗闘で、そしてそれは弔い合戦だった。
都市に暮らしていた十万の人々は、いまや十万のゾンビへと変じた。死してなお彷徨う哀れな死者たち。
そんな彼らを見つけるや、コーデリアはまず気付かれぬよう慎重に近づき、十分な距離を詰めたあとで大きく相手を指差した。
黒い嵐はすぐさま従順に巻き起こった。
少女の号令一下、蠅たちはゾンビに殺到して腐肉を貪りはじめる。後にはただ骨だけが残った。
これがコーデリアの葬送、虫食むことによる弔いであった。
とはいえ、いつでも首尾よく行ったわけではない。
なにしろ都市には死者が溢れていた。一体で孤立した死者であればまだしも、複数体が群れている状況などはしばしば手に余った。
素早く限界を見極めて、不可能と思えば即座にその場を離れる。
そうした判断力は場数を踏むごとに培われたが、虫食むはずが逆に餌食になりかけたということも一度や二度ではない。
戦いは常に孤軍奮闘で、しかしコーデリアが孤独を感じることはない。
少女には母がいた。生きていた時の百倍も、千倍もいた。
※
弔い合戦は続く。コーデリアは死んでも死ねない死者たちを葬り続ける。
蠅を引き連れた少女は。
母に守られた娘は。
竜の墜落から数か月、コーデリアは地獄と化した都市に留まり続けた。
一度として城壁の外に出ることなく、火と呪詛の巷で蠅たちに死者を虫食ませ続けた。
命をつなぐために腐った食物で腹を満たし、濁った水で喉を潤し、眠るときにはいまだ火の消えぬ廃墟にもぐりこんだ。
死と隣り合わせの日々は、少女をたくましく成長させた。
修羅場を重ねるごとに鍛えられる胆力、研ぎ澄まされる精神の閃き、四肢には筋肉のしなやかさが宿った。
なににも勝り目に見える成長を遂げたのは、ほかならぬ蠅たちであった。
コーデリアを守護する黒い嵐は、死者を食らうたびに大きくなった。腐肉に生みつけた卵は産卵の次の瞬間には蛆へと孵り、かと思えば見る間に蠅へと羽化して少女の戦列に加わった。
百倍であり千倍であった母は、今では万倍にも膨らんでいた。
そして母たる蠅が増える程に、ゾンビに対するコーデリアの対処力も底上げされた。
最初は一体葬るのが限界だったゾンビが、いつしか二体同時に相手取れるようになり、今では三体以上でも難なく処理できるようになっていた。
大群の蠅たちを二つの群れにわけ、一群で弔う傍らもう一群を警戒にあたらせる、そのような使役の技術も自然と獲得していた。
この地獄の底で、もはやコーデリアは虐げられる存在ではない。
少女は食われる側から食らう側へと移ったのだ。
虫食む側へと。
※
ところでこの頃、都市にはそれまでになかった存在が現れはじめていた。
竜の落ちた当初は見られなかった者たち。コーデリアでもゾンビでもない第三の、そして第四の徘徊者たちである。
第三の徘徊者とは魔物どもであった。
不浄を温床に魔界より転移し、呪いと災いを謳歌する妖魔たち。その妖魔どもを餌食とする魔獣と、死骸の食い残しに群がる妖虫の類。その種類は数多にして雑多である。
第四の徘徊者は、これら第三の徘徊者を屠る存在であった。
魔物どもを倒し、冨と名声を求める者たち。
すなわち、冒険者である。