ただでさえ生きるのが厳しい呪術世界なのにクズ一族に生まれて死相しか見えないんですが 作:楓/雪那
その空間は一言でいうならば巨大な図書館、あるいは映像資料室。
2人が立つ床を中心として囲むように円形の棚にいくつもの本とスクリーンが所狭しと並べられている。
尤もスクリーンの映像は白黒の砂嵐で、本のタイトルも塗りつぶされてて読み取れないが。
二人はしっかりその場に「立っている」のだが床が見えず、虚空に立っているように感じる。
巨大な円形の棚の頂上、そして土台は肉眼では見えずどこまでも続いているように見える。
(領域展開やと!?ありえへん!)
領域展開、呪術戦における頂点の技術。
発動には通常よりも大量の呪力を消費する上に発動後は術式が焼き切れ、さらに自分の中の心象風景――生得領域を認識しなければ不可能。
しかし一度決まれば相手は結界の外へ逃げることができず、術者は自分の術式を必殺必中へと昇華させられる、まさにハイリスクハイリターンな奥義。
それを10歳程度の少女が完成させる偉業にして異常。
直哉がはっきりと死の恐怖を認識した瞬間でもある。
(術式を隠し持ってたのはムカつくけどまだええ!でもなんでお前が
秘伝『落花の情』。
自分の身体を呪力で覆い必中の術式をカウンターで弾く、御三家に伝わる領域対策の技術。
精鋭部隊の炳を始め、禪院家の兵士ほぼ全員が習得を義務付けられている呪力操作のテクニック。
それも袴の前では無意味と化す
(―――!?身体が動かせん!?まさか袴の術式は投射呪法!?――いやそんなはずあらへん!せやったら同じ土俵で戦うはずや!少なくとも投射使ってカウンターで戦うなんてアホなことやるわけない!)
「私の術式、『還映呪法』って名付けたんですけど、最初は扱いづらいなーって思ってたんですよ」
(術式の開示か!)
「というのもこの眼、『天理の瞳』って言うんですけどリアルタイムで少し先の未来をずっと見せ続けられるんですよ。分かります?左目で今現在を見ながら右目で5秒から1分先の未来を見なきゃいけない不快感。未来が見えても体が追い付かなければ先読みは無意味ですしね」
左右で色彩が反転した眼を指さしながら袴は語り、今度はカチンコを持ってない左手に巻物を生み出す。
「この術式の有用性に気づいたのはこのフィルムなんですよ。これ、私が目で見たものを自動で現像するんですけど、この『見たもの』っていうのは未来の映像のことで、ここに手を加えることで実際の未来に直接影響を与えられるんです。つまりは映像編集の術式だったってわけですね。例えば10秒後に私の眼前に迫る銃弾の映像をフィルムから消えるように『編集』すれば実際にその銃弾は消えるんです」
まあでも呪霊は消せても人間、いや生物は消せないし、視覚外のものは防げないんですけどね。
いつも通りの無表情でフィルムを弄りながら、しかしどこか楽しそうに袴は語り続ける。
直哉は先ほどから動けないまま彼女の説明に耳を傾ける、否、傾けざるを得ない。
「それでここからが本題です。私の領域展開『輪廻泡影殿』は通常の領域展開とは違って、平安の時代の領域展開の手法を基にしているんです。具体的に言えば『必中』だけで『必殺』ではないです。よかったですね、兄上が死ぬことはなくて。まあ必中のみなのはいくつか縛りを設けてるからなんですよ。
ルールその1、領域展開直後、私は自分の術式と領域効果を領域内の全員に説明しなければいけない。今まさにやっていることですね。
ルールその2、説明中は領域内の全ての人間は行動を取ることができない。これは私も説明以外のすべての行為に当てはまります。ルールその1を成り立たせるために自動で生まれたルールです。説明を無視されたら成り立たなくなるので。
ルールその3、領域内の効果は必中のみであり、私の術式で生み出すカチンコのみで作動する。領域展開は手印がメジャーですけどそれ以外の手段と併用してる者もいるんです。私はそれを禁じました。
ルールその4、領域に関する説明終了後、領域は4分32秒で自動で解除されます。ただし私の術式による影響を受けるものとします。
ルールその5、領域内では私は反転術式、術式反転、拡張術式の使用を禁じます。
この5つの縛りによって『領域の展開速度の上昇』、『領域同士の押し合いにおける優位性』、『術式効果の大幅な強化』、『内部の強度の底上げ』を得ることができました。さて、以上で説明は終了ですが質問はありますか?まあ答えてあげませんけどね」
袴の話が終わると同時に直哉の身体は自由になる。
しかし直哉は動き出さない。
先ほどの説明を頭の中で整理しなおしながら、袴の領域の攻略法を考えていた。
(なるほどなぁ。よーく分かったで。重要なのは目で見たもの、いや風景そのものを切り取っとるから視界内が術式範囲、これはさっき言った通りやな。せやったら加速して後ろから殴る。けどそれはアウトや。何故ならそれは『今の袴の視界の外』であって、未来視では後ろを振り向いとるかもしれへん。加速してすぐ背後から攻撃、と見せかけて1秒のフリーズで隙だらけの状態をボコる!これならイケる!)
結論を出した直哉は再度投射呪法を使用しながら領域内を駆け回る。
術式の効果でどんどん速度を上げていく直哉を袴は目で追う。
高速で動き回る直哉をしっかりと見逃さないのは流石だが、不動のままなのは彼にとって格好の的である。
「今度こそ死に晒せやぁ!」
直哉の手が袴の腕に触れ、一秒間のフリーズが発動する。
その1秒、一瞬だが最大の隙に直哉の渾身の拳が袴の腹へ入り、華奢な体が宙に舞う。
「カッ!領域展開ができたところで所詮宝の持ち腐れやったようやなぁ!」
上下の終わりがない空間を飛ぶ袴をあざ笑う直哉。
しかしこっちを向いた彼女の顔が穏やかに笑っているのを見て、逆にその軽薄な笑みが消える。
「『再改世』」
暗転、視力の復帰。
加速していたはずの直哉は止まっており、宙にいたはずの袴は傷一つなく立っている。
「なっ…」
「はい、どーん」
何が起こったのか、事態を理解する暇を袴は与えない。
自分のところだけ影があると感じた直哉が上を向くと、いくつもの巨大な岩が上から降り注いでくる。
呪力で強化した拳で岩を破壊するが、その隙に接近していた袴の拳を脇腹に食らう。
呪力のガードが間に合わず、かなりのダメージを受けるが袴は容赦せず、領域展開前のお返しと言わんばかりに殴り続ける。
なんとかして抜け出そうと直哉は袴の腕をつかむ。
しかし彼が腕だと思って掴んだ場所にはなぜか先ほどまでいなかった犬のぬいぐるみがあった。
動揺している間に袴は彼の腕を掴み返し、グキリと逆方向へと折り曲げ、ついでにもう片方の腕も折り曲げる。
「ガァッ!?」
「これで投射呪法のフリーズはほぼ無力化しましたね。じゃあ兄上、あと3分以上残ってるので何とか耐えてくださいね」
直哉の意識がこの何秒後に落ちたのかは彼は覚えてない。
ただひたすら拳を振り下ろし続ける妹の無感動で空虚な反転した瞳だけは記憶に深く焼き付くことになった。
直哉が目を覚ましたのはその日の深夜のことだった。
痛みで体がロクに動かせないかと思いきや、意外にも身体はすんなりと動かせた。
両腕は折られたままだったが。
包帯でぐるぐる巻きにされた両腕を庇いながら屋敷を歩き回っていると、直毘人の部屋から笑い声が聞こえてきた。
中に入ると案の定というべきか、直毘人と甚爾が酒盛りをしていた。
「おう直哉、漸く目ぇ覚ましたか!今日の模擬戦は愉快だったぞ!」
「ぶち殺すぞジジイ。あいつが領域使えるなんてアンタも知らんかったやろ」
「そりゃあな。俺も他のやつらもビビっとったぞ。お前が気絶してからも愉快だったがな!」
直哉が領域内で気を失った後、袴の言葉通り領域は自動で解除された。
そしてボロ雑巾のようになった直哉を投げ捨て、袴は観戦していた3人の兄たちに「どうやらまだ私に不満があるような人が多いようですね。言いたいことがあるならまとめて掛かってきたらどうです?」と挑発したらしい。
その挑発にまんまと乗せられた3兄弟は一斉に襲い掛かるも、領域すら使われずに完封されるという情けない醜態を晒した、とのことだ。
4人の兄を叩き潰したうえで、「不満があるなら来いよ」と言わんばかりの態度を取っていたが、誰も来ないと感じ取ると一礼してから訓練場を去ったという。
今日の戦いという名の鬱憤晴らしを観ていたものたちでは「禪院袴を当主候補として認めるか、否か」で意見が二つに分かれていた。
袴を認める側の意見としては、「現当主の娘であり、確かな実力を示した」、「領域展開と反転術式を習得した鬼才」と実力主義らしい意見。
袴を認めない側の意見としては、「女が禪院の当主など恥である」、「呪力を持たない甚爾に鍛えられたなど論外」といかにも禪院らしい保守的な意見。
直毘人としては袴を当主候補に推してもいいと考えていた。
(ふざんけんなや、タマナシしかおらへんのかここには)
認めない、あの女が自分より当主の器など
認められない、あの女があちら側にいるなど
認めたくない、あの女が憧れの人に気に入られたのが
「まだ寝ていた方がいいのでは、兄上?」
直哉の歩く廊下の先にいつの間にか袴が廊下に腰掛けて茶を飲んでいた。
いや、袴はさっきからここにいて、直哉が気づいたらここを通っていた。
自分や兄の醜態を酒のつまみにして笑う父親。
目にかけてきた弟子がムカつく一族を見返して楽しげな憧れの人。
不満を垂れるだけで何も出来なかった周りの男共。
今家にいるあらゆる存在に苛立っていた直哉に声をかけてきたのは全ての怒りの原因たる妹。
怒りで手に爪がくい込んで血が流れそうなほどだが、折れた腕では力が入らず自分の中で溜まっていく。
そんな直哉の気持ちを分かってないのか、あるいは分かった上で煽っているのか、もう1つ湯呑みを用意して茶を注ぎ兄へと差し出す。
「…なんのつもりやねん」
「一緒に飲みませんか?」
「俺、今腕使えへんのやけど?」
「ストロー要ります?」
「なんでアッツアツの茶ぁストローで飲まなあかんねん!火傷するわ!」
ここぞとばかりに真顔のまま揶揄う妹に直哉は全身の血管がブチ切れそうに感じるが、袴はすかさずアイスティー用のグラスに氷と茶を入れ差し出してくる。
最初からそうしろと内心思いつつ、袴にグラスを持ってもらったままストローを吸う。
「素直に飲んでくれるとは、ビックリです」
「うっさいわ、起きてからなんも飲んでないからカラカラやねん……美味いやん」
「素直すぎて気持ち悪い……まぁ趣味の範疇です」
いつもより容赦ない妹の言い様に腸が煮えくり返りそうであったが、今の直哉は袴に聞きたいことがあった。
「なぁ、なんで俺を選んだん?」
「私の意思で決まったわけではありませんよ」
「それは知っとんねん。でもお前の狙い通りだったんやろ」
「……まあ単純に貴方が次期当主候補に近かったから、ですね。見込みがない炳とか相手にしてもそこまで印象変わらないですし」
そういうことじゃない。
直哉が疑問に思っているのは袴の今までの布石の打ち方だ。
あの模擬戦のために自分の手札はすべて隠し、虎視眈々と自分を完封するためだけに鍛え続けていた。
戦いの最中に袴本人も言ったように、彼女は最初から領域展開をすることだってできたのに、敢えてそれを行わなかった。
自分の立ち位置からして狙われる理由は分かる。
だがそこに行きつくまでの過程に掛ける労力が、男尊女卑の塊とも言える直哉には分からなかった。
要は「禪院で女として生まれたんだから大人しく諦めておけばよかったのに」ということである。
「だってムカつくじゃないですか、生まれで全部決まるとか」
「女がどうとか、術式がどうとか、呪力の総量がどうとか。もちろんこの世界では産まれ方が死に方を左右するのは分かってますけど、それだけで私があんなクソみたいな扱い受けるのを仕方ないで済ませるのは無理です。だからやり返したまでですよ。」
「直哉兄様も自覚してるでしょ、自分が次期当主だって。私は当主になる気はありません。でも次期当主候補をボコっておけば私は気持ちよくなれます。直哉兄様は強いから生半可な鍛え方じゃダメだろうと思ったから、必死に鍛えました。ただそれだけですよ。……理由になってますかね?」
動機は重く感じない。
あっさりと言ってのけた袴だが、しかしその言葉から感じる覚悟、信念の強さは家の誰よりも直哉は強く感じた。
ああ、そうか。
この娘は自分を強者として見てくれているのか。
ただ妬むだけのカスや中途半端なカスたちとは違う。
「禪院直哉」個人を障害として見て、潰すために上り詰めて来た紛うことなき強者。
それなら俺も止まれない。
三歩後ろを歩かないどころか追い越して
参考程度に、夏油は生かしておく?死んでおく?
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生きているべき、メロンパンは絶望しろ
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死んでおくべき、五条は後悔しろ