さよなら青い春   作:同じ顔の別人

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正論だった

 

 虫の羽をもいだことがある。

 あの日は手持ち無沙汰だった。だから普段なら無視をするようなものに戯れに手を出した。

 

 

 

「思ったより、疲れんな」

 

 

 無下限術式の蒼を習得したばかりだった。ギリギリまで出力を絞った空間のねじれが、季節外れの蝶をすり潰す。ぐちゃぐちゃに潰れて落ちた羽を拾うために、裸足で庭へ踏み出した。

 

 

「坊ちゃん、待ってくださ、」

「何」

「い、いえ。その……手のは……」

「文句あんの」

 

 

 若い使用人は怯えた様子で、けれど意を決した様子で悟を縁側まで連れ戻した。無闇に生き物を殺してはいけませんなんて、手垢のついた正論を繰り返す。

 悟が殺したのは術式で操作された蝶だった。御三家に侵入を試みる馬鹿の掃除をしてやっただけだ。あの使用人はそんなこともわかっていない。虫の死骸を見せてやりながら、悟は一歩近づいた。

 

 

「お前、俺が人間と虫の見分けがつかないとでも思ってんの?」

「ひっ」

 

 

 近づいた分だけ相手は下がる。ビビってんじゃねーよ。結局のところ、こいつは虫を潰す光景に、自分が殺される姿を見たのだ。それができるだけの力と才覚が五条悟には備わっている。黙って助けられていればいいのに、こいつらはいつも余計なことばかり考える。

 取り繕った正論が嫌いだった。弱者に配慮して生きろと、名指しされている気がしたから。

 五条悟は命の価値を誰より理解していた。理解していたつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅い!」

「なんだ、先帰っててもよかったのに」

「一人スマブラとか嫌だわ」

「だったら手伝いな」

「こんなにかかると思ってなかったんだよ」

 

 

 高専に入学してから半年が経った。悟の世界はずっと広がった。同級生たちは強かった。遠慮なんて必要ない。伸び伸び過ごす自由を知った。

 今日は傑との任務だった。目当ての呪霊はほんの二十分足らずで祓い終わった。本体に辿り着くまでに十五分、戦闘に三分、事後報告に二分。未完成な生得領域を展開していた割には、かなり弱い部類だった。

 

 ――先に帰っててくれ。

 

 傑がそう言い出したのが二時間前。こいつは、補助監督と協力して被害者の遺体を回収していた。

 

 

「あのさ、コレ任務行く度にやる気? 正気?」

「本気だ、と言えればいいんだけどね。物理的に難しい。だからこそ、今日みたいに時間がある日は、できるだけ家に帰す手伝いをしてやりたいんだ」

 

 

 死体の一部ならば悟も見た。腐敗具合からして確実に死後二日は経っている。高専に情報が上がったのが昨日の夜。任務を受けた時点で死んでいたのだから、傑の落ち度ではない。なのにこいつは何もかも背負おうとする。呪術師の仕事現場に、死体が転がっていないケースの方が珍しいというのに。

 

 

「……助けられなかった。せめて弔ってやるべきだ」

「うげえっ、知り合いでもないくせに。何いい子ちゃんぶってんだ。無駄なことしてねーでさっさと」

「悟」

「んだよ」

「今のは言い過ぎだ。別に強制する気はないけどね。これは意味のあることだ。いいかい悟、呪術師は弱者を護るためにいる。そしてそれは呪霊に直接襲われている人だけを指すわけじゃない。彼らの帰りを待つ人だって、私たちが守らなければならないものの一つだ」

「じゃあ天涯孤独の独身はどうでもいいのかよ」

「屁理屈をこねるな。そういう話じゃない」

 

 

 ああいえばこう言う。いつもの言い争いはあっという間に乱闘騒ぎに発展しかけ、そのまま腹の虫の音で中断された。もうすっかり日が暮れていた。補助監督の送迎の車に乗り込む。

 

 

「どうせなら硝子に土産でも買って帰らないか。ここの名産、甘いのもあるらしいよ」

 傑の言葉に、悟はすっかり機嫌を直したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天内理子が死んだ。

 悟たちは失敗した。

 

 ここへ来るまでに、急ぎはしなかった。急いだってもう意味なんかないとわかっていたから。

 喝采が鳴り響く。不気味なくらい幸せそうな顔で部屋は満たされていた。

 天内理子が床に落ちていた。

 彼女の下へまっすぐ向かう。部外者が侵入しているというのに、人の形をした奴らが反応することはなかった。

 

 

「天内、俺――」

 

 

 続く言葉を音にするのは戸惑われた。鉄とアンモニア混じりの異臭が鼻をついた。彼女の上半身と下半身は力無く逆方向に投げ出されていて、瞳に光は宿らず、まぶたは半開きだ。頭部から内臓が飛び出していて、髪の毛と絡まり乾いている。ほんの数時間前までくるくると入れ替わっていた表情は、二度と動くことはない。

 

 

(今の俺なら、こいつらを殺せる。多分心も痛まない)

 

 

 殺したいでも憎いでもなく、事実として認識した。何が正しいのか、どうしてやりたいのかもわからなかった。

 けれど、その前にしなければならないことがある。

 虫の羽音のような喝采の中で、悟は親友の言葉を思い出す。

 

 

 ――助けられなかった。せめて弔ってやるべきだ。

 

 

 クソみたいな正論だ。それが正しいことだと、ずっと前からわかっていた。

 悟は静かに手を合わせた。目は瞑らなかった。

 

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