一九九〇年二月三日に、夏油傑は誕生した。
今でこそ大柄だが、早産のため出生体重は三キロに満たず、しばらくは保育器に入れられていたのだという。小児喘息も患い、何度も入院することとなった。
病院は呪霊が多い。けれど、そこで見かける奇妙な生き物が『呪霊』と呼ばれる存在なのだと知ったのはずっと後のことだ。長らくは、見かける場所が限定されるというだけで、犬や猫と区別すらしていなかった。
最初の転機は母の実家に帰省した時だった。風邪が長引いているのだとこぼしていた祖母は、その翌日、いつもの時間になってもリビングへ来なかった。不安になって、寝室まで様子を見に行くと、布団の上に見慣れない影を見つけた。ネズミよりも小柄な、昆虫に似た生き物だった。傑が手を伸ばすと、ねじれ固まり、黒い球に変化する。苦しそうに眉を潜めていた祖母の表情が和らいだ。
取り込めるものだと、直感的に理解した。
即座に実行に移し、そして後悔した。公園の土が口の中に入ってしまった時よりずっと不快な味が広がった。舌が痺れて泣きそうだ。いや多分、半分くらい泣いていた。唇を噛んで、その上から手で鼻と口を抑えた。気持ち悪い。吐き気がする。それでもやめる気なんて起きなかった。
(こいつだ、こいつのせいで!)
無我夢中で、黒い塊を飲み干した。
傑は祖母のことが大好きだった。助けたかった。そのためならなんだってできると思った。
小学校に進学する頃には身長もぐんぐん伸び、親戚の集まりでは早生まれとは思えないと言われるのが恒例になった。運動も勉強もそつなくこなせたけれど、その中でも特に得意なものを見つけるたびに楽しくなった。教師からも保護者からも評判がよく、大抵の行事では大役を担った。頼られるのは嫌いではなかった。可愛げのない子供だったと思う。
他人には見えないものが見えていて、それを退治するのが日課だなんて秘密を抱えていた割には、本当に上手く立ち回っていた。
中学校に進学した。生まれて初めて、家族と喧嘩した。
母は泣き、父は聞いたことがないような大声を出した。傑はその日、これでも足りないくらいのことをやらかした。一歩間違えれば死んでいたかもしれなかった。二人が怒るのも当然だ。けれど、傑は決して自分のしたことを間違いだとは認めなかった。形式上の謝罪すらしなかった。今思えば幼さから来る反発だ。喧嘩はひどく長引いた。
仕事も家庭も大切にする、尊敬できる人達だった。そんな両親が、見えないものを見えると言い張る子供のせいで関係を悪化させていただなんて知らなかった。両親は傑の主張を否定しなかった。その上で何度も叱られた。心配された。言ってはいけないことさえ口走った子供と、正面から向き合い続けた。紆余曲折を経て最後は円満に解決したのだから、家族の繋がりというのはすごいと思う。
中学三年の秋に、高専からスカウトされた。受けない理由がなかった。既にある学校推薦を取り消してでも通いたいのだと、できる限り真摯に伝えた。常識的な行動ではないと思ったが、両親は反対しなかった。決めたからには全力を尽くしなさいと告げて、笑って見送ってくれた。
一般家庭出身の術師の入学が、ここまで円満に決まるのも珍しいらしい。他の一般家庭出身者と話す機会を得て、自分がどれだけ恵まれていたかを改めて実感した。だからこそ、そうでない人々の為に尽くしたいとより強く願った。
本当に、色々なことがあった。
夏油傑の大好きな人たちだ。
そしてこれから、大嫌いになる。
ポケットから鍵を取り出し、金属製の取手を握る。強く目を瞑り、開く。既に決めたことだった。
父さん、母さん。久しぶり。うん、ちょっとね。近くに来たから。おばあちゃんの仏壇? ……ああ、それはもういいんだ。
「■■■■、■■■?」
「■■、■■■■■■■■」
それじゃあね。