五条悟の六眼は呪術師にすら見えない呪力の流れを正確に捉えることが出来る。こんな呪術界にとっての常識を、面白いことに一般家庭出身の術師の方が本質的な理解を示す傾向にある。他人には見えないものが見えるというシチュエーションへの共感が理由かもしれない。七海と灰原という後輩を持ってから、そう思う機会が増えた。
非術師家庭の術師は社会に対し強烈な孤独を抱えながら育つため性格が歪みやすい――そんな俗説が旧家では幅を利かせている。呪詛師の大半が非術師家系出身なのはその証だと老人どもは口を揃えて語る。
高専に進学してから、それがいかにいい加減で一方的な偏見の押し付けであるかを実感した。そういうものかと深く考えず受け入れていた理屈に、そんなわけねえだろと即座に中指を立てられる程度には認識は変化した。
同級生は最高に悟好みなイカした思考をしていたし、七海はあれでいて良識の塊のような男だ。灰原など下手に家族の話を振ればこちらが根を上げるまで延々と写真を見せてくるくらいだった。持ち前の気質もあるだろうが、老人どもが語るような強烈な孤独による歪んだ人格とやらは彼らからは窺えなかった。そんな噂を平気で風潮する者の方が余程愚かしい。
分かっていたつもりなのだ。分かっていたつもりだったのに。
あいつはあまり親の話をしなかった。どんな関係なのか、深く尋ねる機会はついぞなかった。まあ悪くはないのだろうとぼんやりとした認識のまま、三年の夏を迎えた。
夏油傑は呪詛師になった。
難色を示す上層部を無視して犯行現場に乗り込んだ。すでに遺体は片付けられ、呪術的な処理も完璧に済まされていた。術師ですらつい最近この家で人が死んだと気づくことは難しいだろう。
だが、五条悟の六眼には術師にすら見えないものが映る。
「……なんだよあいつ。すげー、仲良かったんじゃん」
非術師の親にどんな説明をして高専に来たのかという悟の興味本位の問いかけには「そこそこ苦労したよ」の一言ですませたくせに。
夏油傑が生まれてから過ごした十四年の年月が、高専寮に入ってからも途絶えなかった三年間のやりとりが、確かに存在した家族の情愛が、呪力の痕跡となり根付いていた。
妙に低い位置にこびりついているのは、幼少期のものだろう。比較的新しいのは、高専に入学してから贈られた記念日の品に付着していた残穢だ。母の日には花を。父の日にはハンカチを。棚の引き出しに丁寧に片づけられていた複数枚の手紙には、寮制の学校への入学を許してくれたことへの感謝と体調を気遣う内容が繰り返し書かれていた。
悟は何も知らなかった。
幼少期は肺炎持ちで病院に通っていたことも、幼稚園の頃は母方の祖母にひどく懐いていたことも、小学二年の時に一番仲の良かった友人が転校すると聞いて泣いたことも、中学の体育祭でリレーのアンカーを務めたことも。
母親が教師であることも、父親が消防士であることも、息子が見えないものを見えると言い張るせいで一時期夫婦仲が悪化していたことも、紆余曲折を経て良好な家族関係に戻ったことも。
悟は何も知らなかった。その全てを、夏油傑は既に切り捨てた。
何故。どうして。問いかけすら手遅れだ。
呪術師が非術師に見えない呪いを祓うように、六眼が呪術師に見えない呪力を捉えるように、夏油傑の瞳には五条悟とは違う景色が映っていた。それだけのことだった。