Ⅰ
「……」
カチャン、と更衣ロッカーの扉を開く。
着て来た私服を手早く脱ぎつつ、備え付けの鏡で髪の巻き具合を確認した。
鏡の中から、ふんわりと広がったショートヘアに黒髪碧眼の少女がこちらを見返してくる。
言うまでもなく、私だった。
この髪型はミズキさんからプロデュースされたもので、私としては特にこだわりもなかったのでそのまま採用させてもらったものだ。
脱ぎ去った私服は軽く畳んでロッカーに放り込み、代わりにこの店――『喫茶リコリコ』の制服を取り出す。
リコリコのコンセプトである “和菓子×コーヒー” の雰囲気を損なわないよう、比較的落ち着いた色合い――錆鼠色、と形容するのが相応しいだろうか――をメインとした和装。
……まあ、同僚の千束の方は真っ赤というか、猩々緋のような色がメインとなっており、落ち着いているも何もないかもしれないけど。
最後に “アランチルドレン” であることを示すチャームを胸元に仕舞い込んで、私はロッカーを閉じた。
くっ、と握り込んだ合金製の右手は、今日も特に問題はないようだった。
『―――東京の桜の満開が発表されました。昨日の東京は最高気温23.7℃と―――』
『―――あの痛ましい事故から十年、今や平和と安寧の象徴となった旧電波塔に代わり、新たに建造された延空木が、ついに完成時の634mに達し―――』
「―――」
今日は私の担当となっている、“和喫茶リコリコ” 朝の仕込みを行っていた私は、テレビから流れてきたニュースに思わず動きを止めた。
それは、もう随分と薄れた記憶の中で
『あれから十年か』という思いと『とうとう始まったんだな』という思いが、胸の内に同居する。
ミカ先生と千束からは、“今日は出勤が遅れる” と前もって伝えられていたけど、なるほど。
確か原作開始時の二人は、DAからの依頼で武器取引の現場に駆り出されていたはずだ。
昨日から何だか二人して私に隠している風だったのは、こういう事情だったのかと私は納得した。
電波塔事件――今となっては「旧」電波塔か――以来、ミカ先生も千束も、私をとにかくDAから遠ざけたがっているようなのだ。
DAから、というよりもDAが動かざるを得ないような物騒な界隈から、だろうか。
だからこそ私は今日のことも知らなかったし、普段二人が受けている依頼の内容も詳しくは把握できていない。
ミズキさんはそんな二人のスタンスに納得できているような、できていないような。
たぶん、DAの情報規制とダブって見えるというか、私から情報を隠す、という行為に抵抗があるのだろう。
ただ、それでも私が二人に何も言わないので、ミズキさんからも特に言うことはしていないみたいだ。
私が何も言わないのは―――私も、リコリコの皆に隠していることがあるから。
それが後ろめたくて、とてもじゃないけどそっちの事情だけ教えろ、なんて言えない。
「………」
私は制服越しに、胸元のチャームを握り締めた。
ともかく。
近い内、井ノ上たきなもこのリコリコ支部の所属となるわけだ。
今は私が担当している(させられている)経理の業務なんかは、彼女に引き継いでもらえるようにそれとなく準備しておこう。
◇◆◇
数日後。
『―――貧困時代の山田選手を見出し支援したのは、今や覆面支援の代名詞である、“アラン・アダムズ” という謎の人物。正に人の善意によって、この度の歴史的快挙が齎されたのです―――』
まだ開けたばかりで客のいない店内、テレビに流れる番組では、アラン機関について特集しているようだった。
私が座敷席でテーブルを拭いていると、カウンター席の方からバンッ、と何かを叩くような音が響く。
「―――ここにも母となるべき才能が今、結婚という障害に阻まれているのよぉっ!」
どうやらミズキさんがまた、飲んだくれて管を巻いているようだった。
こんな朝から、何をやっているのやら。
『一方で、支援対象となる基準が不明だとして不満の声も―――』
「アタシも不満だわ! 今すぐアタシにイイオトコを支援しなさ―――」
どうにも長引きそうだったので、テーブル拭きをやめて後ろから近づき、声を掛ける。
「―――心配しなくてもミズキさんなら大丈夫だよ」
ポンポン、と肩を叩けば、ミズキさんは潤んだ瞳で私の方へと振り返ってきた。
動作に合わせ、酒気がふわりと漂ってくる。やはり飲み過ぎではないだろうか。
「……ほんとぉ?」
「ほんとほんと。ミズキさんキレイだし可愛いし、一緒にいて楽しいもん。あとはちょっと酒癖を直せば―――」
「うあぁぁん梓ぁ! そう言ってくれるのは梓だけよっ! もう、カワイイんだから!」
そう言って、ムチュー、とタコのように唇を突き出しながら顔を寄せてくる酔っ払い。
はいはい、と顔を押しのけていた私は、ふと視線を感じて店のドアへと顔を向けた。
タイミングを同じくして、カウンター内でテレビを見ていたミカ先生も気が付いたようである。
おや、という顔で、店内に入ってきた人物に目を遣った。
「あの、」
そこに立っていたのは、凛とした顔付きでこちらを見詰める高校生くらいの少女。
艶めいた黒髪と白い肌、そして頬にはガーゼを当てられている。
私→ミズキさん→ミカ先生、と視線を巡らせた少女は、最終的に私に視線定めるとはきはきとした口調で言葉を紡いだ。
「本日配属になりました、井ノ上たきなです。……転属は本意ではありませんが、東京で一番のリコリスから学べる機会が得られて光栄です。この現場で自分を高めて、本部への復帰を果たしたいと考えています。これからよろしくお願いします―――千束さん」
「……え? いや私は―――」
すっ、と頭を下げられる。
私が手を振って否定しようとしていると、横からミカ先生が口を挟んだ。
「彼女は千束ではない」
「……?」
否定されたたきながあれ、と首を傾げ、また視線を巡らせ。
視線はすぅー、とミズキさんを通過したのち、ミカ先生で止まった。その洗練された立ち姿にでも気が付いたのだろうか、彼女が “はっ!” と息を呑む。
あなたでしたか、と言わんばかりの態度であった。
「おい今なんでアタシをスルーした?」
てかそのオッサンでもねーし、とミズキさんの目が据わる。
たきなはいよいよ困惑し、ミカ先生がいい加減事態を収めようと思ったのだろう、自己紹介を始めた。
「私はミカ、ここの管理者だ。それから、彼女はミズキ。元DA所属、情報部員だった。そして―――」
「……元?」
私の紹介よりも先に、たきなはミズキさんの経歴が引っ掛かったようである。
やはりまだDAを信奉しているのか、“何故抜けたのか” と言いたげな眼差しを目の前の飲んだくれに向けた。
「……嫌気が差したのよ。DAの何もかも」
その時ミズキさんから発せられたちょっと強めの悪意に、私の身体がピクリと反応する。
そんな私に謝罪するように、ミズキさんは私の背中にそっと手を添えた。
たきなも、それ以上訊くのは藪蛇だと判断したようで、ミカ先生の紹介を促すように私へと視線を移す。
「……彼女は梓。色々あって今は休養中だが、れっきとしたファーストリコリスだ」
ファースト、と聞いたたきなが少し目を見開いた。
千束のこともファーストだと聞いていただろうし、二人しかいない所属リコリスが二人ともファーストであることに驚いたのかもしれない。
「私がファーストなのはまあ……二階級特進みたいなものだから。休養中だし、気にしないでいいよ」
私が笑いながらそうフォローすると、ミカ先生とミズキさんが揃って微妙な顔をする。
二人の反応を見るに、今の言い方はちょっと不謹慎だった気がしてきた。
自虐でもない単純な事実のつもりだったんだけど、反省しよう。
「……ではあの、千束さんは?」
私の話に一つ頷いたたきなは結局、と話を戻す。
千束なら、と私たち三人は顔を見合わせ―――。
『―――わぁー、でっかい犬ですねぇ! 狼みたーい!』
噂をすれば影、散歩客とでも戯れているのか、騒がしい千束の声が店の外から聞こえてきた。
買い出しに行っていた千束が、戻ってきたのだ。
間を置かず、カランコロン! とドアベルを鳴らしながら顔を見せた千束は、両手に買い物袋を携えている。
「―――あっ、梓ぁ! 聞いて聞いて、この店の食べモグの口コミで “ホールスタッフが揃って可愛い”、だって! これって私たちのことだよねぇ!」
私たちの屯する姿を認めるや、ただいまも言わず楽しそうに話し始めた。
買い物袋を座敷席に放り出して、喜色を滲ませながらスマホの画面を見せつけてくる。
そこには確かに、ホールスタッフが可愛いという旨のレビューが書かれていた。
「……ほんとだ」
「ねっ!?」
「なぁーにが “ねっ!” よ。可愛いのは私と梓に決まってんでしょこの姦し娘が!」
「えぇー、そんなことないよ! ね、梓!」
「うんうん、千束は可愛いよ」
私がそう言えば、いぇーい! と千束が胸に飛び込んでくる。
私の父の血の影響か、昔はそう変わらなかった背も今ではかなり差がついてしまっているのだ。
私達が抱き合えば、自然とそういう構図になる。
「けど千束、ほら、今は新入りさんが来てくれたから」
「……んぇ? 誰……あ、リコリス制服」
いつもみたいに暫くこのまま過ごしてもいいのだけど、今はそれよりも優先すべきことがあった。
顔を上げるように促して、千束と呆けた様子のたきなを向き合わせる。
「はぁ……言っておいただろう千束、例のリコリスだ」
ため息を吐いたミカ先生が補足をすると、千束もようやく思い当たったようだった。
あーっ! と声を上げる。
そして、指を指して。
「―――機関銃掃射のイケてるリコリス!」
割と最悪のコンタクトをした。
あの後、“イケてる” と言ったのは仲間を救ったからだ、とか千束が色々弁明して、何とかたきなの誤解を解き。
「たきな、歳いくつ? あ、ちなみに私は17で梓も17ね。ミズキが27で先生は48」
「ヒトの年齢を勝手にバラすなっ」
流れるように年齢を公開されたミズキさんが千束の頭を叩いたり。
「……16です」
「おお1コ下かぁ! いいねぇ若くて! あ、でも私のことは呼び捨てでいいからね。さんは要らないよ! “ち・さ・と” でOK〜!」
目を輝かせてガンガン距離を詰める千束に便乗して、私もたきなから “梓さん” と下の名前呼びしてもらったり。
「それでそれで? その傷はどうしたの? 例の名誉の負傷?」
「これは……その、私の越権行為を咎めたフキ先輩が―――」
「―――はぁ!?」
たきなが殴られた経緯を聞いてキレた千束が同期に直電したり、梓からも言ってやって、と電話を代わらされた私もフキと久しぶりに話してみたり。
そんな私達を、たきなは啞然とした表情で見ていた。
「―――見たことがなかったか? こんなファーストリコリスは」
ブレンドコーヒーを出しながら、ミカ先生がたきなに尋ねる。
「……はい」
コーヒーカップに目を落としながら、たきなが遠慮がちに肯定する。
その目は戸惑いで揺れていた。
まあ……一番身近なファーストはフキだったんだろうし、それも無理はない。
私はともかく、フキから千束への落差はすごいだろうな、と。
電話越しにフキも何とか元気であることを確かめながら、たきなの様子を横目で見ていた私は納得した。