ミズキさんが情報部員になった。
お別れとしては質素なもので、『梓がリコリスになったら私が支援してあげる』なんて言いながら、ずっと寝起きしていた部屋をあっさり出て行った。
彼女らしいと言えばらしい。
それ以来、つまり私が一人で部屋を使うようになって半年。
ミカ先生からお達しがあった。
「千束、梓。前から言っていた通り、二人は今日までで訓練を終了する。明日を荷支度に充て、明後日からはサードリコリスとしてリコリス棟へ行け」
私も、あの部屋を出て行くときが来たようだ。
私と一緒に名前を呼ばれた千束は何だかワクワクしたような表情をしているが、私としては正直気が重い。
「……ん、あれ? フキは?」
「――千束おバカ!」
「んえ?」
千束が平然と、無自覚に地雷を踏み抜いた。
集まっていた同期の候補生の中で、フキがピキリと顔を歪める。
ついでに言えば、私の気が進まない要因の一つがそれだった。
「っの……! うっせーなバカとアホは先行ってろ! すぐ追い抜いてやるよ!」
フキは千束と同じくらいよく話した同期だ。
ミズキさんがいなくなってからは尚更で、離れ離れになると思えばそれなりに感傷はある。
……けどまあ、フキ本人がそこまで悩んでなさそうなのは安心した。
この分なら、本当にすぐ追い付いて来るだろう。抜かさせはしないけど。
またね、と名残惜しそうにしている同期みんなに手を振って、湿っぽくならないよう早々に、訓練室を後にする。
「あーあ、フキの歯ぎしりとも今日でお別れかぁ……。……ねぇ梓?」
「んー? なに?」
「私たちのどっちがバカでどっちがアホかな」
通路を歩きながら、千束がバカなことを訊いてきた。
「そんなのどっちも千束に決まってるじゃん」
「あー! 言ったなぁー!?」
千束が飛び掛かってくるのを半身で避けつつ、その後頭部を叩く。
「無意味に体動かさないの。もっと自分の体を大事にしなさい」
「えー、知らなーい」
ケタケタと笑いながら、千束は廊下を走っていった。
おい。環境が変わるとテンション上がるタイプか千束。
◇◆◇
さて、正規リコリスとして活動し始めても特に大過なく。
約束通り、時々はミズキさんの情報支援も受けながら、私と千束はパートナーとして任務をこなしていった。
つまりは、人殺しの仕事である。
「あ」
今回の標的は、街中の百貨店に不審物を持ち込んだと思しき、痩身の若い男。
ラジアータによってピックアップされた、推定テロリストの一人だった。
私が注視していた人垣の向こう側に、それらしき背格好の人物が紛れて消える。
ここで見失うわけには行かない。私は前傾姿勢を取った。
結局DAの飼い犬みたいな真似をすることになっているのは気分が悪いけど……それ以上にこの手の傍迷惑な輩には反吐が出るのだ。
こいつみたいなのがいるから、こいつみたいなのがいたせいで―――。
「……標的を確認。これより作戦行動に移る」
私の言葉に、すぐ隣を歩いていた千束が慌てて周囲を見渡した。
「えっ? ど、どこ?」
「探さなくていいよ。千束は爆弾処理の方よろしく―――じゃあね」
「! あ、ちょっと梓!?」
子供の低身長を活かして目立たぬよう、しかし素早く人混みを縫って標的へと接近する。
百貨店の出口へと早足で向かう、明らかに挙動不審な男が一人。
遠目にも見えたように、やはりラジアータの情報通りの面立ちである。
休日の百貨店。
周囲には多数の一般人がいるが、何も問題はない。
全員の視線、意識が完全に外れた瞬間を狙って男をタックルで突き飛ばし、その勢いのまま駐車場の車の陰まで引きずり込む。
突然の事態に困惑する男。
私はマウントポジションを取るように、男の腰に跨いで座った。
背負っていた、リコリス御用達のサッチェルバッグを手前に構える。
「なっ―――」
「死ね」
言葉を紡がせることなく、私はバッグの背面にあるスイッチを押し込んだ。
ボンッ! と防弾製のエアクッションが飛び出し、男の顔面を強く弾く。
「あがっ―――」
それが男が最後に発した音だった。
男はコンクリートに勢いよく後頭部を打ち付け、事切れる。
「………」
こんな奴の処理に、銃も弾丸も必要ない。
無感動に男の死に顔を眺めていた私は、脈が完全になくなったことを確認して、携帯を取り出した。
「LC2806、伊波です。標的を排除しました。死体の処理をお願いします。……はい、場所は―――」
「―――では、よろしくお願いします」
通話を終えた私が振り返るとそこには、こちらを咎めるような表情をした千束が立っていた。
分かっていてもちょっとびっくりするから、やめて欲しい。
「どうしたの、千束」
爆弾は片付いたのだろうか。
そんなことを気にしながら、私は声を掛けた。
不機嫌を表に出した千束というのは、結構珍しい。何か用があるのだろうと思った。
「……何で?」
「何で、って、何が?」
千束の第一声は、要領を得ないもの。
「何で梓はいっつも、
「………」
咄嗟には、言葉が出なかった。
ここで正直に、千束が子供だからだよ、なんて言ったら私も同じだろうって話になってしまう。
前世がどうの、なんて話すわけにはいかないからだ。
それに単純に、千束にはできる限り手を汚してほしくない、という個人的な願望もある。
千束には、人を救う力があるからだ。
そして、それは千束にしかできないことだ。私にはできない。
例を挙げよう。
千束がいなければ電波塔は崩壊するだろう。千束がいなければミカ先生はいつまでも無慈悲なリコリスを育て続けただろう。千束がいなければたきなは笑えないだろう。千束がいなければクルミは何処に庇護を求められただろうか。彼女の命も危うかっただろう。そのクルミがいなければ、延空木におけるテロは成功し、日本全体が揺らぐ未曾有の事件となるだろう。
千束には、人を救う力がある。
まるで
そんな千束とせっかくパートナーをやっているのだから、役割分担というか。
私にできないことをやってもらうことになるのだから、今のうちくらいは私の負担を重くさせて欲しいな、と。
そんなことを伝えるわけにもいかなかった私は、つい言葉を濁す。
「あー……その、たまたま、じゃない? 私の方が見つけるのが早かったり、ポジションがちょうど良かったりするから、それで―――」
そんな風に私は誤魔化して、その場を切り抜けたつもりになった。
「―――じゃ、帰ろう?」
俯いた千束が、今にも泣き出しそうな顔をしていたのには、気が付かないフリをした。