『それ』は唐突に起こった。
『―――……あ、あー、あー。……聞こえるかぁ? 愚民共』
突如として、複数のテレビ局の放送がジャックされた。
ジャックされた番組は全て、『電波塔』を介して放送しているテレビ局によるものだった。
『えー、“我々は、この日本という国が、凄惨な事件の続く他国に手を差し伸べず、ただ国内の些細な問題にのみ
これは、その手始めだ。
ジャックした放送の中で、覆面を被った男はそう言った。
そして、映像は切り替わる。
たくさんの商品が立ち並ぶ、どこかのショッピングモールのような光景。
そこは日本に住む誰もが知る『電波塔』内部、日本一高い建造物としても有名な、ある種の観光名所である。
休日である今日も当然、多くの人が―――いなかった。
店員も客も、誰一人としてそこにはいなかった。
そこへ、先の男と同じく覆面を被った大柄な男達が現れる。
携えられたアサルトライフル。
『――どういうことだ!? どうして誰も居やがらねぇ!』
『――知らねぇよ、どうでもいい。オレたちの仕事は―――とにかくぶっ放すことだろうが!』
怒号が飛び、男達が銃を構える。トリガーに指が掛けられ―――。
その映像を見ていた誰もが、これから何が起こるのかを予感し、戦慄した。
しかしそこで、不自然に映像が揺らめき……そして、途切れる。
画面に再び映るのは、口を半開きにしたアナウンサー。
日本中が、大きな困惑に包まれた。
◆◇◆ 三時間前 ◆◇◆
「じゃあ梓、フキ。……わたし、行ってくるね」
車椅子に乗った千束が、いつもより気合の入った顔で別れを告げた。
千束は人工心臓の移植手術を行うため、普段暮らしている『リコリス棟』から『医療棟』へ向かうのである。
車椅子に乗っているのは、手術前からリハビリ用の機器に慣れておいた良いだろう、という配慮らしい。
「千束、その………無事でな」
見るからに不安そうな表情で、フキが言った。
それを見た千束が、一度面食らった顔をした後で “にま〜っ” と笑う。
「なぁにフキィ、いつになく優しいじゃん」
「……ウゼェ。その顔やめろ」
元気そうな当人を見て、フキも張り詰めていたものが解けた様子だった。
キレ返しているように装いながらもその声音には棘がない。
うんうん、と、私とそれから千束の付き添いであるミカ先生で微笑ましく見ていたら、千束が今度はこちらに矛先を向けてきた。
「梓は? わたしに何か言ってくれないの?」
「私? そうだね……私もフキと同じ気持ちかな。手術が無事に終わることを祈ってる。……それから―――」
「それから?」
「……ううん、何でもない。“これ” は手術が終わった後に言うね。……手術、頑張ってね。千束」
手術前、千束は吉松と出会うことになる。
そして、千束は『救世主さま』に憧れるのだ。
私は、健康な身体になった千束がそういう風に、“自分のやりたいこと” をやれるようになるのを楽しみにしている。
未来の見通しがなかったこれまでよりも、千束の毎日が楽しくなるといいな、と。
そんなことは、今言っても仕方がない。
だから私はただ、エールを送ることにした。
「えー、凄い気になる……」
「……あー、千束。悪いがそろそろ時間だ。医療棟へ向かわんと。あちらさんは何故か、やたらと時間を気にしていたからな……」
あんな話の切り方をすれば当然だが、千束は渋って私から話を聞き出そうとする。
そんな彼女を、横から顔を出したミカ先生が宥めた。
「忙しい人なの?」
千束はミカ先生の方を振り返り、キョトンとした顔で訊く。
「忙しい、か……必ずしもそうとは言えんが―――いや、とにかく。あまり時間がない、千束からも何か言いたいことがあるなら、言っておきなさい」
あちらさん、というのが吉松のことだとして……吉松が特に時間にうるさいというイメージはないな。
……彼はアラン機関の幹部として世界中を飛び回っているらしいし、単にスケジュールが詰まっているのだろう。
「わたしから言いたいこと………あ!」
千束が、パッと顔を上げる。
「……あのね、梓とフキには私が元気になるのを “楽しみ” に待ってて欲しい! 二人ともさっきから心配してくれてるけど―――だってわたしは、こんなに楽しみなんだから!」
車椅子に座りながら、両手を広げて “こんなに” を表現する千束。
千束の言葉は先程の私の思考とも似通うもので、それだけに私は笑ってしまった。
手術を受ける当人である千束が、そうまで前向きでいられることに驚いて、気が抜けて。
「―――ぷっ、あはは! そうだよね! 分かったよ千束、楽しみにしてる」
「……ハッ、私は元から心配なんかしてねぇよ。お前は殺しても死ななさそうだ」
私に続いてフキが憎まれ口を叩く。
千束はそれすらも嬉しそうに笑って、頷いた。
「うん! またね、二人とも。………じゃあ先生、行こう?」
またな、またね、と。
フキと私がそれぞれお別れを言って、それを見届けた先生が千束の車椅子を押す。
ミカ先生と車椅子越しにこちらへと手を振りながら、千束は医療棟の中へと消えていった。
“……ああ、本当に。手術後が楽しみだよ”
どこかで誰かがそう言って。
そうして私たちは、地獄を見ることになった。
―――千束が動けない状況での電波塔事件、という形で。