ビル街の中を散歩するのが好きだ。都会に紛れて歩いている時は、自分を忘れられる。ここでは誰も僕を見ていない。僕は何も考えてない。意識せず、意識されない個体は存在していないのと同じだ。
秋の始まり。日はそこまででなくとも湿度が高く、風もそんなに強くない、羽織にじとり汗が滲む日。
右に行きたきゃ右に。左に行きたきゃ左に。最終的にたどり着いた場所で地図アプリでも使えばいいと、行き先を決めずに人のいない道を進んでいると、ごみ拾いをしている青年を見つけた。
この道は、今は皆仕事中で人通りが少ないけれど、本来人通りが多い道だ。そんなところでごみ拾いなんて大変だなあと思いながら通り過ぎようとする。
「こんにちは」
そう声が聞こえて、その人の方を向いた。どこにでもいそうな普通の青年と目が合った。ジャージ姿でごみ拾いをしているその人と。
その瞬間、気分が悪くなった。頭がさっと冷える。苦しい、熱中症になりかけの時のような苦しさがある。
立ち尽くした僕を見て、その青年は不思議そうにしていたが、やがてにっこりと笑って、
「こんにちは」
と言い直した。
その瞬間、猛烈な吐き気が僕を襲う。その青年の声も顔も態度も、全てがべたり絡みついて離れない。頭の血が引く感覚も強くなり、耐え難くなってうずくまった。
さっき食べたランチが、ものすごい勢いで食道を這い上がってきた。
(吐かない、キャビネットは吐いたりしない……!)
そう念じて口を根性で閉じ、這い出そうとするランチを飲み込んだ。酸っぱかった。
急いで立ち上がる。まだ気分は悪い。でもここにいたくない。動かない足を無理やり動かしてその場から走り去る。
1分走ったか。追いかけてこないことを確認して、道の端に座り込む。頭を垂れて、少しした頃。
「大丈夫ですか……?」
と頭上から声が聞こえた。女の人の声だ。恐る恐る見上げると、スーツを身につけた女性と目が合った。今度は気持ち悪くならなかった。
「ええ。ちょっと……喉渇いて調子が……」
「なるほど、今日暑いですもんね。飲み物買ってきましょうか?」
ありがたい申し出だったけれども、迷惑はかけれない。
「大丈夫です、もう少し休めば良くなります」
「そうですか、お大事に」
そう言って急いでいるのだろうか足早に去っていくOLさんを見送ってから、立ち上がって近くの自動販売機でアクエリを買った。……美味しいけれど、そんな甘くないな。喉渇いてなかったのかな、じゃああの気分の悪さは……。ーあ。
マインドハック処置前の更生対象は、処置後の更生対象を見ると強いストレスに襲われる。そのストレスはよく嘔吐を引き起こす。どこかで聞いたことのある話。
それに、マインドハック処置後の更生対象は奉仕活動をさせられる、または自ら望んでするということと、
マインドハックは正三角形の虫を切り刻む処置である、と教団で教えていただいたことも合わせたら……
答えは見えた。見えてはいけないような気がした。出来れば見えなかったことにしてしまいたかった。
あの青年は元バグ保有者で奉仕活動としてごみ拾いをしていた。それに僕が出会ったから吐き気に襲われた。つまり……僕は……。
帰ろう、祈ろう。そんなことはない、そんなことは絶対にない。僕に欲望の塊たる正三角形の虫が宿ることなど、あってはならない。
地図アプリを開いて、自宅の住所を打ち込んだ。その通りの最短ルートを辿って帰って、部屋に転がり込んで一も二もなく祈った。自分はまだ正常であるかどれだけ聞いても、神は答えてくださらなかった。