時間が…時間が足りない…!!
リアスたちがアザゼルの指揮のもと修行を開始しようとしていた頃。
天魔は山の中腹にいた。
その正面に倒れこんだ者たちをよそに本の最後の頁をめくり、一拍おいて本を閉じる。
ここはグレモリー領ではない。
ここはどこなのか。なぜ倒れ込んだ男女の前で本のページを捲っていたのか。そもそも彼らはどこの誰なのか。
それを明らかにするために時間をしばし巻き戻す。
若手悪魔の会合を終え、天魔がサーゼクス、セラフォルーとともに今後の動きについて詰めようとしていたとき、部屋の扉がノックされ、一人の悪魔が入室した。
「おや、なにか御用ですか? ソーナ・シトリー様」
「やはり、あなたでしたか」
入室したのはソーナだった。天魔がいると当たりをつけてセラフォルーを訪ねたことが間違いではなかったことに安堵の息を吐くと、天魔に目を合わせて問いかける。
「兵藤天魔君。今回はあなたに契約の履行をしていただくために来ました」
ソーナの言葉に天魔はわずかに目を見開くと、ゆっくりと口角を上げた。
何も言わず先を促すように沈黙を守る天魔にソーナは続けて語り始めた。
「あなたは三大勢力の会談前にギャスパー・ヴラディ君を鍛えるためのサポーターとして私が匙を貸し出す際、一度だけ、あなたのできるかぎりのことをするという交換条件をだしました。その契約に従い、私とリアスが戦うまでの二十二日間、私と私の眷属の修行に協力して頂きます」
ソーナの宣言に天魔の笑みが深まる。魔王二人が興味深そうに天魔たちを見る中、天魔は恭しくお辞儀をすると告げる。
「承りました、ソーナ・シトリー様。契約に従い、貴女と貴女の眷属にできるかぎりの協力をいたしましょう」
そして、ソーナが部屋を去り、天魔も辞意を告げてグレモリー家へ。事の次第をアザゼルに伝え、翌朝。
シトリー家本邸にほど近い山に天魔とシトリー眷属が揃っていた。
「さて、この夏休みの間、ソーナ・シトリー眷属の修行を担当することになった兵藤天魔だ。よろしく頼む。早速だが、今の状態を見せてもらう。早い話が模擬戦だ。弾いたコインが地面についたらスタートとする。なにか質問は?」
シトリー眷属を前にサクサクと話しを勧める天魔に、匙が手を上げて質問する。
「模擬戦って言うけどよ、順番も決めてなくないか?」
「一人で勝てるとでも? 全員同時に決まっているだろ?」
天魔の返答にやや雰囲気が悪くなるが、コカビエルを倒した実績がある以上、強くいえず黙り込む。
誰も何も言わなくなったのを見て、これ以上の質問はないと断じ、天魔がコインを弾いた。戦闘開始を前に身構えるシトリー眷属だったが、コインが落ちた直後に仕掛けることはなかった。それは天魔の行動が原因だった。
コインが落ちるまで、天魔はその場を動かなかった。魔法陣を編むでもなく、自然体のままその場に立っていた。したことは、異空間より本を取り出し、そのページをめくり始めただけだった。
「どうした? もうコインは落ちたぞ?」
合図と決めたコインが落下したにも関わらず、一向に動かないシトリー眷属に不思議そうにする天魔に、あっけに取られた様子で匙が問うた。
「それって……何なんだ?」
「サーゼ様とグレイフィアさんの恋愛小説だ。自分のノンフィクション恋愛小説を本人から布教されるとは思わなかった。しかも、魔王本人の直筆サイン付きとかすごいレアだよな」
天魔の回答にシトリー眷属は激昂した。取り出したのがなんの変哲もない本であり、明らかに舐めている態度だったからだ。
まず、匙が神器によって攻撃をしかけた。神器から放たれた触手が天魔に迫るが、天魔はそれを見ることもなく、ダンスのターンのような動きで躱す。それと同時にページがめくられ、匙のフラストレーションが増大する。
初撃がかわされたところに三人の少女が突貫した。表情こそ憤怒に彩られているが、よく練られたコンビネーションの攻撃が繰り出され、そのことごとくが掠りもせずに回避された。
そうして天魔が回避に徹すること暫く、定期的にめくられるページに自身を意識するまでもない存在だと言われているような感覚になり、シトリー眷属から冷静さが削られていく。動きに齟齬が生じはじめ、その隙を見逃さず、天魔は攻勢に出た。
天魔の手から上へと本が投げられ、視界の中で素早く動いたそれに視線が取られる。その瞬間、接敵していた全員が腹に一撃を加えられ吹き飛ばされた。
天魔の周囲から味方がいなくなったことで遠慮なく魔力が振るわれる。しかし、なんの効力を及ぼさず、あっさりと打ち消された。
そのタイミングで天魔の手に本が戻り、再びページがめくられ始める。
自分たちの攻撃を意にも介していない様子にソーナの眷属達は更に冷静さを欠き、苛烈に、しかし自分勝手に攻撃を繰り返していく。
魔力を相殺された時点で冷静さを取り戻したソーナが諌めるもさほど効果はなく、それを見た天魔によって近接で攻撃していた全員が倒れ伏す結果になった。
そして話は冒頭に戻る。
天魔が本を閉じ、それを異空間へとしまい込む。そして倒れた者たちに仙術による治療を施すと全員を立たせた。
「さて、今の模擬戦の総評をしましょうか。と言っても一点だけですけど……全員冷静さを欠きすぎだ。何だ? あのお粗末な連携は?」
天魔の纏う雰囲気がいつも通りのものから一変する。やや低い声になり問い詰めるような言い方に、シトリー眷属の何人かがわずかに肩を跳ねさせた。
「確かにいざ戦闘となったタイミングで本を開く相手に苛つくのはわかる。だが、相手が自分達のことを舐めているのならそこに漬け込むべきだろう? にもかかわらず前線組は突貫し、後方はお構いなし。後衛も離れた瞬間に放った魔力も収束が甘い。挙句の果てに冷静になった主が諌めるのを無視。個人で高火力の攻撃ができない以上、コンビネーションは重要だ。だからこそ、冷静さは失ってはいけない」
天魔がざっと総評を終えると、シトリー眷属は苦虫を噛み潰したかのような顔になる。特に匙は真っ先に動いたのもあって特に苦い顔をしていた。
「まぁ、死線を何度もくぐらされたわけでもない一般人よりの感性であるお前らに、そこまでのレベルを求めるのは酷だとは思うよ。ただ、経験しておくに越したことはないからな。心の何処かにでも留めておいてくれ……さて、ここからは具体的な修行のスケジュールを詰めましょうか」
天魔が一息つき、雰囲気が軟化するのに合わせ、シトリー眷属も気持ちを切り替え天魔を見据える。その表情を見て一つ頷くと早速と天魔は切り出した。
「時間があるともいえませんし、早速始めましょう。まずはコースの選択をお願いします。Aコースは戦争を経験した堕天使たちでも泣き叫ぶほど過酷な内容で、しかも効果と命を保証できません。そして、Bコースは寝て起きたら最強に成っている。さぁ、どっちにします?」
「Aコースでお願いします」
天魔の問いかけにソーナが即答し、眷属たちがぎょっとする。わずかに時間を必要としたものの、覚悟を決めた顔になり反対意見を述べようとしないのを見て、天魔は一つ頷くと、近くの山を指し示した。
「では、第一段階を始めましょう。あの山を頂上まで登ってきてください。一時間後に開始、制限時間は……そうですね、今回が初めですし、四八時間としましょうか。では、また後でお会いしましょう」
そう言うと天魔は魔法で転移していく。その場に残されたシトリー眷属の空気は弛緩していた。
「あの山って多分そんなに時間かかんないよな?」
「そうだね。装備はないが、休憩込みでも八、九時間もあれば登頂できそうだ」
「何を言っているのですか?」
先程の天魔の言葉に比べて、あまりきついものではなかったことに安堵していた眷属たちをソーナが鋭い視線とともに諌める。
「先ほどの醜態を思い出しなさい。これは貴女たちのひいては私の怠慢を叩き直すための修行なのです。気を引き締めなさい」
ソーナの言葉に弛緩していた空気が引き締まり、一時間が経過した。そして、天魔の修行が幕を開けたのだった。
その登山は地獄だった。
ロープを踏むと作動する振り子の丸太。
巧妙に隠された落とし穴。
幻術によって欺瞞された沼。
休もうとした瞬間に飛来する嫌な臭いがする液体。
その他いろいろな罠により、体力を削られ足を取られ、心を擦り減らされ、最終的に四十五時間を経過した頃に頂上へとたどり着いたのだった。
そこに待っていたのは天魔は逆立ちで腕立て伏せをしていた。足の指でバーベルを支えており、全身にかいた汗から待っている間トレーニングをしていたことが感じられた。
「おつかれ様でした。制限時間内に到着したようで何よりです。そうですね……スケジュールの余裕もできましたし、三十分休憩にしましょう」
天魔により休憩が告げられ、倒れ込むように休み始める。その間に天魔はバーベルを片付け、異空間から取り出した資料をめくっていく。
約束の三十分がすぎ、天魔は全員を立たせる。未だ肩で息をしているもののしっかり立ち上がれたシトリー眷属に天魔は満足そうにすると紙を確認しながら話し始めた。
「休憩直後だというのに空気の弛緩もなく大変結構! では、本当の訓練といきましょうか」
天魔の言葉にシトリー眷属の体がビクつく。先程までの山登りでも過酷だったというのにより過酷になるのかと考え、表情に出さないまでも内心で慄くシトリー眷属に天魔は苦笑すると穏やかに話し始める。
「流石にさっきまでほどのことはしないですよ。山登りはあくまで覚悟を見るための試験です。使い魔を通じて見ていましたが、弱音を吐くようなら別の対応を考えようかと思っていましたが、それもありませんでしたし、真面目に訓練するというだけです」
資料らしき紙面を配りながらの天魔の言葉にシトリー眷属はホッと息を吐くと、その内容を確認していく。そして、その内容に戦慄した。
「まずは現在の基礎体力の把握から始めましょう。今後のカリキュラムも含め、死ぬほどきついですがくれぐれも、死なないように」
その時に天魔が浮かべた笑顔は何も知らない者たちが見れば、ファンがダース単位で増えそうな笑顔だったが、シトリー眷属にはまさしく悪魔にしか見えなかった。
そうして数日。
シトリー眷属は地獄をみた。
走るのに疲れ足を緩めれば「肉食動物に追われるうさぎが疲れに負けるか? 足を緩めたら死ぬつもりで走れ」と脅され、組手をすれば全身土まみれになるほどに転がされる。
仙術による体力の回復で翌朝には問題なく動ける環境に辟易しながら日々を過ごしていた。
そんな日々に突然の休息が訪れたのはある日のこと。天魔に入った通信が要因だった。
「倒れた? 原因は? オーバーワーク? ……とにかく来いって……今の立場は相手方のコーチなんだが? ……わかったよ、行くよ」
匙と仁村の同時攻撃を片手間にさばきつつ通信を終える。初日のように気も漫ろな様子に悔しそうにしながらも冷静に連携していた二人を叩き伏せ、天魔はシトリー眷属を見回した。
「すみません。私用ではありますが、一度この場を離れます。休息日は明日の予定でしたが前倒しで休みにします。明後日からはまた修行ですので気を抜きすぎないように。では」
いうが早いか魔法により転移していきその場を去っていく。残されたシトリー眷属は天魔の用意していた回復薬を使い、汚れを落とすためにシトリー家所有の建物へ向かうのだった。
グレモリー本邸へ転移して使用人に案内され小猫のいる部屋へと移動していると、正面から一誠が歩いてきた。
「お、イッセー、ちったぁ強くなったな。元龍王の修行はきついだろ?」
「天魔⁉ なんでいるんだよ? 会長のとこにいたんじゃないのか?」
「ちょっと小耳に挟んでな。見舞いだよ」
試合の相手であるソーナのコーチをしているはずがグレモリー領にいることを疑問視する一誠だったが、その回答に首をひねる。
「気合も乗ってるみたいだし、修行に戻ったらどうだ? 禁手に至るかどうかでかなり違うぞ?」
「はぁ、わかったよ。せいぜい驚かせてやるから楽しみにしとけ」
話すつもりのないことを察し、一誠は足早にその場を去っていく。それを見送ると再び案内に従い、数分後に目的の部屋へとたどり着いた。
「入りますよ」
ノックをすると返事を待たずにそのまま扉を開ける。部屋の中にはベッドで身を起こした小猫と付き添っていた朱乃がいた。
「オーバーワークだって? だめだよ、塔城さん。焦っても強くなれるわけじゃない」
「なぜ、ここに?」
小猫に対する諭すような声に答えたのは朱乃だった。様々な感情が渦巻きこわばった表情でとう朱乃に視線を向けられ、先程一誠と話したときのように告げる。
「単に呼ばれただけですよ。それはそうと、姫島先輩、外してもらえませんか?」
「貴女が何もしないという保証は?」
「ソーナ様がそのような工作をしての勝利を望むとでも?」
その言葉に朱乃の表情が怒りに染まる。向けられる殺気を受け流し、朱乃に天魔の立場とソーナの信用を天秤にかけさせると、かろうじて信用が勝ったのか立ち上がり部屋を出た。
それでも扉の前に立ち、何かあればすぐに踏み込める状態を保つ朱乃に苦笑すると、小猫へと向き直った。
「さっきも言ったけど、焦ってもいいことないよ? まぁ、焦る気持ちがわからないわけじゃないけど……自分が、自分に宿る力が怖いかい?」
その言葉に小猫は目を見開いた顔を向ける。そこに込められた感情にわずかに笑うと昔ばなしを語りだした。
あるところに二匹の姉妹猫がいた。
母を亡くした姉妹は助け合いながら生きてきた。
しかし、幼い妹は根無し草な生活では健康に育つことができず、少しづつ弱っていく。
そんな妹をみて、姉は悪魔と契約をすることにした。
自身に流れる力に興味を示した悪魔に自身を売り込み、服従を条件に妹の生活を保証してもらったのだ。
悪魔のもとでの生活はいいものではなかった。研究者気質で倫理観も低く、自身のことを被験体としか見ていない主の存在は不快だったが、これも妹のためと下される指示にもいやいやながら従った。
そんな日々でも妹が安全な場所で過ごせることに安堵し、それは姉にとっての救いだった。
しかし、仮初の平穏はあっさりと砕け散る。
悪魔が妹も実験体とすることを宣言したのだ。
姉からすれば青天の霹靂であり、到底許せることではない。
悪魔は頑なに妹を使った実験を行おうとした。
だから、殺した。
悪魔を殺し、衝動のままに自身が関わった実験の記録を設備ごと破壊した。
すべてが終わり、姉はその場を離れていく。
妹は連れていけなかった。
追われる身となる自分についてくるには未熟であり、早晩死なせしまうことがわかっていたからだ。
そうして姉妹は離れ離れになり、それきり会うことはなかった。
語り終えると立ち上がり、部屋を出ていこうとする。話を聞き、呆然としていた小猫は慌てて呼び止めた。
「先輩! 今のは!」
普段表情をあまり出さない小猫の声に足を止め、ゆっくりと振り返る。
「まぁ、与太話さ。慌てて行動してもいいことないっていう例示だよ。殺さずとも手段はあったかもしれない。甘いと音に聞く魔王なら、必死に語りかければ通じたかもしれない。それなら行動不能するだけで済むし、離れ離れにならずに済んだ……なんてね。安心しなさい、
黒歌は慈愛に満ちた表情から、いたずらっぽく笑って告げると扉を開けて去っていった。
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