トレセン学園と清掃員についての記録   作:雲ノ 月奇

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logⅢ

【恋と労働】

 

 

慎平が労働を始めて早6日が経過した。

 

 

「黒髪ロング 清楚 小柄 貧乳 中央 ウマ娘 」

 

「黒髪 ロリ ト●セン学園生徒 ライブ映像」

 

毎晩のように画像検索サイトで、目を血走らせて舐めまわすように画素を極限まで上げてピクセルを眺めた。

 

 

が、

 

 

どこにもいない。

 

 

舌打ちした。

あの娘に会いたい。俺の女神に。

 

本来「ライス」と名乗られていたのだが、慎平の脳はあまりのショックにライスシャワーの外見以外の情報を全て忘却していた。

 

 

6日間が経つ間、彼ら精鋭の既にモチベーションはウマ娘を観ることにしかなくなっていた。

 

無職に労働の正しい意味など理解できるはずもなかった。清らかな汗をかくことが出来るだけの精神性が損なわれているから。

 

通り過ぎるウマ娘と目は合わせられないくせに、礼儀正しいウマ娘からの溌剌とした挨拶には挙動不審になって無視するくせに、彼女たちが通り過ぎてからその臀部や太腿をじぃっと見ていた。彼女たちが点のようになるまでずっと、ずっと見ていた。

 

 

もちろん俺に手を出す勇気なんかないし、恐らくは清掃員として選ばれた全員がそうだろう。

 

 

でも、と慎平は思った。

もし、あの娘に。

あの女神に逢えたなら。

挨拶をしよう。そうしたらあの時の、俺だと。気付いてくれるはずだ。

 

 

奇しくも彼が清掃をするエリアの廊下は高等部の辺りであり、ライスシャワーとの邂逅を果たしていないのはただの偶然であった。

慎平は勝手に(中学生に違いない、俺は高等部だから会えないんだ)と思っていたがそれは勘違いである。

 

中等部に乗り込む発想はしたが、勇気が出なかった。ただ単に、大人に怒られるのが怖かった。慎平は大人に怒られることがない、大人しい子供だったから。

この年齢になるまで、親以外の大人にマトモに怒られることがないまま育ってしまったから、もしも怒鳴られたらどうしよう、と、そんな情けない妄想が頭を占めて彼をとどまらせていた。

 

ルールを守れない大人、ひいては社会人としての恥など、慎平は生憎持ち合わせていない。怒られたら怖いという幼稚な子供の心が障壁になっていた。

 

柔らかな陽が差し込む窓辺で、彼は太陽の光をウザったそうにして俯いたままモップの先に積もった薄汚い埃を見詰めて爪を齧る。

 

奥の廊下から女の子の可愛らしい笑い声が聞こえる。俺を笑っているのか。なんだか泣きたくなって、鼻を啜った。

 

 

 

 

その時ライスシャワーは、友人と歓談しながら東廊下を歩いていた。

 

慎平含む校舎の中に稀にいるオジサンは、清掃員として一時的に雇われたものだと朝礼で知らされたことで彼女の不安は払拭され、慎平との衝突の記憶はほぼ薄れつつあった。

 

が、廊下の隅。佇む1人の男の影、そして清掃員の服装。カビのような、つい顔をしかめたくなる香り。

 

ライスシャワーは顔を引き攣らせた。

 

 

「……ぁ」

 

「ライスちゃん?どうしたのぉ」

薄桃色のボブヘアのウマ娘が、突然足を止めた彼女を見た。

 

「な。ぁ、何でもないよ。ライスただ、あの人と……」

 

 

「あの人?知り合い?」

 

薄桃色のウマ娘が大きな声で指を差した。

 

「だっ、指、さして……ぁ、声、大きい!」

 

ライスは目を白黒させた。

 

 

 

影がゆっくりとこちらを向く。

薄桃色のウマ娘は影からでてきたうす汚いその姿を一瞥して、ひゅ、と息を飲んだ。

 

「ご、ごめん……ライスちゃんの知り合い、じゃないの」

 

ライスシャワーは「大丈夫だよ、知り合いの人」と言いながら背中でぐ、と拳を握った。

 

私が勝手に、変な人だと思ってた、だけ。

この人は何も悪いことはしてない。なのに、こんな対応したら失礼だ。

そう思って、少し震える口角を上げて笑顔を作った。

 

「あ!あの、こんにちは」

 

 

影は、いや、男は。──慎平は、身体を仰け反らせて黙った。

 

ダイヤモンドの輝きだった。

自分を今まで鬱屈とさせていた太陽は、ライスシャワーに当たってしまえば途端にまるで40カラットのような輝きを帯びた。

 

う、運命だ

じゃなきゃあ、なんだって言うんだ。

男だろ。俺は。俺は。

あ、ああ、でも、キモイと思われるかもしれない。

 

あのすみれちゃんの嘲りの表情が、慎平の脳裏にノイズみたいにかかった。

 

 

恐怖で仰け反って、後ろの水が入ったバケツを零す。泥臭い水が廊下に流れた。

慎平と女神の間に流れた水を見て、ピンクに狂った慎平の脳が天の川だとはしゃいだ。

 

「た、大変。ライス、拭くもの持ってくるね」

 

この前ぶつかっちゃったお詫びじゃないけど……と彼女は近くの教室に軽やかにかけていった。

 

残された薄桃はこちらを侮蔑するように見て、ライスシャワーの後をかけていく。

 

慎平はヒ、と声を出してから、

 

やっぱりあの娘は特別なんだ。俺を馬鹿にしない、俺を覚えている。ほかのブスともすみれちゃんとも違うんだ。

 

と、確信を得た。

足は泥水で完全に浸っていたが、気になりもしなかった。

鼓動が全部の音をかき消していた。

 

 

「あ、もっと広がってる、お、お兄さん?ちょっと足、どけてね……」

 

「!。が、すみま。せ」

喉が変な音を立てた。

もう声は出そうにもなかったが、振り絞る。

 

「名前とか。」

 

「え?」

 

「だから、貴女の、な。名前」

 

「あ……ぁ」

 

ライスシャワーは少し声をひくつかせた。

慎平はこれを気をつかっているのだと受けとり、非常に清楚で、慎ましやかで、好ましいと思った。

 

「気、とか遣わなくて、いい」

 

「……」

 

「ライスシャワー……です」

 

「あ、ぃい……だ」

 

いい名前だとは、いえなかった。

でも慎平の中でこれは、満点に近い行いだった。

そそくさと掃除を終え、ライスシャワーは「レース、近いからごめんなさい」と残して駆け去った。

 

 

 

その晩慎平のPCの検索履歴は、ライスシャワーだけで埋まり、隠しフォルダに「ライスシャワー集 ③」までが追加された。

 

 

 

7日が経過していた。

 

 

 

 

【ミーティング ①】

 

 

初週が終わり、また一同は件の白い部屋に集まっていた。

 

「1週間を終えて」と丸っこい字で書かれたホワイトボードを背に、たづなが口を開く。

 

「皆さん、今週はどうでしたか?」

 

ハシモトさん、とラスボスを指す。

 

「ど、どう、とは。いさささささか抽象ててきでででは」

 

たづなは苦笑いした。

あはは、と場を和ませるために少し笑って陽平が挙手する。

 

「俺……僕は、ずっと働く環境にはいなくて。だから、こうして機会を頂けたこと、そして彼女たちの夢を育む環境を間近で見せていただけていることが、良い経験になってます。働くことはもちろん大変で、やりがいがすごくあります。ただちょっと腰が痛いな……」

 

つつがなくスマートで、とっつきやすい内容だった。

 

「まあ!素敵ですね!私たち……ぁ、私もとても嬉しいです」

 

たづなは顔をほころばせ、慎平はつまらなそうにする。

 

こんなつまらない話を聞くくらいなら、まだスレを見てた方が有益だ、と慎平は思った。

ラスボスはソシャゲをしたそうにスマホに目線をやる。

ズリマスクはマスクの下で笑顔を作っていたようだが、生憎誰にも分からなかった。

 

 

「来週はターフもお掃除して頂きますので、詳細を説明しますね!」

 

 

あらかた新しい掃除の手順と人員配置を伝えられ、初回のミーティングはつつがなく終了した。

 

【超続報】トレセン学園の清掃員バイトとりあえず1週間やったけどぽまいらなんか質問ある?

 

 

1風吹けば名無し202x4/16(日) ID:eeNrYZD10HLWN

 

労働とかいうゲェジしかやらないコンテンツ←今これ

 

2風吹けば名無し202x4/16(日)

ID:m6kvE9WAaHLWN

 

すまんお前の仕事内容には塵ほども興味無いで

 

 

6風吹けば名無し202x4/16(日) ID:O5xppj0Z0HLWN

 

生ダスカか生アルダンのエッッ写真出せ

ないなら死ね

 

7風吹けば名無し202x2/15(土)

IDLawWGmwwJADDMD

 

>>6 これ

 

1風吹けば名無し202x4/16(日) ID:eeNrYZD10HLWN

 

ガイジか?まぁ犯罪はしないって決めてる

 

7風吹けば名無し202x2/15(土)

IDLawWGmwwJADDMD

 

>>1 職なし 度胸なし ユーモアなしと 不採用

 

8風吹けば名無し202x4/16(日) ID:O5xppj0Z0HLWN

 

お前の真っ白な履歴書に懲役が書けるんや 感謝しろカス

 

1風吹けば名無し202x4/16(日) ID:eeNrYZD10HLWN

 

お前らみたいな低脳のクズ共に言われる筋合いは ┃

 

 

慎平はここまで打ち込んで、はた、とやめた。

 

コイツらがなんと言おうと、俺にはあの娘がいるのだ。

こいつらは一生女神と会うことの無い人生を送るわけで、でも俺は違う。

 

哀れみすら抱いた。

 

 

目を閉じる。強く願う。あの娘とまた会いたい。もう、月曜日は怖くなんかなかった。

 

 

 

慎平はライスシャワーと街を歩く夢を見た。

彼女は真っ白なワンピースを着てきた。

はじけるような笑顔。ひらめく布。

手を繋いで歩いて、アイスを食べて。公園のベンチでずっと取りとめもないことを話した。

 

夢が夢であることが、こんなにも幸福なことが、未だかつてあっただろうか。

 

 

 

 

そのときライスシャワーは、

 

 

陽平と笑って散歩していた。

夜のトレセン学園で。

 

陽平に自販機で暖かなミルクティーを買ってもらった。

陽平のはにかむような笑顔と、白い歯と、優しい声音に、恋をした。

 

甘い、恋をした。

 

「まだ少し夜は冷えるから。これを飲んだらすぐ、君の部屋に帰って寝るといいよ」

 

そう言ってにこにこと柔らかく微笑んだ。

 

「ライスシャワーさん。とてもいい名前だね。僕は森川って言います。では、また」

 

寮までライスシャワーを送ってから彼が歩いていなくなる様子を、彼女はぼうっと、いつまでも見ていた。

 

 

 

 

 

【恋とはすべからく】

 

 

陽平とライスシャワーの運命の出会いまで、少し時を遡る。

 

慎平とライスシャワーが、奇しくも校内の廊下で出会った時のこと。

 

ライスシャワーは慎平が無様にこぼしたバケツの汚水を拭くがために、雑巾を取りに教室まで走りながら眉を下げた。

 

またあの人と、増田慎平なる男と会うことになるとは思っていなかった。

悪い人では無いのかもしれないけれど。

慎平の欲……確信をもって言うなら、情欲に塗れた視線が、ライスシャワーは苦手だった。

 

具体的にどう苦手かと言われると難しいが。

 

結論は濁して教室のドアをカラカラと開けると、そこには逆光で照らされる、男の影があった。

清掃員の服装をしている。

 

「あれ……」

 

慎平の姿が脳裏に現れ、一瞬また身構える。

が、身構えるライスシャワーに

 

「ごめんなさい、僕、清掃場所を間違えたかな。」

 

と、おっとりとした話し方でお辞儀をした男は、慎平とは似ても似つかない好青年だった。

整った顔には清潔感があり、彼の立ち居振る舞いにはそこはかとなく品を感じる。

 

 

「あ、ちがくて!ライスたち、雑巾を借りに……」

 

「?雑巾を」

 

「あの、床を汚しちゃって」

 

好青年はなるほど、と合点がいった顔をした。

 

「それならちょうど持ってますよ。2枚でいいかい」

 

雑巾を2枚手にとって手渡そうとする。

ライスシャワーより30cmは身長があるだろうか。

彼は、彼女の少し怯えた様子に気がついて膝をついた。

 

「いやはや。申し訳ない、急にこんな…デカい男がいたらそりゃあ怖いよね。」

 

背ばっかり高くなっちゃってさ。と少し気にしたふうに自分の頭をこつんと叩いてみせる。

彼がはい、と雑巾を跪いてライスシャワーに差し出す仕草は、手に持っているものさえ違えば騎士のようなふるまいにも見えた。

 

「ううん、こ、怖くないです!吃驚しちゃっただけで。ライスこそ失礼な態度して、ごめんなさい」

 

ぺこ、と華奢な体を畳んで礼をする。

 

「そんなにかしこまらなくても!」

 

汚れた場所、よければ僕が掃除しましょうか?と言おうかとも思ったが、これ以上このいたいけな少女に気を遣わせては申し訳ないと感じ、会話もそこそこに

「じゃあ、また!」と好青年は笑顔で挨拶をして締めくくった。

 

 

 

 

 

 

「ライスちゃん!」

 

教室を丁度後にするライスシャワーに、薄桃のウマ娘がハアハア言いながら追いつく。

 

「はぁ、はぁ……ライスちゃん、速すぎ!ねえ、ライスちゃんさ、あのバケツこぼしたおじさんと結局知り合いなの?」

 

「うんと……一応、知り合い……なのかな?」

 

返事を曖昧にしながら、先程の青年を思い出す。

 

廊下の先に、慎平を見つけた。

 

慎平はさっきから1ミリも動かず、呆然と立ったままだった。足元が泥水でぐちゃぐちゃなのに、なんで動かないんだろう、とライスシャワーは内心恐怖を覚えた。

 

雑巾を濡らして、搾る。

あの、のっぽの人も清掃員なんだ。

良い人で、すこしも臭くなくて。笑顔が似合う人。

 

雑巾を手に取り、慎平の異臭漂う足元を拭きながらさっきのことを少し思い出す。

 

「名前は?」

 

慎平に聞かれ、雑巾を動かす手はとめずに答えるのを躊躇する。

何だかこの人に名前を知られるのは、恐ろしいことのように思えた。

 

やっぱり悪い人じゃないのかもしれないけれど、どうしても苦手だ。慎平を好きになれない自分に「やっぱりライス、悪い子なんだ」と落ち込む。

慎平への悪寒と自己嫌悪を胸に、名前を告げてその場は早々に立ち去った。

 

 

 

 

 

慎平から逃げる口実ではなく、ライスシャワーのレースが近いのは本当だ。

夜8時頃まで練習をして、自主練を終えて帰る。

 

街灯の影が昼間の慎平と重なり、ゾ、となって身を震わせた。

いるわけない。いたからって何?あの人は、ライスに何もしてないのに。勝手に被害者ぶって、ライス最低な子だ。

 

こういうの、ジイシキカジョーって言うんだっけ、と自己嫌悪にとらわれてベンチに座ったその時、箒で地面をはく音が聞こえた。

 

ライスシャワーの心臓が、警報みたいにドクドクして、恐る恐る振り返ると、そこに居たのは果たして。

 

昼間の好青年だった。

 

導火線に火がついたみたいに暴れていた鼓動がみるみるうちに鎮火するのを感じる。紛れもない安堵だった。

しかし、こんな時間にも彼らは掃除をするのだろうか。近くにもしかしたら、慎平もいるのやも。

そんなライスの思考に気づくわけもなく、陽平はせっせこ汗をかきながら、ひとつのビニール袋に枯葉を集めていた。

しかし1度枯葉を集めた袋を持ち上げた途端、

どうやらビニールの底に穴があいていたらしく。ザザザ、と穴から集めた枯葉が虚しく地面に散る。

 

「そ、そんな……ぁっ」

 

悲劇を目の当たりにして、つい声が出てしまった。口を咄嗟に抑えた。

が、どうやらその声は青年にも届いたと見える。

声の出処を探そうと好青年がキョロキョロして、ついにベンチから青年を伺うライスシャワーにパチと目が合った。

ぺこ、と青年はこちらに少しお辞儀をした。

そうしてまた掃除を続けようとして、

 

袋の穴を思い出したらしい。青年はどうしようかとウンウン悩んでいる。

ライスシャワーはそれを見て、

 

「あの、これ……」

 

1度寮に入ってから、大きなゴミ袋を何枚か持ってきた。青年に先程の位置から恐る恐る声をかける。

 

「?」

 

青年は何やら難しい顔をしながらこちらにズンズン近寄ってきた。そうして、ライスシャワーの顔をじいっと見て。袋を見て。

 

「あ!昼間の!」と、どうやら今気がついたようだった。

 

昼間は逆光で顔も碌に見えなかったが、月光に照らされる彼の顔が俗に言うイケメンであることはライスシャワーも直ぐに分かるくらいの優しげな美丈夫であった。

 

「いやあ、非常に助かります。本当にありがとう」

 

そう言いながら緩む彼の口もとに見とれる。月光を反射する綺麗な鼻筋と、しかめられていても整っているとわかる眉の形にうすい唇。

顔を赤らめて先程から少し様子がおかしいライスシャワーを気にかける陽平に顔をのぞき込まれて、視界いっぱいに広がる美形に彼女はあわあわと顔を染めた。

 

「君だったとはね。恥ずかしいところを見られてしまったな。あはは……」

 

彼は失態を見られたことを知り、本当に恥ずかしそうにしている。照れ笑いにつられてライスシャワーも少し顔がゆるんだ。

 

「ら、ライスも!たまに、じゃなくていつも、たくさん、ミスします」

 

言ってすぐ間違えた、とライスは思った。これじゃフォローのつもりが報告になってしまった。さぁっと青ざめて違うんですと言おうとして、

 

「そうなの?じゃあ、僕と同じ。おそろいですね。」

 

と言いながらベンチの前に屈む美青年の溶かすような笑顔に、心臓が震えるような気がした。

 

「で、でも、いつも、めいわくかけてて。」

 

何故か「大丈夫」と言うつもりが、弱音を吐いた。

 

「ライス、暗いし、お話も下手で、ドジで。」

 

パチパチ、と青年は瞬きした。

あぁ、やってしまった。自虐なんて、1番反応しづらい話をしてしまった。ライス、なんでこんなこと話してるんだろう。ライスはバカバカ、と自分を罵る。

 

「あなたはすごく優しいんだね」

 

青年は、真顔で真剣にぽつんと言った。

 

「相手のことをいつも考えているから、自分を責めてしまうんだね。あなたは他人のことを慮る力がある。つまり……すごく優しい人なんだと思うよ」

 

彼が言葉を選んで、こちらを傷つけまいと話しているのがライスシャワーにも伝わってきた。

まあこんな通りすがりの清掃員が言ってもね、とはにかむ。

 

「ほら、実際に恥ずかしい失敗をした僕を助けてくれた」

 

自分の持つ穴の空いた袋を指して、ライスシャワーの手にある新しい袋を指す。

 

「これは優しさですよね」

 

「……」

 

ライスシャワーは真っ赤になって、お礼を言おうと顔を上げた先で、コツンとなにかに頭をぶつけた。

 

「きゃ」

 

自販機のミルクティーだった。急に頭を上げたライスに運悪くぶつかってしまったらしい。

 

 

「わ!ごめんね!……僕が勝手なこと言ったお詫びに、良かったら飲んでください」

 

「え、ぁ、あ、ありがとうございます……!勝手なことなんて、そんな」

 

「まだ夜は冷えるから、飲んで温まって」

 

 

彼はニコニコしながらまたお辞儀した。

のっぽの影が月にぶらさがっているみたいで、何だか酷くロマンチックだった。

 

「それにもう夜遅いですから。風邪を引く前に、これを飲んだらお部屋に戻ってください」

 

去ろうとする青年に、ライスシャワーは咄嗟に声をかけてしまった。

 

「は、はい、えと、ライス、じゃなかった、私、ライスシャワーっていいます。あの、本当に、ありがとうございました!」

 

何故か、名乗った。何故かというか、彼に、自分を知って欲しいとライスシャワーは想った。

 

「ライスシャワーさん。とてもいい名前だね。僕は森川って言います。では、また」

 

別れ際に受け取ったミルクティーは暖かいはずなのに、ライスシャワーの身体はあつくて、熱を感じなかった。3口くらい飲んで、胸がいっぱいになって、枕元に置いて眠りについた。

 

 

眠くてぼんやりした頭で、森川さんのことを思い出す。

また会いたくなった。

 

翌朝、よい夢を見たはずなのに、何故か思い出せなかった。

 

 

 

【夜明けと罪】

 

 

 

7時半のアラームを無碍に寝坊して、慎平はスマホやPCをチェックできないまま寮を飛び出した。

 

ラスボスはもうとっくに居なくなっていて、

慎平は起こせよ、と恨んだ。起こされたら起こされたで暴れるにも関わらず。

 

「ワイはアンタの母親とちゃうでござりまするからに……wそも、この年齢でなんちゅう質問。えー、何歳でしたかな。ま、さすがはイケヌーマですわなあ」

 

2日前、起こさなかった理由を問い詰めた時、半笑いでこう言われた。

こんなゴブリンみたいな男に正論で叩きのめされ、顔を真っ赤にしてグフグフ言った。次バカにされたら殺そうと誓ったことを思い出し、怒りで心が煮えたぎる。

 

洗面台で黄土色の痰をはき出す。

ふ、と横を見ると、恐らくはラスボスのものであろうメンズワックスが目に入った。

 

これで髪を整えるらしいというのは知っている。慎平は七五三の時使ったことがあった。

 

自分の顔を眺める。

イケメンでは無いが、ブサイクなのだろうか。

幼い頃何度か訪ねた祖母の家では毎回「あんたはいつかきっといい男になるよ」と言い聞かせられた。

 

髪型さえ整えれば、イケメンとまではいかずとも、なかなか悪くないのではないか。

適量が分からず、両手にワックスを塗りたくる。

髪型を考える。マッシュはキモい。どうせ女とヤることしか頭にない男の象徴だ、とネットで拾った知識で却下する。

センター分けにしよう。真ん中で分けるだけで、女受けがいいらしい、と慎平はニヤニヤしながら髪をぺたぺたと中心で分けていった。

 

あの娘が見たら驚くに違いない。連絡先なんか聞かれちゃったりして。

 

眉毛は整えたことがない、なんだか怖いから。

アイロンは買っていない。水をつければマシになるのだし。

勇気を出すほどの意欲がないから。そのままの自分で、愛されたいから。

慎平はサイゼで喜ぶ彼女が欲しかったのと同じように、整えていない眉毛に惚れてくれる女を夢想しているから。

 

ネットで見た知識だけで、チェックシャツはオタクのファッションだと知った。だからチェックシャツは買わないようにして、それ以外のファッションはとりあえず無難な黒なんかを選んで。ズボンは沢山ポケットがついているのが便利で好きだ。丈は脛くらいで、靴下はPUMA。

 

眼鏡をコンタクトにはしていない。どうせそんなに変わらないだろうという気持ちを体裁にした、ただの横着だった。

 

全身に父親からくすねた男物の香水をばしゃばしゃとかける。

年季が入った鼻糞で詰まった慎平の鼻腔には、今現在彼から放たれているおぞましい量の香水の香りと、男特有の蒸れた体臭が混ざった……つまり……絶望的な香りは既に分からなくなっていた。

 

 

薄汚い黒で鈍った光を放つ茶色の革靴の踵を踏みつぶし、足取りも軽く部屋の扉を開いた。

 

 

 

 

が、

 

 

 

この日、慎平はライスシャワーはおろか、1人たりともウマ娘と会うことすら許されなかった。

 

犯罪とは罪を犯すことを言うのか、犯した罪のことを言うのだろうか。

分からない。

分からない。

分からない。

 

ただ言われるがままに、厳しい表情の女性に拘束されるかのように、引き摺られるように、着いていく。

 

『第二会議室』という文言が目に入る。

そうだ、ここは。

 

ほぼ時を同じくして、ラスボス、ズリマスク、陽平も件の白い部屋に集う。

久々に見る面々だった。

全員が灰色の顔をしていた。

 

そして、ホワイトボードには、

画質の荒い数枚の写真が乱雑に貼り付けられている。

駿川たづなは嗚咽しながら悲愴な声を上げている。傍にはウマ娘の警備を担当しているであろう頑強そうな体躯の女性が2人、同情と憤怒、そして警戒を身体から放っていた。

 

数十分もすれば警察が到着するだろう。

 

画質は確かに荒い。

しかし、目を凝らさずともわかる。

それに何が写っているのか。

ふんだんにあしらわれたレースから、シンプルなもの。

曲線的なデザインに、小さなリボン。小さな猫が印刷されているものなどからは少女性を感じる。

それは確かに、まごうこと無く。

この学園の、トレセン学園のウマ娘たちの私物────下着であった。

 

罪を犯すこと。犯した罪のこと。

何も変わらない。

罪を犯した者がいることだけが事実だった。

犯した罪の証拠が、そこに鮮烈なまでの存在を放っているのだから。

 

 

その部屋で慎平のワックス塗れの頭髪と、ラスボスの瞳と、たづなの頬を伝う水分だけが僅かに鈍いひかりを放っているように思えた。

 

 

 

 

 

この日、我々清掃員のうち1名が、永久にこの学園から姿を消すことになる。

 

 

 

 

 

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