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「ここの、辺りだよね」
私は名刺を持ち、戦きながら辺りを見回した。
ぞわぞわと、肌が粟立つ。『慣れ親しんだ』嫌な気配がそこかしこからして、やっぱり来なきゃ良かった、と後悔する。
――東京、新宿。夜の繁華街。
私が持っているのは派手ながらも妙にスタイリッシュな、夜職の……いわゆるキャバクラのスカウトの名刺だった。
『お姉さん、キャバ嬢興味ない?』
ハローワークで紹介された仕事がしっくりこなくて、仕事も決まらなくて、夜ご飯はもやしラーメンで……憂鬱さのあまり当てもなくとぼとぼと街を歩いていた私に渡されたのがこの名刺だった。
お姉さん美人だしスタイル抜群だからすぐ上を狙えるよ、それ天然もの? なんて聞いてきた軽薄そうなスカウトが渡してきた名刺に記された店名は、後ほど調べてみると歌舞伎町の中でも名店と呼ばれる店のそれだった。
夜職なんて、と思わなくもなかった。でも、お金は欲しかったし、何より、疲れていた。失業中の間でも、稼げるならと、名刺を貰った時は思ったのだ。
(私、ほんと成長ない……)
後から自分の愚かしさに気付かされる。
いつものパターンだ。
――奇跡的な美貌と明晰な頭脳を持つ、完璧な兄。兄は性格には相応の瑕疵があれど、少なくとも個としては完璧だった。私とは大違い。兄は少なくとも、愚か者ではない。
兄に対して劣等感なんて、生まれてこの方抱いたことはない。劣等感を抱けるのは、その相手に多少の対抗心を持ち合わせている者に限られる。
「……帰ろ」
ここにいては目立つ。
キャバ嬢になるなら、なんて思って、久々に染めていた髪色を元に戻し、目の色も戻してきたのだ。暗いとはいえ珍しい色彩で、背も高い方だし、さっきから視線を集めている。
とっとと髪も黒染めしなきゃ。やっぱり私に夜職なんて無理だ。そもそもキャバ嬢なんて、コミュニケーション能力が高くなきゃ務まらないはずだ。彼の言動の怪しさに気づきながらも気付かないふりをして騙されていた私に務まるとは思えない。
(惨めだなー……)
はあ、とため息をついたその時、凄い勢いで迫ってきた車が私の傍に止まり、飛び出すようにして車から降りてきた数人の男たちに、抵抗する間もなくあっという間に車の中に押し込められた。薬を嗅がされ、ぐわ、と意識が揺れる。
(え、何、……いやだ、何!?)
『幼少期』に付けさせられた耐性のせいか、薬は私の意識を奪うには至らなかった。それでもここで暴れる訳にもいかず、目を閉じ、大人しく気絶しているフリをする。男たちは手早く私を拘束すると、目隠しと猿ぐつわを噛ませた。
――どこに連れていかれるのだろう。
彼らは、私の『幼少期』、兄を襲ったような輩と同種のならず者ではないようだった。暴力団とか、そういう人たち? なら、彼らに私を攫う理由はないはず。
戦々恐々としていたが、恐らくは一時間もしないうちに私は見知らぬ場所に連れてこられていた。
蹴飛ばされるようにして車から下ろされ、地面に叩きつけられる。すぐに髪を思い切り掴まれて顔を上げさせられ、ゆっくりと目を開くと、そこが見覚えのない――そして『非常に嫌な』気配のする廃ビル、のような場所であることがわかった。
そして、気づく。私を連れてきたスーツの男たち、物騒な空気を纏う彼らとは全く違い――怯懦に震え、血に濡れる一人の男に見覚えがあるということに。
「あなたは……」
彼はあの時の、キャバクラのスカウトだった。
彼は顔を血と涙塗れにして、コンクリートの床に震えながら転がっていた。
「――この女がソイツのオンナ?」