逾以て惶遽の裡にあった。不図気が付けば所怙の腕に抱かれる孺孩となっていたのだから宜なるかな。茲で何故自らが孺孩であると認識出来ているのかと言うと、身体の東西が略利かず、闇雲に手を伸ばし踠いていたら、視界に入った手が孺孩の厥であり、加えて眼前に居る大人が慈愛に満ちた顔で此方を見ていたからだ。
一向に状況を解せずにいると、そういえば声を出していなかったと不図思い当たり、物は試しと口を朶かす。
「あうあおえあ?」
が、口を衝いて出たのは明らかな喃語。一応「何だこれは?」と言った心算ではあるが、全く上手く喋れない。質の悪い悪夢かと思い頰を抓ろうにも手は中空を切るのみ。そうしていると、迂拙を抱えているであろう男性が声を掛けてくる。
「ん? どうした? パパが気になるのか?」
抔と言い乍ら頭を撫でてくる。返って来たのは日本語。そして眼前の男性は父親である事が判明した。これだけであれば安堵のしようもあったが、頭を撫でられた際に覚えた強烈な違和が体を強張らせる。明らかに人間に備わっている器官ではない物を触られる感覚。然も厥が迂拙の体のものであると判然と感じられた。愕きの余り四支僵勁していると、別の声が飛んできた。
「あんまり無遠慮に耳を触らないの。ほら、その子も喫驚して固まっちゃってるじゃない」
「ああ済まん。驚かせちゃったか」
「全く、ウマ娘の扱いがなってないわね。鳥渡貸して頂戴」
会話の内容から揣るに、恐らく母親と思われる女性の声が聞こえた。そして一瞬の浮遊感と同時に迂拙の体が相手に渡る。そして厥の女性の顔を見た瞬間、更なる情報の激湍に飲まれた。色素が脱け落ちたかのような白い髪、そして赤い瞳睛。弾指頃、アルビノかと考えたが白味を帯びない健全な肌の色が厥を否定する。だが、それ以上の衝撃が彼女の顱頂に一対。そう、完全に獣の耳の厥が生えているのである。顱頂に獣耳抔パーティー用のネタカチューシャを着けているとしか思えず、産褥に就いている時にも外さずにいるとなると筋金入りの変人、下手をすれば泡斎の域に入る。驚破親ガチャに失敗して人生ハードモードかと絶望の淵に沈み掛けたが、作り物にしては如何にも様子が可笑しい。時偶動く上に、厥の動きが機械じみてなく、極めて自然なのである。
状況を飲み込めずに慫兢していると、憮しむ様な手付きで頭を撫でられた。先程とは違い、恐らくは迂拙の顱頂にも生えているであろう耳を巧く躱し、慣れた手付きで撫でている。「よしよし、喫驚しちゃったよね」抔と言われ乍ら暫く身を任せる。精神が肉体に引っ張られているのか、次第に落ち着きを取り戻していった。
偖、幾分か思考が纏まりだしたので、状況の整理を始める。迂拙の体は孺孩となったが、思考能力は成熟している。江戸川何某を更に極端にしたような状況であるが、斯様な有様に陥る事をした覚えは微塵も無い。怪し気な取引は目撃していない、某猫型ロボットの道具の暴発もない抔、真面目なものから阿呆なもの迄彼是と候補を挙げていると、礑と一つの可能性が思い付いた。それは仏教で説かれる思想の一つ、六趣輪廻である。他の宗教にも似たような思想はあるが、迂拙が日本語を解している点と、明らかに人間でなければ使わない知識を持ち合わせている点から、恐らく前世も日本に住む人間であったのであろう。
然し腑に落ちない点がある。それは、知識はあるにも関わらず、前世の為人が全く想い起こせない点である。何らかの地獄に堕ち、塵点劫に亘る責め苦を受けた結果なのか。加えて、先程母親の口から出て来た「馬娘」なる単語。「馬」と「娘」は解るが、この二つが合体した「馬娘」とは一体何なのか……。そう考え乍ら、母親の顱頂にある耳に再び目を向ける。
「あら、私の耳が気になるのかしら」
「母さんは綺麗な白毛のウマ娘だからな。見惚れているんじゃないか」
「謔けた事言わないの」
……どうやら眼前に居る母親が「馬娘」なる存在らしい。という事は迂拙も馬娘という事になるのか。一体全体、如何なる前業が関係すれば、善趣と悪趣とが雑糅した斯様な結果になるのか。まあ、こうして生を享けた以上、考えても詮無い事である。前世がどんな人間であったか抔、穿鑿しようにも筌蹄なぞ有りはしない。せいぜい胡散臭い卜者が吐かす戯言を無理矢理真実だと思い込む位である。そんな事をする気は毛頭無いが。
はて偖、孅かな疑問は未だ尽きないが、自分の正体が判明したので幾分余裕が生まれた。誕まれた許りの孺孩の身で人生設計なぞしても鬼に嗤われるだけである。暫くは小難しい事は考えず、大人しく世話されよう。然う言えば、此の世界での迂拙の名前は何と言うのだろうか。何れ判る事ではあるが、其処許りは少し気になる。
「然う言えば、此の子の名前は下りて来たのか? 慥か、ウマ娘が誕まれると、三女神様が名前を授けてくれるんだろう?」
「ええ、先刻下りて来たわ」
渡りに船と言わん許りに名前の事を話し出したが鳥渡待って慾しい。何だ厥の謔けた名付け方は。名付けは所怙の重要な責務の一つである筈。厥を拋擲し神籟に任せるなぞ言語道断である。若しや■■■■の様な淫祠邪教に傾倒乃至洗脳されているのではないか。そんな最悪の蓋然性が脳内を遶り、戦慴の余り瞠目する。
「お、此の子も名前を知りたがっているぞ」
「あら、そんなに気になるのかしら」
此方の表情の変化を豪く好意的に解釈した、暢気な科白が飛んでくる。迂拙の冬の日本海の如く荒れ狂う内心抔御構い無しだ。縦んば先程の予想が現実であったならば生き地獄が確定する。然し孺孩の身では所怙を誨諭する事も、自宅から逋逃して役所に助けを求める事も出来ない。誕まれた許りにして前跋後疐の状況に追い込まれるとは、此の世界には神も仏も居ないのか。畜生道に地獄道が追加され、三悪趣フルコンプに立直が掛かる。どんなマゾヒズムを持った奴でも、こんな嫌な大三元なぞ揃えたか無い筈だ。
廃忘怪顚の窮極に到る最中、母親の口から迂拙の名が語げられた。
「此の子の名前はね、"キョクアジサシ"よ」
……馬なのか鳥なのか判然として呉れ、という迂拙の感想は、正しいものだと思いたい。