中食を挟んで還コースへと戻って来た訳だが、周囲から寄越される視線に含まれる棘が増している気がする。大方、午前中に2レースも走って場を荒らし捲った挙句、スカウトの悉くを鰾膠も無く謝却した餓鬼奴が何用だと言った所であろうが、柳に風と受け流し鉄面皮を被る。此の程度で動揺していては莫連は務まらないのだ。何より、トレーナーとの契約と言う衝飆を未だ為していない。此方人等入学するに当たって黐擌を拵えているのだ。只走って満足して、遣るべき事もせずに機を逸する抔、がぎな事夥しい。
午後の流れは先ず迂拙のダート1600、続いてブライト、フク、迂拙と芝2000を走る。午後のレースを走るに当たって、一つ留意しておくべき点がある。午前中に契約を取れなかった連中が午後のレースの空き枠に這入ってくる事である。迂拙は擺撥して自分の走りに集中出来るが、ブライトやフクのレースに関しては少少気掛かりな事がある。只でさえ目を血走らせている奴が、契約を取れなかった事で後が無くなり覆輪掛けて殊死になり1着を取ろうとしてくるのだ。矜恃は疎かスポーツマンシップすらぐり棄て側辺不見な走りになる。中には手段を選ばなさ過ぎてレース後に職員から譴責される者も居る。そしてダートレースは芝レース以上に荒れる。午前中のレースで芝コースへの適性が疑われる程に大輸した者が、ダートコースへ一縷の望みを懸けて出走して来るのだ。憖地元で駿足を持て囃されていただけに、現在の自分の惨憺たる状況を受け入れられないのだろう。親の讐を殺さんとする者が似き銛くも濁った視線を周囲に散撒く。棄て切れない本人の矜恃とウマ娘の本能とが蠱毒の様に複雑に絡み合った結果なのであろう。もう少し己を理性で制禦出来んのかと思うが、ウマ娘は輸贏が絡むと途端に理性の箍が外れる種族である。致し方無いと言ってしまえば然うなのだが、厥の一言で片付けて良いものなのだろうかとも思う。捷ちたいと思うウマ娘の本能と契約締結レースに出遅れたという懆心に衝き動かされるのは解るが、斯様な状況下で理性的な行動が出来なければ、縦使トレーナーと契約出来たとしても爾後のレースで失錯するのは目に見えている。本能を理性で抑え込めるのは人間とウマ娘已が出来る特殊能力なのだ。冷静さもトレーナーがウマ娘を品騭する上で重要な条項なのだから、レース前から掛かる様な連中は新人にすら見向きもされないだろう。抔と忠告して遣りたいが、ああなってしまった連中の耳には届かない。厥に、午前中に2レースも捷っている迂拙が斯様な事を言おうものなら完全に厭味と受け取られる事請け合いである。まあ、迂拙は釈尊でも菩薩でも無いので、全員に拯救の手を差し伸べる事抔出来ない。恁時は袖手して不干渉を貫くに限る。下手に世話を焼いて面倒事を増やすのは俺め極まりない。
虧殺ブライトとフクが出走するレースの枠は既に埋まっているので、前述の連中が絡んでくる事は無い。では何が気掛かりなのかと言えば、午前中の惨状を目の当たりにした連中が、変な気を回して要らん事を為出来す蓋然性である。ゲートに突っ込んでカンパイになる位なら未だ可愛いものであるが、視野狭窄に陥り斜行なり接触なり危険行為に及ぶ蓋然性は午後のレースの方が高いと考えられる。選抜レースが開催されるのは今日だけでは無いので然のみ焦る必要は無いのだが、ウマ娘とは臆病な種族でもある。午前中のレースで着外になり、涙㶜に沈んだウマ娘を見て自らの身の上の阢隉たるを思い知り、掛かり易くなるのは然もありなん。取り敢えずブライトとフクとには後で一言二言忠告しておこう。
偖、先ずは迂拙のダート1600である。出走登録時には3枠余っていたので捩じ込んで貰ったのだが、ゲートの前に居るウマ娘の数はフルゲートの厥である。尋常な緊張をしているウマ娘に雑じって、自棄に濁った眼をしているウマ娘が2人居る。総ての選抜レースを見ている訳では無いので顔に見覚えは無いが、彼の眼の濁り方と幽鬼が似き表情を見るに、午前中のレースで大輸を喫したであろう事は想像に難くない。今回のレースでは先行を験す心算でいるが、縦んば作戦が被っていたら迂拙は真っ先に狙われるであろう。現に、2人は迂拙に向けて射殺さん許りの視線を寄越している。
そんなこんなでゲート入りであるが、先述の2人が漸梃子摺った。本日3度目のスタートを切る。迂拙は4番手に就け周囲を窺う。先述の2人は、1人は逃げ、1人は先行を選んだようである。特に先行を選んだ方は迂拙の真横にピタリと張り付いている。走り乍ら何やらぶつぶつ呟いているが、レースに集中出来ていない時点で既に輸けは極まった様なものである。残り900程の地点で、偖如何バ群を脱けようかと思案する。午前中の2レースでは、何れも外側へ出て抜いた訳であるが、今回は横に張り付いている奴が居るので却却難しい。試しにコーナーで少少膨らみ圧を掛けてみたが、覚悟が極まっているのか動かず失敗。糅てて加えて、他の連中も迂拙を包囲する様に走っているので、下手を打てば迂拙が斜行を取られてしまう。取り敢えず今回は前を走っている奴を剔嬲してみる事にした。徐徐に距離を詰め、態と跫音を大きく出して走る。御前の直ぐ後ろに居るぞと圧を掛ける。練達の者であれば此の程度で自分の走りを見失う事は無かろうが、今走っているのは揃いも揃って黄口児。虧殺直ぐに掛かって速度を上げて呉れた。前を走るウマ娘の増速に合わせて迂拙も増速し、追躡を続ける。疾うにオーバースピードであり、前を行くウマ娘は厥に気付くとチラチラと後ろに視線を寄越して減速したがるが、厥を許す迂拙ではない。コーナー通過時にオーバースピードに達すれば、出口で膨らむのは必至、厥の内を突こうという算段である。件の眼の濁ったウマ娘は更に先を行っており、迂拙を内に入れたくないのか必死に内に寄ろうとしている。然し迂拙が掛からせているウマ娘が直ぐ後ろに居る為出来ずにいる。上手い事風除けになって呉れて有難い事である。然う斯うしている内にコーナーの出口に差し掛かる。迂拙が掛からせていたウマ娘は案の定膨らみ、内側に間隙が出来た。すかさず体を捩じ込み前へ出る。斯う言う時にも禿は有利に働く。普通よりも小さいが故に体を捩じ込み易いのだ。抜き去る際、件のウマ娘を一瞥したら更に視線を銛く、顔色を険しくしていたが此方の知った事では無い。内埒限限を一気呵成に加速し他を置き去りにする。バ群を脱け出すのに梃子摺った為、タイムは1:39.2と慊焉たるものであった。件の2人は揃って着外に沈んだ……と思いきや、迂拙の前を行っていた方は纔かに5着に辷り込んでいた。一方迂拙の隣に陣取っていた方は、妨害に終始した結果スタミナを使い果たしたのか最下位になっていた。もう少し理性を鍛えてから出直した方が良いだろう。本能的に走った方が結果を残せる者も居るが、此奴は理性的になった方が結果を出せると思う。口には出さんが。
順位とタイムとを確認した後は一瞥も呉れて遣らずに戻った。多分一瞥しても睨まれるだろうから此れが正解であろう。一一相手にしていたら限が無い。此れで3連捷、然し内容は改善すべき点だらけである。観客席に戻ると、半眼で呆れ顔のドーベルとフクとが出迎えて呉れた。シャトルはフンスフンスと鼻息を荒くし、ブライトは何時も通りのほほんとしている。
「いやぁ、案の定妨害され捲ったわ」
「妨害されて何で未勝利戦で捷てるタイム出せるのよ」
「前の奴が上手い事掛かって呉れて、途中からハイペースに持ち込めたから?」
「内埒限限を擦り抜けるのもですけど、抜いた後の加速も醶くなかったですか?」
「好き勝手走れなかったストレスから遣った。反省も後悔もしていない」
「アジが抜いてく時の隣の子の絶望の表情ったら無かったわね」
「と言うか、好き勝手走れたらもっと良いタイムが出たって事ですか?」
「もう3、4秒位縮められたかな」
「何? 芝とダートとで同じタイム出そうとしてたの?」
「似た様なタイムは出せると思う」
「ダートの良バ場で芝と同じタイム出されたら堪ったもんじゃないわよ。如何やって捷てば良いのよ」
「バ群脱け出すのが下手糞過ぎたなぁ。反省反省。褒められる内容じゃないね」
「今の科白、絶対に他の子には聞かせられないですね……」
「コテンパンにされた挙句、レース内容は褒められたものじゃないって、完全に諠譁売ってる科白だものね」
「周囲に持て囃されて努力をしてこなかった結果って事でしょ。過去の懈慢が透けて見えたわ」
「アジと同じ努力量を要求されたら、同じ土俵に上がる前に脚が壊れるっての」
「然様で」
別に迂拙と同じ量を走れとは言わないが、自ら驕矜して懈慢に流れるのは頂けない。世の中上には上が居るのだ。努力無くして捷つ抔、それこそルドっさん程の稟賦が必要である。そして厥の彼女迚慢心せず研鑽を続けたのだ。此の選抜レースで、多くの遼東之豕が白日の下に晒された訳である。溜まりに溜まった過去の懈慢のツケ、果たして現役期間中に払い切れるのか見物である。
「次はブライトのレースか」
「ですわ~。皆様1着を取っておられるので、わたくしも頑張らないとですね~」
「一個だけ忠告しておく。序でにフクも」
「私もですか?」
「先刻の迂拙のレースもだけど、午前に較べて他のウマ娘が掛かり易くなっているから気を付けろ」
「掛かり易く、ですか?」
「恐らく午前中に襤褸輸けした連中を見て、自分はああなるまいと躍起になってる奴が多い。先刻の迂拙のレースでも居たろ? 目を血走らせた奴が2人」
「ああ、アジさんのブロックに必死になってたウマ娘ですか?」
「然う。まあ、彼の2人は午前中に襤褸輸けして、ダートレースに転がり込んで来た連中だから鳥渡違うけど、あんな感じで自分は絶対に輸けまいと力んで視野が狭くなっている奴が多い。レース中に体当たりだの斜行だのしてくるかもしれないから、周囲に目を配った方が良い」
「レース中に其処迄思考を割ける自信が有りませんわ~」
「ならレースが始まる前に全員の表情を見とけ。緊張で表情が強張っている位なら未だ大丈夫かも知れんが、目が血走っていたり明らかに緊張とは違うものから来る表情をしていたりしたら、其奴をマークしろ。何を為出来すか解らんから。幸い、ブライトもフクも脚質が後方寄りだから、レース全体を俯瞰し易いでしょ。前で小競り合いが発生していたら、早めに外側に出るなりして迴避した方が良い」
「何か、緊張を解す様なお話でもした方が良いでしょうか~」
「いや、止めとけ。変に声掛けたら敵と看做されて粘着される可能性が有る。触らぬ神に祟り無しだ」
天のなせる孼は猶違くべし、自らなせる孼は逭るべからず、宋襄之仁を掛けて余計な殃禍を招くのは只の儍角である。既に篩い分けは始まっているのだから、自分から網目から落ちる様な事をする必要は無い。
「寧ろ、相手が勝手に掛かって自滅して呉れるから、此れ幸いと利用して遣れ。無用の情け掛ける必要なんざ何処にも無いから。自分が巻き込まれる事だけ気を付けろ」
「むぅ……」
「まあ、自他共にベストコンディションで軛を争ってこそって考えも解るけど、選抜レースは飽く迄トレーナーとの契約を取る為のものであって、1着を争うものじゃあない。厥の辺り、意味を取り違えるなよ。要らん世話焼いて共倒れなんて結果残そうものなら、取れる契約も取れんぞ。割り切れないかもしれんが、其処は頑張って飲み込め」
「……むぅ……」
ブライトに限らずウマ娘は根が誮しい者が多い。故に、恁地葛藤する場面も多多有るのだ。加えて中学生に成った許りの身で精神も未熟であり、毅然と鴻溝を分かつ事は難しい。
「他人を拯けるってのは自分に余裕がある奴がする事だ。未だ契約を取れていない、今のブライトにそんな余裕は有るか?」
「……無いですねぇ……」
「なら自分の事だけに集中しろ。声掛けなかったからと言って誰に譲められる訳でもあるまいし」
「……今の科白、契約取ってないアジは言える立場に無いと思うんだけど」
「……何故……バレたし」
「いや、何よ厥の態とらしい表情」
「既に3レース捷っていて、スカウトの総てを袖に出来る位には余裕があるとも言えるのでは?」
「でも契約取ってないって立場は一緒でしょ」
「では既に契約を取っているドーベル先生、ブライトに一言御願い致します」
「誰が先生よ。はぁ……ブライト、贅な事考えないで自分の走りに集中しなさい。じゃないと、捷てるレースも捷てないわよ。変に気を配って契約取れませんでしたなんて事に成ったら承知しないからね」
「ドーベルに迄言われたら、頑張らないと不可ませんね~」
「割り切れないんだったら迂拙に責任を押し付けとけ。彼のキョクアジサシって奴が無視しろっつったんだって。然うすりゃ幾分か気も楽になるだろ」
「いえ~。此れはわたくしが飲み込まないと不可ない事ですから~。寧ろアジさまには背中を押して頂いたんですから、感謝しませんと~」
「じゃ、きっちり契約取って来い」
「諒解しましたわ~」
然う言い、御嬢様らしく楚楚と一礼してコースへと向かって行った。
「然う言えば、何でドーベルとシャトルとは未だ居んの? 契約取れたんだからもう放課でしょ」
「一番の敵が出走するってんだから見ない手は無いでしょ。適性距離も脚質もてんで胡なのに涼しい顔して捷ち続けるんだから、ちゃんと見て研究しないと豪い事になるわよ」
「へえ、然様で」
「ワ、ワタシモデース!」
「シャトルは単に1人に成りたくないだけでしょ」
「厥は言わないオヤクソクデス」
流れる様に迂拙の背後を取るシャトル。此の寂しがり屋、卒業する迄に幾分か和らげなければ日常生活に支障を来すのではと軫憂しているのだが、シャトルの社交性を勘えると先輩後輩問わず交友の輪は広がり続けるであろうから、却却難しい所か。何より、顱頂に伸し掛かる西瓜の重みと感触を手放したくないと思う自分も居る。恐らく迂拙の前世は狒狒親爺だったのだろう。悪趣に堕ちるのも宜なるかな。
視線の先に居るブライトの表情は、先程とは対蹠的な、引き緊まった凜としたものに変わっている。彼女なりに割り切ったか吞み込んだかは解らないが、不用意に他のウマ娘に声を掛けたりしていない所を見ると、リスクを迴避するだけの冷静さは失っていない様である。此れ迄何度もブライトの走りを見たり併走したりしてきたが、走り始めてからギアが上がる迄時間が掛かる様に思える。故のステイヤー気質であり、脚を余す事も多多有った。捷ち輸けにならない訳では無く、普通に走れる距離ではあるが、今回の2000はブライトにとって聊か短い距離に思える。果たして、脚を余す事無く差し切れるか。
他のウマ娘の表情は、矢張り緊張の色が大半を占めている。彼方此方に視線を彷徨わせたり何かを呟いて自分に言い聞かせたりと、ブライトの様に余裕が有る者は少ない。そして厥の中に、緊張の色すら脱け落ちた表情の者が1人、何やら危う気な氛囲気を出している。ブライトも気付いたのか、動向を注視している。
そして、発走の時間を迎えた。ゲートが開く。ブライトはするりと出たが、大幅に出遅れた者が1人、顔は蒼褪め表情は絶望に染まる。ブライトは弾指頃後方を見て、直ぐに前へ向き直った。良い事である。宋襄之仁は共倒れを招く。ブライトは差しに好箇の位置に就け、前方を窺い乍らレースを進めている。そして、3コーナーから4コーナーへ差し掛かろうという時に、前方で動きが有った。件の表情の脱け落ちたウマ娘が、外を走るウマ娘に対し体当たりを仕掛け、怯んだ隙に強引に外へと出た。此の行為に因り先頭集団は大きく擾れた。ブライトを含む後方組は此れを好機と捉え、一斉にスパートを掛け始めた。先頭集団の擾乱と後方組のスパートとが相俟ってレースは樊然たる状況へと䧯り、誰が捷つか、趨勢は全く逆覩し難い。最終直線に這入り順位争いは層一層熾烈を極める。ブライトは漸外側に居り順調に順位を上げているが、内側に居る連中は激しく争っており何時外側に飛び出してくるか不可測な状況、観ている方も自然と力が這入ってしまう。残り200程の所で新たに動きが有った。先行集団が軒並み失速したのだ。彼だけスタミナの事を勘えず好き勝手争賽していたのだから然もありなん。
双眸を一層銛くさせたブライトが、裂帛の気合を嘂び先頭を陥れに掛かる。然し伸びが悪く、同じく後方で扣えていたウマ娘と抜きつ抜かれつの激しい先頭争いが繰り広げられる。既に抜き去った、先行集団だった連中は眼中に無い様である。理性の箍を外し、本能の儘に走る2人。厥の儘並んで縺れる様にゴール板を通過した。最後の最後でブライトが僅かに伸び、ハナ差で捷利を収めた。矢張り今のブライトにとって2000は短くスピードが乗り切っていなかったが、捷利は捷利である。表情を普段ののほほんとしたものに戻し、扣え目に手を振って喜びを表出させている。可愛い。
今回のレースは僅差の決着だった為、ブライト1人にトレーナーが群がる事は無く、2着のウマ娘と同等のトレーナーに声を掛けられていた。普段からぽけぽけしているウマ娘なだけに、自らを預けるに足るトレーナーを揀ぶ風鑑を具えているか不安である。右手を頤に当て、「如何しましょうか~」と首を傾げ迷っている様である。幾人かと言葉を交わし、最終的に1人の男性トレーナーと契約していた。戻って来たブライトの軒渠たる表情を見るに、満足のいく結果となった様である。
「限限ですけど、何とか捷てましたわ~」
「御目出度うさん。もう鳥渡早目に仕掛ければ幾許か余裕が出来たとは思うけど、まあ厥の辺りはトレーナーに任せると言う事で」
「先行していた娘達が揃って一杯になったのも巧く利用したわね」
「アジさまの言っていた通り、何やら危険な氛囲気の方がいらしたので、距離を取っておいて正解でしたわ~」
「まあ、ああいう奴は選抜レース位でしか居ないだろうけどね。聢りトレーナーの教導を受けて公式レースに出る様になる頃には、彼処迄死に物狂いになる奴は早早出て来ないと思うけど。ま、使える奴は使える時に使っとけ、弱肉強食の世界なんだから」
「うう……。タイキさんとドーベルさんに続いて、ブライトさんも1着……。何で皆さん当たり前の様に捷てるんですかぁ……? 今日の星座占いは11位だったし、シラオキ様は捷てないって言うし……」
「卜いなんぞに現を抜かしてないで真面目にトレーニングした結果だろ」
「厥を言ったら戦争ですよぉ!」
フクは何かに就けて卜占に頼る……と言うか縋る嫌いがある。手相だの星座だの誕生日だの、所在卜占を見ては大仰に一喜一憂している。厥程迄に自らに負むだけの信拠が無いのだろうか。無所依で駆け抜けられる程此の世界は甘くは無いのはフクも百も承知である筈だが、だからこそ卜占に逃げて無理矢理信拠と据えているのだろうか。糅てて加えて、Webサイトで出来る卜占で気に入らない結果が出ると、気に入る結果が出る迄遣り直しているので、更に無根無蔕さに覆輪掛かっているのである。軸がブレッブレ所の話では無い。
「アジさんもシラオキ様に御伺いを立てれば、絶対に良い結果が……」
「現状御伺いを立てていませんが、良い結果出せているので遠慮しておきます」
「ぐぐぐっ……如何したらアジさんにシラオキ様を信じて貰えるのか……」
「先ずシラオキ様が何なの? 三女神すら信じてないのに、んな胡散臭い存在信じる訳無いわなぁ」
「ウマ娘なのに三女神信じてないって……」
「信仰するしないは迂拙の勝手でしょ。あんな邪神絶対に信じんぞ。信じられるのは自分の脚だけだ。神なんて胡散臭い存在に御伺い立てている暇が有るんだったら走れ」
「でもっ、シラオキ様の言う通りにして、上手く行った事だって何度も有るんですよ!」
「じゃあ厥の神託と事柄の結果とに科学的に因果関係が有る事を証明して呉れ。信頼出来る統計データを用意して、有意水準0.0001以下で帰無仮説を棄却出来たら信じて遣る」
「おごごっ……な……何を言っているのかサッパリ理解出来ない……」
「先ずシラオキ様とやらを、再現性のある方法で可視化して呉れ。存在が確認出来なけりゃ話にならん。で、厥の後シラオキ様の神託が、良い結果に繫がった事を統計学的に証明して呉れって事。本当は神託の決定プロセスも気になるけど、今回は脇に措いておくから」
「そんな難しい事出来ませんよぉ!」
「じゃあ信じない」
所詮卜占なんぞ、科学が存在しない時代に理由やら根拠やらを牽強附会する為の、まやかしの道具でしかない。現代にあってはバーナム効果頼りの矰繳之説、インチキ厥の物である。誕生日だの星座だの血液型だのが個人の意思決定に関与していない事抔、冷静に考えれば解る事である。統計学や確率論を鳥渡でも齧れば一発だ。だが、自信が持てない者は左右斯様な怪誕不経の説に流れ易い。
「取り敢えず、先ずは厥の卜いへの依存度を下げろ。今の儘だとレースの悪い結果の責任を卜いに被けて自分の力量不足を正当化、更に卜いに流れて捷てるレースも捷てず……って言う悪循環に䧯る未来が目に見える」
「そんな事言われましても……」
「卜い以上に自分の脚を信じられるようになれ。本格的に鍛えるのはトレーナーが付かん限り無理だから、今は卜いの結果を全部忘れて自分の走りに集中しろ。今の時点でも、フクには本番で通用する確かな末脚が有るんだから、厥を見せつけてトレーナーを釣り上げろ。今の卜いへの依存度を見てると、零落する未来しか見えん。一先ずシラオキ様は偖措き、誕生日だの星座だの血液型だの、根拠の欠片も無いインチキからは距離を取れ。今の儘だと将来詐欺だのマルチ商法だのに絶対引っ掛かる」
「引っ掛かりませんよ! そんなに頭弱そうに見えますか!?」
「然う言う感じに絶対引っ掛からないって根拠も無く断言している奴が悉く引っ掛かってるんだよなぁ……。自動車の運転でも、「俺は絶対に事故らん」って自信満満に言ってる奴が人轢き殺してるんだよ。詐欺も一緒で、絶対に引っ掛からないなんて吐かしてる阿呆が金貢いでんだ。特にフクは卜いに傾倒しているって言う明確な弱点が有るから、詐欺師からしたら恰好のカモだぞ」
「占いって弱点なんデスカ?」
「畢竟、卜いみたいな科学的根拠に乏しい事に縋ろうとする奴って、自分に自信が無かったり自分の考えが希薄な奴が多い、と迂拙は思う。だからこそ隙が多くて付け込み易かったり洗脳し易かったりするんだよ。先刻星座占いが11位だって言ってたけど、そんなもんに頼ってる事自体が自分に自信が無い事の証拠でしょ。冷静に考えてみろ。星座とレースの結果とに何の因果関係が有るんだよ。占星術なんて疑似科学の代表みたいなもんだろ」
「アジが毎回容赦無く叩き潰してるから自信無くなってるんじゃないの?」
「厥を言われたら何も言えねぇ。自分で相手の自信圧し折っておいて自分で励ますとか、酷ぇ洋燧喞筒だ。阿婆擦れ通り越して只の屑じゃん」
「いや、其処迄言ってないでしょ」
「迂拙が死ねば万事解決だな。よし、購買で荷造り用の紐買って来るわ」
「Noooooo!」
シャトルにぐいと引き上げられ後頭部がダブル西瓜に減り込む。思わず「ぐえ」と蛙が潰れた様な声を口を衝く。
「死んではイケマセーン!!」
「いや、串戯だから、真に受けるな」
「何でアジは直ぐに話を物騒な方向に持ってくのよ」
「性癖」
「でしょうね。てか、そんな事で自殺されたらフクキタル、逾再起不能になるわよ」
「危険な考え持っているってルドっさん辺りに抹摋されるか」
「何方道アジが死ぬじゃない。何? 未だシンボリ家を信用してないの?」
「彼の手の連中は腹芸が上手いからな。特けルドっさんは生徒と言う身分から逸脱した権限持ってるから、厥の気になりゃ簡単に消しに掛かれるでしょ」
「今の科白聞いたら、会長復頭抱えそうね」
「2人共~、話が脱線してますよ~」
「あー、閑話休題、今の時点でフクには確かな脚があるから、卜いの結果なんざ一旦全部忘れて走って来い。厥こそ、レースの前から掛かる様な奴等なんざ目じゃないから心配するな」
「うう……然う言われましても、シラオキ様は捷てないって……」
「厥の捷てないって曖昧な事夥しい神託に縋って何の意味が有る? 捷てないって事は2位以下に成るって事だけど、確率論的に考えれば1位に成る確率と2位以下に成る確率、何方が高いかなんて態態計算しなくても解るでしょ。他には何か言ってた?」
「いや、何も……」
「トレーナーですら、此のレースは捷ち目が薄いから此方のレースに出た方が良い、位の助言は出来るぞ。神様なんて霊びな存在の癖して、トレーナー以下の糢糊で含糊な事しか言えん時点で措信するに値しないでしょ。フクには大層有難い御言葉に聞こえてるかもしれないけど、傍から見れば日和って確率論的に高い方を言って誤魔化している様にしか聞こえん」
糢糊極まりない神籟を基に讖論した所で、至極当然の事ではあるが美果なんぞ得られる筈も無い。然は然り乍らも、斯様な状況の者は基本的に依怙地になっているので、幾ら正論を打つけても順に可れる例は尠疇である。少少搦め手が必要か。
「まあ、縦使レースに捷てなかったから迺ち未来を諦観する状況かと言えば違うからな。先刻も言ったけど、選抜レースは飽く迄トレーナーと契約する為のレースであって必ずしも1着を目指さなければならない訳じゃあ無い。現に2着や3着でも契約を持ち掛けられている奴は居る。厥は何故かと言えば走りの中に光る物が有ったから、此のウマ娘を育ててみたいとトレーナー側が思ったからだ。だから1着でないにも関わらず契約を持ち掛けるんだ。此のウマ娘は磨けば光る、然うトレーナーに思わせれば此方の捷ちだ」
「私にそんな走りが出来るでしょうか……」
「出来る出来る。と言うか、普段通りの追い込みを見せれば、順当に1着を取れるだろうし、縦使1着で入線出来なくても余程節穴が集まっていない限り契約取れるだろ」
「う~ん……」
「ほら、ドーベル母さんからも何か言って遣ってよ」
「誰が母さんよ誰が。……フクキタル、アンタはちゃんと模擬レースでも良いタイム出してたんだから行けるわよ。アジって化け物の所為で霞んじゃってるけど、普通に選抜レースで通用するわ。アタシも保証するわよ」
「フクキタルなら絶対No.1取れマース!」
「フクキタルさま、リラックスですよ~」
「ほれ、皆も斯う言ってんだから。走る前からウジウジ考えたって何にも成らんから、取り敢えず全力で当たって来い。然うすりゃ自然と結果は付いてくるから。取り敢えず、一緒に走る連中の表情は一通り見ておけよ」
シャトルに抱えられ乍ら背を叩いて送り出す。コースへと向かうその背からは不安が滲出していたが、将来を嚬けし蹢䠱していた所で状況は好転しない。何とか此処で一枚殻を破って慾しい所である。
ゲート入り前のフクは恅愺として左瞻右視している。然し、他の連中の表情を悑ず悑ずと窺っている辺り、全く余裕が無いと言う訳では無いらしい。
「フクキタル、大丈夫かしら。あんなキョロキョロ見回して」
「大丈夫だよ母さん。彼奴は遣る時は遣る奴だ」
「だから誰が母さんよ」
「Mama...」
「タイキ迄乗って来ないで」
迂拙が見る限り、不味い表情をしているウマ娘は2人。此奴等が勝手に争って共倒れて呉れれば、フクは鷸蚌之争に乗じて1着を取り易くなるだろう。周りを巻き込んで呉れれば猶良し。丁度視線を彷徨わせているフクと目が合ったので、身振り手振りで危険な表情の奴を指教した。序でに両頰を叩いて思考を切り替えろとも伝えておいた。
「でも、良かったのですか~? フクキタルさまを揺さぶる様な事を言って仕舞って」
「別に只の卜い好きなら迂拙も口出しはしないよ。フクの場合は、余りにも神託だの卜いだのを絶対視していたから、老婆心切だとは思ったけど口出しした。畢竟、自分の身一つでレースを走って行かなきゃならないのに、軸になる物があんな曖昧な物じゃあ遅かれ早かれ潰れるだろう。だから此の選抜レースで、自力で契約を捷ち取って自信を付けられりゃ幾分かマシになるかもと考えたから、鳥渡キツイ言い方をした」
「責任って言葉が嫌いって判然言ってたのに、随分と世話を焼くじゃない」
「赤の他人が迂拙の与り知らん所で勝手に潰れる事には知った事じゃ無いけど、此処迄仲良くなった奴が自滅したら後味悪いでしょ」
ゲートの前に立つフクの表情は、先程より幾分か良くなった様に窺える。本日何度目かの発走、誰も出遅れる事無くレースが始まった。銘銘ポジションに就き、此の儘レースが進行していく……と思いきや、早くも慮外の事態が発生。件の表情の危険なウマ娘、厥の片割れがフクをガチガチにマークして来た。フクの脚質は差しであり、此れ迄の併走練習でも末脚の鋭さを鍛える方に重点を置いて来た為、マークされる事に対する練習は略行っていない。迂拙の様に擺撥出来れば問題は無いが、フクは未だ厥の域には居らず、眉を顰め非常に走り難そうにしている。もう一方のウマ娘は先行の位置に就き、此方は此方で小競り合いを起こしている。レースは前方後方共に頡滑の様相を呈しつつ半分を通過。フクは変わらず渋面を作っているものの、未だ双眸に諦念の色は無い。此処は辛抱する所、前方の頡滑たる状況も巧く利用し、仕掛け所を見誤らなければ1着を取る機は未だ残っている。マークして来るウマ娘を幾度と無く流眄し、前方の頡滑も観察せねばならなく、何時に無くスタミナの消耗は激しいであろう。
そして残り600を切りレースは終盤を迎える。先行集団の連中は、小競り合いに巻き込まれ続けた所為で既に表情には疲労が色濃く顕れている。コーナーの出口に差し掛かり、罷憊した連中はライン取りが甘くなり集団が散けた。此の機を逃さず、目付きを銛くさせたフクが嚼歯し両脚に有らん限りの力を込め、集団の縫罅を猛然と上がって行く。マークし続けていたウマ娘は既に眼中に無い様で、先頭を行くウマ娘だけを見据えている。当該ウマ娘は、倏然と聞こえて来た第三の跫音に敔っとして顧盻し、視界に這入ったフクに驚駭して脚の回転数を上げた。残りの連中は揃って一杯になっており、最早輸贏の帰趨は此の2人に委ねられた。双方満腔の力を振り絞り鬼気迫る表情である。熾烈な先頭争い、フクの末脚がジリジリと追い詰めるも、却却捉えるに至らない。矢張りマークされ続けた事で普段以上にスタミナが削られ、何時もの末脚のキレを出せていない様である。結局、アタマ差迄のったものの、フクは2着に甘んじる事と成った。
残念乍ら1着は取れなかったものの、マークされる事に慣れていない現状に於いて出し得る全力の末脚を披露し、2着を取れるフクは間違い無く"走れる"ウマ娘である。神託も卜いも関係無い、紛れも無い彼女の実力に依って齎された結果である。ゴール後、フクをマークしていたウマ娘はスタミナを削り切れなかった事に愕然とし、顔色無く茫然としていた。一方、フクは1着に届かなかった事を悔しがっていたものの、直後にトレーナー連中に囲まれて目を瞬かせていた。自己評価を低くする嫌いの有るフクからしてみれば、自分が此れ程トレーナーに目を掛けられるとは欠片も思っていなかった様で、熱烈なスカウトに取次筋斗に成っている。ガチガチにマークされた時は如何なるかと思ったが、杞人天憂に終わって何よりである。彼だけ執拗にマークされ乍らも捷ち輸けが出来て2着を取れるスタミナを既に有しているのだから、神託だの卜いだのに縋らなくても充分遣って行ける筈なのに、如何してああも自信が無いのだろうか。まあ、厥の辺りの彼是はトレーナーに任せよう。幾人と会話を交わし、最終的に契約したのはぜ男の様な風体のトレーナーであった。
戻って来たフクは疑訝の色で染まった表情をしていた。大方、差し切れず2着に甘んじたにも関わらず何故契約に至れたのか、理解が追い付いていないのであろう。
「御帰り。後一歩及ばずだったけど、契約は無事に出来たみたいだから良かった」
「は、あ……」
「如何したのよフクキタル、折角契約出来たのに浮かない顔して」
「な、何で私にあんなにトレーナーさんが来て呉れたのでしょうか、2着だったのに……、シラオキ様の言った通り捷てなかったのに」
「いや、今のフクキタルの走りを見てスカウトしなかったら、厥こそ節穴でしょ」
「素晴らしい走りでしたわ~」
「Nice Raceデシタ!」
「マークされ乍ら走る事に慣れていないのに、掛からず聢り仕掛け所迄怺えて、最善の結果を出したんだから当然だろ」
「そ、然うなんですか?」
「普通、彼だけガチガチにマークされ続けたらスタミナ削られて着外に沈んでも何等可笑しくないだろ。況してや前方で別の小競り合いも発生していて、彼方此方見て考え乍ら走らにゃ不可ない状況だったんだから猶更ね。けれども、そんな中でも掛からずにキッチリ脚を溜めて末脚を発揮し、1着の喉元に刃を擬する迄追い詰めたんだ。他ならぬ、フク自身の実力でな。そりゃスカウトするだろ、度し難い無眼子でも無い限り」
「何よムガンスって」
「見る目の無いバ鹿野郎」
「そ、そんなに良い走りでしたか? マークはされるし前では委細巨細があって、如何して良いか分からなくなって、一杯一杯で我武者羅に走っていたんですけど」
「先程来何度も言ってるけど、選抜レースは契約を取る事が最重要であって、順位は二の次で良いんだよ。現段階で完璧な走りなんて出来っこないんだから。重要なのはトレーナーに、此奴を育ててみたいって思わせる事。で、フクはトレーナー連中に然う思わせる事が出来たって事。1着取れなかったのは単なる経験不足であってシラオキ様は関係無いから。選抜レースで間然する所の無い走りをされたらトレーナーの立場無いだろ」
「然う言うもんなんですか……」
「他のレース見てみろ。1着取ってなくてもトレーナーと契約しているウマ娘も一杯居るだろ。トレーナーと契約出来た時点でフクは捷ち組なんだから堂堂としてろ。と言うか、碌に実力出せずに着外に沈んだ連中に今のフクの科白聞かせたら嬲り殺しにされるぞ。巫山戯るのも大概にしろっつって」
「そ、厥は御免蒙ります」
「シラオキ様も卜いも関係無しに彼だけトレーナーに群がられる位の実力が有んだから、もっと自信持て。フクは間違い無く"走れる"ウマ娘なんだから」
「アジさんに其処迄言われると何か変な感じがします」
「如何言う意味だオイ。尻尾の毛、全部挘り取って遣ろうか? ウマ娘の尻尾の毛はなぁ、馬尾毛っつって、結構良い値段で売れるんだぜ? フクは綺麗な栗毛だから、嘸かし良い値段で売れるだろうなぁ……?」
「ひぃぃぃ!! 止めて下さい止めて下さい!!」
「何時の時代の話してるのよ。現代で遣ったら間違い無く逮捕されるわよ」
ウマ娘にも当然人権という物は有るので、現代日本に於いて馬尾毛の流通は禁止されている。が、自分の毛で工作して自分で使う分には問題無い様で、無類の釣り好きウマ娘の中には自分の馬尾毛で釣り糸を拵える者も居る。世界は広い。
「兎に角、今日の結果は間違い無くフクがフクの実力で手に入れたものだから、何も愧じる所は無い。もっと胸張れ、迂拙と違ってちゃんと膨らんでんだから」
「ナチュラルにセクハラ打っ込むんじゃないわよ」
「然うですね~。フクキタル様は間違い無く実力者ですわ~」
「てか、厥の励まし方、1着取ったアンタ等が言ったら厭味にならない?」
「あら~?」
「では、1着を取ってチームリギルへの加入を果たしたドーベル様、手本を教示願います」
「何で率先して厭味ったらしい言い回しするのよ」
「いや、厭味とかそんな事は全然思ってないんですけど、そんな褒められるような内容じゃなかったんで、むず癢いと言うか、手放しで褒められていいものなのかと……」
「だから、間然する所の無い走りが出来たらトレーナーなんざ不要なんだっての。今の不完全な走りを完成形に持ってくのがトレーナーの仕事なんだから、今は此れで良いんだよ。捷てないって神託だのに振り回され乍らも、厥の中で最善の結果を出せる位実力を持ってんだから十二分だっての」
「余り悲観的になり過ぎない方が良いわよ。アタシだって先刻の走りが完璧だなんて微塵も思ってないから。皆そんなもんよ」
「自信は此れから付けていけば良いんデース!」
「厥とも何だ? 荒療治と称して契約取れなかった連中の中に放り込んで遣ろうか? 一回襤褸雑巾に成れば多少は矯正されるかもな」
「解りました! もう何も言いませんから強硬手段には出ないで下さいぃ!」
此の自信の無さは何処から来ているのだろうか。実力が伴っていないのに驕矜に流れ憉悙たる言動をするよりも増しではあるが、自らを俯瞰し正しく実力を把握して、分相応の反応が出来ないと言うのも問題である。結構な根深さ故に生い立ちやら何やらが関連していそうであるが、下手に個人の人生を穿鑿しようものなら、どんな地雷が埋まっているやも判らない。知らない癖して偉そうな事を言うというのも無責任との批難を受けそうではあるが、一から十迄面倒を見る義理も無いので迂拙は此の立場で遣って行こうと思う。別に迂拙はカウンセラーでは無いのだ。
彼我にぜ劣が有れば不知不識の裡に比較してしまうのは人情である。然し、一度妬賢嫉能を始めてしまうと、奫潫せし妬心の渦に汨んで揚がって来れなくなってしまう。自他は峻別して考えねばならない。同じ高みへ躋る事は出来ても、同じ場所に立つ事は出来ない。物質の礙竄性と似た様な物である。神だの卜占だの糢糊たる物の夾雑や浸潤を許さない、牢乎たる礙竄性を有した自信を持てれば最善であるが、如何足搔こうと心を持っている以上、甘い香りを放ち精神を蠹蝕する匪賊の侵入を許す罅隙は生じてしまう。フクの場合、通常であれば楹に据えられない物を無理矢理楹としてしまっているので余計に不安定なのだろう。今回の選抜レースで契約を取るという確かな実績を作れたのだから、此れを礎に自信を積累していって慾しい。
「と、所で、先刻から気になってたんですけど……」
「ん?」
「何時迄タイキさんに抱えられているんですか?」
「知らん」
先程迄の会話は、総てシャトルに抱えられ乍らしていたものである。地に足の着いた意見が出来なかったのは此の所為か?