陋見箚記   作:車輛運搬具減価償却累計額

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令和5年度第3回 漢字検定1級 受検結果

音読み・訓読み……28/30
書き取り……34/40
語選択・書き取り……8/10
四字熟語書き取り……18/20
四字熟語意味……10/10
熟字訓・当て字……9/10
熟語の読み・一字訓読み……9/10
対義語・類義語……12/20
故事成語・諺……14/20
文章題・書き取り……16/20
文章題・読み……9/10

167/200

結果:合格(通算18回目)

 前回と比して難化した回であった。が、厥を加味しても前回から-19点は下がり過ぎである。対義語の「僭上」と類義語の「恣肆」は書けなければならない問題だった。特に「恣肆」は問題側の「放縦」と組み合わせて考えれば答えられる問題であった(「放」「縦」「恣」「肆」の4字は、総て「ほしいまま」と言う訓読みを持つ)。
 そして、故事成語の[シンリョウを積むが如し(標準解答:薪燎)]は過去問であるが、過去と全く同じ誤答をしてしまった(薪糧)。

呉下(ごか)阿蒙(あもう)*1

 合格ではあるが、全く喜べない。

*1
以前と変わらず、進歩のない人物。




十八 披瀝

 上澤上トレーナーと別れ観客席へと戻って来た。漸くスタートラインに立ててほっと一息吐く。僻陬の地から出て来た田舎娘が中央のトレーナーと1対1で契約出来たのだ。此の時点で既に可成り順調に事が運んでいる。然し目に見えぬ陥阱(かんせい)*1其処等中(そこらじゅう)に存在しているのだ。羂索(けんさく)*2に嵌まり一度底辺に顚隊(てんつい)*3しようものなら這い上がるのは至難である。今居るのはゴールでは無くスタートなのだから、今一度(ふんどし)()めねば*4ならない。

 戻ると、百人百様の表情が出迎えて呉れた。シャトルとブライトとは普段通りだが、ドーベルとフクとは驚駭(けいがい)と畏怖とを綯い交ぜた様な表情。対照的にルドっさんは腕を組み良い笑顔でウンウン頷いていた。

 

有繫(さすが)だ整備士。矢張り私の目に狂いは無かった」

「へえ、然様で」

「ああ。フォームは未だ荒い部分が有るが、()の状態で(あれ)だけの着差を付けられるのだから、讃歎(さんたん)の念を禁じ得ない。此処にトレーナーの指導と実戦経験が加われば正に為虎傅翼(いこふよく)*5、此れからの活躍に期待しているぞ」

「余り無垢な期待を寄せられると遣り難いですねぇ……。数ヶ月経ってから「え? 彼奴未だ走ってたの?」位の注目度で御願いします」

「自分で勧誘しておいて厥の扱いは薄情が過ぎるだろう。問題行動含めて、毎日目を光らせておくからな」

「じゃあ迂拙がレースに()けたら「某某(なにがしくれがし)に毎日圧力を掛けられた所為です」って言い訳しますね」

「自分で言うのもあれだが、私に対して厥の態度を貫ける整備士が精神的に持ち崩す所を全く想像出来ない」

「何を仰いますか、こんな(かよわ)いウマ娘相手に」

「一度「孅い」の意味を辞書で引く事を御勧めする」

 

 莫連者(ばくれんもの)*6故の弊害か、素直に()められると妙にむず(がゆ)く感じる。

 

「所で、此の後は如何するんだ? もう走るレースは無いだろう」

「もう新規の申し込みは締め切られてますからねぇ。でも迂拙としては未だ走り足りないので、一っ走り行って来ます」

「未だ走るのか……」

「ウマ娘は走ってなんぼの生き物でしょう。御放神を。ちゃんと門限迄には帰って来ますので」

「……もう何も言うまい」

 

 暗に門限迄帰って来ない蓋然性を明言しておいた上で走りに出る。今日走るのは国道20号。只管西進し甲府市を目指す。幹線道路だけあって一度青信号に成ると可成り先迄青信号が続く。最近は学園周辺の土地勘を養う為に近所許りを走っていたので気分爽快である。然し、迂拙の最終レースは選抜レース全体で見ても終盤であった為、甲府市迄は行かず手前で引き返した。夕食や風呂の時間も考えると、或る程度余裕を持って帰着せねばならない。帰着した時、夜の(とばり)は完全に降りていたが、門限迄は未だ余裕が有った。手早く夕食と風呂とを済ませ部屋へ戻ると、何やら興味津津なライスさんが待ち構えていた。目を輝かせ耳は頻りに動いている。

 

「お、御帰りっ。(また)外走ってたの?」

「ええまあ、走り足りなかったので。取り敢えず甲府を目指して走ってたんですけど、陽の(かたむ)きから判断して、塩山(えんざん)の辺りで折り返しました」

「山梨の方に行ってたんだ」

「折角なら行った事の無い所に行ってみようと思いまして」

「初めての所に行くって、(こわ)くないの?」

「国道20号をなぞるだけなんで、道に迷う心配は無いですよ」

「そ、然うなんだ。そ、厥でね、選抜レース、如何だった?」

「レースは捷てましたし、トレーナーと契約も出来ましたし、取り敢えず一旦落ち着けるかなと」

「契約出来たんだ、御目出度う。どんな人だった?」

「迂拙の走りを批評して呉れとトレーナー連中に問うたら、彼一人だけ進み出て来て呉れまして、色色議論して厥の儘契約という感じでしたね。為人(ひととなり)は未だ把握し切れてませんけど、肝は据わっていると思います」

「新人さん? 厥ともベテラン?」

「とあるチームのサブトレーナーの経験が有るとは言っていたんで、新人を卒業して漸く独り立ちした位の年功だと思います」

「と言う事は、チームじゃなくて1対1?」

「然うです。実績は未だ其処迄無いと言っていたので、此れから如何なるかは運否天賦(うんぷてんぷ)*7に依る所です」

「大丈夫、アジちゃんなら上手く行くよ」

「大明神様に然う言って頂けると心強いです」

「だからライスは神様じゃないよぉ……」

 

 此のライスさんの赧顔(たんがん)*8を見ると1日の(つか)れが吹き飛ぶ気がする。屹度(きっと)ライスさんは迂拙の様な下機根(げきこん)*9の衆生を済度(さいど)*10すべく垂迹(すいじゃく)*11なされた如来様なのかも知れない。悃誠(こんせい)*12なる跪拝(きはい)*13を捧げたら無言の儘ぽかぽかと叩かれた。噫嚱(ああ)……有り難や……。

 霎時(しょうじ)*14余瀝(よれき)*15に打ち震えていると、顔を(あから)め乍ら外方を向いてしまった。プンスコと怒っている姿すら可愛らしいのだから敵わない。背格好は似通っている筈だが斯うも印象が違うのは、迂拙が似而非(えせ)ウマ娘だからであろうか。目の保養にと眺めていたら、(やが)て根負けしたライスさんが向き直る。

 

「もう……恥ずかしいから止めてよぉ。ライスは神様じゃないから」

「ではライス如来様と……」

「神道だから気に食わないって訳じゃないからね? 仏教に鞍替えしても駄目だからね?」

「ううむ……然うなると、どの様にライスさんを崇め(たてまつ)れば良いのか……」

「しなくて良いからね。御願いだから普通にして……」

 

 ならばクローゼットの中に小さな神棚を設えて、ライス如来坐像でも拵えるか。天草の隠れ切支丹に(なら)って巧い事目を盗んで奉祀(ほうし)*16しよう。三女神? 帰れ。邪神に用は無い。

 実に有り難い御姿を窺う事が出来、実に良い気分の儘就褥(しゅうじょく)*17した。夢も見ぬ程の快眠で、起床時に頓れは全く無かった。此の灼然(いやちこ)*18なる霊験、偖はライスさんは現人神(あらひとがみ)*19か? (など)と言う串戯(じょうだん)偖措(さてお)き、他人の悶える姿を見て元気潑溂と成るのは、我乍ら却却(なかなか)下種な根性をしていると思う。

 目が覚めたのは4時45分。夜の明け始めた未晞(びき)*20の頃であり、ライスさんは未だ夢裡(むり)*21に遊んでいる。二度寝しようにも眠気は微塵も無く、如何したものかと思考を巡らすと、不図(ふと)1つ阿呆な事を思い付いたので、ライスさんの寝顔を拝んだ後、(ぬきあし)(さしあし)、そろりそろりと部屋を出た。向かった先は坂路トレーニングが行われる長阪(ちょうはん)。此処でシャトルランをしたらどんなもんかと不図思い付いたのである。バ鹿気ているのは重重承知しているが、思い付いてしまったのだから仕方が無い。起き抜けの凝った体を解し乍ら、眼前に続く坂路、厥の終点を見据える。此の坂路を己の現役生活に比擬*22した時、()(いただき)には果たして(いた)れるのか、将又(はたまた)、患禍に見舞われ中途で挫衄(ざじく)*23するか。……柄にも無く感傷に浸って仕舞ったが、トレーナーと契約出来、将来に具体性が持てる様に成った事に因る心境の変化であろうか。如何やら一丁前に浮かれているらしい。

 ならば一度無心に成ろうと、地を蹴り登り出す。峠道でも然うだが、緩やかな勾配が延延と(つづ)くと却却脚にクル物がある。然りとてトレーニング用に整備されたコースであり、散散(さんざ)っぱら走って来た一般道と較べれば、走り易さは雲壌月鼈(うんじょうげつべつ)*24。時間を忘れて只管往還する事幾十度(いくそたび)*25、不図気が付けば朝暾(ちょうとん)*26は昇り切り、穹窿(きゅうりゅう)*27曙色(しょしょく)*28はすっかり蔥碧(そうへき)*29へと()わり、眠りから()めた市坊*30諠譟(けんそう)を放っていた。無心に走っていたら不知不識(しらずしらず)の内に長針が2回転していた。朝食を食いっ逸れては堪らないので匆遑(そそくさ)と片付け、烏の行水を済ませ食堂へ向かう。斯う言う時は短い髪が本当に有難い。ドライヤーを掛けずとも自然乾燥で十分だからである。多少伸びたら直ぐに切り飛ばすので枝毛なんぞ気にした事は無い。学園では親の目が無いので、厥の内坊主刈りにする予定である。

 少少出遅れた感が有り、迂拙が食堂に着いた時には既に席の大半が埋まっていた。仕様が無いので独り隅で狐鼠狐鼠(こそこそ)()おうかと思案していたら、例のメジロハウス+αが手招きして来た。実に用意周到である。

 

「如何も皆さん御揃いで。誂えた様に一席空けて()っていた様ですが、何用で?」

「そりゃあ昨日の選抜レースを荒らし回った台風の眼だからな。皆話を聞きたがっていたんだが、肝腎の整備士がレース終了後にランニングに行って、夕食の時間に成っても帰って来ないもんだから、訊きたい事も訊けず懣然(もんぜん)*31としていたな。だからこそ、朝食の時には必ず(つら)まえて根掘り葉掘り訊こうと待ち構えていたと言う訳だ」

「へえ、然様で」

「選抜レースで合計6400mも走ったって聞いて呆れてたのに、走り足りなくてランニングに行ったって聞いた時はもう何も感想が出て来なかったわ」

「夕食の時間に成っても戻って来られなかったですけど、何方迄走られたのですか?」

「甲府迄行こうと思ったんですけど、門限に間に合わないと判断して、途中の塩山(えんざん)の辺りで折り返して戻って来ました」

「然も当然の如く県境を跨いでいるけど、山梨の方に行ったって事は、峠越えしてるわよね?」

「渋峠と較べれば何て事有りませんよ」

「……標高2000m級の峠を初中後(しょっちゅう)登り下りしてたら、然う言う感想に成るのね……」

「今朝はアジちゃんにしては結構遅目に出て来たけど、昨日の頓れが出て一杯寝ちゃった?」

「いえ、坂路でシャトルランをしていて、不図気付けばこんな時間になってました」

「坂路ってシャトルラン出来る様なコースじゃあないと思うのだけれど」

「脚が丈夫なのは良い事ですわ。(とて)も羨ましいです」

「アルダン、問題は其処ではないのよ。どんな鬼トレーナー迚、坂路でシャトルランしろなんて言わないわよ。自主トレの段階でそんな常識の埒外の強度のトレーニングをしていたら、トレーナーが頭抱えるわよ」

「中央のトレーナーに成っている時点で、多かれ少なかれ頭の捩子(ねじ)が脱落しているでしょうから大丈夫なんじゃないですか?」

「一番頭の捩子が吹っ飛んでいる整備士にだけは言われたくないだろうな」

 

 ラモーヌさんに呆れられ、ルドっさんには辛辣な評価を加えられる始末。慾の赴く儘に走っているだけで何故斯うも迂拙の評価はガタガタになるのだろうか。……まあ、散散一般的なウマ娘との乖離を指摘されている現状を鑑みると、迂拙の株を、平生の言動(のみ)で上げるのは不可能であろう。矢張り確乎たる実績を作るしかない。

 話は変わるが、会話を重ねる度にアルダンさんの醇樸(じゅんぼく)さには驚嘆する。此れだけ情報が氾濫し、薄穢(うすぎたな)い情報に触れる機会が腐る程有る現代社会に於いて、此れだけの醇樸を維持し続けられるとは、一体全体如何様な生活をしているのだろうか。無菌室にでも入れられているのだろうか、将又(はたまた)迂拙が穢れ過ぎて綺麗に見えるのだろうか。今や絶滅危惧種と成って仕舞った大和撫子厥の物であるので、迂拙の様な薄穢い存在は、成る丈遠ざけるべきだと思うが、彼女迚竜蹄(りょうてい)*32の一人。走りの話題には敏感であり、向こうから勝手に寄って来て仕舞うのだ。ならば、迂拙が穢れを感染(うつ)さぬ様配意せねばなるまい。

 結局、洗い浚い委曲(つばらつばら)*33吐かされた訳であるが、余りの根拠の薄さと理由の適当さに、有繫のアルダンさんも苦笑を隠し切れていなかった。迂拙に因る汚染は()けられない運命にある様なので、彼女の自浄作用に期待するしかない。総ての責任は迂拙を此の学園に引き入れたルドっさんに有るので、何か有った場合、苦情はシンボリ家へ御願いしたい。

 (さて)、更漏*34は進み放課後と相成った。授業風景なんぞ大して変わり映えもしないので、逐一書いていたら(くど)く成る。特段変わった事も無かったのだから省いた所で何等問題は無い。今日は、此れから上澤上トレーナーとの打ち合わせが有る。昨日は契約の締結だけで終わったので、此れから先の事に就いて話し合おうとの事だが、全く以て道理である。何の方針も無しにトレーニングなんぞ出来る訳が無い。色色話すべき事は有るが、先ずは双方の認識の摺り合わせからであろう。

 トレーナーに指定された空き教室へ向かうと、既に相手は待って居た。チームに所属したり、個人でも炳焉(へいえん)*35たる成績を残した者には、部室に相当する部屋が与えられるが、迂拙は未だ実戦経験も実績も無いぺーぺーである。故に、トレーナーと会う場合は都度場所を指定したりされたりする必要が有る。聊か手間ではあるが、ルールなので従う他無い。

 

「おっ、ちゃんと時間通りに着いたな。偉いぞ」

「此れから散散(さんざ)っぱら迷惑掛けるでしょうから、時間位は守りますよ。そんな闁められる様な事では……」

「トレーナーはウマ娘に振り回されるのが宿命みたいな部分が有るからな。俺もサブトレーナー時代は色色と劬労(くろう)*36させられたよ。時間を守らないとか、下らん事で遣る気が失せて練習が適当になるとか。遣る気を維持させるのも一苦労だったな……」

「厥を承知の上で此の職に就いたのでは?」

「厥は然うなんだが、実際に遣ってみると想像以上でな……。まあ、もう慣れたもんだ」

 

 ウマ娘の扱い難さは既知の通りである。そんな性質を表す語として霈艾(はいがい)*37駻突(かんとつ)*38といったものが有るが、現代では概して気性難と括られる。そして、名を竹帛(ちくはく)に垂る*39様なウマ娘は往往にして気性難である事が多い。()のルドっさんでさえ気性難の括りに這入っているのだ。トレーナーと言う職は、恁地(じんち)*40実績を挙げようとすると、気性難のウマ娘との付き合いは避けられない。年比(としごろ)の子供なんざ只でさえ扱いが面倒だと言うのに、ウマ娘は之繞(しんにゅう)を掛けて*41扱いが七面倒臭いのだ。そんな連中の相手を進んでしようと言うのだから、迂拙はトレーナーと言う人種は奇人変人であると思っている。そして、奇人変人でなければ気性難のウマ娘を磬控(けいこう)*42する事は叶わないのだ。

 

「偖、俺とアジは此れから一緒にトゥインクル・シリーズを走って行く訳だが、御互いの考えを知らなければ何も出来ない。なので、此れから色色と質問をしていく」

「何なりとどうぞ」

「早速だが、昨日俺と別れてから、そして今朝、合計でどれ位走ったんだ?」

「昨日は……国道20号を山梨の塩山迄往復しました。今朝は……坂路でシャトルランを都合2時間程」

 

 然う言うと、トレーナーは手を(ひたい)に当て喟然(きぜん)*43と息を吐いた。

 

「覚悟はしていたが、矢張りとんでもない走行距離だな……。選抜レースで合計6400m走った後に厥だけ走れるのは素直に凄いが、普通のウマ娘がそんな分量を毎日走ったら容易く脚が(くだ)けるぞ……」

「でも、現に微塵も故障する気配は無くピンピンしてますよ」

「身体の内部に蓄積する疲労は自覚し難い。そしてコンディションに諸に影響するんだ。然う、影響する筈なんだが……」

(つか)れなんて飯()って寝れば一夜で取れますよ?」

「普通は数日掛けないと取れないんだがな……。サブトレーナー時代を経て、ウマ娘に対する眼は或る程度肥えたと思っていたが、アジに対しては一度固定観念を棄てる必要が有るかもな」

「まあ、遣り易い様にして下さい。迂拙は好き勝手走りますんで」

「厥の事に就いてなんだが、定期的に触診させて慾しい。自主練に就いて口煩く言わないのは、然う言う約束だから守る。だが、厥を理由に管理を拋擲(ほうてき)して良い理由には成り得ないからな。特にアジは、俺の常識が通用しない程走るウマ娘だ。小忠実(こまめ)に状態を把握しておきたい」

「別に構いませんよ。気が済む迄幾らでもどうぞ」

「……後から言うのも何だが、年上の異性に触られるんだぞ? 本当に良いのか?」

「ウマ娘を運用する上で必要な措置なのでしょう? なら(ことわ)る理由は有りませんよ。何処ぞの性犯罪者予備軍みたく、背後から狐鼠狐鼠(こそこそ)ちかづいて触る様な非常識な手口で無ければ別に嫌悪感は有りません」

噫嚱(ああ)()の人か……。トレーナーとしての伎倆は確かなんだが、彼の悪癖の所為で評判が微妙なんだよなぁ……。まあ、厥は一先ず措いて、俺はちゃんと諒承を得てから触るから安心して呉れ」

「諒解です」

「アジは前例の無いウマ娘と言えるから、少少慎重を期させて貰う。今迄故障した事が無いと言っていたが、此れからも絶対故障しない保証は無いからな」

 

 全く以て厥の通りである。過去の実績は未来の保証たり得ないのだ。酢豆腐*44の迂拙と違って相手は本職。知識量は大沢礨空(だいたくらいくう)*45(すなお)に従うが吉である。頷いて肯諾の意を示す。

 

「次にだが、レースはどれ位の頻度で走りたい?」

「連闘上等、引退迄毎週でも走りたいですね」

「いや有繫に厥は……」

「下手に制限すると、何為出来(しでか)すか分からない不発弾が迂拙と言うウマ娘ですよ?」

「……余り連闘させ過ぎると、御上が煩いんだよ。厥に、アジも記者連中に尾け回されて根掘り葉掘り訊かれるかもしれないぞ。無理矢理走らされているんじゃないかとか、不本意では無いのかとか」

「迂拙は聞屋とか然う言う連中が嫌いなんで、適当にあしらいますよ。部外者の阿呆連中に一一構ってたら(きり)が無いので」

「……なら、俺の触診の他に、定期的に病院でも検査を受けて貰うぞ。厥でも良いか?」

「良いですよ。別に病院は苦手では無いので」

「……分かった。可成(なるべく)走れる様調整はする。だが、出走登録したからと言って、必ず走れるとは限らないから、其処は承知しておいてくれ」

「と、言いますと?」

「アジの実力を鑑みると、未捷利戦で燻り続ける様なウマ娘ではない。直ぐに捷ち上がって、グレードの高いレースにも出られるだろう。だが、然う言う彊いウマ娘が出走すると、競走相手がレースを迴避して定員割れを起こす事が有る。然うしてレース自体が中止になれば、どれだけ走りたくとも走る事は出来ない。捷利を重ねて実力が知れ渡れば、出走迴避をされる可能性はどんどん高くなるからな。此れ許りは俺一人の力では如何にもならんから、厥の時は順に諦めて呉れ」

「成程、然う言う事ですか。まあ、原因が不可抗力であれば文句は言いませんよ」

「聞き分けが良くて助かる。次に、レースで走る距離と戦法に就いてだが……()れが一番走り易いと思った?」

「経験が無い故に比較出来ないって理由も有りますけど、(とりわ)け此れが嵌まった、しっくりきた……みたいなのは感じませんでしたね。まあ、迂拙個人としては、走れるレースの選択肢を増やしたいので、一通り総て遣りたいなと思っています」

「……総てのバ場、総ての距離、総ての戦法を身に着けたいと?」

はい

「然うなると、練習量がとんでもない事に成るが……」

「即ち沢山走れると言う事ですよね? 良い事じゃあないですか」

「……アジは然う言うタイプのウマ娘か……。1人しか担当していないのに、チームを持っているトレーナー並みの仕事量になりそうだな……」

「なら未だ熟せる範疇の仕事量と言う事ですね。宜しく御願いします」

「他人事みたいに言うな。厥に、余り多くに手を出し過ぎると、器用貧乏に成って仕舞うリスクが有るが、厥でも遣りたいのか?」

「自分でも自分の適性が分からないから、取り敢えず一通り遣りたいというのも有ります。トレーナーの目線で、明らかに適性が無い、失当であると思われたら判然(はっきり)言って下さい。無理に全部遣ろうとは思いませんので」

「解った」

「厥と、可能であればなんですが……」

「何だ?」

「障害も、走ってみたいなぁと思っていまして……」

「……何を言っているのか解ってるのか?」

「勿論、普通であれば無理無茶無謀、頭の捩子が外れている所の騒ぎでは無いと言うのは重重承知しています」

「解っているのなら何故、厥の考えを俺に伝えた?」

「只でさえウマ娘の現役期間は短い。厥の間に、レースと言う深邃(しんすい)*46たる世界を、味わい尽くしたいとおもっておりまして。厥にはトレーナーの(たす)けが必要不可欠です。ですので、(いつわ)らざる胸次を披瀝(ひれき)*47しておくのが礼儀かと」

 

 平地競走の芝とダートとを、距離、戦法を問わず走れる様にする。此の時点で既に和讒(わんざん)*48窮まる挑戦であるが、加之(しかのみならず)*49障害競走に迄手を出そうと言うのだから言葉を失うのも無理は無い。通塗(つうず)*50の価値観であれば、黄口児*51の狂簡*52なるちゅうちょう*53だと咲殺(しょうさつ)*54されるであろう。だが迂拙は至って本気である。ウマ娘の現役生活は正に槿花一晨(きんかいっしん)の栄え*55爍爍(しゃくしゃく)*56たる閃電の如く儚く、又貴い。()かる現役生活に於いて、平地と障害、両方を味わわずに終焉を迎えるのは実に勿体無い事だと迂拙は考える。可能であれば走りたいと、斯様な思考が(もた)げて来ると言う事は、腐っても迂拙はウマ娘の一人であると言う、厥の験左*57なのであろう。

 然し、物に必至あり事に固然あり*58。既に和讒を要求している所に、和讒を上乗せした所で肯諾なんぞ得られる筈も無い。現に、トレーナーは眉根の皺を深くし、腕を組んで黙りこくっている。

 

「まあ、障害競走も遣りたいのは本心ですが、今直ぐに、メイクデビューに向けての練習と同時進行で指導して貰えるとは微塵も思っていませんので。そして、彼是手を出し過ぎると器用貧乏に(おちい)る危険性も重重承知している心算です。なので、最初の内は障害競走に就いては何もして頂かなくて大丈夫です」

「詰まり、如何言う事だ?」

「先ずは平地競走の練習に集中します。そして、或る程度平地競走での実績を積んだ上で、トレーナーが、障害競走の練習を追加しても大丈夫だと判断したら、障害競走にも手を出す、と言う流れで御願い出来たらな、と考えています」

 

 選抜レースの結果を鑑みるに、迂拙の実力は、少なくとも未捷利戦で燻り続ける程度の物では無いと考えられる。今迄は謙抑を是としてきたが、此れからは貪婪(たんらん)*59に、胴慾*60に、饕餮(とうてつ)*61に出走を、捷利を目指す事にする。只走るだけではなく、(しっか)り捷利を目指す事とする。ウマ娘は、走りに対して何処迄も真摯な生き物である。縦使(たとえ)()けたとしても、彼我共に全力を出し切った上の結果であれば、基本的に引き摺る事は少ない。裏を返せば、対手(あいて)がレースに真摯に向き合っていないと判ると、縦使捷っても歉然(けんぜん)*62たる心持ちに成ったり、激昂して延延とにちったり*63する事が有る。心構えの㤴㦪(ちょうしょう)*64なるは時に携隙(けいげき)*65の原因となる。迂拙の不徳に因ってドーベル達との友情に隳圮(きひ)*66が齎される事は有ってはならない。誠愨(せいかく)*67レースと向き合う必要が有る。。

 

「飽く迄、現時点で迂拙が勝手に考えている事ですので、真面目に受け取らず、頭の片隅に留める程度の認識で大丈夫です」

「……じゃあ、暫くは平地競走の練習だけをさせるぞ。芝、ダート、障害の三刀流なんて、前例が全く無いからな。色色と考えたい」

「我儘で申し訳有りません」

「ウマ娘の我儘に振り回されるのは、トレーナーの宿命みたいなものだが、有繫に此のレベルの物は初めてだ。俺が扱い切れるか不安になってきたぞ」

「現時点での迂拙の考えは以上です。何卒(どうぞ)、宜しく御願いします」

 

 現時点で胸次に在る成竹*68は総て泐布(ろくふ)*69した心算である。下手に自己韜晦(じことうかい)*70しては、後に軋轢を生じさせたり、釁端(きんたん)*71を開いたりする原因と成り得る。御互い手探りの現在に於いて、隳肝瀝胆(きかんれきたん)*72は重要であろう。ウマ娘側からき合わせる意思表示をして遣れば、トレーナー側も幾許かは付き合い易くなるだろう。

 厥の後も、幾らか質疑応答を(くりかえ)し、理解に努めた。

 

「良し、有難う。此れからトレーニングメニューを考える。明日から厳しく行くぞ。遣る事は山積しているが、妥協する気は一切無いからな」

「御願いします」

「あ……厥と一つ、トレーニングとは別件なんだが……鳥渡頼みたい事が有ってな……」

 

 豪く訥訥(とつとつ)*73とした口振りに胡乱な眼を向ける。

 

「今年の新入生代表で挨拶をしただろ? 厥に就いてのインタビューの依頼が……」

「御(ことわ)りします」

「ぐっ、返事が早過ぎないか……?」

「大方ルドっさん辺りに頼まれたんでしょう? ()の手此の手で宥め(すか)しても鰾膠(にべ)も無いから、トレーナーである貴方からも言って呉れと」

「……厥の通りだ。シンボリルドルフに呼び出された時は何事かと思ったぞ」

「先述の通り、迂拙は聞屋と言う連中が嫌いなんで、インタビューは全部突っ撥ねて下さい。場に引き摺り出されても何も喋りませんから」

 

 迂拙は聞屋連中の事を捏造(でつぞう)*74誣罔(ふもう)*75貶損(へんそん)*76、断章取義*77を生業とする人非人(にんぴにん)*78だと思っている。連中には真実を報道する義務なんぞ無く、大衆を釣れる記事が書ければ厥で良いのだ。どれだけ綺麗な情報を渡そうが、見るも無惨な(ごみ)に加工する、聞屋とは然う言う連中である。くだけ此方が損失を蒙るだけである。()てて加えて*79、此方側が幾ら疎斥*80しても五月蠅(さばえ)*81(ごと)(たか)って来るのだから性質(たち)が悪い。

 

「どうせ新たなカモが来た位にしか思ってないでしょう。「話題に成る!」ではなく「金に成る!」程度の認識の連中なんざ相手にするだけ時間の無駄です」

「又豪く辛辣だな。何か厭な思いでもした経験が有るのか?」

「別に有りゃしませんが、嫌いなもんは嫌いなんですよ。人間の好き嫌い総てに、明確に根拠や理由が有るなんて事は無いんですから」

「だが、ウマ娘は人気商売の側面もあるから、今の内に世間に知られておいた方が良いと思うが……」

「世人にちやほやされたいが為に此処に入学した訳じゃあ無いので、応援するも嫌うも好きにしろと思ってます。SNSの類は一切遣っていませんし、エゴサも全くしないので、ネットでどれだけ誹謗中傷されようが痛癢(つうよう)を感じません*82ので、幾らでもどうぞと言うスタンスです」

「宝塚記念みたいに、人気投票で出走の可否が決まるレースもあるが、厥のスタンスだと出走出来なくなる可能性が高くなるぞ」

「なら他のレースを探す迄です。厥の日に開催されるレースは1つだけではないのでしょう?」

「……まあ、インタビューに殆ど受け答えしないウマ娘も居るには居るから、其処迄炎上する事は無い……と思いたい」

 

 嫌いな連中にこうとせず、自発的に距離を置こうとしているのだから、厥の点に就いては如何斯う言われる筋合いは無い。迂拙の態度に就いて、誕辰*83を聞いて鼻で嗤った何処ぞの阿呆と大差無いと思うかもしれないが、迂拙は別に反論も否定もしない。迂拙は聖人君子でも、万庶(ばんしょ)*84を済度する如来でも菩薩でもない。思考・主義の偏頗(へんぱ)*85は当然であり、中庸の道を歩むなぞ到底無理な話である。精神的に成熟していようと嫌いな奴は嫌いなのである。結局は同じ穴の貉、迂拙が彼の阿呆に三行半を叩き付けたのは一種の同族嫌悪だったのかもしれない。

 

「はぁ……。如何したものか……」

「例年通り普通の代表挨拶をしていたら、そんな依頼なんて来なかった訳でしょう? なら(ことわ)った所で別に損失なんざ出ないでしょうに」

「アジの代表挨拶はテレビで流れたからな。ネットだとアジは結構話題に成っているぞ。()のウマ娘は何者だ、ってな。加えて、幾ら探してもアジのウマッターやウマスタと言ったSNSのアカウントは全く見つからない。其処にアジのインタビュー記事でも出せば結構な売り上げが出るだろうから、何社かアジのインタビュー記事を出そうと躍起になっている」

「そんなん迂拙の知ったこっちゃ無いので。騒ぎたけりゃ勝手に騒いで下さい。迂拙は一切関知しませんので」

「他人事みたいに言わないで呉れ。何処から情報を仕入れたのか知らんが、アジの担当に成ってから取材依頼の電話が煩いんだ」

「なら依頼の一切合切を(ことわ)っておきましょう。今の内から迂拙の聞屋嫌いと、取材を受け付けないスタンスを周知徹底しておくんです。然うすれば、今後電話を寄越す連中が少しは減るのでは?」

「連中の(しつこ)さを余り無礼(なめ)ない方が良い。性質(たち)が悪いと、ストーカー紛いの追跡をしてくる奴も居るからな。アジの好きなランニングも、おちおち出来なくなるかもしれないぞ」

「なら、今の内に刑事訴訟と民事訴訟の準備でも始めておきましょう。碌で無しの阿呆は社会的に殺すに限ります」

「名誉毀損をされる前提で話さないで呉れ」

「えっ、一度も名誉毀損も侮辱もした事が無い聞屋なんて居るんですか?」

「どれだけ嫌いなんだ。前世から続いている因縁でもあるのか」

「さあ?」

「はぁ……。まあ、取り敢えず今の段階では総て(ことわ)っておくが、デビューした後はちゃんと受けて呉れるよな?」

「金積まれても嫌ですねぇ」

 

 遂にトレーナーが頭を抱えて仕舞った。少しでも快適な現役生活の為、此処はおしたたせて*86貰う。御多分に洩れず、迂拙も駻突のウマ娘である。上澤上トレーナー、今一度、御覚悟を。

*1
おとしあな。

*2
凡夫が我見に束縛される譬え。

*3
転げ落ちる事。

*4
褌を緊める……気持ちを引き締める。

*5
強い者に更に力をつける事。

*6
すれっからしもの。女に就いて言う。

*7
人の運不運は天命による。又、運を天に任せる事。

*8
恥じて顔を赤らめる事。赤面。

*9
仏語。罪が重く意志の弱い、機根の劣っている者。

*10
仏語。仏が、迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと。

*11
仏・菩薩が、衆生済度のために仮の姿をとって現れる事。

*12
真心のこもっている様。

*13
ひざまずき身を屈めて礼拝する事。

*14
暫くの間。暫時。

*15
人から受ける恵み。

*16
神仏・祖先などをおまつり申す事。

*17
床を敷いて寝る事。就寝。

*18
神仏の利益・霊験のあらたかな事。際立っている様。

*19
随時、姿を現わして、霊威を示す神。霊験の著しい神。

*20
光がまだ弱い夜明け。

*21
ゆめの中。

*22
引き比べる事。準える事。

*23
敗れくじける。

*24
二つのものの違いや隔たりが余りにも大きい事。

*25
多くの回数。何回も。

*26
朝の太陽。朝日。

*27
天空。大空。

*28
明け方の空のいろ。

*29
青々としている事。

*30
まち。市街。

*31
悶える様。

*32
優れた馬。駿馬。

*33
満遍なく。

*34
時間。

*35
明らかな様。著しい様。

*36
つとめ疲れる。骨折り病む。

*37
馬の性質が荒くはね狂う事。馬がかん強くおどり上がる事。

*38
あれる馬。気が荒くてあやつりにくい馬。

*39
名を竹帛に垂る……名を史上に留めて永く後世に伝える。歴史に残る様な功績を立てる。

*40
こんなふうに。

*41
之繞を掛ける……物事を一層甚だしくする。大袈裟にする。輪を掛ける。

*42
馬を自由に乗りこなすこと。

*43
ため息をついて嘆く様。

*44
知ったかぶり。半可通。

*45
大小が酷く懸け離れている事の譬え。

*46
学芸などの奥深い事。

*47
心中の考えを包む事なく打ち明ける事。

*48
無理。難題。

*49
そればかりでなく。その上に。

*50
尋常。なみ。

*51
年若く経験の浅い者。青二才。

*52
志は大きいが、実行が伴わずぞんざいな事。

*53
でたらめの言を吐く。

*54
一笑に付す事。笑って相手にしない事。

*55
槿花一晨の栄え……栄華のはかないことのたとえ。

*56
明るく照り輝く様。

*57
証拠。しるし。

*58
物に必至あり事に固然あり……物事には全て必然の道理がある。

*59
極めて欲が深い事。

*60
非常に欲が深い事。

*61
極めて貪欲な事。

*62
不満足な様。あきたりない様。

*63
ねちねちと言い掛かりをつける。いいがかりをつけてなじる。

*64
志が軽い。志が軽軽しい。

*65
仲違いする。

*66
壊れる。破壊される。

*67
まこと。誠実。質実。

*68
予ての考案。前以て心中に描いている計画。

*69
申し述べる。

*70
自分の才能・地位・本心等を隠して表に出さない事。

*71
不和のいとぐち。争いの始まり。

*72
心を包まず打ち明ける事を言う。

*73
つかえつかえ話す様。口ごもりながら話す様。

*74
本来の読み方。「ねつぞう」は慣用読み。

*75
偽って言う事。無い事をあるように言って、人を陥れる事。

*76
おとしめけなす。

*77
文章の一節を取り出し、文章全体の本意と関係なく、その一節だけの意味で用いること。ひいて、自分の都合のよい引用をすること。

*78
人間以下のもの。特に、人の道にはずれたことをする人間。ひとでなし。

*79
その上に。更に。普通よくない事が重なる場合に言う。

*80
疎んじ退ける事。嫌って遠ざける事。

*81
陰暦五月頃にむらがりさわぐ蠅。

*82
痛癢を感ぜず……くもかゆくもない。身に何の利害も影響も感じない。

*83
生まれた日。誕生日。

*84
多くの人民。万民。衆庶。万姓。

*85
かたよる事。不公平。

*86
我を通す。無理押しする。

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