先ず着手したのは加減速の多さである。公道を走るウマ娘は軽車両の扱いを受けるので、左側通行が義務付けられる。当然乍ら、半径の小さい九十九折のような区間は大幅な減速と加速とを強いられるが、
而して修得に向け試行錯誤を
斯くして、4个年以上を費やし
猶、冬場の走れない事に因る磅礴鬱積は、兄をゲームに誘い、こてんぱんにする事で医鬱排悶*23した。まあ、必要な犠牲である。反省も後悔もしていない。
所で、等速ストライドの修得に腐心している間、他の事は一切遣っていなかったのかと問われれば、答えは否である。走れる選択肢は多い方が良いだろうと、水を張る前の田圃をダートコースに見立てて走ってみたり、
そんなこんなで小学校最後の夏休みが終わり、2学期が始まった。迂拙は後顧之患なく講究に打ち込む為、夏休みの宿題は夏休みが始まる前に殆ど終わらせておくタイプである。宿題は夏休みが始まる1週間前位から散発的に配布されるので、配布された厥の日の内から処理を始め、自由研究や日記と言った、如何足搔いても直ぐに終わらせられない性質のもの以外は、開始日には既に終わっている。そんな状況を作るよう頑張った。処理と言う感覚になっている辺り、完全に流れ作業である。そして自由研究は等速ストライドに就いて書けば良いので、頭を悩ませる事は略無かった。毎年の如く書かされる宿題の進捗計画は一度も守った事は無い。そして登校初日に、未だ宿題が終わっていないと、遊びに現を抜かしていた連中が顔を
今年もテンプレ通りの遣り取りをして、げんなりした表情で家に帰ると、何やら父が神妙な顔付きをして待っていた。
「やぁアジ、お帰り」
「只今。どったの? そんな珍しい表情して」
「唐突で悪いんだが……今年の聖蹄祭、行ってみないか?」
中央トレセン学園では、春秋にファンに対する感謝祭が催行される。厥の内、秋に催行されるものの通称が聖蹄祭である。トゥインクル・シリーズが国民的娯楽になっている此の世界に於いて、自分が応援しているウマ娘と直接会える蓋然性を秘めているファン感謝祭は、毎度大盛況を収めており、厥の様子はテレビで中継される程である。テレビ画面内の黒山の人集りを見る度に、「よくまぁ、大混雑するのが分かり切っているのに行けるよなぁ……」と他人事の如く眺めていた。実は今年に限らず、ファン感謝祭に行こうと何度も所怙に誘われているが、厥の度に「彼の人集りに突っ込んで行きたくない」と謝却*27していた。例年であれば不請不請といった様子で直ぐに引き下がっていたが、今年は如何も様子が違う。
「いやぁ……」
「アジももう6年生だろう? 進路を考えないと
「彼の人込みは御免蒙りたいなぁ……。それに、聖蹄祭って、
「整理券なら大丈夫。もう人数分、ウチに届いてる」
「……いや何であるの?」
「先方から送られてきた」
「……若しかして、退路絶たれてる?」
「ああ、今年に限っては、絶対に行って貰うぞ」
「此れだから権力者って奴ぁ……」
「アジなら解るだろう、此れが世渡りって奴だ」
「此の歳で経俗*28の辛さなんて知りたかないよ……」
迂拙の家は魚沼市に所在する。故に、生産している米は魚沼コシヒカリである。それだけであれば別に何て事は無いのだが、如何言う訳か迂拙の家の米は、シンボリ家やメジロ家と言った、所謂名家と呼ばれる連中に贔屭にされているのだ。初めて調べた時、財閥と呼んでも差し支えない様な家の規模に、
「何度呼んでも、厥の度に袖にされてきた訳だからな。好い加減痺れを切らして、招待状を送ってきたって事だ」
「こんな
「アジが普通のウマ娘だったらこんな事にはならなかっただろうな。普通の小学生のウマ娘は、自分の走りを研究したりしない。其処にアジと言う存在が、贔屭にしている取引先の家に誕まれたんだ。ウマ娘の名家としては、会っておきたいってなるのは道理なんじゃないかな」
「……此れだから権力者って奴ぁ……」
「
「此れだから権力者って奴ぁさぁ……」
「……随分嫌そうだな」
「だって、金持ちに目ぇ付けられるって、絶対面倒な事になるじゃん」
「いや、単純に好奇心から会いたいと思ってるだけだと思うがなぁ……」
「因みに、送ってきたのって何処?」
「シンボリ家」
「……はぁ。腹括るか」
シンボリ家は、迂拙の家から見れば御得意様。更に招待状迄送ってきているので、下手に謝却して話が拗れたら不利益を蒙るのは此方側。もう逃げ道は無い。
「アジの中でのシンボリ家って如何言う印象なんだ?」
「足したら20になる自営業と大して変わらんでしょ」
「頼むから然う言う事を言うのは家の中だけにして呉れよ」
「ってか、ウマ娘の名家に気に入られる農家って、普通は
「厥は、爺ちゃんと父さんが頑張った結果だよ」
「厥の御蔭で迂拙が好き勝手走れたって事か……義理通さないと
「頼むからシンボリ家をヤーさんみたいに言うの止めて呉れ」
斯くして、迂拙は聖蹄祭に連行される事になった。世人からしてみれば聖蹄祭の整理券抔「ころしてでも うばいとる」位競争率の高い物であり、厥れを半ばインチキじみた方法で手に入れているにも関わらず表情が死んでいる迂拙の事は、世人からしてみれば理解し難いであろう。然し当事者である迂拙からしてみれば、全く気乗りがしない。と言うのも、ファン感謝祭以外にも、各名家が主催する御茶会の様なものの誘いも、厥の悉くを謝却しているのだ。有繫に招かれた本人である所怙は欠席する訳に行かず参加していたが、迂拙は彼の手此の手を使って逃げていた。恐らく、厥に就いても難詰される可能性は十分にある。性格の良い
抔と益体も無い弁疏を彼是脳内で垂れ流している内に会場へ着いてしまった。開場と同時に
「覚悟はしていたが……矢っ張り凄い人出だな」
「帰っていい? 耳が痛い」
「此処迄来たんだ、怺えて呉れ」
耳が萎え、尻尾が萎え、精神的にも萎えて行くのが自分でも判る。そして、御目当ての執事喫茶が催されている教室へ行くと、案の定蜿蜒長蛇の行列があった。此の時点で既に迂拙のテンションは地を這っているが、兄は随分と上譏嫌である。
「……俊兄、随分と譏嫌良いね」
「だって、彼のシンボリルドルフに会えるのが確定してんだから、そりゃ興奮しない方が可笑しいって」
「へーへー、そりゃよござんしたね」
「いやー、アジが逃げ回って呉れた御蔭だよ。御前、逃げの適正高いんじゃねぇか?」
「大学の単位も財布も命も落としちまえば良いのに」
「有繫に言い過ぎじゃね?」
完全に身から出た銹ではあるが、厥で此の
「やぁ、御待たせして申し訳ないね。御客様は4名様で良いかい?」
「あ、四人です。シンボリルドルフさんに呼ばれまして」
「おや、会長さんの御客人かい? 慥かそんな事言ってたね。確認して来るから鳥渡待ってて」
妙に気障ったらしい口振りだったが、身を翻して教室へ引っ込む時の体の動きと言い、随分と様になっている。
「受付はフジキセキかー。顔ちっちゃくて可愛いなー」
「胸と
「いやー、出るとこ出ててすげ……って何言わせんだ」
「聢り見てんじゃん狒狒野郎」
「
「辞世の句は厥で良いんだな」
然う言って股間を蹴り上げる予備動作に這入ったら、先程のウマ娘、フジキセキが戻ってきた。
「御待たせ、確認が取れたよ。奥のテーブル席に行って呉れるかい。鳥渡したら会長さんが向かうから」
「有難う御座います」
「……所で、後ろのポニーちゃんが大分御疲れのようだけど、大丈夫?」
「ああ、此の子は何と言うか……人込みとか煩い場所が嫌いな子で」
「ああ、成程ね。ポニーちゃん、気分が悪くなったら遠慮しないでね。我慢しちゃ駄目だよ」
然う言って頭を撫でてくる。彼女からしてみれば迂拙なんぞ半面識*40ですらない相手なのに、随分と面倒見が良い様である。
「……御気遣いどうも。はぁ……仙台送り*41される時ってこんな気分なのかなぁ……」
「ほ、本当に大丈夫? 目が死んでるけど……後、仙台送り?」
「ああ! 大丈夫、大丈夫ですから! ほら、行くよ!」
母親に引っ手繰られる様に脇に抱えられ教室に入った。中は執事喫茶らしく、シックな飾り付けがなされていた。
「はぁっ……教室に入るだけで疲れたわ……」
「母さん如何したんだ? 慌てて這入って」
「此の子が聞いた事無い単語を呟いたのよ。斯う言うテンションの時の此の子が口にする言葉って、大抵碌な意味じゃないから、強引に会話を切ったのよ」
「ああ然う言う事。因みに何て言ったんだ?」
「仙台送りって言ったのよ。如何言う意味かあなた解る?」
「
まあ、普通に生きていたら仙台送りなんて隠語、聞く機会は訪れないだろう。
そして、遂に迂拙を喚び出した張本人、兄にとっては憧れの存在が、迂拙にとっては処刑人が現れた。
「御待たせしました。ようこそ、チームリギルの執事喫茶へ。貴方方の御世話は此の私、シンボリルドルフがさせて頂きます」
然う言って、恭しく一礼した。標致な顔貌、落ち着いた声色、聢りした体軀が組み合わさり、重厚な氛囲気を醸し出している。有繫、皇帝と
「……とまぁ、堅苦しいのは此処迄にして。御久し振りです、東信濃橋さん」
「御久し振りです。此の通り、何とかアジを連れて来ました」
「御辛労*42痛み入ります。噫嚱、此の時を一日千秋の思いで待っていましたが、漸く念願が叶います」
何やら豪く期待されているようだが、こんな一介の狭斜子相手に何を考えているのだろうか。諦めの極致に居ると斯様な心境になるのかと考えつつ、一思いにバッタン*43して貰おうと徐に席を立つ。
「……御初に御目に掛かります、シンボリルドルフさん。キョクアジサシと申します。此れ迄の非礼の御詫びに馳せ参じました。どうか一つ、此れで御勘弁願えれば……」
静かに
「ちょちょちょ、鳥渡待て、待ってくれ。行き成り何をしているんだ君は」
「え……誘いを
「違う。断じて違う。頼むから衆人環視の場で厥は止めて呉れ」
「バッカアジ、アンタ何やってるのよ」
「誠意=金でしょ。頭下げるだけなら猿でも出来るんだよ」
「何厭味ったらしい取引先の上司みたいな事言ってるのよ」
取り敢えず椅子に座り直す。何やら呆れられた視線を向けられ、母に頭を
「はぁっ。寿命が縮んだ気分だよ……」
「済みませんルドルフさん。此の子頭は良いんですけど、偶に変な方向に思考を飛ばすんで」
「いや、構いませんよ。取り敢えず、厥の子の誤解を解く事から始めましょうか」
シンボリルドルフが椅子の横にツカツカと歩いて来て、目線を合わせる。
「改めて、シンボリルドルフだ。此の中央トレセン学園で生徒会長をしている。君の話は御両親から聞かされてね。是非一度話してみたかったんだ」
「……過分な評価をどうも。キョクアジサシです。アレですか、一度話して用済みになったら、ドラム缶にコンクリ詰めにして……」
「違う。頼むから物騒な発想を止めて呉れ。一先ず言っておこう。別に私は怒って抔いないよ。君は未だ小学生だ。嫌がってパーティーに来ない可能性がある事は十分分かっていたからね。まぁ、有繫に此処迄
「はぁ、成程」
其処迄話すと、別のウマ娘がシンボリルドルフにのいて来た。
「会長、註文未だですか? 余り一組の御客様に時間を掛けられると……」
「ああ済まない、此方の御家族は私が招いていてね。でも確かに、時間を掛け過ぎるのは良くないね」
「何か註文した方が良いですか?」
「ああ、そうしてくれると助かります」
斯様な形態の店では回転率が命だからか、註文を
「君とはもっと一対一で話したいんだ。もう少しで私は休憩に入るから待ってて呉れると嬉しい」
気分は刑務官に面会を告げられた服役囚である。