オナバケ町の現代異類婚姻譚   作:東雲佑

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第九話 大親分 対 椎葉八郎太(前)

 タヌキ屋敷のリビング、その内装と調度について描写しよう。

 間取りはだいたい十二畳とかなり広々しており、しつらえは和風が基調。壁には立派な掛け軸と、それから歴代の親分とおぼしきタヌキたちの写真。部屋の真ん中には大理石のテーブルが置かれていて、その周囲三面に革張りのソファーが設置されている。タヌキは煙草を吸わないとさっき夕声は言っていたけれど、なぜかテーブルの上には中身の入っていないクリスタルの灰皿がある。

 

 一言で言い表すなら、絵に描いたような組事務所である。

 

「そう緊張せんでいいから、ゆるりとしてくれたまえ」

 

 そんなアウトレイジな空間に、いましも僕と夕声は身を置いている。

 大理石のテーブルを挟んで、文吉親分と差し向かいに対面しながら。

 

「夕声ちゃんはまだ未成年だからダメだが、日置の甥御くんは呑むかね?」

「い、いえ、だいじょうぶです」

 

 僕が遠慮すると、そうかそうか、そういえば君は下戸だと言っていたな、と文吉親分は鷹揚に笑った。

 すぐそばに座っていたタヌキがなにも言わずに立ち上がって、冷蔵庫から冷えたウーロン茶を持ってきて僕の前に置いた。無言で、ちょっと乱暴に。

 

「あの二匹とは会えたかね?」

「はい。あの、面会のご許可をくださったこと、あらためてお礼申し上げます」

「なに、そのくらいはなんてことない。で、奴らと話は出来たかね?」

「いえ、それは……」

「そうだろう。ちとお灸が効きすぎたかもしれん」

 

 夕声がなにか言おうとした気配を察して、慌てて肘でついて制止する。冷静に、冷静に、頼むから。

 

「さて、なにから話したものか」

「あの、思えば先ほどは名乗りも欠かして、大変失礼いたしました。いまさらではありますが、椎葉八郞太と申します。日置敬一郎の甥で、先だって夕声さんからご説明があった通り、今は叔父の家に住んでいます。夕声さんを介して、一部の龍ヶ崎タヌキの方とも懇意にお付き合いさせていただいております」

 

 そう自己紹介をして、最後に「若輩ではありますが、以降お見知りおきを」と深々頭を下げた。

 これはこれはご丁寧に、と文吉親分。周囲の他のタヌキたちはなにも言わずに僕らのやりとりを観察していた。

 

「しかしどうしてなかなか、君は胆力のある男じゃないか」

「はい……はい?」

「そうじゃないかね? なにしろこの文吉と再度対峙しようというのだからな」

 

 笑顔の文吉親分が、全然笑っていない目で僕を見ていた。

 迫力満点の二つの眼に射貫かれながら、この爺さんほんとにタヌキなのか? と僕は考えていた。文吉親分が発する威圧感にはそれほどまでに隙というものがなかった。

 

 だけど。

 

「対峙、と申されましても」

 

 あらためて相手の強大さを確認したことで、逆にこっちも腹が据わった。

 

「僕は別に、親分方と命のやりとりをするわけではありませんから」

 

 笑顔でそう言うと、周囲のタヌキたちの僕を見る目は少し変わったのがわかった。隣に座る夕声も驚いているようだった。

 

「それとも、親分はそちらのほうがお好みですか? まさか、そんなはずはない。僕は親分方を文化的な化けダヌキと見込んで対話を申し込んでいるのですから」

「おい、てめえ!」

 

 挑発めいた僕の言葉に、一人のタヌキが激昂して腰をあげる。

 

「よさんか!」

 

 そのタヌキを文吉親分が制した。

 

「……やはり君はなかなかに度胸の据わった男らしいな、日置の甥御くん」

「ありがとうございます。椎葉です」

「それで、日置の甥御くん」

 

 あくまでも僕を『日置の甥』と呼んで、親分は続けた。

 

「話をしたいと君は言うが、いったいなにを話そうというのかね? ……はて? 知り合ったばかりのわしらに共通するような話題が、なにかあったろうかね?」

 

 皆はなにか思いつくかの? と文吉親分。

 ねえですね、思いつきません、ありませんやな、水を向けられたタヌキたちが口々に言う。

 

 しらばっくれやがって、今この瞬間の僕らが共有する関心事なんて一つしかないじゃないか。

 あるいはこれも会話のイニシアチブの取り合い、その一環なのだろうか。とにかく、あくまでも僕の口からそれを言わせたいらしい。

 

 いいだろう。そちらが絡め手で来るなら、こっちも変化球だ。

 

「皆さんは『むじな』という言葉をご存知ですね?」

 

 文吉親分だけでなく、他のタヌキたちにも視線を配りながら僕は言った。

 

「同じ言葉でも地方や社会階層によってしばしば異なる意味を持つように、『むじな』という言葉も、僕たち人間と皆さんとでは違った意味を持っているそうですね。皆さん人でない方々の間では、『むじな』は正体不明の動物の化生を指す言葉として使われているとか」

「我々のことをよく勉強してくれているようだね。感心感心」

「恐縮です。夕声さんの受け売りですけどね」

 

 思えば僕が彼女からそれを聞いたのはまだ数時間前のことなのだ。やれやれ、たった数時間でずいぶん遠いところまで来てしまった感じがする。

 

「しかし、これはとても残念なことですが、僕たち人間の間では『むじな』という言葉は、昨今あまり使われていません」

「残念なのかね?」

「いかにも残念ですね」

 

 親分の目をまっすぐ直視したままで肯き、それから他のタヌキたちを見渡す。

 

「あまり知られていませんが、『むじな』はとても長い歴史を持つ言葉です。最初にこの言葉が使われた時期を調べると、平安時代よりもさらに以前まで遡れます。日本書紀にも登場してるんですよ。文献として残るだけでもこの通りですから、口語として使われてきた歴史はきっともっと古いはずだ」

 

 そんな言葉が失われつつあるのが残念でないはずがない、と僕は言った。

 

「土地や社会だけでなく、言葉は時間によっても変容します。『むじな』もまたこれは同様。ある時代には特定の動物の俗称として使われ、また別の時代にはなんらかの妖怪の固有名詞だったこともあります。ですが最古の時代において、どうやらこの言葉は野の獣全般を指す言葉だったようなんです。タヌキもサルもイタチも、太古の日本においてはみんないっしょくたに『むじな』だったんです。もしも――」

 

 高まりきった緊張を生唾と共に飲み下して、続けた。

 

「もしもその時代にアライグマがこの日本にいたなら、アライグマもまた『むじな』と呼ばれていたでしょう」

「ようやく本題に辿り着いたようだね」

 

 クックック、と文吉親分がしゃがれた声で笑った。

 

「まどろっこしく遠回りしてくれたが、やはり結局はそこに話を持ってきたか。まぁ、最初からわかりきっていたがね」

 

 背筋が粟立つ。喉の奥で何かが詰まったような感じがした。

 ああ、恐ろしい。

 

「なぁ、日置の甥御くん。わしは確かに言ったはずだぞ? タヌキの問題には口出しはできんと。君は、なにかね、わしを甘く見ておるのかね?」

 

 甘く見るなんて、冗談じゃない。僕はこんなにあんたにビビってる。ビビり倒してる。

 けど。

 

「甘くは見てないけど、口出しはします」

 

 言ってしまった瞬間、もはやすっかりギャラリーと化しているタヌキたちが一斉に色めき立つ。夕声も愕然とした顔で僕を凝視している。

 

「面白い。よくも()かしおったな小僧」

 

 文吉親分が、両の口角をニヤっと吊り上げて言った。あたかも本気で面白いと感じているみたいに。

 

 それから。

 

「むじなの話は、まだ先があるのかね? あるなら、聞くだけ聞いてみようか」

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