「むじなの話は、まだ先があるのかね? あるなら、聞くだけ聞いてみようか」
「……! ありがとうございます」
意外にも向こうから先を促された。僕はここぞとばかりに話を続ける。
「アライグマは、現代の日本社会においては最下層のむじなです。というか、いわゆるパブリックエネミーですらあります。なにしろ我が国の自然環境に深刻な被害をもたらす侵略的外来種です。存在することを法的にも禁じられた害獣、イリーガルな動物です。自治体によってはアライグマ駆除に助成金すら出しているような有様です」
『イリーガル』『パブリックエネミー』のあたりで文吉親分以外のタヌキたちが「ふむ」という顔をした。
こいつら、さては横文字に闇雲な説得力を感じてしまうタイプだな?
「このように、アライグマの立場は我が国においてかなり低く弱い。翻って、皆さんタヌキはどうでしょう?」
もう一度、タヌキたち全員に視線を配る。
「アライグマとは対照的に、タヌキは我が国において最大の市民権を獲得している野生動物だといえます。神話の太古からこの国に棲まう正真正銘の在来種ですし、人間に迷惑をかけることも滅多にない。だから、駆除されるどころかむしろ手厚く保護されている。ドライバー向けの動物注意標識のイラストはタヌキであることが大半ですし、もっとストレートに『タヌキ出没注意』の標識が設置されている場所もあるくらいです」
これほど大切にされている野生動物なんて他には一部の野良猫くらいだ、と僕。
親分以外のタヌキたちがうんうんと肯いている。まずはチョロいこの人たちから味方につけてしまう作戦は間違ってなかった。
しかし、問題は。
「それで、君はいったいなにが言いたいのだね?」
やはり、難敵はこの親分一人だ。
「アライグマはかわいそうだから助けてあげてください、とでも言うつもりかね?」
「はい。最終的にはそういう主張に着地する予定です」
ごちゃごちゃと言い訳はせずに、率直に認めて即答した。
僕のそんな態度が意外だったのか、文吉親分が少し黙る。
その隙を逃さずに僕は続けた。
「もっとも、今し方申し上げた通り、アライグマは我々人間にとっても害獣です。だから、すべてのアライグマを受け入れてやってくれとは言いません。皆さんが彼らを認めてくれたころで、人間が認めずに駆除を続けたら意味なんてありませんし。
僕が助けて認めてあげて欲しいのは、アライグマという種ではなく、たまたまアライグマだっただけの一人の女の子なんです」
文吉親分が何か言おうとする――その機先を制して、さらに言葉を続ける。
このまま、このままずっと僕のターンのまま、いけるところまでいかなくては。
「先ほど、僕は『むじな』という言葉についてこう解説しました。『ある時代には特定の動物の通称として用いられていた』と。その動物とは、ズバリみなさんタヌキです」
吐き出す一語一語にあらん限りの力を込めて熱弁をふるう。
「この言葉の用法は、未だ完全に過去にはなってはおりません。現代においてすら、一部の地域ではタヌキはむじなと呼ばれ続けているのです。大正時代に行われた『たぬき・むじな事件』なる裁判においては『むじなという語はタヌキを指すのか?』が法廷で真剣に議論されたこともあるほどです。この裁判とその判例は、法学関係者であれば知らぬ者のないほど有名なものであると聞きます」
さて。
ここまでも十分に詭弁を弄したけど、この先ははいよいよ屁理屈をこじつけで煮染めたような内容になる。
だからここからは、とにかく勢いで押し切るしかない。
椎葉八郞太、一世一代の大演説だ。
「このように、むじなと言えばタヌキ、タヌキといえばむじななのです! そして、いいですか皆さん、そしてです! むじなという言葉が動物全部をひっくるめた言葉であるのだとしたら、皆さんタヌキは全動物の代表といえるのではないでしょうか! 百獣の王ならぬ、百獣の代表です!」
つまり! と声を張り上げる。
「つまり! ライオンが王様だとしたら、皆さんは総理大臣ということです!」
僕の強引な論法に、文吉親分以外のタヌキが「おお!」っと声をあげる。この人たちのチョロさが今の僕にはなによりも頼もしい。
タヌキたちの反応を横目に見ながら、僕はここで、ターゲットを文吉親分に定める。
「僕はね、文吉親分。さっきも言ったけど、全部のアライグマを認めて欲しいなんて思っちゃいないんです。その中のたった一人だけを認めて受け入れてくださいと、そうお願いしてるだけなんです」
「……」
「総理大臣なら、ひとつ清濁併せのむ懐の深さを見せてくださいよ! たかだか小娘一匹、気前よく許してみせてくれていいじゃないですか! がっかりさせないでくださいよ!」ぁ
「――こんガキがぁ! よくも威勢のいい啖呵切りよったなぁ!」
文吉親分が、ここに来てとうとう爆発した。そのあまりの剣幕に、タヌキたちが揃って息を呑む。夕声が小さく悲鳴をあげる。
体感温度は、言うまでも無く極寒だ。
「ごじゃっぺのでれすけがぁ! 優しくしておればつけあがりやって、この小貝川の文吉をようもそこまで侮り舐め腐りよってからに!」
「いいえ! 違います!」
激昂する文吉親分に、僕はここまでで最大の声を張り上げて反論する。
一見して文脈を完全無視したこの否定に、文吉親分が呆気に取られて一瞬黙る。
「僕は、文吉親分を、侮っても舐め腐ってもいない! 少しも、一ミリもです!」
僕は立ち上がり、その場でくるっと半転する。
そして。
「これがその証拠です! さぁ、とっくりとご覧になってください!」
そう宣言して、遠山の金さんよろしく背中を親分に見せつけた。
ワイシャツもその下の肌着も、水でも被ったようにびっしょりになっていた。
冷や汗で。
「……舐めるなんて、侮るなんて、滅相もありません。今夜この家にあがらせてもらった時からずっと、僕はこの通り親分にビビりっぱなしです」
さらにダメ押しとばかりに、ブルブル振動する手を見せる。演技ではなく、本当にさっきから震えが止まらないのだ。ほんとは足だってガクガクだ。
「……いや、今日だけじゃない。あの日あの夜、あの
僕の告白を聞いて、タヌキたちがひそひそと囁き交わす。
そういえばあの夜、たしかに失神した人間が出たな。
いた、いた。
そうか、この小僧があのときの。
それぇ聞いた文吉さんはあの夜、たいそう嬉しそうだったなぁ。
「だから、信じてください。この椎葉八郞太に、偉大なる小貝川の文吉を見くびる心は少しもありません。天地神明に誓って、僕はあなたが恐ろしい」
「……まさか、こんな形でこっちの面子を立てよるとはなぁ」
呆れたような、あるいは感心したような声で親分は言った。
「……なぁ、日置の甥御くん」
やがて、親分は静かな口調で切り出した。
「君の言いたいことはわかったつもりだ。それにこの文吉をそこまで恐れている君が、その怯懦を押し殺して立ち向かってくれたことも、甥の叔父として嬉しい」
だが、と親分は続けた。
「だが、この問題がそう簡単でないこともわかってくれるな? もし仮に小次郎とあの娘が結ばれたとしよう。そうしてやがて子供でも出来れば、龍ヶ崎タヌキの親分の系譜にアライグマの血が入ることになるんだ そのことを、君はどう考えるのかね?」
この世で一番恐ろしいとさえ感じた親分はもういなかった。文吉親分はお釈迦様のように優しく穏やかに、僕にそう意見を求めたのだ。
僕はじっくりと時間をかけて考え、さらに重ねて熟考し、それから。
「僕には、タヌキの社会のことはよくわかりません。……ですが」
「ですが、なんだね?」
「……血は、混じり合って強くなります。これは、雑種の犬は純血種より強いとか、そういう話だけじゃありません。
僕はどうにかそう答えた。
僕の返答を受けて、文吉親分がしばし考え込む。
それから、親分は仲間のタヌキたちを集めてなにやら話し合いを持った。
そして。
「……なぁ、お二人さん」
五分ほど後に、親分は僕と夕声に向かって言った。
「たぶん、わしらの顔はしばらく見たくもなかろうからな。だから、手間をかけてすまんが、二階の二人にお前さんたちから伝えてくれんかね。
……認める、と」
親分がなにを言ったのか、僕も夕声もしばらく飲み込めずにいた。
やや時間をおいて、理解は唐突にやってきた。
「あ、ありがとうございます!」
ほとんど直角になるほど腰を折り曲げて、深々とお辞儀をする。
隣で夕声が「信じられない……」と呟いた。
「おい、椎葉くん」
一刻も早く二人に決定を伝えてやるためにリビングを飛び出そうとした、その僕の背中に親分が言葉をかけた。
「今夜耳に入れた中で一番に残念だったのは、君が下戸だという話だよ」
※
「あっ……」
リビングから廊下に出た途端、緊張の糸がぷっつりと切れた。両足からいきなり力が抜けて、僕はその場にへたり込んでしまう。
「あ、あは、あはははははは」
そんな自分の無様さが滑稽でおかしくて、僕はたまらず笑い出す。
やれやれ、結局スマートに決めることはできなかった。というか終始一貫して無様でみっともなかったような気がする。なにしろ最後にはそのみっともなさでもって親分を説得したくらいだ。
今夜の僕の無様は光り輝いている。
「あはは、かっこわるいなぁ」
「なに言ってんだよ!」
僕の自嘲に、夕声が真剣なトーンで反論した。
「あんた、自分がとんでもないことやらかしたって、その自覚あんのかよ! あんたはあの文吉親分と渡り合って、最後には自分の主張を飲ませたんだぞ。しかも天地がひっくり返っても実現しないはずだった無理難題を……ああ、もう! 嬉しいはずなのに、全然感情が追いついてこない! 全部あんたのせいだかんな!」
「ご、ごめん」
「謝るなバカ! なんにも悪くない癖に!」
恐ろしく理不尽な怒りを僕にぶつけて、それから、彼女は言った。
「かっこ悪いわけ、ないだろ! 今日のあんたは、過去イチかっこいいよ!」
言葉とは裏腹のマジギレ口調で、夕声はそう言った。
僕は照れればいいのか戸惑えばいいのか、とりあえず頬をかいた。
そんな僕を、夕声は涙の滲んだ上目遣いで睨み付けて、問う。
「……あんた、いったい
何者だ、と問われても。別に何者でもない僕にはどう答えたらいいかわからない。
だから、とりあえず僕はこう言った。
「ええと……椎葉八郞太です。ご存知のように」
椎葉八郞太、いかにもそれが僕のナマエだ。