オナバケ町の現代異類婚姻譚   作:東雲佑

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第九話 狐は化かす

 暮れなずむ境内で、何度も夕声の名前を呼んだ。

 通話履歴から彼女の番号にコールしてもみたし、SNSのアプリからメッセージを送ってもみた。

 

 だけど、いくら呼んでも応える声はなかった。

 繰り返すコールが自動音声のアナウンス以外につながることもなければ、どこかから着信音が聞こえてくるということもなかった。

 

 そのようにして夕声は僕の前から姿を消した。

 

 しばらく呆然と立ち尽くしたその後で、どうにか気持ちを奮い立たせて帰宅の途についた(その場に背を向けて歩き始めるには気持ちを奮い立たせる必要があった)。

 

 日常的に歩き詰めた片道十分の道が、なんだか心細く不案内なものに感じられた。

 耳に届くすべての音が、奇妙な具合に近くなったり遠くなったりした。

 なにもない場所でなにかに蹴躓いて転びそうになった。

 

 そうして、どうにかこうにか我が家に辿り着いて、鍵をあけて玄関に入って。

 そこで、限界を迎えた。

 

 靴も脱がずに、尻餅をつくのと同然の有様で上がり( かまち)に腰を下ろした。

 心臓が早鐘を打っていた、耳に聞こえるほどに。

 

 己の拍動を聞くともなく聞きながら、大変なことをしてしまった、と思った。

 

「……大変なことをしてしまった」

 

 声に出して言ってみた。

 状況をより明瞭にするために。より明瞭に自分に現実を思い知らせるために。

 

 おい、お前は大変なことをしでかしたんだぞ。

 

 まず第一に、僕は夕声を傷つけてしまった。

 最初から(つまり、ノーの答えを携えて家を出た時から)ひとつも傷つけずに終わらせられるなどとは思ってもいなかったのだけれど、しかし、それならせめて少しでも与える傷を浅くしようと……

 そう無駄な気を回した結果、最悪の想定を遙かに超えて深く傷つけてしまった。

 

 さて、その結果どうなったか?

 

 夕声は僕の前からいなくなってしまった。

 しかも、様々な要素から鑑みるに、かなり強固な意志を持って彼女は姿を消した。

 

 ――まるで、本当に消えてしまおうとしているみたいに。

 

 自分の内側に湧いた印象に、自分で凍り付いた。

 

『もう永久に、僕は夕声に会えないかもしれない』

 

 そう考えるのは、僕にとってはまったく純粋な恐怖だった。

 

 

 

 日が沈んで家の内外が真っ暗になってから、僕はようやくその場から立ち上がった。

 リビングに行って、テレビをつけて、そのまま消した。

 食欲はなかったけれど義務的に軽い食事を準備して、義務的にそれを食した。

 夏目漱石言うところの『鉛のような飯』とはこういうものかと、そう感じさせるような味のしない食事だった。

 

 食事が済むと風呂にも入らずに二階にあがり、ベッドに身を投げ出した。

 眠くはなかったし眠れる気もしなかったけれど、今日は起きていてもろくなことがない気がした。

 ろくなことをしないだろうし、きっとろくなことを考えないだろう。

 

 そうだ、今日の僕はどこまでもろくでもないのだ。

 だから一番傷つけたくなかった女の子を傷つけてしまった。

 

 眠れぬまま無為に横たわるうちに、いつしか僕は眠りを獲得していた。

 

 真夜中過ぎ一度目が覚めて、ふとスマホを見た。

 夕声に送ったメッセージには、まだ既読がついていなかった。

 

 

 

 

 

 

 昨日の僕はどこまでもろくでもなかった。ろくでもないほどにボンクラだった。

 だから、まさか翌日の今日がさらにろくでもないことになるなんて、予想もしていなかったのだ。

 

 

 

 夕声が姿を消した翌日、時刻は十一時を少し過ぎた頃。

 僕は菓子折の入った紙袋を手に女化神社を訪っていた。

 

 幸い、尋ね人の姿はすぐに見つけることが出来た。

 いや、もちろん夕声に会えたならそれが一番よかったのだけれど……でもとにかく、社務所の前の参道をいましも紫色の袴が横切っていくのが遠目に見て取れた。

 

「宮司さん!」

 

 まだ少し距離のある場所から僕がそう声をかけると、呼び止められた宮司さんがこちらに向き直り、すぐに相好を崩す。

 

「おお、椎葉くん」

 

 僕に向かって丁寧にお辞儀をしてくれる宮司さんに、小走りに駆け寄る。

 女化神社の敷地内には幾棟( いくむね)かの家屋が存在しており、夕声はその一軒に住まわせてもらっている。

 夕声にとって、こちらの青木宮司は家主であり巫女さんバイトの雇い主であり、また人間社会での後見人のような存在でもあった。

 夕声の親しい友人として認められている僕も、宮司さんにはなにかとよくしていただいている。

 

「やぁ、今日はどうしたんだね?」

 

 宮司さんはニコニコと僕に質問する。

 この反応から察するに、僕と夕声の間にトラブルがあったことはまだ宮司さんの耳には入っていないのだろう。

 

 少しだけ安心すると共に、そんな風に安堵を感じている自分に軽く自己嫌悪を覚えもする。

 まるで悪さがばれていないとわかった悪ガキみたいだ。

 

「あの、本日は宮司さんに、折り入ってご相談があって伺いました」

 

 そう言って、僕は深々と頭を下げる。

 

「実は昨日、夕声さんと喧嘩と言うか……いえ、双方に原因のある喧嘩というのではなく、非は完全に僕にあるのですが……とにかく、僕の言葉と態度によって、心ならずも夕声さんを傷つけてしまったんです」

 

 申し訳ありません! と言いながら、もう一度、平謝りに低頭する。

 宮司さんは夕声の後見人で、砕けた言い方をすれば保護者のような人だ。

 ならば、大切な子供を傷つけてしまったことを、まずは誠心誠意謝らなければなるまい。

 

「そういうわけで、どうしても夕声さんに会って直接謝りたいんですが、昨日から僕からの連絡は受け取ってもらえなくなっているみたいで……それで、虫のいいお願いであるとは重々承知しているのですが、宮司さんから一言、『椎葉が連絡を待っている』と彼女にお伝えいただけないでしょうか?」

 

 そう言って、僕は持っていた紙袋を差し出した。

 朝一でニュータウンのショッピングモールまで出かけて買ってきたものだった。宮司さん用に和菓子の詰め合わせと、夕声に洋菓子店の焼き菓子をそれぞれ選んだ。彼女が食べてくれることを祈りながら。

 

(……ダメか)

 

 差し出した菓子折を、宮司さんはなかなか受け取ってくれなかった。当たり前だ、いい大人が高校生の女の子を傷つけて、それで仲裁をお願いしてるなんて、そんな……。

 

「あの、椎葉くん」

 

 宮司さんが、ややあってからようやく口を開いた。

 僕は緊張しながら宮司さんの言葉を待った。

 叱られても怒鳴られても甘んじて受け入れようと、そう身構えながら。

 

 しかし、宮司さんの次の台詞は、そのどちらでもなかった。

 

 叱られたり怒鳴られたりしたほうが、よほどましだった。

 

「椎葉くん、その夕声ってのは、一体全体どなただろう? 私の知ってる人かい?」

 

 

 

 

 

 

 家には帰らなかった。長山北の信号で左手に折れて、そのまま土浦竜ヶ崎バイパスを南に向かって歩きはじめた。

 特に行く当てがあったわけでもなければ、なにかしらの目的意識に裏打ちされた行動でもなかった。

 

 手にしていたはずの菓子折の紙袋はいつのまにか消えていた。

 宮司さんに受け取ってもらえたのかもしれないし、どこかに落としてきてしまったのかもしれない。

 ついさっきのことのはずが、もはや別の時代の記憶のように判然としないのだ。

 

 白紙と化した脳内で、ただ宮司さんの言葉ばかりが明瞭だった。

 

『その夕声ってのは、一体全体どなただろう?』

 

 この展開は、僕からすべての思考を剥奪してあまりあった。

 それほどまでにショッキングで、さらに付け加えるならば絶望的な成り行きだった。

 

 頭がクラクラした。目がチカチカした。口の中はベタベタに乾いていた。

 脳と心をしっちゃかめっちゃかにしながら、僕はただ黙々と歩き続けた。

 断続的ながらも中央分離帯に隔てられた片側二車線の幹線道路、地方道路網の大骨格たる県道48号線沿いは考え事をしながら歩くのには最適の道だったし、なにも考えずに歩くのにはさらにもってこいだという気がした。

 

 何も考えたくなかった。

 というか、なにも考えられなかった。

 

 しかしそれでも僕は考えなければならない。

 なにを?

 

 一生懸命考えて悩んで、どうにかこの状況を打破しなければならない。

 どうやって?

 

 ……なるわけないじゃないか、どうにも。

 

 だって夕声は、消えてしまったのだ。

 僕の前から姿を隠したというシンプルかつ単一的な失踪に留まらず、もっと完璧に、徹底的に、彼女は消失してしまったのだ。

 一切の痕跡を残さずに、僕以外の人の記憶にも残らずに。

 

 最初から、どこにもいなかったみたいに。

 

 歩いて、歩いて、歩く。ずっと歩き続ける。

 

 落花生農家の直売所の前で、椅子に座ったお婆さんが車の流れに熱心な視線を注いでいた。

 僕の地元にもこういうご老人がいた。なにをするでもなく、日がな一日道路沿いで車の往来を眺めているお爺さんが。

 彼らはまるで雄大な川の流れや世の中の移り変わりを見つめるように自動車交通を見つめていた。

 

 あのお婆さんの隣に座って僕も同じようにしようかと、ふとそんなことを考えた。その思いつきはなんだかとても素敵なことのように感じられた。

 しかしあいにく、どうしようか考えている間にも僕の足は進み続けて、気がつけばお婆さんははるか後方(しりえ)へと遠ざかっていた。

 

 このまま歩き続けて、どこか知らない土地まで行ってしまえたら、それもいいかもしれない――我ながら思春期めいてると思いながら、そんなことを考えていた。

 

 しかし歩きはじめてから一時間と少しが過ぎた頃、僕の前の前には見知らぬ土地どころか、よく見知った建物が姿を現した。

 

 龍ケ崎市役所である。

 

「……バイパスはここにつながってたのか」

 

 脳内で独立した点として存在していた二つの地域が、土浦龍ケ崎バイパスという線によって直通につながった瞬間だった。

 そしてそんな現実的な発見が、ふわふわとぼやけていた僕の心と意識に少しだけ輪郭を取り戻させもした。

 

 

 以前にも書いた通り、市役所と商店街は至近の距離にある。

 そこにいけばなにかが変わるような気がして、というか少しでもなにかが好転することを期待して、縋るような気持ちで僕はその店を訪ねた。

 

 龍ケ崎コロッケ発祥の店『まいん』。水沼さんがパートで働いているお店だ。

 

 店内に入ると、飲食と談話の用途を兼ねたテーブルで、顔見知りの子供が計算ドリルに取り組んでいた。

 

「こんにちは、桔梗ちゃん」

 

 僕がそう声をかけると、桔梗ちゃんがドリルから顔をあげてこちらを見る。

 黙ってこちらを凝視した数秒後、ぺこりとお辞儀をしてくれた。

 

 ――よかった。この子がいるということは、彼女もいる。

 

「あら、椎葉さん?」

 

 僕がそう思うのとほぼ同時に、期待していた人が厨房から現れた。

 

「水沼さぁん……」

 

 なんだか安心してしまって、思わずのび太めいて情けない声が出た。

 

 しかし、そんな僕の顔を一目見るや、水沼さんの顔が少しだけ曇った。

 

 ややあってから彼女は言った。

 

「椎葉さん、もしかして、化かされちゃってません?」

 

 

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