オナバケ町の現代異類婚姻譚   作:東雲佑

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第十話 人間に恋したキツネ娘が去り際に遺していく鈍い

「……は?」

 

 いま、『化かす』って言ったの?

 化かされてるって、僕が?

 というか、化かされてる状態って、それって、どんな状態?

 

 水沼さんの口から出た『化かす』という単語( ワード)が、様々な疑問をいちどきに投げつけてくる。

 だけど、そんなことよりも先に確認しなければならないのは。

 

「水沼さん、栗林夕声を知っていますか?」

「……はい?」

「夕声を……彼女のことを、水沼さんは覚えていますか?」

 

 祈るような気持ちとともに、僕は質問を放った。

 

 水沼さんは、あからさまにきょとんとした顔をしていた。

 なにを言っているんだこいつは、と顔に書いてあるようだった。

 

 ……ダメか。

 僕が絶望を新たにしかけた、そのとき。

 

「覚えてますかって、一昨日会ったばっかりなのにどうやって忘れるんですか?」

 

 水沼さんが、やっぱり困ったように言った。

 

「もしかして椎葉さん、私をお年寄り扱いするつもりですか? いくら私が何百年とか生きてる化け蛇だからって、『そろそろ痴呆はじまるお年頃なんじゃねえの?』とか『ババアはたつのこ山じゃなくて姥捨て山に行け』とか思っちゃってるんです? それってシンプルに心外です。というかテンプルにカチンときます、ええ、きましたとも。これはもう今夜あたり椎葉さんのお住まいに数百匹のマムシの大群を派遣して――

 

 ……って、椎葉さん?」

 

 プリプリと文句を言っていた水沼さんが一転、びっくりして僕の顔を覗き込む。

 

 僕は泣いていた。

 みっともないとわかっていて、それでも涙が抑えられなかった。

 

 ほっとしすぎて、安心が大きすぎて。

 

 

   ※

 

 

 桔梗ちゃんをまいんのおばちゃんたちに任せて、僕と水沼さんは神社に移動した。

 いきなり泣き出した僕の様子にただならぬ事情を察し取ったおばちゃんたちは、威勢のいい言葉と態度で(ここよりも外の方が落ち着いて話せるだろうから行っといで、桔梗ちゃんはあたしらが見ておくから! あんたも元気だしなね!)僕を元気づけて送り出してくれた。

 売り物のコロッケをいくつか包んで、ついでに店の前の自販機で買ったジュースまで持たせてくれた上で。

 

「いい人たちですね」

「ですです。もっとも、龍ケ崎( このまち)の人はいい人ばかりですけどね」

 

 なにげない水沼さんの言葉に、龍ケ崎市民になった最初の日を思い出した。

 好い人たちが暮らす良い町。

 あの日覚えたこの街への第一印象は、どうやら間違っていなかったらしい。

 

「それに、龍ケ崎は子育て支援日本一を標榜する街ですから。知ってます? 龍ケ崎コロッケって、最初は子供たちのおやつとして生み出されたんですよ。昔この近くに市が運営する漫画図書館があって、放課後そこに遊びに来る学童に振る舞うために商工会婦人部が考案したのがそもそものはじまりなんです」

 

 子供には親切にしたがる土地柄なんですよ、と水沼さん。

 

「子供って、僕がですか?」

「あのおばちゃんたちからしたら、椎葉さんだってまだまだ全然子供( たつのこ)ですよ」

 

 自分を指さして言う僕をさらに指さして、水沼さんが楽しそうに言う。

 

「もちろん、私から見てもそうですよ? だから、何があったか聞かせてくださいな」

 

 水沼さんにそう促されて、僕は一連の出来事を説明しはじめる。

 夕声の求婚を拒んだことや、その際に彼女を傷つけてしまったこと。

 それに彼女の呪のことも。

 

 話している途中で、夕声が可愛がっていた子猫のマサカドが姿を現した。

 最初は僕の足下にじゃれついていたマサカドを、お話の邪魔しちゃダメですよ、と水沼さんが抱き上げた。

 マサカドは特にむずがらずにされるままにしていた。

 

「なるほどです。だいたいの事情はわかったと思います」

 

 話を聞き終えた水沼さんがしきりに肯く。

 いつになく真剣な表情で、なるほど、なるほど、と。

 なるほど、それでそんな風になっちゃってるんですか、と。

 

「そんな風っていうのは、さっき水沼さんが言ってた、『化かされてる』とかってやつですか?」

「ですです。それが正しい表現なのかわかりませんけど……こういうのって、最近だとなんて呼ぶのかしら? まやかし? 呪詛? ダークパワー?」

 

 水沼さんの口にする単語にいちいち眉をひそめる僕である。

 なんにせよニュアンスは伝わった。えらく陰鬱なニュアンスが。

 

「それって、( しゅ)ってやつですか?」

「あ、それは違います。呪っていうのは後天的に身につける技術なんですよ。でも椎葉さんにかけられてるものはもっと先天的な能力によるものです。私のピット機関みたいな。イメージ的にもっと近いのは、イタチの最後っ屁でしょうか」

 

 えらく不名誉なイメージだ。夕声がいたら間違いなく怒ってるだろうな。

 

「とにかく、椎葉さんは夕声ちゃんが残したまやかしとか呪いにかかって、現在その影響下にあるんです。キツネの化生である夕声ちゃんが、本能的に放った呪い( それ)の」

「呪い……ですか」

 

 どんな呪いだろう、と。そう呟いた僕に、そんなの決まってます、と水沼さん。

 

「人間に恋したキツネ娘が去り際に残していく呪いの霊験( こうのう)なんて、そんなの一つしか無いじゃないですか。

 ……ズバリ、『もう会えない呪い』ですよ」

 

 もう会えない呪い。

 そう言った水沼さんの言葉が、頭蓋骨の裏側で凶暴に反響する。

 

 本邦に狐嫁の伝承は数あれど、その結末はほとんどが同じである。

 ささいなきっかけから正体が露見したり、もしくは露見せぬまでも夫を欺き続ける罪悪感に耐え難くなるなどして、狐嫁は夫や家族の前から自ら姿を消すのである。

 姿を消して、もう二度と現れないのだ。

 

「……それがキツネの本能だとしたら、それは、断固として強靱なものなんでしょうね」

 

 僕が落とした呟きに、水沼さんは言葉を返さなかった。

 彼女の雄弁な沈黙が物語るのが肯定か否定か、あえて明言するまでもないだろう。

 

「これは疑っているわけでも、もしそうだとして責めるつもりもないのですけれど」

 

 そう前置きして、水沼さんは切り出した。

 

「夕声ちゃんが人じゃないこと、椎葉さんは本当に、少しも気にしてませんでしたか?」

 

 心のどこかで隔たりを感じていたりとかはありませんでしたか? と水沼さん。

 即答で応じられる質問を、僕は熟考する。自分の内面を走査し、己の本心を探る。

 そうして、そのままたっぷり一分近く考えてから、答えた。

 

「ありません。僕にとって大事なのは、やっぱり夕声が夕声であることだけです。この心だけは、僕が椎葉八郎太(ぼく)であること以上に間違いありません」

「ですよねぇ」

 

 相当シリアスな調子で放った僕の台詞を、ごくごくあっさりと水沼さんは認めた。

 

「最初から疑ってなんていませんよ。普段の椎葉さんを見ていて、疑えるもんですか」

「水沼さん……」

「でも、だとしたらなおのこと不思議です。夕声ちゃんの呪(アレ)にはハッキリ言ってイモムシみたいに弱々しい威力しかないのですけれど、お聞きする限り今回はかなり必死だったみたいですよね。なのにそれが、ほんの少しの影響も及ぼさなかったなんて」

 

 うむむ、と水沼さんがうなる。うなって、サントリーの緑茶を一口飲む。

 

「ねぇ椎葉さん、もう一つお聞きしてもよろしいです?」

「はい、なんなりと」

「どうして夕声ちゃんの告白を断ったんですか?」

 

 切れ味鋭く核心に切り込んできた水沼さんに、我知らず呻くような声が出た。

 

 僕が夕声を拒んだ理由。夕声が最後まで気にしていて。

 なのに彼女を傷つけたくなくて答えられず……結果として最悪の事態を呼び起こした、問題の核心。

 

 夕声に告げることは憚られたけど、しかし水沼さんになら話してもいい気がした。

 

「それは――」

 

 僕は水沼さんに思い切って打ち明けた。

 僕の告白を聞くに及び、水沼さんの表情がみるみる変わっていく。

 深刻に。

 

 深刻な呆れに。

 

「……え? 本当に、そんなくだらないことが理由なんですか?」

「くだらな……なんてこと言うんですか! 重大な問題じゃないですか!」

 

 僕の反論に、水沼さんが大きくため息をつく。

 

「椎葉さんって、ヘタレですね」

 

 グサッときた。

 

「ヘタレな上に、見ようによってはもの凄く子供(たつのこ)ですね」

 

 グサグサッときた。

 

「だけど、そのヘタレでくだらない理由がなによりの証拠です。椎葉さんは夕声ちゃんをしっかり受け入れてるし、しっかりあの子を愛してるんですね」

「あ、あ、愛って、そんな……」

「違うんですか? 夕声ちゃんんのこと、愛してないんですか?」

 

 水沼さんが、有無を言わさぬ調子で畳みかけてくる。

 

「……………………他の誰よりも大切に思ってます」

「牛久大仏級のヘタレっぷりですねぇ」

 

 呆れを隠さずに言ったあとで、水沼さんは誰かのモノマネで言った。やれやれ。

 

「とにかく、椎葉さんの心はわかりました。だから、あとはそれを夕声ちゃんにも伝えてあげてください。そのためには、なんとしても夕声ちゃんに会わないと」

 

 まだ間に合うでしょうか?

 そう言いかけて、慌てて出かかった言葉を噛み殺す。

 

 噛み殺して飲み込んだ言葉の代わりに、僕は言った。

 精一杯不敵に。

 

「こう見えて僕は追い込まれてからが強いタイプです」

 

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