オナバケ町の現代異類婚姻譚   作:東雲佑

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第十一話 親分の提案と神社の巫女さん

 水沼さんと別れた後は再び県道バイパスまで戻り、来た時と同じ道を来た時と同じように歩いて引き返した。

 時刻表を確認すると次の電車までは三十分近くあったし、乗り継ぎのことを考えると歩いた方が早く戻れる気がしたのだ。

 

 歩きながら、僕は今後について考える。

 とにかく、まずは僕にかけられた呪いだかまやかしだかダークパワーだかを取り除かなければならない。

 もちろんそれは問題のゴールではなくむしろスタートラインに過ぎないのだけど、しかし後のことは後で考えればいい。今は余計なことを考えるな。

 

 往路ではしっちゃかめっちゃかだった脳内が、今は嘘のようにクリーンに片付いていた。

 状況は依然として絶望的で、しかし、少なくとも闇雲な絶望ではなくなった。

 まだ行動の余地があることがわかったのだ。それは些細にして決定的な違いだ。

 

 とはいえ、残された時間はそう多くはないという気がした。

 夕声がいなくなってから、すでに丸一日が経とうとしている。

 一昼経ち一夜越すごとに、彼女はどんどん遠くなってしまう――そんな根拠のない胸騒ぎがあった。

 

 カウントダウンはすでにはじまっているのだ。残り時間の見えない秒読みが。

 

 女化界隈に戻ってきた頃には、すでに東の空は夜に染まりはじめていた。

 あたりには馴染みの風景が現れている。セブンイレブンとエネオスのガソリンスタンドが業務提携した店舗が交差点の角にあり、そこを左に折れれば我が家はもう目と鼻の先だ。

 

 その交差点で、しかし僕は左ではなく右に折れて進路を取った。

 見えない秒読みは刻一刻と進行していて、だから、家路につくにはまだ早い。

 

 

   ※

 

 

 

 大理石のテーブルにオレンジジュースが置かれた。目の前で栓の抜かれた瓶のオレンジジュースが、ご丁寧にもコースター付きで。

 

「よろしければ、椎葉先生、是非お()ぎさせてください」

「い、いやいやいや、若輩( じゃくはい)の身ですので手酌( てじゃく)で、ほんと、お構いなく」

 

 お気持ちのみありがたく頂戴いたしますと僕が断ると、見覚えのあるタヌキの旦那はそうですかとすんなり引き下がった。

 やれやれ、ここでも僕は椎葉先生か。

 

 瓶の口からかすかに立ち上る冷気の煙が、火を吹いた直後の銃口を連想させた。

 きっと場所が場所だからだろう。それほどまでにこの部屋は、組事務所めいている。

 

「やぁ椎葉くん、お待たせしたね」

 

 タヌキの旦那たちに囲まれながら待っていると、やがて奥から待ち人が現れた。

 

「親分、本日はお時間をいただいて、誠に――」

「ああ、そうかしこまらんでくれ」

 

 ソファーから腰を浮かしかけた僕を、文吉親分が手振りで制する。

 

「わしと君の仲じゃないか。素直に甘えてくれたほうがわしは嬉しいぞ?」

 

 そう言った文吉親分は、まるっきり言行一致した顔をしていた。ほくほくと機嫌がよくて、純粋に僕の訪問を喜んでくれているのだとそう伝わってきた。

 おじいちゃん子だった僕には、なんだか懐かしくて嬉しい感覚だ。

 

「ありがとうございます。話すと長くなるのですが、実は……」

「夕声ちゃんに化かされてるみたいだね」

 

 ズバリ言い当てられて、二の句を失う。

 

「別に難しいことじゃないよ。君にかかっているそれはキツネにかけられたまやかしだろう? 君と付き合いのあるキツネはあの子しかおらんからな。

 そしてなにより」

 

 と、親分はそこで意味ありげにニヤリと笑って、

 

「意気地無しの君がこうして一人で訪ねて来た、それが一番の証拠じゃないかね?」

「……おみそれいたしました」

 

 文字通り両手をお手上げする僕であった。

 それから、僕はソファーの上で姿勢を正す。対面に座した親分に向かって。

 

「文吉親分、この呪い、どうにか解いていただくことはできないでしょうか?」

「だから、そうかしこまるなと言ったばかりだろう」

 

 再び僕を( いさ)めたあとで、親分は短い言葉で仲間に指示を出す。

 タヌキの一人が冷蔵庫から瓶入りのプリンを持ってきて僕と親分の前に置いた。

 ひとまずそれを食べて落ち着きなさい、と親分が言う。食べるまで話は聞いてやらんぞ、と。

 

「しかし、キツネのまやかしは、悪いがタヌキではどうにもできんよ」

 

 プリンを食べ終えたあとで文吉親分は言った。

 

「化けるならともかく、化かすことにおいてはタヌキじゃキツネには敵わん。いや、タヌキに限らず、キツネのまやかしをどうこうできる化生なぞそうはおらんだろう」

「そうですか……」

 

 消沈して、僕は大理石のテーブルに視線を落とした。

 

 そんな僕に、親分は言った。

 

「なぁ、椎葉くん。まやかしを解くことはできんが、力になれんわけではないぞ?」

 

 親分の提案は、次のようなものだった。

 

「君の目的はまやかしをどうこうすることじゃなくて、夕声ちゃんと仲直りすることだろう? だったらわしがあの子に口を利いてあげよう。まずは龍ケ崎タヌキ総出で夕声ちゃんを見つけ出し、そして一言『椎葉くんと仲直りしてあげなさい』と諭すんだ。簡単に仲直りできない事情があるとしても、せめて君に連絡するように言おう。夕声ちゃんはいい子だから、この文吉の頼みを無碍には突っぱねんはずだ」

 

 どうする? と文吉親分。

 

 いったい、なにを迷うことがあるだろう。

 僕は一秒の半分も考えずに答えた。

 

「せっかくですが、お断りいたします」

 

 そう言って、僕は親分に頭を下げる。

 

「親分のお申し出は、正直とても魅力的です。だけど、もしもここで親分にお願いして、それで無理矢理夕声を連れ戻せたとしても、それでは、本当の意味で彼女を取り戻せたことにはならないと思うんです。……いいえ、その選択肢を選んだ瞬間、僕はもう二度と夕声と取り戻せなくなってしまう。そんな気がするんです」

 

 ですから、大変ありがたいお申し出ですが、お遠慮させてください。

 

 一気にそこまで言って、下げた頭をさらに深々と下げた。

 しばらくの間、誰もなにも言わなかった。その場にいた全員が無言となった。

 

 組事務所めいたリビングを沈黙が支配した。

 誰かが唾を飲む音が聞こえた気がした。

 

 それから、突如としてその沈黙が破られる。上機嫌を極めた大笑によって。

 

「わはははは! よくぞ言ったぞ! さすがはこの文吉が見込んだ青年だ!」

 

 相好を崩しに崩した文吉親分が、言っただろう、こういう男なんだよ! とタヌキたちに言う(既視感のある言い回しだった。というかこっちがオリジナルか?)。

 今日はじめて顔を合わせたタヌキたちの僕を見る目が変わったのを感じた。さっきオレンジジュースを注ごうとしてくれた旦那が、なぜだか得意そうに肯いている。

 

「おい、椎葉くん。今夜こそ付き合ってもらうぞ」

 

 と、盃を傾けるジェスチャーで文吉親分。

 

「下戸なのは知っとるが、この文吉の親切心を突っぱねたのだ。一杯くらい付き合え」

「……いやでも、僕ほんとに弱くて……」

 

 と、断る言葉を途中まで口にしかけたとき、不意に思い出したのだった。

『酒が邪気や魔を払う』という話を。

 

「……いえ、わかりました! 是非いただきます!」

 

 やれることはなんでもやろう。

 そんな覚悟と共に、僕は親分のアルハラを受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝は壮絶な二日酔いに苛まれながら目を覚ました。

 下戸のくせに飲み過ぎたのが原因だった。最初は一杯二杯でお暇するつもりだったのだけど、カワウソのラベルの日本酒がやたらと美味だったのがよくなかった。

 文吉親分が僕と酌み交わすお酒を心底楽しんでくれているのがわかって、その嬉しさも度を超えた痛飲に拍車をかけた。

 

 ズキズキと痛む頭に手をやりながら、酒盛りの中で親分が言った台詞を思い出す。

 

『いいか椎葉くん。首尾良くまやかしを退けることができたとしても、それで終わりではないぞ。夕声ちゃんの乙女心を掴めるか、むしろそこからが男の見せ所だ』

 

 前半はまったく同感だったが、しかし後半部分にはやや飛躍を感じさせた。

 

 僕と夕声の今回の問題は最終的に恋愛という一大要素に集約され、大団円は僕が彼女を『物にする』ことによってのみ訪れる。

 文吉親分は事態をそのように捉えていた。

 

 いや、飛躍ではないのか?

 夕声を取り戻すためには、彼女を僕の物にする必要があるのか?

 

 ……しちゃっていいのか?

 

 

   ※

 

 

 カウントダウンは進行している。

 僕はそのことを忘れてはいけない。

 

 午前九時過ぎ、今日も女化神社を訪れる。

 

「お祓い?」

 

 社務所の掃除をしていた宮司さんは、僕の持ち込んだ依頼に驚いた顔で応じた。

 

「ええ、ちょっとその、呪われてまして」

「呪われてるって、ずいぶん断定的に言うね。そういう気がするとかでなく?」

「はい、そこは間違いありません。説明が難しいんですけど……」

 

 僕の説明に、宮司さんの当惑がさらに深まる。無理からぬ事だけど。

 

「……なるほど。事情はよくわからないけど、まぁ、ご希望なら祓おうか」

「ほんとですか!」

 

 思わず身を乗り出した僕に、それで君の心が落ち着いて前向きに生きられるなら、と宮司さん。

 ううむ、なにか面倒な誤解を生んでしまったようである。

 

「それで、最短でいつ頃お願いできますか? それから、費用はおいくらほど?」

「費用は初穂料( はつほりょう)という名目で任意の額を納めていただいてるのだけど、そうだね、今回は三千円ということでどうだろう?」

 

 そんなに安くていいんですか? と驚いて口にした僕に、お金儲けでやっているわけではないからね、と宮司さん。

 

「ただし、準備には少し時間をいただくよ」

「あ……やっぱり今日明日ってわけには、いかないですか」

「そうだね。まず祝詞( のりと)を書かなければならないし、それに神楽を舞える巫女さんも手配しなければ……」

 

 そこまで言って、宮司さんの言葉が不意に途切れた。

 

「? どうかしたんですか?」

「いや、なんだかおかしいなと思ってね。今まではわざわざ巫女を探す必要などなかったというか……

 気のせいだと思うんだが、うちには、誰か専属の巫女がいたような……」

「……」

 

 

 

 結局、お祓いはお願いしなかった。

 時間がかかるということももちろん大きかったけれど、しかし一番の理由は、もちろん巫女のことだ。

 

 この神社の巫女さんは、やっぱり、僕にはあのキツネ娘以外には考えられない。

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