許せない。赦さない。
「わかりました。この恩は、いずれ」
そう言って仲間の元へ走り出す青年の背中を、頬杖をついて眺めながら。
私は嘆息する。
「また勝手に『借り』にする。何度目でしょうね、もう」
責任感が強いというか、いやむしろ見ていて苦笑いしてしまうくらいに律義というか、卑屈というか。
ともかく、手にした書類は受付の机に片付け、きちんと必要事項を記載した書類は『自分の』デスクに投げておく。
(『冒険者を謀るのはギルド職員としてあるまじきこと』、ね)
二枚舌が嫌になる。だが、これは自ら決めて選び取った道だ。自分の腹に在る矛盾を自らナイフで刺して痛い痛いと喚くのは、自業自得というものだろう。
部屋に鍵をかけ、ギルドの制服から仕事着に着替える。
スカートからズボンに履き替え、暗い緑色の制服から黒いそれに身を包むと、自然と表情が凪ぐ。受付で振りまく笑顔は、この仕事の時は全くと言っていいほど出てこない。
必要ないときは働かなくていいだなんて、なんて羨ましいのだろう私の顔は。
宿主である私自身もそうありたいものだが。
(今日くらいは勘弁しましょうか)
誰にともなく、そう赦しを与えて。
私は、夜の中に溶けていく。
◆ ◆ ◆
歓楽街の奥にある娼館通り。
冒険者でいられなくなった人々、金に困った貧困層、曰く付きの人間。そういった人々がそれでも真っ当な世界の一部になろうと藻掻きながら生きる街。私は、この場所を嫌いにはなれない。
そんな詮無い事を脳から外へ弾き出し、通りの中でも一等地に立つ巨大な店の裏口をノックする。
がちゃりと扉を開けば、華美な素材の服をミチミチ引き延ばし、申し訳程度に収まったデカい乳が出迎えた。
「遅かったじゃないの。気合入れてるところ悪いけど、もう済んでるわ」
「知っています。だから来たんですよ」
そうして、背の高い乳の先導の元、後ろから見える無駄乳を旗印に娼館の裏側を進んでいく。
がやがやと喧しいのは、決して偶然ではないだろう。皆しきりに着替えを済ませ、化粧を直し、香水を振りまいて自らを飾り立てている。
案内された先は、外の荘厳さを繕い高級感を押し出した内装とは異なる木製の跳ね上げ戸と、その下に続く薄汚れた階段。
その中を、猛然と進んでいく牛のような乳と、私。
「……相変わらず似合っていませんよね、その喋り方」
「癖づいちゃって抜けないわ。堂に入ったあなたとは違うのは重々承知だけどね」
なんとなく雑談を振ってみようかと思ったが、出てくるのは出がらしみたいな話。
仕方がない。公私で顔を嫌になるくらい見合った間柄だ、話題なんてこのくらいしかない。
「ついたわよ」
先導の乳はそう言って、重い錠で閉じられた扉を押し開いた。
途端封じられていた部屋の中の音が外にまで聞こえてくる。
怒声、罵声、品のないジョーク。耳にタコができるくらい聞きなれた、お決まりのパターンだ。
「人数を確認して頂戴」
娼館の地下に立ち並ぶ牢。平時は『そういう』趣向で客をもてなすための特殊な部屋に過ぎないが、その作りは本格的。というか、本格的になるように計らった。
だからこうして、何の警戒もせずにのこのこと利用する愚か者を釣り出して捉える『罠』になっているのだ。
嵌められた手枷をどうにか破壊しようとあがき、噛みちぎろうとして歯を欠くもの。
鉄格子から太った腕を伸ばしこちらを掴もうとして、格子の隙間から腕が抜けなくなるもの。
唾と怒号を飛ばすことでこちらを威圧しようとするが、一睨みすれば竦む臆病もの。
どいつもこいつも、物覚えの悪いダンジョンの中の怪物の方がよほど己を律しているのではないかと思うくらいやかましく、下品で、無駄な抵抗をしていた。
その中で、一人だけ余裕の表情を浮かべ、一番奥の一等狭い牢に繋がれた男。
おそらくは今見えている顔つきにも何かしら手を加えているのだろう。となれば、叩けば私たちが得ている情報以上の余罪が出てくるかもしれない。
それ以上に、ダンジョンから出てきた技術や道具をどうしてこんなくだらないことに使うのか。私からすればそちらの方が、甚だ理解に苦しむ。
「これはこれは、ギルドから呼び出しがあったとは伺ってましたが、まさかそちらからお越しくださるとは」
自分がどういう状況なのかもわからないのか。
そう思いながら言葉を待てば、どうやらこの男は私の正体について感づいているらしい。
素晴らしい。私は思わず口角を上げた。
「
そう言って、男はニマニマした挑発的な笑みを向けてきた。
一瞬胸の内を走った喜びをかき消すうすら寒いその顔に、私の表情は再び凪ぎ、さっさと仕事を済ますべく淡々と言葉を重ねる。
「それで? もう状況はお判りでしょう。どう申し開きをするつもりで?」
そう言うと、彼はゲラゲラ笑う。やはり、状況が読めていないらしい。
「おいおいおい! まさか俺のバックにどんな組織がついてるか、気付いてねえのか!」
――なるほど、そういうことか。私は呆れて溜息を洩らす。
自分の利用価値ではなく、自分の後ろについている組織の大きさで気が大きくなる、典型的な小物。
こういう手合いは大嫌いだ。野放しにしようが捕らえておこうが、常に余計な仕事を増やし続ける疫病神のような存在だ。甘い汁を啜った量が多いほど、更生の道も遠のくし、再犯を冒してそのたびに気を回さないといけないし、ああ、頭が痛い。帰ろうかしら。
「何無視してんだよ女ァ! さっさとここから出さねえとどうなるか……」
「やかましいですね、知ってますよ『癒やし手』でしょう?」
吐き捨てるように教えてやる。知っている、と。
先程まで威勢よくキャンキャンと吼えていた男は、ぽかんとした表情のあと、露骨に動揺したように口の回りが鈍る。本当に、わかりやすい。
「な、なんだ、知ってやがるのか。なら早く」
「出すわけがないでしょう。私たちはその『癒やし手』の依頼で動いているんですから」
みるみる青ざめる男の顔。
漸く、愚かな頭で気付いたようですね。
「あなたに協力していた派閥はついこの間潰されましたよ。今のあなたは、掃除しなくてはならないゴミの一つ、というわけです」
「ま、待て、いや、そんなわけ」
「残りは後々引き渡す方の『癒やし手』の方に聞いてください。その前に」
手袋をする。こんな相手を直接触るのは嫌だから。
「私たちに、いえ、私にとってあなたは『掘り出しもの』なんですよ」
人の情報網を嘲ろうとした割りに、自分がその辺りを抑えられてない。
後ろでデカ乳が私を止めようと肩を掴むが、それを振り解く。
「……折り目正しく答えてくださいね。あなたと、それに関わる冒険者とも呼べないクズどもの話を、洗いざらい」
◆ ◆ ◆
煙を吐く。
従来の煙草と異なる薬草を含んだ煙草もどき。味は最悪だが、清涼感で頭は冴えるので最近は重宝していた。
青白い煙が、まだ紺より黒に近しい夜空に上ってすぐに掻き消えていく。
「終わったわよ」
「ああ、はいはい。お疲れ様です」
無駄乳を揺らしながら、幾らか見ていて痛々しくない服装に着替えた乳が私の隣に座る。
それだけ着込んでもまだ揺れるか。反吐が出そうな気持ちを吐き出そうとする前に、乳の方が先に喋りだす。
「彼らを貶めた連中のことは分からずじまい。他の連中も同じよ」
「それはそうでしょう、ね」
はあ、と肺に溜まった煙を吐き終えると、手元にあった残りを地面に擦り付けて火を消した。
――結局、やったことはゴミ掃除。清潔にはできたが、それ以上のことはなかった。
ギルドとしては『癒やし手』の有力者に貸しは作れたけれど、組織がどうこうなんてのは正直私にはピンとこない。
ただ、組織が力をつけて私の仕事が増えるかもしれないと思うと、憂鬱なだけで。
「あんた前より目のクマひどいわよ、ちゃんと寝られてる?」
「うるさいですね、半分近く貴方のせいなんですから責任を感じて下さい」
喧しいお節介をしてくる乳に文句を垂れる。
それでも私の吐く毒を意に介さず、顔を覗き込もうとする顔を手で振り払うと同時に目が合えば、無駄乳は黒い髪をかき上げ笑った。
「そりゃそうでしょ。こんなザマでも、あんたの父親よ」
「だったらせめて口調ぐらい戻してよ、不快。キモい」
そう投げつけてやれば、少し困ったように眉を下げて、私の髪をぐしゃぐしゃにしてから去っていく。
顔立ちは全然違うのに、表情の作り方は昔の儘。ごつごつして固い掌は細くて長い女の手になっていたのが、本当に気持ち悪い。
というかなんでなんのタネも仕掛けもない天然モノの女体の私がこんなちんちくりんで、なんでダンジョンの罠によって後から改造された父、いや乳があんなバインバインのボルンボルンなんですかおかしいでしょ、絶対におかしいでしょ。
……悲しさと、敗北感。ついでに疲労感に塗れながら、私はギルドに戻ることにした。
夜更けの街を歩く。寝静まった街は子供の頃はひどく恐ろしかったのに、大人になった今は何とも思わない。むしろ人込みに揉まれる心配がないから歩きやすいと思うくらいだ。
黒い服。ギルドの内部監査員、いや、拷問から暗殺までやる暗部の人間が身に纏う、ダンジョンのモンスターから剥ぎ取られた繊維を強固に編み上げた服。刃を通さず、矢を弾き、火にも水にも強く血もすぐ落ちる。
(これを身に着けても、
残酷で、不平等だ。
たとえそれが私たちを守るためのことだとしても、そう思わずにはいられない。
私は、冒険者になりたかった。
父はギルドの職員でありながら冒険者としても名の知れた人で、多くの人の為に働き、戦った。私はその背中を見て育ち、いつかは父のような人になりたいと願った。
けれど子供の憧れは早々に打ち砕かれる。
ダンジョンに、女は入れない。国を治める王から下された令が私から夢を取り上げた。
どうして。ダンジョンの罠にかかって女になったりした人間はそのあとも入れるのに、どうして私たちは駄目なんだ。おかしい、そんなのはおかしい。
そんな風に唱える人間がいてもおかしくなかったのに、だれも声を上げなかった。
地方貴族の令嬢が罠に掛かって、結果ブクブクに太った男になった挙句、同行していた女騎士を無理やり姦淫する事件なんて起こったら、黙らざるを得ない。
そんな仕方のない事情で、私は夢を奪われた。
だから私はギルドの職員になった。冒険者になれないのなら、せめて冒険者を助ける仕事をしようと。
母もギルドの職員だ。冒険者になる、なんていう夢よりかははるかに応援された。
けれど、ギルドの職員になろうと努力するにつれて、私は更に心を打ち砕かれた。
私の憧れる、父のような冒険者はほとんどいないということ。
得た素材や道具をちょろまかしては闇市に売りさばき、ダンジョンから見つかって今日まで発展した技術や成果を悪徳な手段や商売に利用する。自分たちの利益、名声、或いはただの快楽や暇つぶしの為に同業者をダンジョンの罠に突き落とす外道までいる。
信じられなかった。そして、許せなかった。
私の憧れた『冒険者』という肩書をなんの苦も無く名乗れるのに、その称号を穢す人間が余りにも多い事。
その日から、私のあこがれは捻じ曲がってしまった。
冒険者になるために率先してダンジョンの外に溢れた怪物を倒してきたその技術で、今度は人間を打ち倒す訓練をした。
冒険者になるために磨いてきた交渉やダンジョン産の技術や道具を見抜く審美眼で、今度は悪人が使う欺瞞偽装を見抜けるように鍛えた。
冒険者になるために学んだ怪物の身体構造や罠の仕組みを覚えて捌く記憶力と技で、今度は人間を効率よく痛めつける方法を覚えた。
私にとって大きな願いで、憧れで、宝物だった夢を踏みにじられていることが、私には許せない。私は赦さない。
そう固く誓えてしまうくらい、面倒くさい私は、気付けばギルドの暗部組織の長になった。
ギルドと絡む利権を守り、時にそれらに逆らってでもギルドの規律と規範を守り、そのために手を汚す。
冒険者になる事をはじめから拒まれた私にとって、それはある種天職だった。
内にくすぶり続ける怒りを胸に、冒険者とも言えない外道を拷問し、捕らえ、時に殺す。
どんどんと、赤黒くなっていく自分の手を見るのにも慣れ始めたころ。
そう。
そのころに、私は彼と出会った。