頼れる仲間はみんな目が据わってる   作:佐渡ヶシマシマ

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六話(裏)・血に濡れた手・後

 

 激務であるギルド職員の窓口業務を担当するのは、自分の本当の仕事を誤魔化すためのカモフラージュ兼怪しい冒険者を自然に探るための内偵も兼ねられていた。

 

 だからこの仕事を楽しいなんて思ったことはなかった。

 正直、しんどさすらあった。

 人当たり良く演じ、心を砕いているかのように振る舞い、新人には精々長生きできるように助言をくれてやる。

 毎日貼り付けたように作る笑顔で、毎日頬が痛かった。

 自分にないものを、さも当然のように持っている人々と、笑顔で毎日顔を突き合わせないといけないだなんて、想像できるだろうか?

 苦痛だった。

 そのぶん、外道や屑を痛めつけるときには、心の中が多少なりともすっきりしたものだ。

 

 

 ……そんな中に、突然現れたのが彼だった。

 私と歳はそんなに離れていない。けれど、世間知らずと言った風の彼は、前置きもクソもなく、ダンジョンに入りたいと言ってきた。

 不躾だ。モノを知らない人間だ。私は心の中で溜息を吐いた。

 

「書類にサインをお願いします」

 勿論そんなことはおくびにも出さず、貼り付けた笑顔で伝え書類を渡す。しげしげと眺め。後ろにいた金髪碧眼の美男子とあれこれ話をして、結局その美男子が代筆した。

 不思議な二人組だ。そう思いながらも、田舎から口減らしか何かの為に送り込まれたのだろうかとか、その程度の認識でしかなかった。

 

 その翌日だ。その子らがダンジョンから人を担いで助け出してきたというのだから、ギルドの中は大騒ぎだった。

 

 右も左もわかっていないダンジョンの中で生き残って帰ってきただけでも万々歳。そしてそれが人を助ける余裕まである。人格実力ともにそれなり以上、それをたった一日で証明したのだ。

 父もその時は驚きと共に機嫌良く、彼らは大成するなどと言って普段飲まない酒を呑んでいた。

 

 私? 私からすれば『不愉快』以上の感想はなかった。

 行方不明者が担ぎ込まれれば仕事が増える。ダンジョンの罠の影響で心身に異常をきたしていれば表ざたには明かせないが癒やし手や医療者への連絡が必要になる。本人への聞き取りから、書類の山、考えるだけで憂鬱だ。

 何より、あの冴えない男が、いや、自分と歳が近いのに男というだけで冒険者になれて、そして人助けという綺麗な成果を挙げていることが、妬ましかったのかもしれない。

 

 

 次の日、その冒険者が現れた。

 いつもの通り、必要な書類の記載をするよう求める。言われた通りに書いてみせたその男の文字は、できる限り擁護してものたうち回ったインクの染みにしか見えなかった。

 これでは認可できませんよ、そう言うと。

 

「すいません、練習はしたんですが」

 

 突然そんなことを口にした。

 まあ、そういうこともある。最初に念頭に置いた口減らしなら、教育もまともにしてもらえなかったなんて話はよく聞く話だ。

 

 恵まれない人々が最後に行く着く生業としての冒険者。憧れた職業に宿るその側面を私は否定しない。

 けれどそんな人々を私は別に同情しない。

 私は冒険者に憧れていた。それは父のような人であり、それ以外の数える程度の人間のことだ。生き残らず、脱落する人間の事はどうでもよかった。

 

 とはいえ、眼前の男はその実力を証明した人間でもあった。

 強いが、幼稚。

 なんとなく、そのちぐはぐさが気に入らず、そして気になった。

 

「それなら――私が、お教えしましょうか?」

 激務の中でそんなことを言い出したのは、今思えばなんという気の迷いだったろうか。

 

 だが、その言葉を言った時の、ほんのわずかに眉が申し訳なさそうに下がり、それでいて驚くように少しだけ目つきの鋭い三白眼を見開いた彼の表情が忘れられない。

 

 

 その後、私たちは多くの事を話した。

 

 彼が、寒村の墓守で父に冷遇され、その中で今の友人であるアスタと出会い、そして旅の中で冒険者になるために一番近いこの街にやってきたという半生も、そこで知った。

 まるで物語の主人公のような生い立ちだ。それを思うと、妬みは増すばかりだった。

 

 けれど彼から聞けるダンジョンの中の話は私の好奇心を満たした。

 おぞましいダンジョンの罠やひしめく怪物、それらとどう戦い、どう勝利したか。それは直に目に触れられないものだからこそ、この無知な男に文字を教える価値があると思えるほどに。

 

 

 ……その意識が変わっていったのは、いつからだったか。

 

 彼と話すとき、私はただのラネーでいられたからだろうか。

 ギルド受付のラネーではなく、ましてギルド暗部のラネーでもなく。

 冒険者に憧れる、変わり者のラネーでいられたから、だろうか。

 

 彼が物覚えがよかったことも要因の一つだろう。

 一を教えれば彼は自ら学び、次会うときには二に足を掛けている。

 打てば響くそんな姿が、何度言っても書類仕事をしくじる同僚や簡単な書類の記載ひとつさえまともにやらない冒険者とは違って見えたからだろうか。

 

 それとも私に余裕ができたから?

 彼と話していると、次第に受付の業務の際に冒険者の話をより真摯に聞けるようになった。

 それのお陰で未然に防げたトラブルや、知り得なかった情報を得られるようにもなっていった。

 ついでに、文字を教えたよしみとして彼に少々厄介な仕事を投げつけるようになったから、自分の時間がほんの少し増えたからでもある。

 

 兎も角。彼が成長すると共に、私は変わっていったのだ。

 けれど書類に必要な分の字の書き方なんて、彼にはとっくに教え終わっていた。

 だから、引き延ばした。読んでいた本の一部や、戯曲の一節、押し付けられたくだらない恋文から引用した台詞なんかも交えた。

 

 馬鹿正直に、時折難しさにうんうん唸る彼の姿は、なんともほほえましかった。

 この文字教室の間にも、仲間を増やし、多くの報酬よりも目の前の人命を優先して類を見ない救助者を運び込み、やがて父にも気に入られ『救出者』なんて二つ名がついた後も、彼は書き慣れない文字列に真面目に取り組む。

 

 歪んでいたけど、優越感があった。

 

 けれど同時に、後ろめたさも芽吹いた。

 彼はまさに私の憧れる冒険者としての姿であったからこそ、この血に濡れた手で、彼の傍にいつづけていいものか、と。

 そんな私をあのノンデリカシーな父は恋する乙女だな、なんて言葉で片付けやがったけど。

 

 

 

 でも、そんな日が終わりを告げたのは、つい数か月前。

 いつものようにダンジョンから戻った彼が担ぎ込んできたのは、女の身体になった父の姿だった。

 見てもわからないくらい原型をとどめない父の身体。背丈と、髪色と、目の色。そして、私を見た時の瞳で察しはついたが、身分を証明できるもの――ギルドに加入した冒険者が持つギルドカードさえ持たぬ全裸であったから、その場では『ただの冒険者』として対応した。

 

 崩れ落ちることも、察される動揺をしなかったのも、ただ暗部として働いていたがゆえで。

 父を裏に運び込んだあとに、「すまないな」なんて聞き覚えのないハスキーボイスで言われた時には、涙が止まらなかった。

 

 

 そこで私は初めて気付けたのだ。

 私が憧れていた冒険者とは、父だった。

 私が憧れていたのは、優しく、そして清廉で、強い父の姿だった。

 なんのことはない、勘違いだったんだ。父のようになりたいから冒険者に憧れていたのであって。父が名乗る冒険者の品位が落ちることが許せなくてこんな仕事を始めたのであって、私は。

 

 そう気づいたときにはもう、私の手は血に濡れすぎていて。

 本当に、仕事に身が入らなかった。やらないミスを連発した。

 

「大丈夫ですか、ラネーさん」

 

 そして、そんな私の油断は人の機微に鈍い彼にさえ悟られるぐらいに重症化した。

 私の前では『生徒』という立ち位置にいた彼に、しょうもないプライドが邪魔をして私は本心を明かせなかった。

 

 嘘。本当は、心根を明かしたかった。

 私の誤った憧れで辿り着いてしまった愚かな選択を、歳を重ねて憎まれ口を叩くようになってしまっても大好きだった父が、あんな姿になってしまったこと、全てを吐き出して彼の胸に縋り付いて泣きたかった。

 恋慕でも、愛慕でもない。そこにいた、居てくれた、心通じ合う他者として、彼に凭れかかりたかった。

 

 けれど無理だった。

 

 彼は私の憧れる、清く、正しく、強く、優しい冒険者だった。

 父を、冒険者としての父を失った私にとって、彼こそが私の中の憧れの象徴なのだ。

 そんな彼に、暗愚ゆえに自ら血に浸した手で縋り付くのは己を許せなかった。

 私は、面倒くさいラネーだから。

 

 

 そんな面倒くさい私を。

 彼は、わかってくれていた。

 

 

 ある日、受付に手紙が届いた。

 業務連絡に混ざって入っていたその手紙を、またよくわからない手合いの恋文か、こんな時期によくも、そんな風に破り捨てる直前に、宛名に刻まれた名前に、慌ててその手を止めて奥の専用の執務室(プライベートルーム)に潜り込んで、封を開けた。

 

 私が教えた綺麗な文字で、謝罪から入って、こちらを慮る様子が連ねられていて、このように文字はうまくなったからもうお手を煩わせなくてもよいという、いわば卒業を認めてくれというような文面。

 そして、最後に。

 

 俺たちは、いつもあなたに助けられています。

 どうかその笑顔を曇らせないでください、貴方を慕う全ての『冒険者』の為に。

 

 そんな言葉が、末尾にあって。

 手紙に添えられたもう一枚の大きな紙きれに、びっしりと。感謝の寄せ書き(ことば)が綴られていたのだ。

 知った名前もある。知らない名前もある。汚い文字も、綺麗な文字もある。

 ――その中には、どうやって手に入れたのか父の名前もあった。もちろん、彼自身の名前も。

 

 

 凝り固まったものが、氷解していくようだった。

 

 嘘。何度も小声でそう漏らしながら、私は手紙を抱えて泣いた。

 

 嘘っぱちの笑顔。嘘っぱちの誠意。

 自分にないものを持っているからと勝手に敵視して、勝手に恨んでいた人たち。

 嘘で塗り固めた言葉に、表情に、仕事だからと内心辟易しながら行っていた仕事に。

 

 ありがとうと、言われた。

 

 父のような、冒険者。その枠組みばかりに囚われていた私は、なんて愚かだったんだろう!

 うわべだけを見て、それ以上の事を考えなかった自分は、なんと愚かだったのだろう!

 

 私はその日から、『ギルド受付のラネー』として生まれ変わった。

 笑顔を続けることはやっぱり辛いし、頬も痛い。

 けれどそれを受け入れることもできるようになった。

 

 それと同じくらい、『暗部のラネー』として振る舞うことも苦ではなくなった。

 かつて憧れた偶像としての姿ではなく、今を生きる冒険者の尊厳と規律を守るために、この汚れた手でさえも誇らしかった。

 

 彼との時間は、『ただのラネー』でいられる時間は少なくなった。

 けれどたまに彼の前だけで覗かせる瞬間、私は少しだけ、穏やかで、幸福だった。

 

 そうだ。これからずっと、私は生きていく。

 願わくば、冒険者であり続けるのなら、彼と共に。

 

 そう、思っていたのに。

 

 

 

 次に運命がおぞましい魔の手を伸ばしたのは、彼と、彼の仲間たちにだった。

 

 

 

 たった一人で、三人とその装備を抱え、血まみれでギルドにやってきた彼は、腹を抉られ、足を引き摺り、それでいながらうわ言のように自分を責める言葉を口にし続けていた。

 

 彼の功績と財を妬んだ人間による罠。

 それを彼が見抜けないはずがない。

 

 私はすぐさま下手人を『暗部のラネー』として詰問し、拷問し、全身の皮を剥いで爪を毟り脳を弄った。

 ――そこまでして、漸く、連中は『何か』の差し金で動いていたことをつかめた。

 

 けれどそこから先にはどうしてもたどり着けない。

 

 彼は、そこから罅が入ったようになった。

 ただでさえ大きかった自責の感情は深く刻み込まれ、治る見込みもなくなった。

 瞳の奥にあった僅かな輝きは消え失せ、ただ仲間たちへの贖罪に心を囚われた。

 

 

(どうして。どうして。どうして!)

 

 

 気付けなかった己が憎い。『ギルド受付のラネー』がもっと早くに気付いていれば。『暗部のラネー』が、もっと早くに奴らを捕らえ排せていれば。私が、もっと、彼の傍にいられれば!

 

 絶対に許さない。赦せない。

 その日から私はあらゆる手を使い、彼を傷付けた人間を探し当てるために働いている。冒険者の人々のために働く矜持は奪われていない。だがそれを気付かせた彼への狼藉は、絶対に見逃せない。

 

 父さんも協力してくれると言ってくれた。

 冒険者として、父さんは彼らに目を掛けていた。直接アドバイスしたりすることは少なく、顔見知り程度だったけれど、彼を無礼る冒険者には自ら鉄拳を食らわせるくらいに評価していたから。

 デカ乳になったことは許せないけど、それはそれ。

 裏のコミュニティである娼婦街に入り込み、辣腕を振るい一つの娼館をまるまるギルドの提携組織に変えて、志の死んでいない元冒険者たちを引き受ける受け皿になっている。

 

 私の仕事は増えたが、安いものだ。

 ただ乳を強調しすぎる格好をするのはやめてほしい。あと溶け込むために身につけたという女口調。

 なんか、仕事人間でちんちくりんの女の部分が、敗北感を感じるのだ。

 

 

 

 

(……彼には、きっと見た目の美醜なんて関係ないんでしょうけど)

 

 冷静になって、空を仰ぐ。

 星の光が薄らぎ、僅かに片隅が朱に滲み、朝の匂いが漂い始める中で、私はそう詮無い事を思考する。

 

 彼の心には、穴がある。

 見下ろしても決して底の見えない真っ黒な穴。いや、ともすれば反対側が覗けてしまう、空っぽな穴。

 

 ――故郷の話をするとき、決まって『父親』の話しか出てこない。

 ――自分が受けた恩を、借りとして認識する。

 ――彼個人の活躍を、仲間たちを含めた形に変換する癖。

 

 直接聞いたわけでもないけど、邪推すればすぐに想像がつく事実。

 好意を受け止める器の底に空いたその穴は、広がり続けている、と。

 

 いつか、その穴を塞ぐことができたら。

 彼とその仲間を貶めた外道を暴き、始末することができたら、少しはその留飲も下がるだろうか。

 或いはこれも大きな借りとして認識するのだろうか。

 

 どちらにせよ、もし、そうなったら。

(せいぜい私の長話を聞いてもらいましょうかね)

 

 そう。この忙しさを。私の言葉で聞いてもらおう。

 苦しみと、やりがいに満ちた、私の誇りを。

 

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