ダンジョン、中層。
煉瓦造りの迷路にも似た上層とは違い、剥き出しの石の、本当に『洞窟』といった風だ。
出てくる怪物も、三つ首の狼、単眼の巨人、毒々しい色をした触手の塊みたいなものなど、異形の様相が強くなっていく。
そして罠の数は少なくなるが、その一方で一度掛かってしまえば二度と戻ってこられないようなものが大半を占める。
……この層まで入り込めれば、罠に掛かった人を助け出すため後退することは、少ない。探索が妨害されることもないだろう。
そう考えてしまう自分の冷酷さは、最初から持っていたものだったろうか。それとも、仲間たちがあんな姿になってから得た物だろうか。
「少し休んだ方がいいっすよ、カイトさん」
ふと、顔を上げれば隣にいたのはタイムだった。
あの日、臨時で俺たちの一党に入ることになったタイムだったが、あの事件があって翌日には俺たちのダンジョンの探索について来た。
アスタと同じく剣を使う前衛を受け持つタイムは、身体の変貌を一切感じさせない動きで戦いや探索を行っている。むしろ本人の弁では、元の身体よりも力がみなぎっているというのだ。
使命感や、義務感。そういったもので無理矢理気力を振り立たせていないか。そう思い様子見をしていたが、その様子もない。
彼は、素で中層にやってこられるだけの実力がある。
もし、あの時罠にかかっていなかったら、彼も、いや彼の本来の仲間たちと共にここまでやってこられていたのかもしれない。
「またその顔してんじゃないっすか」
そう言いながらタイムは溜息をつくと、俺の隣に腰を下ろした。
彼と二人きりの時には、彼はそう言う。
一体自分がどんな顔をしているのか。聞いてみても、彼は溜息をついて同じことを言う。
「死にそうな顔っす」
と。
互いの間に、沈黙が流れる。
怪物除けに香を焚き、ククラータ、フィグ、アスタは臭いの少ない干し肉とパンを無理やり腹に詰め込んで眠っている。先程フィグとククラータから見張りを引き継いだばかりだ、アスタはもう少し寝かせてやりたい。
「皆さん、いい人たちですよね」
俺が僅かに仲間たちへと目線を向けたのを察したのか、タイムはそう口を開いた。
「突然現れたオレのことを気遣ってくれるし、背中を預けてくれる。ついこの間までめそめそ泣いてて、リーダーのカイトさんにもひでぇこと言ってたのに」
指折り数え、三本目を畳みかけたところで、彼は俺に向き直ってその節は本当にすいませんと頭を下げる。気にしていない、そう言って俺は微笑みかけようとしたが……伝わっただろうか。
ぎこちなかったのか、それとも予想以上に歪んでいたのか。タイムは噴き出すように笑いながらも、どこか心配するような眼差しを俺に向けた。
「怒らないんすね」
「――? 何がだ?」
首を傾げる。何に対しての事なのか、さっぱりわからなかった。
「っすか」
相槌のような言葉を吐きながら、膝を抱くように座る姿勢を変えようとしたが、息苦しそうにう、と息を漏らしすぐに足を崩す。俺は、少しだけ目を逸らしてしまって。
「カイトさんは、すごいすよ」
静かに、ぽつりと溢した言葉。
それを、俺は否定する。
「すごくなんてない。すごければ、俺はもっとうまくやれている」
心の底から、そう思う。
アスタのように、一閃で自身の三倍の大きさある巨人の幹のような足を叩き斬り、返すもう一閃で崩れる腰から脇腹までを両断するような膂力が、迷いなく踏み込める勇気があれば。
フィグのように術を操り、数十の獣の群れを炎によって焼き尽くし、その一方で仲間たちを守るドーム状の障壁を形作れるくらいの魔術という力が、才覚があれば。
ククラータのように、薬の知識と幅広い応用の手段を持ち、仲間に適切な薬品を適量準備する傍ら、飛び込んできた三つ首の二つを砕き、最後の一つを額で砕くような頑健さが、知識と技術があれば。
……俺にはないものばかりだ。仮にそれらを持っていたとしても、俺はきっと一人ではいられない。
「どーしてそんな鬱々とするんすか、褒めてるのに」
むすと頬を膨らませながらタイムは言った。
そう言われても、俺にはまだないもの、足りないものが多い事もまた事実だと考えている。良し悪しに関わらず、自分にないものを欲しがるのは人間として当然だと思うのだが。
「完璧な人なんかいねえっすよ。だから、カイトさんはすごいっす」
いつかにククラータにも言われたような言葉のあと、タイムは再び指を折りながら言葉を続ける。
彼は言った。他の人間にはまねできない程に正確な危機察知能力と地形の把握。
彼は言った。百発百中の射撃の腕と、投擲物。そして複数の刃物を同時に使った格闘戦。
「何より、人たらしっぷりじゃ右に出ないっす。みんなに愛されるひとっすよ、カイトさんは」
そう言われて、俺は思わず息を漏らした。
は、と。それは自分でも珍しいくらいにはっきりと、嘲笑だった。
どうして今それが出たのかは、わからない。だから、自分でも何かいけないことをしたと、反射的に咳払いで誤魔化す。
とはいえ、実際に彼に言われた台詞には、全く同意出来なかったのだが。
仲間たちから、信頼してもらえている、とは思っている。それは俺が自分のできることを最大限やろうと努力し、結果を残せているから。
多くの人から礼を言われることが多いが、それは俺が自分の仕事やっているからで、人たらしとは違う気がする。
他人の感情は目に見えない。
肌で感じられるのは害意や敵意といった、刺々しいものばかりだ。
「好意も、肌身で感じられればよかったのにな」
ぼそと、呟いた言葉。まるで詩人のような台詞だ。
言って僅かに恥ずかしくなり、頭を掻きながらタイムの方に視線を向ける。彼は目を見開き、そしてはっとしたように俺から視線を逸らすと「向こうを見てます」と立ち上がって反対側の警戒に回った。
また、余計なことを言ったのか。或いは、余程酷い顔をしていたのか。
目元を拭う様に擦り、俺も周囲に気を配る。驚くほどに静かで害意も感じないながらも、万が一に備えて。
◆ ◆ ◆
中層の探索は順調だった、いや、順調すぎた。
出てくる怪物は皆殺し、魔石も大量。道中で見たことのない道具まで発見し、このまま下層には行けそうもないくらいに荷物が山盛りだ。
「一時退却、かな」
「ああ」
共に荷物の確認を行ったアスタと頷き合うと、俺は首から提げた取り出したネックレスを手にした。
ダンジョンの中で見つけた道具の一つ。『帰還の石片』と呼んでいる。
光の当て方によって色が変わるその宝石は、使用者を中心とした一定の範囲にあるものをダンジョンの入り口に転送する機能がある。
……当然相当便利な道具には違いないが、似たような効果を持っていて安価な携行品が店売りされているため、珍しくはあるが唯一無二の品というわけでもない。
使い捨てではなく、何度も利用できること。転送が手にしている人間だけではなく、指定範囲内にある人やモノを分け隔てなくダンジョンの入り口に送ることができること。
その分危険な怪物をダンジョンの入り口近くに送るようなへまをしないように気を付けなくてはいけないし、罠に掛かってから発動するなんて都合のいい事はできない。
皆が罠に掛かった時も、これを使った。
あの時の事は思い出したくもないが、それでもこいつは皆の窮地を助けてくれる、お守りだ。
いつものように、転送を行おうとする。はぐれないようできるだけ周囲に固まってもらうのだが。
「フィグ?」
いつも以上に、フィグの距離が近い。半ば腕にしがみつくような体勢だ。
……どうしてそんなことをしているのかと聞こうとするが、大きな帽子のつばのせいで表情を伺えない。
「熱烈だね、フィグ。なら僕も失礼して」
そう言って、後ろから腕を回してくるアスタ。ごつりと後頭部に固い怪物の皮で作った鎧が当たってとても痛い。流石に悪乗りが過ぎるんじゃないかと思うが、視線を向けたククラータには首を振られた。
普段の俺たちを知らないがゆえに、ある程度客観的に物事を見て判断してくれるタイムでさえ、今回は何も言ってくれない。
こうなったら諦める。
周囲に害意がないか、敵意がないか。万が一より少ない襲撃や攻撃の可能性すら、取り落とさないように。
――体が、浮くような感覚。転送が始まる。
周囲が光に包まれると共に徐々に景色が歪み、十を数えるか数えないかの間に入り口近くに辿りつくだろう。
何かが迫ってくる感覚も、突然罠が迫ってくる感覚もない。
よかった、そう安堵し息を漏らす。
それと同時だった。
(あ、?)
力が抜ける。
ぐらりと、まるで酒に酔った時のような視点の揺れ。
誰か、仲間たちかタイムか、誰かに呼び掛けられていると理解できるが、誰の声なのか判然としない。
うわあん、うわあんと。耳鳴りが遠のく。
そのまま、意識がぶつりと途切れた。
◆ ◆ ◆
自分の記憶は、物置小屋に押し込まれていたところから始まった。
生乾きの木が放つカビと雨の臭い。それに錆びた道具と湿った土の臭いが混ざった中で、俺は立ち上がり、記憶の中に朧げに残った『父』の元へと向かった。
ドアを叩き、俺を見たその人は、俺に大振りな鉈を投げつけて、そのまま強く扉を閉め鍵を掛けた。
あの人が俺を見る目は、怪物を見る目と同じだった。
黒い髪。赤い目。
育った村では俺のほかにいないその特徴。禿げていたその人がどんな髪色なのかは定かではなかったが、少なくとも眉の色とは違った。瞳の色も、言わずもがな。
ああ、俺はあの人の実の子供ではないのだな。
子供ながらに、そういう直感があった。
とはいえ。
その時の自分はまだ子供。家を出るなんて判断ができるはずもなく、俺は与えられた鉈を抱えながら、夜になると外に出るあの人の後をこっそりとついていき、何をしているかを学んだ。
あの人の仕事は、墓守。
ダンジョンの外にあふれ出てきた怪物や、野生の獣、あるいは人間が死体を掘り起こそうとするのを止める仕事だ。獣が人の味を覚えないように、村が獣に襲われないように見回る。ついでに獣を見つけて仕留めたら捌いて肉を売る猟師のようなこともしていた。
毎夜毎夜、墓を回り、罠を仕掛け、獣が出たらそれを狩る。
俺はそれに息を殺してついていく。どうやったら獣を殺せるのか。どうやったら罠を作るのかを学んだ。
倉庫の中に眠っていたボロボロのボウガンを握り、使い方を見て学び、仕事から帰って眠る昼の間に練習した。
鳥に向かって石礫を当てる姿を見た俺は、同じように石を、やがて枝を削ったナイフを投げる練習を始めた。
あの人を見、そして学ぶ。それを俺は、まるで親子の時間のようだと感じていた。
ある日のこと。俺は罠に引っかかって木に吊り下げられた。
幸いすぐに脱出することができたが、獣用の罠に自分がひっかかっていたら意味がない。俺はあの人が仕掛けた罠を踏まないようにすることを覚えた。
ある日のこと。俺は後ろから襲ってくる獣に気付かず危うく殺されかけた。
幸い近くに仕掛けられていた罠があったために頭を食い千切られずに済んだが、夜の闇の中で姿が見えない相手に殺されそうになった経験は子供心に強い恐怖となって刻まれ、俺は気配や息遣い、何より自分に向かう敵意を感じ取れるよう意識を裂いた。
二回冬を超えるころには、罠への警戒、獣への警戒、そのどちらもが十全に熟せるようになっていた。
けれど同時に、そうして神経を尖らせれば尖らせるほど、あの人が自分を見る目が鋭く、厳しく、そして恐れ死を願うものであると鮮明に理解できるようになっていた。
(そうか、やはり、そうだったのか)
思い出す。正しく、俺がどのようなものだったかを。
記憶のはじまりが小屋の中というだけで、別にあの人に助けられたと確定したわけじゃない。
常に怪物を見るような目を向け、時に殺そうとわざと人用の罠を墓に増やす。
殺すつもりで投げたナイフを避けて、それを後生大事に抱えて姿を現す汚い子供。
義理であっても、血がつながっていないものでも、それでも『家族』と言えるカテゴリの中に入っていれば最低限生まれえるような絆なんて、俺とあの人の間にはなかった。
けれど、それでも。
孤独。
それは、俺にとってどんな痛みより、恐怖よりも、耐え難かった。
最初から、俺は一人だった。
俺は記憶を捻じ曲げて、『厳しい父に拾われた捨て子』という偽りの認識を創り上げた。
ここまでしないと、俺は自分の心を守れなかった。
そしてそれを、自らすっかり忘れていたらしい。
(……情けない話だ)
けれど、そう思えば。
俺は、アスタを助けた。
アスタの語る両親に愛されていないという苦悩が、孤独が、まるで我が事のように思え、何が何でも助けたいと思った。
フィグの苦難も、ククラータの苦難も、タイムの苦難も。いや、もっと多くの自分が関わった人々。
すべて、すべて助けたいと思った。
それは自分が孤独だったから。
浅ましいが認めざるを得ない理由の一つなのだろう。
あの幼少期を直視した以上、認めざるを得ない。
だが、同じくらいに。なんならそれ以上に。
そんな俺でも、生きている。なら、俺が孤独な半生を経たことは、困っている人間に手を差し伸べない理由にはならない。
孤独を記憶や認識を捻じ曲げる、弱くてみじめで情けない人間だったとしても。いや、そんな弱い人間だからこそ。得た経験と、持てる力を他人の為に使えるというのなら、使わない理由にはならない。
孤独で、恐れられたことを理由に世界を憎むのは容易い。
しかしそんなことをしたところで、より孤独になっていくだけだ。
むしろ孤独を浴び、それを恐れる自分だからこそ、多くの人に寄り添わなくてはいけない。
そう考えて、それを実行してきた。
だからこそ。だからこそ、なのだ。
恐れ蔑まれ、それでもなんとか生き残った自分が、仕事にありつき、そして多くの人を助けられたのは周りの人々の助けあってこそなのだ。
孤独だった俺を、孤独でなくしてくれたアスタの。
自分が差し伸べた手を取ってくれた、フィグやククラータの。
ギルドのラネーさんも、タイムだって素晴らしい人間だ。俺なんかよりも、ずっと。
もっと言えば、あの人にだって感謝している。恐れられはしたが、曲がり曲がって今俺が生きているのはあの人が存在してくれたからだ。
俺は、皆に助けられている。
俺は一人でなんて、とても生きていけない。
そしてその中でも、家族のいない俺にとって俺を長く強く支えてくれた仲間たち。
『好意』の感じ方を学べなかった俺が、それでも感謝を伝えたいのが、他でもない彼らなのだ。
だから。
走馬灯のような景色を振り払うように、俺は今どこにあるかもわからない俺の身体を動かさんとする。
俺は、転移の途中で倒れたはずだ。なら、起き上がらなくてはならない。
そこに害意が、敵意があったとしたら。俺はともかく、俺の最も大切な仲間たちにまで危害を加えるのは許さない。そうでなくても、のうのうと惰眠を貪っている暇はないのだ。
俺が、共にいたいと思えた仲間たち。
けれど俺は、守れなかった。彼らが罠に閉じ込められる瞬間、俺の伸ばした手は届かなかった。
力が欲しい。今度こそ、今度こそあの伸ばした手が届くような、力が。
術が欲しい。守りたかった仲間たちを元の姿に戻し、心身を健常に戻すための術が。
どうしてこんな時に、こんなことを思い出したのか。
だが、過去は過去だ。
過ぎたことはどうでもいい。
俺に必要なのは、今と、明日だけだ。
仲間たちの平穏と、俺を支えてくれた人たちの未来だけだ。
◆ ◆ ◆
「カイト!」
身体を跳ね起こしたのと同時に、重い質量が俺を再びベッドの上に叩き伏せた。
ぐえ、と潰れた声が喉から漏れる。それに気付いて重圧が僅かに緩んだと同時に、自分の上にあったのが何かに気付く。鍛えられた上半身と、薄い布越しの女性の胸。そして少しだけ印象の変わった、変わってしまった見慣れた顔だ。
「――アスタ?」
焦燥した顔に、げっそりとした目元。普段の後光でも差しそうな精緻な顔が、今はひどくくすんでいた。
目と目が合うと共に、アスタは弱々しいながらも安堵をいっぱいに微笑みを浮かべた。
「心配、したんだ。転送を終えるなり、君が倒れて」
どうやら、また心配をかけたらしい。
周囲を見れば、そこは俺たちが拠点にしている宿とは全く違う。白い壁、白い天井。
そうだ。フィグは。ククラータは。タイムも、どこへ?
「フィグもさっきまで起きていたけれど、寝かせたよ。タイムはギルドへ報告をお願いして、そろそろ戻ってくると思う。ククラータは……」
流石に抱き着いた体勢をやめ、代わりに手を握り続けているアスタがそう言葉を言い終わる前に。奥の扉が開く。見間違うことはない、銀の髪に淡い紫の目。ククラータだ。
しかし、声を掛けるのも躊躇う程に厳しい顔をした彼は、俺が起きたのを一瞥すると少しだけ表情を和らげたが、そのまま何を言うこともなく顔を逸らした。
「おや、目を覚まされましたか」
そう言って、ククラータに続くようにして現れたのは。
覚えている。
この全身が感じる不快感。全身から立ち上る、作為。腹の内を隠そうという作り物の表情、作り物の言葉。明瞭な態度でないからこそ、猶更胃がむかつく。
「――やはり、あなたもわかってしまいますか」
いけしゃあしゃあとのたまいながら、近づく男。
……僅かにでも、敵意が覗けば組み伏せる。
伸ばしていた足を引き寄せ、片膝を立てながら、息を細く吐いた俺に。
その男は、深く、深く礼をした。
「初めまして、というのも奇妙かもしれませんが。『救済者』様、病み上がりにご不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございません」
拍子抜けするような台詞を吐きながら、顔を上げる。
淡い青色の髪に、眦の下がった柔和を繕った笑顔。
しかし、その微笑みは――同じように目元の細い笑みだったとしても、ラネーさんのものとは全く違う。
ラネーさんが猫なら、こちらは蛇だ。
未だ警戒心を解かぬ俺にも、厭わずに。
「私はサルビー・リング・オトシンクルス。不肖ながら、『癒やし手』の『五指』、まあ、平たく言えば幹部を務めさせていただいております」
男はそう名乗って、変わらず笑みを浮かべるのだった。