癒やし手の治療施設から解放された、翌朝。
俺が宿に戻ると、皆が待っていてくれた。
アスタは、ただ微笑みながらお帰りと口にする。握りこぶしを差し出され、俺は応えるように緩く握った拳をぶつけた。
フィグは、目を合わせて、おかえりなさいと言ってくれる。目の回りが少しだけ赤く腫れていた。泣いていたのか、それとも寝過ぎていたのか。どちらにせよ気がかりだった。
ククラータは短く片手をあげるだけだった。昨日の夜まで付き添いをしてくれていたし、一番事情を知っているのだから、おかえりというほどでもないからだろう。
タイムは俺の様子を見て、きちんと休めたのか、無理やりにでも休息を取らせろとラネーさんに凄まれて怖かったなどとまくし立ててくる。かいつまんで説明し、手間をかけてすまなかったと詫びる。
迷惑を、かけてしまった。
そう思いながら、頭の中を支配していたのはたったひとつ。
あの場で、サルビーという男から聞いたことを、言うべきか、言わずにおくべきか。
エリクサーで、彼らの身体は治らない、と。
「あー、なあ、カイト」
ふと、顔を上げるとククラータに声を掛けられていた。
……どうやら、ぼーっとしていたらしい。
「今日は取り敢えず休みだ。お前も、少しは息抜きしておきな」
総意として、『流石にしばらくは休む』という方向にまとまったらしい。
流石にラネーさんもお冠のようで、もし無理をするようなら自宅謹慎という形で無理やりにでも休ませると言われたらしい。
できればそれは一時加入のタイムではなく、パーティーメンバーの誰かに言ってほしかったものだが、ラネーさんも相当驚いた、ということだろう。あとで顔を出さなくては。
迷惑を、かけてしまった。
その日は、特にすることもない。
部屋に戻った俺は、支度をして訓練を行うことにした。
毎朝欠かさず行っていたことだったが、流石に癒やし手の病室で武器を振るうわけにもいかない。時間は既に昼といっていいくらいになっていたが、やらないのは気持ちが悪い。
ナイフを投げる。ボウガンを撃つ。ククリを振る。
普段通りに、やるべきことを熟す。
そのはずだったのだが。
ナイフは的を大外し、ボウガンの狙いは定まらない。ナイフを振るい、動きを確認しようとしたときなどは、握ったまま上の空になって、数秒呆然と立ったままになる事すらあった。
疲れ、ではない。集中ができない。
自分では意識を今この瞬間に向けているはずなのに、気付けば全く違うことに思考が乱れる。
……このままではいけない、このままでは。
そんな焦りばかりが先行して、具体的にどうすればいかも出てこないし、そもそも今やるべきことすら手につかない。
自分が自分を急き立てる声が、自分の後ろから常に聞こえてくる気がする。
自問自答が止まない中、気配を感じ顔を上げる。
「カイト、さん」
「……フィグ?」
立っていたのはフィグだった。杖を抱き、師匠からもらったのだというつばの広くて大きい三角帽子。そして、気に入って何度も袖を通している馴染みの服。
ひらひらとして可愛らしさが前面に出ており、腿の半分から下が剥き出しのため寒くはないか少しだけ不安になるが、彼はこれをひどく気に入っていた。
とはいえ彼の表情は楽し気なものとは全く違う。
むしろいつも少し遠慮がちであったり、少し恥ずかしがるような素振りを見せたりするのだが、今回はそれがない。覚悟を決めたように、同時に強い緊張を感じているかのように手は固く握られ、杖が震えている。
一体、どうしたのか。
そう問えば、何度か口を開き、しかし呑み込む様にして口を閉じ。それを何度か繰り返して。ついに意を決したようにフィグは言う。
「ついて来てほしいところが、あるんです」
◆ ◆ ◆
言われるがままについてきたのは、娼館の立ち並ぶ通り。
まだ日は高く、人の気配は少ない。あるとすれば、店に向かうらしい厚い服で肌や顔を隠した女性や、顔を伏せながらもちらちらと周囲を伺う若い冒険者らしき者くらいのものだ。
どうして、こんなところに。
考えても疑問は尽きない中、辿り着いたのはえらく豪勢な装飾の目立つ建物。観察すれば、そこが宿屋であることが伺える。
最も、身体を休め夜を明かすための宿とは目的を異とすることは、なんとなく察した。
フィグが率先して足を運ぶとは思えない場所。
だからこそ、『何か』があるとも理解する。
フィグは迷わずその宿の入り口を押し開けた。
やたらゴテゴテとした外側の見た目とは裏腹に、落ち着いた内装。。窓を塞いでいるのか、外は昼だというのに出入口を閉じれば中は妙に薄暗い。
目を引くのは、客の素性をその場で直視しないよう壁に穴を空ける形で設けられた受付のテーブル、そこに堂々と姿を晒して待ち受ける人物の姿だった。
黒い髪に、やたら豊満な肉体。身体を見せることを厭わない服装。
どこか既視感を感じる、透き通るような、空色の瞳。
――そうだ。
ギルドカードを返した、元冒険者の。
俺が息を呑んだのを察してか、こちらを見た
「また会ったわね、カイトくん」
ベテラン冒険者として腕を鳴らした彼が、かつて助言をもらった彼が、口調でさえも女のものになっていることが、言いようのない不安感と「手遅れだった」という事実を突きつけてくる。
そんな俺の表情を察してか、彼は顔を俺からフィグへと変えた。
「すいません、ぼくのわがままで」
「いいのよ、あなたより待っている『お客さん』の方がはるかにワガママだったわ」
黒髪の元冒険者とフィグが何かを二、三言言葉を交わし、フィグが鍵を手渡される。
お客さん。わがまま。二人の気配は温厚なものだが、交わされる言葉の不穏さは拭えない。
護身用のダガーだけでは、心許なかったか。
いやそれ以上に、もし『何か』が起こったとして、今の、この腑抜けた俺に、何かできるか。
「いきましょう、カイトさん」
僅かな逡巡の終わりに、フィグは俺に振り返る。
その目は、確かに覚悟を決めているようなものであるような気がした。
……何があるのかは、わからない。だが、確かに彼は何かを決心し、ここに来ている。ならば俺もそこに付き添う覚悟を持たねばならない。
頷き、俺はフィグの後に続く。
階段を登り、辿り着いたのは最上階。おそらくこの宿の中で一番上等な部屋と思しきそこは、まるで貴族か王族の部屋でもあるんじゃないかというくらいに豪勢な装飾が盛り込まれ、価値のわからない人間からするとあまりに派手で落ち着かない。
逆を言えば。
そんな豪華さを求めるような。あるいはそれが常と考えている人間が、この先にいる。
重い扉をフィグの代わりに開けようとするが、彼は俺の手に自分の手を重ねた。
「ぼくが、いえ、ぼくも開けます」
二人で、力を入れて。
両開きの重い扉を開いてみれば、廊下や扉の印象とは違い、内装はひどく落ち着いていた。
高級そうな調度品は変わらない。だが不必要にゴテゴテしていないというか。
最も。そんな風に周囲を冷静に観察していられたのなんて、一瞬だった。
部屋の中心、テーブルに腰掛けてティーカップを手にする人物の姿を見てしまったのだから。
一つの武術や技術を突き詰めた人間が纏う気配。何人も人を殺した悪人が持つ狂気。
そういったものはなんとなく、何も知らない人間でもわかるものだ。におい立つ、とでもいうのか。
しかしその程度の甘っちょろい言葉では言い表せないモノが、それを認識した瞬間に襲ってきた。
純粋な、圧。
強風のように直接力を受けたり、肌で感じたりすることはできない。なのに自分を部屋の外へ押し返すかのような、あまりにも巨大な存在感。
敵意も害意も一切ない。なのに袖の下に隠した武器を取り出しかけるくらいに。
違う。
害意や敵意があるから、ではない。俺が咄嗟に動いてしまった原因は、恐れだ。
生物としての、格が違う。
「――お久しぶりです、
俺よりも先に、一歩前に踏み出したフィグが、そう言って頭を下げる。
まるで蛇が巻き付くように長い髪を一本に束ね挙げた髪を肩から流し、そのまま座る腿に重ねそれでもなお腰の下までくる、燃えるような赤髪。フィグがつけているのとよく似た、真っ赤な生地のつばが広い三角帽子。
帽子が作った深い影の下にある、教会の聖母像が如く無比なる均整を持つ顔たちと、悪魔のような黄金の眼。
「やっと、目を見て話せるようになったのね、フィグ」
赫の魔女、ガーネット。
彼女は、ただ柔和に微笑んだ。
◆ ◆ ◆
円形のテーブルに座る赫の魔女。その真向かいに座らされる俺と、その近くに隣り合うようにして座るフィグ。
苛烈な逸話と放たれる圧力。一方で、微笑みを浮かべる穏やかな様子は、無意識に自分の中でこれまで思い描いたものとはまったく異なる姿だった。
しかしその一方で、俺を含めた三者の中に会話はない。赫の魔女がついと指先を振るってカップとポットを操り、俺とフィグの前に注いだ紅茶だけが香りと湯気を立ち上らせるばかりだ。
奇妙な沈黙。なんだかんだとここまで連れてきてくれたフィグでさえ、口火を切れずにいる。
ならば、俺が。そう思い赫の魔女と目を合わせた。
「あなたが、フィグのお友達ね」
同時に、いや、むしろそうするのをわかっていたかのように。
視線が交差したその瞬間に、先んじて彼女が口を開いた。
ぞわりと、心臓が撫ぜられるような錯覚。
「見ていてわかるわ。あなたが、きっとフィグを救ってくれたのね」
救ってくれた? 何を言っている? 俺は、彼を救えなかったんだ。
唇を噛む俺を見て、赫の魔女は驚いたように目を丸くした後目を閉じる。困ったように眉を下げて、そして彼女はフィグを見た。
「……カイトさん、お話したいことがあるんです」
意を決したように、椅子から立ち上がって俺を見るフィグ。
俯き、スカートの端を掴みながら。その手は酷く震えていた。
「僕は、嘘をついてました」
「嘘?」
心当たりは何一つとしてない。
そもそも、彼は臆病ではあるが卑劣ではないし、すこし慌ててしまうきらいはあるが悪意を持って人を欺くような人間ではない。
だが、いやだからこそ。
彼が俺をここまで引き連れてきたことに、意味があるのではないか?
師匠であり、彼の過去を知る赫の魔女の前でこそ、言わねばならないほどの秘密ではないのか?
喉の奥が乾く。動悸が反響し、指先の脈が酷く間近に感じられる。
何を、何を、どんな嘘を、ついていたというんだ。
「ぼくは――ぼくは、女の子に、なりたかった。ぼくは、この罠にかかるために、冒険者になりました」
……それは、理解できない台詞だった。
「全部、嘘です。ぼくは女の子の服が着たかった。ぼくは男の子の身体でいるのが嫌だった。師匠は、何もぼくに強いていないんです。ぼくは――ずっとそのために、冒険者をやっていたんです」
何を、何を言っているんだ。
「最初は、ぼくひとりで、勝手に罠に掛かってしまえればよかった。でも、ひとりではダンジョンに入れなくて。だからカイトさんを頼って、それで」
すべての言葉が右から左へ抜けていく。
うそだ。
言葉は脳に染みつくのに、理解したという実感だけが抜け落ちている。
把握することを拒否するように。拒絶するように。
「でも、ぼくは皆まで巻き込みたくなかった。それだけじゃない。カイトさんに嘘を言ったせいで、ぼくの事も傷ついていると思われてしまった。背負う必要なんてないはずなのに、カイトさんまで傷つけてしまった。だから、ぼくは」
「もういい」
俺は、その言葉を、遮った。
「それ以上、聞く必要は、ない」
彼の言葉に、悪意はない。
ならばきっと本当の事で。自分の欲望の為に俺や仲間を貶めるつもりは本当になくて。
ならば俺はきっとさぞ滑稽だったことだろう。
……愚かなことだ。
「すまなかった。俺はまた、間違えていたんだな」
理解していなかった。いや、わかっていなかったのだろう。
彼にどんな理由があったのかはわからないし、聞いたとしてもまた俺は無礼な台詞を言ってしまうかもしれない。ただ事実として、彼の内心を理解できていなかった。
想像なんて、できなかった。まさかダンジョンの罠に掛かりたい人間がいるなんて。
彼は、今の状態を望んでいる。
ならば、彼を治すことはしなくてもいい。望む現状のまま、維持し続ければいい。
これまで散々望まないことに付き合わせ続けていたのだ、これ以上付き合わせるのも心苦しい。だが、彼が手伝ってくれないのは、困る。
どうしたものか。
「ねえ、君」
割り込む様に。
フィグの告白と、それに対する俺の答え。その最中に割り込む様にして入ってくる、赫の魔女。
どうしたのか。いや、彼女にも謝罪するべきかもしれない。はじまりは、フィグの嘘ではあったのだが、彼女にも極めて強い偏見を持っていた。それについて、きっと彼女は見抜いているのだろう。
「いや、知らないけど」
心を読んだように先回りの言葉を吐いたのちに、彼女はまたもフィグに目を向けた。それは先程の、薄く瞼を持ち上げて、背中を押すような優しい色合いではなく。ただ呆れ、そして落胆するようなものだった。
「フィグ。あなたは無知だけれど、決して愚かじゃないはずよ。教えた言葉を忘れたの?」
何か、赫の魔女はフィグに伝えていたことがあったらしい。だがフィグは困惑したように戸惑いながら、えっとえっとと考え込んでしまう。
一体何を教えていたというのだろうか。そんなに大切な事なのか。それとも、今のやり取りの中で関係する事柄なのか?
「ダンジョンによって変えられるということは、ダンジョンに染まるということ。それは決して、平坦な道ではないし、後戻りも出来ない」
御伽噺を、諳んじるように。彼女は告げる。
その言葉は、俺にとって。
フィグの言葉よりも、意味が、わからない。
「その身体は、治る治らないではない。
世界が傾いた気がした。