「やあ、カイト。今日も早いね」
「お前もな、アスタ」
いつも通りの会話。
一言二言を交わした後に、俺たちは庭に出ると、各々それぞれの得物を手にする。
アスタは剣を手に素振りを。俺は投げナイフを手に、少し離れたところに立てた薪を順番に狙う。
刃が風を切る重々しい音に続いて、軽い刃が木に突き刺さる鈍い音の後にどたどたと木片が倒れていく。
何か言葉を交わすでもなく、黙々と己の研鑽に時間と意識を裂き続けるこの時間がひどく心地よく、そして落ち着いた。
……そしてそんな風に思考が落ち着けば、頭の中で思考がぐるぐると渦を巻く。取り留めもないこと、今更考えなくてもよいことまで。
俺――カイトは、物心ついたときから寒村の墓守の元で育った。
捨て子だった俺を拾った父代わりの男は、俺が立ちあがった次には穴の掘り方と矢の打ち方を教え、それらを覚えたら次は墓を守る仕事を放り投げてくるような人間だった。
子供心に臭いし汚い仕事を延々続ける気にはなれず、隙を見計らっては度々仕事を抜け出していた俺が出会ったのが、アスタだった。
狭い身内感情が蔓延るかた苦しい雰囲気の村。
恐れ気味悪がられる仕事についていた俺と、外からやってきた金髪碧眼のアスタ。
互いの境遇をきっかけに俺たちは友人になり、そして共に村を出た。
冒険者として一人前になるまでの間は安宿の固いベッドに二人で入っていた頃。
漸く夫々宿の一部屋が使えるようになった後。
仲間を加えて現在のように借り物とはいえ家を持つまで成長しても、未だに俺たちはこうして毎朝決まった時間に互いの研鑽に、時間を当てていた。
そうだ。
十数年同じように過ごしてきたのだ。
だから、アスタの剣を振るう時の音が、
そしてそれが何を原因とするものなのかも。わざわざ口にせずとも理解できてしまう。
その瞬間渦巻いていた思考の波が裂けるようにして、臍の奥から自分の喉を通り抜け、つむじのてっぺんに突き抜けるような罪悪感が押し寄せる。
腸の中を、突然詰め物をされたように圧迫感が襲い、舌の付け根が酷く乾き、緊張が指を強張らせた。
「あ」
間の抜けた声にハッとすれば。
自分の投げたナイフがすっぽ抜け、目標の薪の手前で地面に突き刺さっていた。
努めて表情にも態度にも漏らさないように心掛けていたにも関わらず、こんなところで隙を見せるなんて。
加えて。俺の幼馴染は、こういうときに酷く勘が鋭いのだ。
「珍しいね、カイトが的を外すなんて」
咎めるような響きも、或いは貶すような響きも存在しない。ただ不思議そうで、なおかつこちらを労わる様子さえある。
気付いていないのか、あるいはワザと惚けているのか。
どちらにせよ、心臓を毛羽立った布地で包まれているような錯覚に、自分の眉が歪む。
俺がそんな顔をしたところで、意味などない。今が変わるわけではないというのに。
「――カイト」
顔を掴まれる。強い握力で無理やりに引き寄せられ、視界を覆ったのは。
蒼い瞳。通った鼻。その奥にある自分の顔だ。
「僕は僕だ。前と何も変わらない。何度も言っているだろう? だからそんな顔をしないでくれ」
通る声。そして、強い声。
そう、そうだ。
いつも、そうだった。
アスタはいつも強く、逞しく、そして太陽のように眩しい。
ゆるぎない眼差しがいつも俺を奮い立たせてくれる。真っ直ぐな言葉が自分の迷いを切り払ってくれる。
身体は変わっても、魂は変わらない。
だからこそ。
「――すまない、アスタ。やはりお前はいつも眩しいな」
「それはお互い様だよ、カイト」
俺のぎこちない笑みに、爽やかな笑顔で応えるアスタ。
この笑顔を守るために、俺は戦わなくてはならないのだ。
たとえ俺自身を擦り潰してでも。
◆ ◆ ◆
性を反転させる罠。それは幾通りものふざけた仕掛けを持つダンジョンの中でもとびきり悪辣な代物だ。
理屈はわからない。だがその罠を踏めば男は女に、女は男へと挿げ替えらえる。外見の容姿を半端に残してはいてもまるで別人になる者もいれば、外見的相違を殆ど生まずに変化する者もいる。
だが、どちらにせよ決して字面ほど生易しいものではない。
屈強な大男が華奢な女性になってしまったらどうなるだろうか?
剣は握れず、身体は動かない。冒険者でなくとも生活に苦労するのは目に見えている。
逆に細身の女性が巨躯の男になってしまったらどうなるだろうか?
身体は鈍重、身体の目測もわからない。そもそも外に出ようとさえ思うだろうか?
何よりも深く傷を負うのは、心だ。
鏡を見るとき。そうでなくとも視線を落とし、腕や足、身体が見えた時。
その差異によって、人は狂うのだ。
加えて、この効果が更に厄介だとされる理由が、もう一つ。
この症状に対する根本的な解決法が、未だ発見されていないのだ。
未知の技術や薬品が多く見つかるダンジョン産の薬品や魔術の中にも、この身体的異常を解決する技術は確立されていない。
いわゆる『万能薬』とされるエリクサーと呼ばれるものならば、あるいはと言われてはいる。
しかしそもそもエリクサーが国同士が争い奪い合うこともあるような希少品であり高級品。末端の冒険者にいきわたるようなことは万に一つもない。
――自ら挑んだダンジョンで、見つけ出したものを除いては。
そうして、数多くの冒険者が仲間や恩人のためにダンジョンに挑むのだ。
その大半が助けようとした人間の数倍酷い目にあって担ぎ込まれるか、或いは二度と戻ってこない。
或いは、ダンジョンによって得た富と名声によって、初志を忘れ去る。
だからこそ。
俺は早く、速く、仲間たちを元に戻さなくてはならない。
犯してしまった俺の罪を、俺の愚かさを、贖うために。
「すまない、アスタ。少し休む」
「うん、わかった。朝食の時間になったら起こしに行くね」
まだ下っ腹に残った罪悪感を握り潰す様に手を当てて、俺は足早に部屋に戻ろうとした。
そこで、感じた視線。
じっとりとした、けれど一点を穿つような眼差し。
(……アスタなのか?)
振り返ってみるが、そこには足を止めた俺へ不思議そうに首を傾げるアスタの姿があるばかり。
(気のせいには思えないが、なんだったんだ)
そのあと、同じ視線を感じることはなかった。