ある日、帰りの遅いククラータを探しに酒場に向かった俺は、待ち構えていたかのように席を空け、何本もの瓶を空にしていた彼に首根っこを掴まれ、半ば強引に隣の席に座らされていた。
「おう、カイトじゃねえか。ほら、お前も飲んでけ」
そう言ってグラスを押し付けられたが、手を付けることはできなかった。
……自分がククラータほど酒に強くないのは、彼を仲間にしようとしたときにわかりきっていたことだ。それにそもそも自分はあまり酒をおいしいものだと感じない。
「ったくよぉ、いつにも増してシケた面だぞお前。ここ最近でも特にひでぇ」
手元にある瓶に直接口をつけて酒を煽りながら、ただグラスの水面を見つめる俺に呟く。
つっけんどんな言葉遣いで、いつもククラータはこちらの心に踏み込んでくる。どれだけ酒を飲んでいても、彼の人を見る目が濁ったことはない。
「少し、ギルドで」
「またか。お前はいつも貧乏くじだなぁ。アスタあたりに一党の代表なんて投げつけちまえばいいんだよ」
隠してもどうせバレるのだと正直に言えば、苦い顔をして舌を出す。そしてその後味を洗い流すかのように、また酒を流し込むククラータ。
正直そうしてもいいと思ったこともある。だが、今は俺が責任を持つべき仕事だとも思う。
こうして吐けない弱音を汲み取って、ざっくばらんに切り捨ててくれる彼の存在は、正直すごく有難い。
アスタはダンジョンの中での戦いの面で普段から頼りにしているし、ある程度気心が知れている分、そういった精神的な弱みを曝け出してしまうのは抵抗がある。
フィグには当然言えるはずもない。複雑な事情があり、自分の中でも葛藤があるのだろう。それでも最近は表情が柔らかくなったりしてきたのだ、ここに俺のことなんて追加で背負わせられるはずもない。
年上で、人生経験も豊富で、俺が一々考えてしまうことなんてとっくに通っているような、そういう深みのある彼には。俺も気も口も緩んでしまう部分がある。
だからこそ考えてしまうのだ。
そんな彼を、今の姿に変えてしまったことの重さを。
彼の酒の量が増えたのも、偶然ではなく俺のせいなのかもしれないと。
俺が、ククラータを。仲間に誘うことがなければ――。
◆ ◆ ◆
癒やし手。
傷病を治す技術を持った人々がダンジョンから回収された知識や道具を用い、より重い傷病を治すために立ち上げられた団体だ。
成り立ちに関して言えば、冒険者のギルドと近しい部分がある。一方で冒険者たちがどんな人間でもなれるよく言えば間口の広い仕事なのに対して、癒やし手は誰もが名乗れる資格ではない。
罪を犯したことがない、清廉な人間のみがまず見習いとして知識や技術を叩き込まれ、見事それに耐え抜き相応の実力を持つ者だけが初めて『癒やし手』の称号を得ることができる……のだそうだ。
そういう方面で言えば、どちらかといえば国の元で働く騎士や、教会で働く神職に近しい。
実際に、癒やし手たちは組織の名を持ちながら国や教会の仕事を掛け持ちしたり、転職することもあるらしい。そのくらいには多くの人に尊敬され、そして遇される仕事であると言えるだろう。
ククラータは、そんな癒やし手の中でも相当に高い地位を持ちながら癒やし手を辞め、冒険者になったという奇妙な人物。
出会った当初は今以上に荒れていて、本当に四六時中酒場にいるような状態。共にダンジョンに潜る人間もおらずに、ただ酒場でくだを巻いているような有様だった。
多くの人がククラータの経歴をホラ話だと言ったが、俺とアスタだけはその話を信じて彼を仲間にしようとした。
……自分に飲み勝ったら考えてやる。
そう言ったククラータに俺とアスタの二人がかりで挑んで、アスタがぶっ倒れたあたりで中断。そして後日改めて向かうと、彼は一瞬で二人の二日酔いを治して仲間に加わってくれた。
それ以降も酒好きは変わらず、けれど彼と話すうちにその人格が素晴らしいものだとはすぐに理解できた。
怪我や病気には適切な判断を下し、治療の手段は正確無比。そのうえなぜか腕っぷしも強く、誰かを治す必要のないときは怪物どもをブン殴って破壊していた。
知識も深く、ダンジョン内部の構造や怪物たちの性質、特性、解体技術や換金する価値のある部位などは彼から教わった。それ以外にも見た目とは相反して知性的な面は数えきれない。
粗野で荒っぽい言葉遣いだが、敢えてその言葉と振る舞いで言いにくい事や憎まれ役を買って出たりする自己犠牲の精神。怒りっぽいが子供にも優しいのも知っている。
頬についた謎の傷のことや、癒やし手時代の話は、あまりしたがらない。
それでも彼がかつて誰かを癒やそうという真っ直ぐな心があったことは、疑いようがなかった。
そんな、彼を、俺は。
「馬鹿が」
俺の手の中にあったジョッキを奪い取って、それを一気に飲み干すククラータ。
あ、と声を漏らして顔を上げれば、憮然とした表情のまま俺を睨む顔がある。
無精ひげにぼさぼさの白髪交じりの灰髪は、今やつるんとした肌に厚い唇、透き通るような白い長髪に変わってしまっていて。
淡い紫の不思議な色合いと、こちらを射抜くような強いまなざしは、変わらないまま。
「こりゃあお前のせいじゃねえ。なんべん言ったらわかる?」
はっきりとした台詞の中に、一切の揺らぎも、嘘に滲む乱れもない。
だがそれでも、その言葉に「そうですね」と頷くことはできなかった。
「真面目が取り得とはよく言うがな。それで潰れちゃ世話ねぇっつのに」
真面目、とは、違う。
仲間たちが壊れてしまわないか、仲間たちが苦しんでいないか。そんなことを考えて走っている。だからこそ、今の皆にその様子がない事にはむしろ安心しているのだ。
同時に。それが明日も、明後日も続くとは思えないし、思わない。
だからこそ早く、速く。事態を打開しなくてはいけない。そう思っているだけだ。
俺は、駆り立てられているだけだ。
焦りに、後悔に、罪の意識に。
そうでなければ、罠に掛かった皆を連れ出してダンジョンに潜るなんて。
「……馬鹿が」
繰り返すように、今度は頭を小突かれる。固い拳骨はそれほど力を入れられていないにもかかわらず、結構痛い。
「
「……はい」
荷物。
俺は、そんな風に、接しているのだろうか。
何が正しいのか、何が間違っているのかもわからないまま、ジョッキを奪われ何も残っていない自分の手の中を、呆然と見つめていた。
すると、酒場全体ががやがやと騒がしくなり始めた。
ざわつきと合わさるように、重い靴を履いているのか床板を踏みしめるたびに木製の床材が揺れる音が響く。一直線に、こちらに向かっているともわかった。
「帰るぞ、カイト」
何かを察したのか、すぐさま席を立とうとするククラータ。その顔に酔いの余韻は残っておらず、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
ただごとじゃない。それを理解した俺はすぐさまそれに応じようとするが。
「おいおい、久しぶりの再会なのにそれはないだろう。ククラータ」
俺たちが席を立ったのとほぼ同時に、先程から聞こえていた足音の主が目の前に現れた。
清潔感と高級感を併せ持つ白いコート。一瞥しただけで、ダンジョンの素材を惜しみなく使ったものだとわかる。そして胸元に輝く黄金の盃に草の冠をあしらう紋章。
「……癒やし手の幹部候補サマが、こんな下々の酒場にいらっしゃるとはどうしたことでしょうね?」
隣に立っていたククラータが、歩み出るようにしてそう啖呵を切る。口振りからして、おそらく、眼前のこの人物とククラータは、知り合いだ。
「ただの噂だと思っていたんだが……本当にダンジョンの罠にかかったとは。未だに信じられないよ」
「テメェにゃ関係ねえ、失せろ」
険悪な雰囲気。特に取り繕うこともなく怒気を向けているのはククラータの方だ。
だが、それ以上に、俺は。
「そう邪険にしないでくれ。こちらも治療法を探しているところなんだ、もし可能なら君を真っ先に治したいんだよ」
その言葉に、ほんのわずかでも信用を抱いてしまっていたら。俺はすぐさまククラータを制し、しゃしゃり出て、頭を地に擦り付けて治療法の手立てを聞き出し、協力させてくれなどと口走ったことだろう。
だが。この、人好きしそうな笑顔を浮かべる目の前の男から感じる、胃の奥がむかつくような作為の臭い。一口も酒精を口にしていないにも関わらず、もどしてしまいそうなくらいに、あからさまなそれに飛びつけるほど、俺はもう人を信じることはできなかった。
彼なら、気付いている。俺よりもよほどそう言った人の機微に鋭い彼なら。
「君が来てくれれば、治療に向けての歩みは今の倍、いやそれ以上になる。癒やし手の『五指』に手を掛けた君なら――」
と、男が口走ったところで。
ククラータは、目の前の男の肩腕をがっちりと掴むと、そのまま背負って投げ飛ばす。ぐおんという音と共に、長身痩躯のその男は縦回転しながら、俺とククラータが座っていたテーブルを叩き割り、床板を破壊して埋まった。木材の破片とグラスや瓶の中で、僅かに上等な革靴とコートの袖、そして掴まれていた腕だけが確認できる。
流石に、やり過ぎではないか。
思いを口に出すより先に、今度はククラータが俺の腕を掴む。
「帰るぞ」
……ただ前を向き、呆気にとられる店主に重い金貨の袋を丸々投げ渡してずんずんと歩んでいくククラータに半ば引き摺られながら、俺は宿まで戻ってくることになった。
背を向けた彼の表情を、最後まで覗くことはできなかった。
だが、手を握る力が、ひどく強くて。
そして、その背中が、何か激しい感情を押し殺している用に見えて。
俺は、それが心配でならなかった。
23/10/11 本文更新