癒やし手から逃げた俺は、飛び込む様に酒場に来た。
使いもしなかった金をバラまき、意識を飛ばすまで酒を浴びた。
次の朝に酒場の裏のゴミ捨て場で目を醒ました俺は、冷えた頭ですぐに気づく。
癒やし手どもの目につくような真似をすれば、また連れ戻されるんじゃねえかと。
俺は逃げた。
御者に金を握らせ、癒やし手の支部のない片田舎を目指して。
しかし、逃げれば逃げる程に、俺の肩に乗っていた失敗の記憶が俺を苛む。
そのたび酒の量は増えていった。
けれどそうして移動すればするほど、否が応にも人目に付く。
言っちゃなんだが、俺はそれなりに有名人だった。貧富に関わらず傷病を治す心ある癒やし手としても、ダンジョンから全身血塗れで戻ってくる狂った癒やし手としても。
だから道すがらで、俺の事を癒やし手の組織に報告したり、あるいは俺の今の姿を憐れんで手を貸してくれる人間が、ともすれば現れるんじゃあないかと。
しかしながら。
癒やし手の装束を脱いだ俺を、これまでの全てを失って自分でもどんなツラをしているかもわからないくらい精神の天秤がガタガタになった俺を、癒やし手だと見抜く人間はだれ一人いなかった。
女房を治せずに掴みかかってきた酒場の親父も、夫を失って笑いながら涙を流していた女も、冒険者の兄が苗床にされていつか俺を殺すと宣言してきた子供も。
俺が横を通り過ぎても、誰一人として気付きやしなかった。
それはある意味で救いになった。
勝手に拠り所んしていた人々の感謝も、自分を追い詰めていた人々の悲しみも恨みも。
たかが布一枚、たかが肩書一つ、たかが紋章一個を脱ぎ捨ててしまえば。簡単にぼやけて矛先を見失う程度のものでしかなかったのか、と。おおいに笑ったものだ。
同時に俺が成してきたことはその程度でしかなかったのだろうと実感したときは、まだ碌に飲んでいなかったのにゲェゲェ吐きながらめそめそ泣いていた――ような気がする。
ぶっちゃけてしまえば、このへんの記憶はかなり曖昧だ。
何しろ酔いを醒まさないために酒を呑み、呑まれて幻聴や幻覚が見え始めれば不安が止まらず更に飲む、みたいな状態だったんだから、無理のない話だ。
だが、路銀も尽きかけ、安酒を買うのさえ渋らざるを得ない状態になってようやく、俺は全てを棄てられた。
自分が癒やし手になったことを信じる人間なんていない。ほうぼうを逃げ回って経過した月日が、薄汚く汚れて元の姿など見る影もない衣装が、伸び放題でめちゃくちゃになった髪と髭、それに気力の抜け落ちたこのツラが。過去の俺とつなげる人間を消し去ったのだから。
失われる恐怖と責任から停滞に怯え、背負った気になっている幻想に急かされてきた人生だった。
だが落ちぶれに落ちぶれたその辺りになってようやく、俺は自分を詰る声を黙らせられた。
もう俺は、癒やし手じゃない。
ただのロクデナシなんだ、詰られて当然。テメェの御託は酒が不味くなるから鬱陶しい、てな。
だがいかんせん酒が飲めなくなるのは困るので、俺はやむなく冒険者になることを選んだ。
当時は一人でもダンジョンに潜れていたから、そりゃまあ気楽なもんだった。
適当に飲んだくれて、気分がよけりゃ人の軽い傷やら酔いの頭痛やらをあり合わせのモンで治してやる。そいつらには適当にメシや酒を奢らせた。むしゃくしゃしたときは浅い階層で怪物どもを殴り殺して適当に出てきた魔石や臓物だの肉だのを掻っ捌いて売って、稼ぎは酒に費やした。
なんとも自由で、なんともクソみたいな毎日だった。
酒でねじが緩みっぱなしで、何があったか具体的に思い出せやしないが、まあ、追い詰められていた時に比べればはるかに生きやすかったような気もする。
もっとも、もう戻れないという直感はあった。
急な坂を小石が転がり落ちて、そのまま川に流されて行く感じ。まっとうな人間には、絶対に引き返せねえだろうな、と。
そんな生活も長くは続かねえ。
冒険者ギルドが、パーティー制度……つまるところ、ダンジョンに潜るときに団体様であることを義務化したのさ。
結果俺は食い扶持を失った。
癒やしの真似事は手慰みか暇つぶし同然、本格的な稼ぎにするつもりはない。
故郷に帰る気にはとてもなれなかった。両親にどんな顔をすりゃいいかわからない。
生活が苦しくなっても、癒やし手に戻るつもりは到底ない。
自分で首を括ることも考えたが、それをしようとしたら途端に恐ろしくなって、できなかった。
転げ落ちた、底の底。自ら飛び込んだ袋小路が、いよいよ俺を推し潰そうと迫ってきた。
……ちょっとはあった貯蓄も、もうない。
そんな時のことだ。
「あなたが、ククラータさんですか」
誰も近寄ることのない俺に近付く若造が居た。
そいつは、どこかガキの頃の俺と似た目をしていた。
◆ ◆ ◆
俺が自分で勝手に吹聴するホラ話として認識される俺の経歴を信じて、俺を冒険者の戦力として仲間にしたいなんてのたまう、黒髪の若造。
そしてその後ろには、貴族の息子かなんかみてぇな金髪のボンボンっぽい若造がついて回っていた。
(――こいつらデキてんのか?)
そう思うくらいじっとりした目で黒髪の方を見つめる金髪の方。それすらも、俺の捨ててきたはずの記憶の弁を無理やりこじ開けようとしているみてぇで、ひどくムカついた。
だから俺はこう言ってやった。
俺に飲み勝ったら、話くらいは聞いてやる。当然奢れよ、前金代わりにな。
明日の生活を憂いていたというのに、その瞬間の俺は眼前の連中を貶めることばかりを考えていた。酒で気が変だったのかもしれない。あるいはその時自分が感じていた以上に、俺はあいつらの姿に動揺していたのかもしれない。
欲深い、汚らしい酒ぐるい。普通なら、そう思われるはずだった。
少なくとも、声を掛けてきたやつの連れの金髪の方はそう思ったのだろう。
「わかりました、やってみます」
しかし、黒髪の方は一も二もなく、その話に頷きやがった。
観察してみた限り、表情も動きも妙に穏やかだった。自信か秘策がありやがるのか。なんにせよ、俺はそれによりむかっ腹を立て、ワザと値段も度数も強気な酒をバカバカ飲ませてやった。
黒髪の方を心配したらしく、金髪の方も途中から参加してきた。だがそっちの方はてんで弱く、麦酒を木のジョッキを一杯と少し飲んだだけで既に気分悪そうに机に突っ伏すザマだ。
問題なのは、黒髪の若造のほうだった。
まあ、弱いってほどではなかったんだろう。しかし、どう見たって気分が悪そうにしながらも、俺が次を注いだらそいつも続くように次を注ぐ。早々に諦めたり、それこそ酔いがキマって無様をやらかすかと思っていたのだが、その様子もない。だが何か仕込みをしている様子もない。
ただの気持ちで、どうにかこうにか俺について来ようとしていやがった。
「テメェ、何が目的なんだ」
ここまで来ると、流石に揶揄ってやろうなどという心持ちではなくなってくる。
まさか、癒やし手の追っ手なのでは。そんな風な猜疑心が、ふつふつと湧こうというものだろう。
前後に揺られ、片手で体を支えながら、黒髪の男は言う。
「――話を聞いたんだ、同じ冒険者から」
ぽつ、ぽつと。まとまっていない言葉ながら、そいつは隠すこともなくあらましを語る。
酒好きの冒険者の一党をダンジョンから救出したときに、酒場で自分たちに良くしてくれた男がいたこと。そいつは自分たち以上の酒浸りだったが凄腕で、しかしどこかに属さないソロだから、最近の制度のせいで食いっぱぐれないか心配になったこと。今回のダンジョン探索が終わったら仲間に勧誘しようと思っていたが、ヘマをして、自分たちはもう冒険者を続けられないということ。
『だから、もしよかったら、俺たちの代わりにあの人に声を掛けといてくれ』。
『あいつはあんなところで腐ってるような人間じゃねえんだ』、『数回酒を交わしただけだが俺たちにとっては恩人なんだ』と語っていたと。
言われて、思い出した。一つ二つくらい年下の酒好きな冒険者連中とたまたま相席になって、一人が喉をやってたみてぇだから、売りに出し損ねた素材の余りでちょっとした薬を飲ませてやったこと。
顔を覚えられたくなくて、その一件以降店を変えた。
たった一回のちょっとした借りを、そんな瀬戸際を踏み外してから誰かに託すだなんて。
「――くだらねぇ」
俺はそう吐き捨てた。
だって、そうだろう。
命を救った恩義も、命を救いそこなった怨嗟も、人間は簡単に忘れられるくせに。思い出したから、みてぇな安い感情で、俺が絆されるとでも思ったのか。
「……それから、俺が、癒やし手を、仲間にしたかったんだ」
その、くたばりそこないの冒険者たちの事を言い終えてもまだぽつぽつ話を続けていた黒髪の男は、そう漏らした。
そうそう、そうだろうともさ。
どんな私欲やどんな野望があるかは知らないが、今は酒の席。どんどん語ってもらおうじゃねえか。
そしてさっさと潰れてくれ。そう思いながら、俺は続きを促した。
「俺の仲間が、傷ついたとき。俺の仲間が、病に倒れた時。誰かが助けてくれたら、心強いと思った。それが、貴方みたいな人ならいいと、思ったんだ」
「ハ、冗談も休み休み言えよ、何が悲しくてこんな」
「あなたは、とても、誠実だから」
どこが。
「酒を奢らせたいだけなら、こんな話を聞く必要なんてない。困っている人間がいたとて、助けてやったりなんてしない。俺が、限界に近い事もなんとなくわかってるんだろう。さっきから、酒を足そうとしない。それこそ、そこで潰れてるアスタ――俺の友人に、酒を無理強いさせて、俺が引くのを、待てばいいだけだろう」
……俺は、息を呑み、黒髪の男の目を見る。
未だに鈍らない、鈍ってくれない『治療道具』の冴えは完璧。こいつが心の底から先程の言葉を吐いたと、俺は確信している。
そして俺の胸中を、脳内を、ただ一つの言葉が支配した。
(バカじゃねえのかこいつ)
話を聞きたいのは、こいつらが癒やし手の手先じゃねえかと疑っているからだ。
薬を作ってやったのは気まぐれだし、潰れた奴に酒を注がないのは自分の分が減るからだ。
善意を元にした推論。何一つ証拠なんてありゃしない。それをこのバカは、真っ向から信じていやがる。
どんなお人好しだよ。何を食って、何を見て育ってきたんだ、このバカは。
そんな風に、考えが回り出したことで。
――わかった、わかってしまった。
俺が初対面からこのバカに苛立った理由も。らしくなく勝負なんざふっかけて、その上でこんな問答を繰り返しているわけも。
当然だ、考えてみれば、当たり前の話だ。
最初から気付いていたじゃねえか。
癒やし手になろうとして、ありもしない理想の癒やし手の姿を目指して駆けずり回っていた、愚かな時代の俺だ。
向こう見ずで、馬鹿正直で、そして、
そう思ったら、俺はもう止まれなかった。
怒鳴り散らした、眼前で船を漕ぐように揺れる間抜けな若造に。
人間は醜くて、愚かで、そして邪悪なんだと。
テメェが考えているほど世界は優しくも穏やかでもなんでもなく、薄皮一枚を剥いてしまったその先には、吐き気を催す醜悪な地獄が待ち受けているのだと。
俺は善人でもなければ真っ当でもない。
質問をし続けるのは猜疑心からで、私欲のためだ。
潰れたテメェの連れに酒を注がないのは俺の取り分を考えていたからで、私欲のためだ。
その他人を疑わない間抜けな目を今すぐ取り換えて来い。
冒険者だって一枚岩じゃねえだろう。命の危険だってあるだろうが。
そのうえでテメェは、見知らぬ酒くせぇ馬鹿どもの命を助けたって言ったな。お前は大馬鹿野郎だ。
助けるってことは、助けられないこともあるってことだ。
恨みや辛みも背負う覚悟でテメェはやってるのか、そのくだらぇことを。
そんな風にまくし立て、襟首を掴んでテーブルに引き倒した。
すると、その若造は。真っ直ぐな目を濁らせずに、俺を見ながら、ぼんやりとした赤ら顔でまたぽつぽつと、のたまったのだ。
「俺が、人を助けたいのは、俺の勝手で。人は、死ぬより生きていた方がいい。そう思っているだけで。だから、何を思われようと、俺は人を助けます。傷つかないし揺るがないってことは、多分無理ですが。それでも、俺は人を助けることは、やめたくない」
「けれど、今は。その勝手に、仲間を付き合わせてしまう。俺の勝手で、仲間が傷つくのは、嫌だ。仲間なら、なおさら健康に、長く生きていてほしい。だから誰かが、傷ついた仲間を治して、癒やしてくれる人が居たら、嬉しいなと、そう思ったんです」
「心配してくださって、ありがとうございます」
壊れているわけでもない。人助けに快楽を見出しているわけでもない。
その方が『良い』と思うから、そうする。
ただただ素直に、そうやって語るそいつが。
あまりにも妬ましくて、余りにも眩しかった。
一方的に夢を見て、それを一方的に裏切られたからと捨て鉢になった。
誰かを助けることに見返りを求めて、助けられなかったことを赦されたくて。それを叶わないから人間はクソだと上から目線で見切りをつけた。
……やってたことは、俺が勝手に傷つけられたと思っている、あのおっさんと同じだ。
見返りが、感謝か金や地位かの差でしかない。
俺は、クソだ。きっと、そうなのだろう。それを漸く、俺は飲み込めた。
けれど間違いなくこの世界はクソなのだ。
こいつは善意を為しながら、きっと傷ついてく。
悪意に、作意に、この純然たる善意は、めちゃくちゃにされていくのだろう。
なら俺の手は。
きっと、こいつを。この目がくらむほどの光を癒やすためにあったのだと。
俺は、その時、確信したのだ。
◆ ◆ ◆
そこから、俺は黒髪の若造、カイトの一党としてダンジョンへと挑んだ。
金髪のアスタは相変わらずカイトに粘っこい眼差しと感情を向けている。気付いてやれよとも思わなくはないが、あいつのことだ。どうせ純粋な友情だと勘違いしているのだろう。
わざわざ口出ししてやる義理もないと、酒の肴に眺めていると退屈しなかった。
一党になるまで顔を合わせられなかった魔術師のフィグって坊主もまた、カイトに屈折した感情をいだいているようだった。どうやらあいつは相当の人たらしらしい。
無理もないだろう。害がなさそうなので、俺もこっちには不干渉だ。
そうしてダンジョンに挑みながら、その最中で助けられる人間は片っ端から助けた。
当然、助けられない人間もいた。そいつがカイトに理不尽な台詞を言おうもんなら、代わりに俺がそいつらが如何に愚かかを語って、悪感情の矢印をできる限り引き受けた。
当然、アスタやフィグはいい顔をしねぇときもあった。
だがそれでいい。俺は、クズの俺には過ぎたくらいの役割だ。
あいつが。
底抜けに間抜けで、優しく、まっすぐなあいつが折れなければ。苦しまないのなら。
俺はそれでいい。
とか思っていたのにあの間抜け、俺にまでそのお節介の矛先を向けやがる。
ただアイツから世界の汚らしいものを遠ざける、壁になるつもりが。
俺はいつの間にか、ずうずうしくも、アイツの『仲間』の一人になってしまっていたんだ。
ああ、そうとも。
……そのせいで俺は、あいつの心に深い、深い傷をつけちまった。
『助けを求めるふりをした、別の一党の策謀』。
それなりに名が売れ、稼ぎはそれなり以上にあるカイトをやっかんだしょうもねえ連中の姦計。
悪知恵にしては頭が回ったそれにまんまと嵌って、俺は、肝心かなめのその時に、アイツを守ることができなかった。
死んでねえんだ、生きているだけ儲けもんだろ。
そう言ってカイトを励まそうとしたが、無駄だった。
あいつは自分のせいで『仲間』が傷つけられて、自分はなんの傷も負っていないこと。何もできなかったことを、思い悩み、苦しみ、そして、どうにか俺たちがダンジョンに潜れるようになった後も、自分を責め続けている。
悪いのは、お前じゃない。お前であるはずがない。
だが、その言葉に効き目がないことは、俺自身が嫌だってくらいにわかってる。
重荷を背負い、苦しむカイトをあざ笑うように、元職場のアイツ――糸目のクソッタレまで現れやがった。そしてふざけた台詞を吐いて、カイトの心を乱しやがった。
酒場から戻る道すがらで、酒の味なんざ忘れていた。
カイトが苦しんでいないか、それだけが気がかりで。
あの日から、俺は固く決心したんだ。
もう、アイツをクソみたいな目には合わせない。
どんな手を使ってでも、俺はカイトを守り抜き、癒やして見せると。
それが果たせないのなら――俺は、死んだってかまわない、と。
しっかし、せめてカイトが何か、逃れる先があったなら救いがあった。
俺のような酒ぐるいにはなってほしくないが、しかしこのまま重みを背負い続けていたら、いつかあいつは壊れてしまう。
あの野郎、ダンジョンで危険を冒して稼いだ自分の取り分を、やれ俺たちとの会食やら、やれ助けた人間の当面の生活費やら、やれ自分の武具の補填なんかに使うせいで、一党としての活動のために出し合う共用の予算が余って余って仕方ねえ。
そしてそれが蓄財に回され、その桁はとんでもねぇことになっている。
趣味もないし、オンナもいない。
食事は嫌いってことはないだろうが、豪遊するって口でもない。
そんなんだから重みを何かに預けられねえんだ。
そんなところまで俺と似てんじゃねえ。
悩みや鬱屈の晴らし場所が、まだ見つかっていないというのなら。
――いざとなれば、無駄に肉付きも肌ツヤも小綺麗になったこのカラダで、無理やり悩みをブチ『抜いて』やってもいい。
なんなら、アスタやフィグあたりを焚き付けるか?
できるならやりたくねぇなぁそれは。あいつらの心中を、長く共にしてわかってきからこそ。
――なら俺がやるしかねえかぁ?
悩みは尽きない。やれやれ、年長者は辛ぇよ。