浦和ハナコは言付ける   作:浅笠紗々

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09/抵抗

「先生が来た。皆集まって」

 

 私を見つけると、ヒナはすぐに皆を集めた。アコ、チナツ、イオリ――風紀委員メンバー揃い踏みである。

 

「先生に言っておかないといけないことがある。これを見て」

 

 すぐさまヒナは書類を渡してくる。内容は、とある生徒についての個人情報のようだった。

 

「政島……ナギ(、、)?」

 

「新聞部部長、政島イヴには妹がいた。少し前までは新聞部に在籍していた」

 

「いた……ってことは」

 

「そう。行方不明、死亡扱いになっている」

 

「……」

 

「時期は大体エデン条約の頃。新聞部も現場で取材活動を行っていたから……その時に巻き込まれた可能性は充分にある。どうやら、政島イヴもそれまでは優等生だったのだけれど、事件以降テストの点数が目に見えて落ち込んでいる」

 

 概ね事情はわかった。つまりヒナは、こう言いたいのだろう。

 

 ハナコを襲った犯人は――ゲヘナ学園新聞部である、と。

 

 確かにその可能性はあるだろう。何せ、動機があるのだ。

 

 エデン条約の際、一方的に全てを滅茶苦茶にしたのはトリニティ側なのだから。無論、マコトたちも介入を目論んではいたようだから、いずれにせよあの条約が綺麗に締結するようなことはなかったのだろうけれど――ともかく、事件としての原因はトリニティにある。

 

 ミカとアリウススクワッドの同盟。それが起点だ。

 

 つまり、トリニティを襲撃することが目的。あるいはもっと別の――例えば、ティーパーティーを攻撃すること。それが一番腑に落ちる。

 

 もしあの事件が原因で妹を亡くしているとすれば、積もる恨みはトリニティに向かうはずだ。

 

「……」

 

 でも、だとすればシャーレに取材に来たのは少し不自然か。真っ先にトリニティを狙わないことで、攪乱したかったのかもしれないけれど、こうも素直にハナコを襲ってしまっては、あからさますぎる(、、、、、、、、)

 

「……」

 

 そう――あからさますぎるのだ。巧妙に計画しているように見えて、様々なところに違和感がある。上手く動いていないというか、ラグがあるというか。

 

「ともかく、先生。私たちはこれから新聞部の部室に向かう。先生はどうする?」

 

「私も行くよ。生徒のことだから」

 

 その時、アコが懐からスマホを取り出した。急いで耳に当てると、声を小さくして話す。

 

「……」

 

 ヒナと二人、なんとなくそれを見つめる。アコはやがてスマホをしまうと、おずおずと話し始めた。

 

「ヒナ委員長。調べさせておいた、現場の弾痕についてなのですが」

 

「うん。何かわかった?」

 

「……どうやら、弾痕から弾丸がわかったようで、ルートを辿ったところ……つい先日、新聞部がその弾丸を大量に調達していたようなのです」

 

「――――」

 

 ほとんど黒か。ヒナも一瞬驚いたようで、動きが止まった。

 

「ヒナ、まだそうだと決まったわけじゃない。そうだよね、アコ」

 

「え……まあ、そりゃあキヴォトスじゃ生産数はトップじゃないですけど、普通に出回っているモノです。これだけで決めつけるにはまだ早いかもしれません」

 

「うん。だから、確かめに行こう」

 

 しかしヒナががちゃり、と銃を構える。臨戦態勢だった。

 

「ごめん、先生。私はそこまで信じられない。場合によっては潰すつもりでいく」

 

「――ううん、それがヒナの仕事だから」

 

 組織には面子というモノがあるのだ。少なくともヒナは、面子を保たなくてはならないリーダーの一人だ。身内から他組織への襲撃者が出たとなれば、早急に手を打たねばならない。そうしなくてはなめられてしまう。自分の組織の人員すらまともに管理できないのか、と。

 

 それは単に、トリニティとの関係性のみを表すモノではない。他の学校――ミレニアムやクロノスだってすぐにそれに気付くだろう。

 

 組織というものは、一度なめられてしまえば終わりだ。少しくらい小突いても構わないやつらと思われてしまえば、後はずるずると搾取され続けるのみ。だからこそ、こういう時は多少事を急いてでも行動する必要がある。

 

「……新聞部の部室までは少し遠い。急ごう」

 

 歩き始めたヒナを、私たちは追いかけた。

 

   〇

 

「新聞部の部室はこの校舎の二階奥。今はあんまり人気もないけど、彼女たちがまだ下校してないのは把握済み」

 

「先生、交戦の危険性もありますので、あまり前には出過ぎないようにしてくださいね」

 

「大丈夫大丈夫。撃たれる嫌さは私もよくわかってる」

 

 特に、この場においては最もわかっているかもしれない。

 

 言葉が悪かったのか、ヒナが少しばかり目を伏せた。今のは良くなかったみたいだった。少し反省して、ヒナの頭を撫でる。

 

「ヒナ、先頭をお願いしてもいい? 場合によっては、皆を守ってほしい」

 

「……任せて」

 

 手袋をぎゅう、と絞る。

 

「――ちょ、ちょっと先生!? 委員長の頭をそんな簡単に撫でるだなんて羨まけしからんことを貴方は平然と!」

 

「アコ、うるさい」

 

「委員長!?」

 

「うるさいぞアコ」

 

「イオリ!? しかも呼び捨てるほどに!?」

 

「うるさいですよアコ行政官」

 

「なんで四面楚歌なんです!?」

 

「……ともかく、進もうか」

 

   〇

 

 校舎の中は薄暗く、鬱蒼としている。既に日が暮れているというのもあるだろう。けれど、それにしたって驚くほどに――静かな空間だった。

 

 木造の校舎はどこか陰鬱な雰囲気があって、床板が軋むたびにイオリが跳ねるように驚く。

 

 私たちの足音と衣擦れだけが、小さく木霊している。

 

「ひ、ヒナ委員長……明かりは付けないんですか?」

 

「違う。ブレーカーが落ちてる」

 

「……え?」

 

「私たちが来るのがわかっていたみたい。待ち構えてるようね」

 

 イオリがチナツの影に隠れる。

 

「ちょっと……そこから撃つ気ですか?」

 

「だってヤバいんだもん!」

 

「何がヤバいのかはわかりかねますが……」

 

「校舎もちょっとボロいし……変なにおいまでするし……何かヤバいんだってさ……!」

 

 少しずつ進む。下駄箱の傍にある階段を昇り、すぐに廊下に出た。話によれば、一番奥の部屋が部室らしい。

 

 ――どんどんと。

 

 自分の中で、彼女たちに対する猜疑心が強まっていっている。

 

 まだ確定していることは何もない。新聞部の子たちは……少なくとも、友達思いの良い子たちだった。だから、これは私が勝手に覚えている小さな違和感でしかない。

 

 けれど、その違和感が幾つも浮かび上がってしまえば、もう簡単には信じられない。

 

 そうではないと信じたいけれど、事実だけがそれを揺るがしていく。

 

 心音が早まる。呼吸を浅くしようとしているのに、かえって酸素を求めてしまう。緊張しているのだろう。一度落ち着いて、大きく深呼吸。

 

 ――――だから、それにいち早く気付けたのは私だった。

 

「――――ぅ、ぐっ!?」

 

 瞬間、視界が消える。何かが起きた、と直感するまでにはラグがあった。

 

「せ、先生――!?」

 

 立っていられなくて、私はその場に蹲った。眼球が痛い。いや、それだけではない――内臓が、いや、肺が痛い!

 

 口内が爆ぜるような激痛。一体、何が起きているのか。

 

 ――違う。私はこの痛みを知っている。何故こうなるのか、理由はわからなくとも、原因はわかった。

 

 青草のような独特の匂い。背筋をぞくりと撫ぜる冷たい電流。

 

 しまった。匂い(、、)があるということは、もうそれを嗅いでしまったということ。急がなければ手遅れになってしまう。

 

「――みんな……っ! 目を塞いで、息を止めて……!」

 

 懐から銃を取り出す。トンプソン・コンテンダー。弾丸は一発だけ。それをぎゅうと握りしめて、私は構える。

 

「先生、何を――」

 

 急いで探す。こういう木造の旧校舎には、設置するのが義務になっていたはず。

 

 ――見つけた。アレだ。

 

 なんとか構えて、狙い撃つ。

 

 ――――ぱぁん、と音がした。何かが壊れる音、直後、雨が降り始めた。

 

「……スプリンクラー……?」

 

 私が狙ったのは天井に設置されたスプリンクラー。高い水圧のかかっている止水部が破壊され、瞬く間に廊下が水浸しになる。

 

 キヴォトスの生徒たちが頑丈で良かった。焼ける霧(、、、、)を吸い込んでしまえば、ただでは済まない。

 

「――――流石先生ですね! よくぞ見抜きました!」

 

「……っ!」

 

 廊下の奥から声がした。視界はまだぼやけているが、致命傷にはなっていないらしい。まだ意識はあるし、まだ動けそうだ。

 

 無論、そこに立っていたのは政島イヴだった。

 

二塩化カルボニル(、、、、、、、、)――通称ホスゲン。こんな危険な毒ガスを撒くだなんて……!」

 

 分子式はCOCl2――つまり炭素と酸素と塩素の化合物だ。この気体の最も危険なところは――水に触れると塩酸になってしまうところ。

 

 塩酸の有毒性については言うまでもない。人の皮膚に触れれば瞬く間にじゅうじゅうと溶かしてしまう、焼ける霧。何せ人の体のほとんどは水で出来ているし、体表にもそれは出ている。瞳は湿っているし、一度吸い込めば口内や鼻の中を通って、肺までもが焼かれてしまう。内側からどろどろに溶けて死ぬ。それがホスゲンだ。

 

 そしてこの毒には解毒薬など存在しない。一度反応して塩酸になってしまえば、後は焼かれて死ぬのを待つことしかできない。

 

 しかも生成が容易だ。アルコールと消毒液を少し弄れば簡単に作ることが出来る。どちらもドラッグストアで手に入れることが出来るから、量産も可能だ。

 

 第一次大戦中にもこの毒ガスは使われ、大いなる戦果を残した。何せ散布するだけで勝手に人が溶けて死ぬのだ。仮に低濃度のホスゲンだったと言えど、長時間暴露したために数日後に亡くなってしまう事例もあった。

 

「そして対応もお見事。射撃能力も高い、と……メモしておきませんとね!」

 

「……っ」

 

 ホスゲンは水と反応する毒ガスだ。だが、それが僅かであるから塩酸の濃度が高まり人を焼く。ならば、空気中のホスゲン全てを水で反応させきってしまえば良い。第一次大戦中も、雨天下ではホスゲンを使えなかった。

 

「政島イヴ……!」

 

「ヒナ委員長。いいんですか、スクープですよ。先生が生徒に銃を向けた瞬間――」

 

「――うるさいっ!」

 

 即座に銃を構えて発砲する。現代の弾丸は銃弾自体に火薬が詰められているから、水浸しでも発砲できるのだ。

 

 しかし、ヒナの弾丸を、彼女はあっさりと躱す。

 

「くっ……視界が……!」

 

 ヒナも既にホスゲンを受けていたのだろう。私より幾分かマシとはいえ――視界がぼやけている。加えてスプリンクラーから降る水もあって、狙いが付け辛い。

 

「――マカ、セイちゃん。アレ」

 

 小さく、イヴが言う。その瞬間、両側から何かが飛び出してくる。

 

待ち伏せ(アンブッシュ)――イオリ!」

 

「わかってるッ!」

 

 両脇の教室、その窓から銃口が差し込まれる。このままここで集中砲火の構えか。

 

 だが受けるのはゲヘナ学園風紀委員会。この程度の対応が出来ないはずがない。

 

「イオリは右、ヒナは左、アコチナツは両サイドの支援!」

 

「はいっ!」

 

「わかりました!」

 

 四人がすぐに両脇に飛び込んでいく。待ち伏せだなんて随分と計画的だ。窓の割れる音がして――静寂。廊下に残されたのは私とイヴの二人きり。

 

 雨はまだ降り注いでいて、私も満身創痍。内臓が溶けるような感覚で心底気持ち悪い。

 

 二つの教室からは発砲音。黒板や床板の割れる音がするけれど、私にとってそれはどこか遠いモノ。

 

 意識も少しまばらだ。呼吸も浅い。上手く酸素が吸えていない。水が邪魔になっているのもあるだろうけれど――何より呼吸器を焼かれてしまったのが大きい。

 

「あれ、先生……貴方が残るとは思っていませんでした。何故そんなことを?」

 

 その疑問はごもっとも。私に大した戦闘能力はない。護身用に携帯していた銃も今しがた撃ってしまった。再装填を許してくれるかはわからないし――そもそも、生徒に銃口を向けるつもりもない。

 

「君に聞きたいことがあっただけだよ」

 

「……」

 

「どうして、こんなことを?」

 

「どうしてって……私が全てを答えるとお思いで? 映画の悪役のように、自らの計画を吐露してくれると?」

 

「してくれたら嬉しいな、って思ったんだけど……」

 

「――ハ。バカらしい」

 

 吐き捨てるように、彼女は笑う。

 

「私は嫌いなだけです。貴方みたいな大人が」

 

「……?」

 

「聞きましたよ。エデン条約でのごたごたは、全て大人の引き起こした惨劇だったのだと」

 

 その言葉で、はっとした。確かに――それはその通りだと思った。

 

 エデン条約を滅茶苦茶にしたのも、ミカをそそのかしたのも、アリウススクワッドを操って弄んだのも、全部大人の責任だ。

 

 ――ベアトリーチェ。思い出すだけでも吐き気がする。そんな彼女を、どうしても思い出してしまう。

 

「思うんです。この世界が子どもだけだったら、どれほど平和なのでしょう。悪意をもって干渉する者がおらず、善意に見せかけて奪おうとする者もおらず、ただ子どもだけが日々を暮らせる世界があったら」

 

「……」

 

「――そんな世界だったら、妹は死ななかったのでしょうか」

 

 やっぱり、そうだったみたいだ。

 

 ようやく合点が行った。彼女の目的はトリニティではない。彼女の目的は――私たち、大人なのだ。

 

「確かに、君の妹は……私たち大人の責任だと思う。大人が好き勝手に暴れて、子どもに、生徒に迷惑をかけた。そんなこと、本当はあってはならないことだと思う」

 

 元をただせば、全て大人の責任。その言葉に間違いはないと思う。

 

「でも、だったらどうしてハナコを襲ったんだ?」

 

「彼女は知りすぎていましたから。早めに手を打ったつもりでしたが……中々どうして、思い通りにはいかない。浦和ハナコの危険性は初期から想定していましたが――想定以上だったというだけです」

 

「……」

 

「さて、ではそろそろ……先生にも痛い目を見てもらおうと思います。どこを撃たれたいですか? しばらくシャーレには復帰出来ないようにして差し上げます」

 

「それが目的か」

 

「ええ。先生が武力を持って新聞部に攻め込むこと」

 

 ――だからシャーレに取材に来たのか。

 

 あれはあくまでも、ただのお目通し。存在を知ってもらおうと言うだけのことだったのだ。

 

 だけど私は――知ってしまえばただではいられない。手を差し伸べようとしてしまう。だって私は先生なのだから。

 

 なるほど――よく知っている。私のことを。

 

「それと……戦力を分散させたのは悪手でしたね。私たちの目的は先生なのだから、一人は残しておくべきだった」

 

 かちゃ、と銃口を向けられる。

 

「……」

 

 これまでも何回か経験はあるが――何度やられても嬉しいモノではない。ぞっとする。背筋が震えあがって、そこに確かな死を感じる。キヴォトスでこれが日常だとしても、私は慣れることがない。

 

「まだ」

 

「……?」

 

「死なないよ。撃たれたって死ぬわけにはいかない」

 

「殺すつもりなんて毛頭――」

 

「――だって、まだ君のこと、ちゃんと叱れていないから」

 

「……っ!?」

 

「君が私たち大人を怨んでしまうのは……正直仕方ない。こっち側の落ち度だ。でもね――」

 

 むくり、と立ち上がって。

 

「――君も私の大切な生徒だから。間違っていることをしたら、叱ってあげなくちゃならない」

 

 それが私の――先生としての責務だ。

 

 あんまり趣味ではないけれど、まずは戦力をそぎ落とすところからやらねばならないだろう。話し合いの基本は、相手をテーブルに座らせるところから。

 

 それと、ハナコを撃ったことも、きちんと反省してもらわなくちゃいけない。

 

 イヴが私に銃を向ける。怯えにも似た困惑の震えが、そこにあった。

 

 気づけば雨は止んでいた。足元はぐちゃぐちゃに濡れていて、天井から滴る雨粒が、音を立てて落下した。

 

 

「――――来い、ワカモ」

 

 

「な――――っ」

 

 小さなその言葉だけで、後方から発砲音が聞こえてきた。直後、銃が地面に落ちてくるくると回る音。

 

 狙撃したのだ。彼女は元々遠距離狙撃手(スナイパー)――この廊下程度の距離で、精密射撃が狂うはずなどない。

 

「な……七囚人――『災厄の狐』――――!」

 

「はぁい♡ 健康優良不良生徒、狐坂ワカモにございます。先生の頼みとあらば、いつでもいつまでも、どこにでも馳せ参じましょうとも」

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