「先生! 今日の当番の子が来ましたよ!」
「お、今日は誰だったかな?」
「浦和ハナコさんです!」
「……そう言えばそうだったね」
事件から一日が経った。すっかりキヴォトスには平穏が戻ってきたみたいで、トリニティとゲヘナにあった微妙な関係も解消されつつある。
結局、あれからまだイヴは目を覚ましていないらしい。セイとマカはもうぴんぴんしているそうだが、イヴが目を覚ますまでは何も喋ることはないと黙秘。だから、まだ真相については明らかになっていない。
本来であれば今日の当番はチナツだったのだが、彼女は今ゲヘナでてんてこ舞いとのこと。丁度そこにハナコが立候補するカタチで、穴は埋められたのだった。私も丁度、ハナコとは直接会って話しておきたかったから、この訪問は丁度良かった。
すぐに扉をノックする音が聞こえてきて、ハナコが入室してくる。
「先生、おはようございます」
「おはよう。元気だった?」
「今はもう、元気すぎるくらいです」
それなら良かった。健康そうなハナコを見てほっとした。
「ハナコが襲われたって聞いた時は気が気じゃなかったよ」
「あら、そんなに心配だったんですか?」
「そりゃ心配するさ。だって大切な――」
「――生徒だから?」
「……まあ、うん。そうだけど」
言葉を先取りされてしまった。そこまで真似しやすいほどに言っていたっけ。
出鼻をくじかれる私の元に、ハナコは近寄ってくる。
「……そうだ、ハナコ」
「何ですか?」
ぽん、と頭の上に手を置いた。それから、わしゃわしゃと思いっきり撫でてあげる。
「う、うわわっ、先生っ!?」
「単独行動は褒められたものじゃないな。皆が襲われないよう気を付けてたってのはわかるけど……でも、そういう時こそ私を頼ってほしい」
「……」
「いつでも頼っていいんだよ。そうでもしないと――私のいる意味もなくなっちゃうし」
「ごめん、なさい……」
「ううん、責めてるわけじゃない。次から気をつけてほしいだけだよ。それと、よく頑張ったね。どうにかしようとしてくれたってのは、知ってるから。偉いね」
そう言って、私は笑う。
ハナコは賢い子だ。他人の考える様々な機微を読み取れてしまうほどに。
今回は特に、それが悪意に近かったというのもあるだろう。だからこそ、事件に強く巻き込まれてしまった。
あの時点で頼っていてくれれば、私としてもハナコが襲われないように動けたかもしれない。責めるわけではないけれど、もう少し他人を頼ることを覚えてほしいものだ。
「……」
「……ハナコ?」
「はい……気を付けます」
目を伏せて。自分の手が邪魔で、彼女の表情は見えなかった。
「先生」
「何かな」
「もっと撫でてくれますか?」
「……勿論」
「あと、もう少しでいいので……褒めてください」
「……」
ハナコがこういうことを言うのは――何故だか、とても珍しいことのように思えた。
あまり、他人に自分の弱点を晒す子ではない。あえて弱いところを差し出す子ではない。だからこそ、これはとても貴重な機会なのだろう。
「……よく頑張ったね。よしよし」
言いながら、今度は優しく撫でてあげる。髪の流れを整えるように、彼女を落ち着かせるように、そっと。
やっぱり彼女の顔を見ることはできないけれど――これが正しいのだと信じよう。
「いつも頑張りすぎ。もっと甘えてくれていいから」
「……はい」
「そうだ。今度……一緒に遊びに行かない? 美味しい珈琲のお店があるって聞いて……珈琲は好き?」
「……はい」
「良かった。じゃあ、都合の良い日があったら教えてね。なんとしても、その日は空けておくから」
「……はい」
「――――頑張ってるよ、ハナコは。頑張りすぎてると思う」
「……ごめんなさい」
そのまましばらくの間、彼女を撫で続けた。
「ハナコ、そろそろ手汗が出てきた気がする。やめてもいいかな?」
「私に、先生の汗を擦り付けても良いのですよ……?」
「いやいや」
「うふふ♡ 先生色に染められてしまうというのも、悪くはありませんから♡」
「普通に私があんまり良い気持ちじゃないんだけど」
自分の手汗を他人につけて嬉しがる性癖はない。特に、髪は女の命ともいうし、ハナコも気を遣っているはずだ。そこを汚されるのは、あまり嬉しくないだろう。
ようやく撫でるのをやめて、私はハナコから離れた。表情はすっかりいつものそれで――どこか、目元が柔らかくなっている気がするのは、彼女が安心したからだろう。
人間誰だって、いつも張りつめているのは大変だ。本人はそう思っていなくとも、緊張が生じる。だから、それはどこかで緩めなくてはならない。
とはいえ、トリニティはあまり緩い校風でもないから、それは難しいのだろう。一日中補習授業部と一緒にいるというわけでもない。コハルだって正義実現委員会で忙しいだろうし、ヒフミとアズサもそうだ。
そういう意味では、ハナコはシスターフッドやティーパーティー関連で特に忙しいはずだ。毎日肩身の狭い思いをしていても、何らおかしくはない。
「さて、お時間を頂いてしまいましたね。そろそろ昼のお仕事の方を始めさせて頂きましょうか」
「夜のお仕事もある、みたいな言い方だね」
「夜のお仕事?」
「ああ、今のは私の負けでいいや」
完全に策にハマってしまった。ハナコは嬉しそうに、私の首を取ったように微笑む。
もうすっかりいつもの調子だ。このままだと、昼までは揶揄われるだけで時間が過ぎてしまいそうだ。
「……」
まあ、それも悪くないか。
ハナコの幾つかの作業を割り振って、私も作業を始める。すると、何やら私のタブレットに通知が来ているみたいだった。
「ん? アロナ、どうかした?」
「先生……先生っ!」
「先輩落ち着いてください。しかし先生も先生で慌ててください」
「プラナまで。どうかしたの?」
アロナがハイテンションになっているのはいつものこととはいえ――プラナまでもがそれに乗っているのは珍しい。なんとなく気になってしまうくらいには珍しいことだ。
「とにかく! 先生、テレビをつけてください!」
「……? ハナコ、リモコンそこにある?」
「ありますよ?」
「テレビ、つけてくれるかな?」
ハナコも少し困りながら、私の出方を伺うようにしてリモコンを取る。そして、ボタンを押した。