浦和ハナコは言付ける   作:浅笠紗々

16 / 45
壱/少女たちの葛藤(1)

 さらさらと手を動かしては、やがて手を止め。

 

「……」

 

 またさらさらと手を動かしては、やがて止め。

 

 早瀬ユウカは――ほとんど仕事が手につかないまま、ただただため息をつく。効率はほとんどないに等しい。それでも、終わらせなければならない仕事は溜まっていくばかりだから、仕方なく手を動かすしかない。

 

「――そこ、間違ってますよ」

 

「……え?」

 

「だから、計算。百の位を」

 

「……」

 

 背中にかかった声に頷いて、手元を見れば――どうやらそれは正しいみたいだ。

 

 帳簿と計算が合っていない。頭をかいて、息を吐き出す。

 

「ごめん、ノア……」

 

「いえいえ。ちょっと休憩しますか?」

 

「そうね……そうしようかしら」

 

「では珈琲を淹れてきますね」

 

   〇

 

「あつっ」

 

「大丈夫ですか? 火傷してませんか?」

 

「してない……」

 

 ことん、とカップをテーブルに置く。気分はすっかり上の空。心ここにあらず。

 

「ユウカちゃん、相当参っていますね」

 

「そりゃそうよ……先生も、一体どこに行っちゃったんだか」

 

 あの事件――クロノススクールの放送から一週間。先生が生徒に銃を向けたというニュース以来、キヴォトスは騒然としている。

 

 不穏な雰囲気だけがただひたすらにどろどろと渦巻いていて――大事件こそ起きてはいなくとも、その兆候だけが見え隠れしている。正直、いつ事件が起こってもおかしくないと思っている。いずれ疑念と恐怖は溢れ還って、爆発してしまうだろう。

 

 ――まるで、火のついた導火線だ。しかも、長さがはっきりとわからないところが、実に厄介だ。

 

 ハッキリ言って、普通じゃない。平和、平穏とはかけ離れた状態。何せ、あのキヴォトスの先生が生徒に銃を向けたのだ。これまで安全だと思っていた相手が、誰かに牙を向けたという事実。もしかすれば、次は自分かもしれない。武力による鎮圧の可能性――考えられることは幾つもある。

 

 私たちがどれだけ先生の安全性を訴えかけたところで、まるで意味を成さないのは分かっている。既に波紋は広がりつつある。今更どれだけ違うと騒いでも――地位があり、権力があればあるほど、逆効果になってしまうだろう。

 

 特にユウカとノアはセミナーの人間でもあったから、なおさらだ。

 

「ヒマリ部長が確かめたそうなのですが……クロノスが流していた映像は一次ソースだったようです」

 

「つまり……改竄されてないってこと?」

 

「先生がその銃口を生徒に向けたという事実は、間違いないということです」

 

「……」

 

 先生がそんなことをするわけがない。そんなこと、ユウカでなくとも分かるはずだ。少なくとも彼と触れ合って、話して、一緒にいたことのある生徒ならば、皆一様に同じことを考えるだろう。

 

 だが――果たして、それがキヴォトスの人口の何割になるか。大勢からすれば、大したことはないはずだ。

 

 加えてシャーレは事業内容も不透明すぎる。何のためにつくられて、何をしているのか定かではない。それ故に様々な噂が跋扈しているのだ。

 

 そういう意味では――彼女たち。ゲヘナ学園新聞部のやり口は巧妙だった。狡猾、と言い換えてもいいかもしれない。

 

 ただでさえ暗い噂のあるシャーレ――それに対して悪感情を焚きつける。先生のことを知らない者ならば、容易く騙されてしまうことだろう。そうでなくとも、不信感を抱かせるには充分だ

 

「今じゃあ新聞部は悲劇のヒロイン扱い。上手くしてやられたわね」

 

「人の噂も七十五日とは言いますが……果たしてどう転ぶか」

 

「……」

 

 最初こそ、ヒマリらと組んでクロノスの放送を止めようとしていた。先生の不祥事に関わる情報を全て削除しようとしたのだ。しかし、それは焼け石に水――いや、火に油を注ぐだけに過ぎない。

 

 既に石は投げられているのだ。どう足掻こうとも、その事実は波及してしまった。

 

 一度全員が知ってからではもう遅いのだ。情報を秘匿すればするほどに不安は高まる。隠蔽工作の一環だと捉えられてしまう。ヒマリの手にかかればあらゆる情報をかき消すことなど容易いが――こうなってしまっては後の祭り。

 

 つまり、基本的に手詰まりだ。

 

「ゲヘナの風紀委員は何をやってるわけ?」

 

「公式の手続きを踏んで色々やってはいるようですが……現状ではハナコさんを攻撃した以上の罪がありません。キヴォトスではそれほどの罰は与えられません」

 

「先生への名誉棄損とかは?」

 

「……事実、ではありますから」

 

「~……っ」

 

 言葉にならない感情だけがこみ上げてくる。

 

 本当に――奴らは(うま)いのだ。最低限のリスクだけで最大級のリターンを得ている。

 

 先生の排斥だけに焦点を絞って、的確に全力を注いできた。突くべき弱点――先生が大人であること――を理解し、その上で叩き壊してきたのだ。

 

 私がいたら――なんてことを、時折ユウカは思う。先生を守ることが出来たのだろうか。少なくとも今、こうして歯がゆい思いはしないでいられたら良いけれど。

 

「先生、どこに行ってしまったんでしょうね」

 

「……今は隠れておくのが正しいわ。場合によっては、石を投げられることもあるかもしれないし――銃を向けられることだって、あるかもしれない」

 

 ユウカは俯く。それほどまでに、キヴォトスでの先生――ひいては大人に対する悪感情は高まりつつある。一度こうなってしまっては、一朝一夕ではどうにもできないだろう。

 

「歯がゆい、わね……正直。私たちが動いてどうにかなるわけじゃないってのは、勿論分かってるんだけど」

 

「ユウカちゃんは偉いですよ」

 

「――ちょっ、急に何?」

 

「……私だって、本当はありとあらゆる方法を使ってでも世論を捻じ曲げてやりたい、とか、思うんですよ」

 

「……」

 

「でも、それじゃあ意味がない……それどころか逆効果になりかねない。勢い勇んで動けば動くほど、蜘蛛の糸のように絡みついてくる」

 

 ノアも同じように俯いて――歯を噛みしめるように、ふるふると震えた。

 

「悔しい、ですよ……」

 

「ノア――」

 

「兎に角、今は時間が解決するのを待つしかないでしょう。私たちは、いつも通りに」

 

 そうだ。悔しいのは誰だって同じなのだ。

 

 自分の大切な人を傷つけられて、謂れのない誹謗を受けているのを見て、怒りに震えない者などいない。もしいるとしたら、その人は大切な人なんかではないのだ。

 

 悔しいのはユウカもノアも同じ。きっと、キヴォトスでも同じことを考えている者はいる。

 

「……予報じゃ、夜には雨が降るらしいわ。早めに片付けて、帰りましょう」

 

「ええ、そうですね。それが良い」

 

 そうして、二人はまた仕事に戻る。窓から透ける空はどこか暗い鈍色が立ち込めていて、もしかすると――雷まで落ちてきそうだな、と思った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。