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それは『
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七つを持って、『地球』による人類への『天災』にして武器となる。
星の意志によれば、星々は互いにその寿命を奪い合う存在であり――争いあう系譜にある。故に人類にはその力が『神秘』として与えられ、来る争いに備えている。それが、『天災保有者』への解釈である。
すなわち『地球』の保善機構、それが『天災保有者』なのだ。
しかしここでの肝は、『地球』が生き残ることにしか意味はないということだ。仮に人類が滅んだとしても、地球の存続に影響はない。それどころか、これまでよりもずっと豊かに反映していくことだろう。これは現在でも解釈の別れる点ではあるが――ともかくとして、『地球』は人類に『天災』を模倣するチカラを与えた。
地球は意志を持っている。だが、そのレベルがどの程度なのかを我々人類が推し量ることは出来ない。コミュニケーションを取ることは出来ないし、出来たとして本当に意思疎通が可能なのかもわからない。
――だが、一つだけわかることがあるとすれば。
『地球』に意志がある以上――必ずや何かしらの理由があって、人類はその大いなる『神秘』を身に宿しているのだ、と。
〇
「――――記憶、喪失……?」
「の、ようですね」
セナさんは言う。
あれから私たちは病室を追い出され、入れ替わりでセナさんによる簡単なチェックが行われた。
「おそらく逆向性健忘と呼ばれる状態が近いでしょうか。記憶喪失と言っても種類様々ありますが――今回の場合は思い出すこと、つまり『想起』が出来なくなっている状態だと判断しました」
一般に記憶喪失と呼ばれる状態にも幾つかある。ざっくり分けるならば二種類で、それは前向性健忘と逆向性健忘である。
前者は症状以降の記憶を覚えることが出来なくなる。対し、後者は症状以前の記憶を思い出すことが出来なくなる。
本来人間の記憶というプロセスは、符号化、貯蔵、検索という段階に分類される。符号化ではまず得た情報を処理可能な情報に変換し、貯蔵ではそれを保持する。検索ではその貯蔵した情報を取り出す――これが、いわば思い出すということだ。
今回の先生の症状は逆向性健忘――すなわち、貯蔵か、あるいは検索が上手くいっていない、滞っている状態を指す。
「何もかもを覚えていないというわけではないようです。例えば――ペンとか、そういうモノの名前は覚えています。自分の名前も覚えていらっしゃいます。何もかもを思い出せなくなっているわけではないようですが……その――――……」
言いにくそうに、セナは言葉を濁す。
……想像していなかったわけではない。政島ナギの『天災』が『忘却』である以上、ベアトリーチェの思いつきそうな策は考えるまでもない。きっと、私だって同じ立場だったそうするだろう。
「――私たち生徒のことを、覚えていないんですね?」
「……はい、そのようです」
見ればわかる。私たちに動揺を与えないため、取り繕ってはいるようだけど――隠しきれない混乱が見て取れる。
「キヴォトスに来てからの記憶が、ないようです」
「……」
道理でミカさんに名前を尋ねるわけだ。ミカさんにとってすれば……あれはクリティカルな一撃だっただろう。
察しがついていた私でも、ショックがなかったわけではない。先生に「君は誰?」だなんて真顔で言われてしまった日には――それこそ衝撃で動けなくなってしまうかもしれない。
というか、こうして実際に動けなくなっているわけだし。
「話は分かりました。きっと、先生も今は全く事情を呑み込めていないはずです。少しずつ……話していく必要がありそうですね」
「私は肉体専門であって、精神治療は不得手です。ハナコさんの方が適任かと思いますが」
「……」
正直なところ――迷っている。
私を知らない彼と、私はどんな顔で話せば良いのかわからないからだ。
彼だって、異様に自分のことを知っている子と話すのは……そこまで気持ちの良いモノではないだろう。
それに、ただでさえ混乱の状況下。様々なことが一度に起こりすぎて、私だって食傷気味なのだ。今記憶を失った先生を前にして、果たして私は私でいられるのか――自信がなかった。
「きっと、このキヴォトスで言えばどれほど腕の立つ心理師であろうとも……今のハナコさんに敵う人はいないと考えます」
「……随分と褒めてくださるんですね。でも、私にはそこまでの力は――」
「――いえ、あります」
毅然とした態度で、セナさんは言う。
私の目を真っすぐ見て、それが正しいのだと信じていた。
「先生が糾弾されるようになって――先生という仮面が外されそうになった時。先生は貴方を選びました。他の誰が自分を責めるともわからない時……少々悔しいことではありますが――先生は浦和ハナコを選んだのです」
「……」
「私は先生の判断を信じています。ですから……きっと、貴方には特別な何かがあるのだと、私は考えています」
ふ――と、柔らかな表情。まるで私に託すみたいな、そんな顔だった。
「……じゃあ、少しだけ。話してみましょうか」
「ええ。それが良い」
〇
病室に入ると、再び静けさがあった。中にいるのは先生が一人で、暇そうに窓の外を眺めていた。
私に気付くと少しだけ疲れたような顔を向けて、そっと笑った。
――それは、彼が私の家でだけ見せてくれた、彼の素顔だった。
「……えっと、浦和ハナコさん?」
「……っ」
ずきり、と胸が痛んだ。現実が私の体に襲い掛かってきて、瞬く間に侵食していくような痛みだった。
……でも、それを乗り越えなくてはならない。
「……そうです、先生」
「俺が先生って呼ばれてるの、なんか慣れないな。名前で呼んでくれていいのに」
「いえ――貴方は私たちの、先生ですから」
彼を前にすると、不思議と言葉が出てきた。何故だかはわからなかったけれど、それは私の本音なのだと思った。
部屋に入るまでは苦しかった心がゆっくりと浮かび上がっていくみたいに――いつの間にか、軽くなっていた気がした。
「そっか。じゃあ俺、先生になれてたんだね」
「先生ほど立派な人はいませんでしたよ」
「……その言い方だと、死んじゃったみたいだね?」
「……」
ちょっと言葉が過ぎた。反省。
「ここ――キヴォトスに来てからのことは、何も覚えていないということでしたが」
「悪いね。全く……何も」
「責めているわけでは、ないんです」
「……」
「それにしても、凄い場所だよね。だって、学校には俺以外に先生がいないんだって? どうやって運営してるの?」
「生徒たちが頑張っています。例えば、今ここ、ゲヘナ学園では万魔殿よ呼ばれる生徒会役員のような方と、風紀委員会がいまして――」
つらつらと、キヴォトスのことを話す。話すたびに、じわりじわりと先生が何も覚えていないということがわかって、少しだけ胸が締め付けられた。
それでも言葉だけは何故かするすると出てきて、自分でもよくわからないけれど、口が軽くなっていた。
先生と話していると、心が痛くて、でもほんの少し安らぐ。お湯と冷水を同時に掛けられているみたいにぐちゃぐちゃで話すほどに頭がおかしくなってくる。
喋っていないと、本当に狂ってしまいそうだった。沈黙は拷問だった。苦しさは嫌で――少しでも優しい場所に行きたかった。
でも話すほどに先生が記憶を失ったことが現実だと染み込んできて――私は。
「――……へぇ。じゃあ俺って、皆にとってどうだったかな?」
「……」
「良い先生で、いられてたのかな」
「……ええ。先生は、素晴らしい人です」
「……そっか。そりゃあ――良かった、の、かな」
刻むように、確かめるように、先生は言う。
「いやぁ、君と――ハナコさんと話していると、なんだか口が軽くなっちゃうな。なんでだろうね」
「――――ハナコ」
「……え?」
「ハナコ、です。さんはいりません。ハナコと、呼んでください」
どうしても耐えられなくなって、私はそう言った。
他人行儀な先生が嫌だった。私のことを知らない先生が嫌だった。
それがどうしようもない私の我儘で、どうだって良い私の独占欲なのはわかっていた。何より、それを今の先生に求めるのが――あまりにも浅慮で仕方ないことも、分かっていた。
それでも言いたかった。伝えないといけなかった。そうでもないと壊れてしまいそうだった。
「――――ハナコ」
「……っ」
「で――いい?」
「……はい、ごめん、なさい――」
「なんで謝るんだよ。俺はそうやって君を呼んでいたんでしょ? だったらこっちの方が、ずっと自然だ」
「ご、ごめっ……ごめんっ、なさい……っ!」
ぼろぼろと涙が零れていた。とうに心なんてものは決壊していて、既にどうにかなってしまっていたのだった。
スカートがぼたぼたと濡れて、太腿が気持ち悪くなった。涙を拭って、それでも溢れてくる。
先生はベッドから出ると、私に近づいた。そっと袖を寄せて、私の顔を拭いた。
「……そんなに、先生は良い人だったの?」
「――ちが、うんです……」
「……」
「貴方は、先生じゃ、なくっても……私には、大切で……! でも、なんだか、私といた時間が、なくなっちゃったみたいで……! 貴方は貴方なのに……!」
「……うん、そっか。君は……
なんてことはないように、彼は言う。ほんの少しだけ嬉しそうに言ったものだから――また涙がどんどん零れてきた。
「ごめんなさい……! 貴方は、先生じゃなくても、貴方、なのにっ……!」
こんなことを言っても仕方ないのに。そんなことは分かっていても、崩れるように言葉が次から次へと出てきてしまう。
彼は何も覚えていない。彼はまだ何も知らないのに。
「――あはは……どんだけ俺のこと、詳しいんだよ。ハナコは」
「いっぱい、知ってますから……貴方のこと、いっぱい……!」
「だったら教えてほしいな。俺は――君たちにとって、どんな人だったのかを」
彼は私の涙を掬い続ける。
――――何が、自分は先生に向いていない、だ。
貴方ほど先生に向いていて、人のことを思える人なんていない。
それが例え何かを偽り、模倣していて、本心からの行動でなかったとしても――それは貴方なのだ。
泣いている人がいたらすぐに手を差し出してしまって、困っている人がいたら駆け付けてどうにかしてしまう。それが貴方なのだ。
どれだけ嘘を吐こうとしても、人は行動に嘘はつけない。その結果がこれなのだ。
そうだ。化かされたのは私の方だった。
貴方は、先生は、大人で、ずるくて、卑怯で――。
――嘘つき、だ。