浦和ハナコは言付ける   作:浅笠紗々

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Ⅳ/協力者

「……集まりましたか。急な招集に応じて頂きありがとうございます」

 

 壇上には棗イロハが立っている。そんな彼女を囲うように――少女たちが集められていた。

 

 トリニティから百合園セイアと桐藤ナギサ、ミレニアムからは生塩ノア、ゲヘナからは更に空崎ヒナ、そして連邦生徒会からは七神リンが来ている。

 

 ゲヘナの会議室一つを貸し切っての――緊急会議だった。

 

 人数が少ないのは、時間がなかったことに加え大人数を招集する時間がなかったからでもある。それに、あまりに多く集めたところで、先の虚妄のサンクトゥムの繰り返しになるのが目に見えていた。

 

 だからこそ、各校のトップだけを選ぶことになったのだった。

 

「アビドスの方々にも連絡は送りましたが、到着には時間がかかるとのことでして。時間もありませんし、早速話に移らせて頂きます」

 

 ぽち、とボタンを押すと、プロジェクターが起動し、部屋が暗くなった。

 

「――キヴォトスには未曾有の事件が訪れています。始まりはトリニティ――浦和ハナコさんがゲヘナ新聞部に襲われたところからでしょう」

 

 ヒナが手をあげ、引き継ぐ。

 

「あの後色々調べた結果――どうやらゲヘナ新聞部は、浦和ハナコの襲撃には関与していなかったことがわかった」

 

 画面が切り替わる。そこにはハナコが襲われた場所、そして事件に使われたとされている弾痕が示されている。

 

「新聞部は事件の数日前、この弾丸を仕入れていた。だから彼女たちで間違いないと疑っていたけれど……実際には違った。新聞部の子たちが主に使っていたのは、StG44とMG42。ゲヘナでは一般的な銃だけど、この弾痕とは一致しない」

 

 戦闘中は集中していてすっかり気付けなかった、というのもある。しかし、上手く虚を突かれた――というのがヒナの感想だった。

 

 誰だって、あそこまで綺麗に条件が一致すると、信じたくもなる。人間は自分の思いついたアイデアを信じようとする癖があるのだ。だから、弾痕から弾種に辿り着き、彼女たちがそれを仕入れていたと分かった時点で、概ね断定していた。

 

 ヒナが悪いわけでない。というか、あそこまで巧妙に隠されていたであれば信じてしまうのも当然だし、それについては責められないだろう。

 

 ナギサが手をあげる。

 

「……では、新聞部が仕入れたという弾は、どこに消えたのでしょうか?」

 

「現在調査中。だけど、業者によれば部長に渡したと言ってる。政島イヴにも聞いてみたけど、そんな覚えはないの一点張り。ここからは推測になるけれど、新聞部を支援する別組織に流れたと考えるのが道理」

 

 ヒナが推測するに――おそらく、これは政島ナギによる行動だったのだろう。イヴを真似て武器を購入することで新聞部を狙われやすくし、強襲後、先生の映像をクロノスに横流す。イヴもいきなり風紀委員会が襲撃してきて驚いたか、あるいはあれもナギだったのか。現時点で確認は出来ないが、その何れかだろう。

 

 イヴが大人を憎んでいたのは事実なのだ。そんな時に先生がやってくれば、咄嗟に迎撃もしてしまう。ならば前者の線がやや濃いか。

 

 そもそも、違和感はあったのだ。新聞部は全員入院中だったのにも関わらず、彼女の撮った映像が公開されていた。誰かがクロノスに渡したとしても、それでは人数の計算が合わない。少なくとも、新聞部以外にも行動していた誰かがいるのだろう。

 

「そもそも新聞部は弾を買ったことすら知らなかった。実際、私たちの襲撃に備えて多少は武器を用意していたようだから、政島ナギが準備させていたのかもしれない。あるいは――ベアトリーチェが」

 

 彼女の名前を出すと、一気に部屋の中が静かになった。

 

 それも当然だろう。彼女のことは――まだ記憶に新しい。

 

「ありがとうございます、ヒナ委員長。今名前も出ました通り、ゲマトリアが一人、ベアトリーチェは今回の事件に関わっているようです。結果として彼女の仲間とされる政島ナギ――『第一天災』、『忘却』によって先生の記憶が奪われてしまいました」

 

 これに関しては既に軽く説明をしていた。だからこそこうして大急ぎで駆けつけてくれたのだろうけれど――あえて言葉にすると、少しばかり重苦しいモノがあった。

 

 事実として先生は先生の記憶を失っている。彼女たちとの思い出も何もかもを――奪われてしまったのだ。

 

「話はここからです。先生が先生でなくなってしまった今、キヴォトスにはベアトリーチェがいる。至急対策を練る必要があります」

 

 リンが手をあげる。

 

「連邦生徒会でも対応は進めています。市民の自宅待機命令やドローンの調査などではありますが、何か共有できる情報はまだ集められていません。共有事項がある方はいらっしゃいますか?」

 

 今度はノアが口を開く。

 

「ミレニアムの生塩です。こっちでもヒマリ先輩に協力してもらってはいますが、具体的な進捗はまだ」

 

「わかりました。何か分かったらすぐ教えてください」

 

 不意にヒナが立ち上がり、壇上に立った。イロハは一歩引いて、ヒナを見る。

 

「遅くなったけれど、うち(ゲヘナ)の問題に付き合わせてしまって申し訳なく思……い、ます」

 

 そうして――突然、ヒナは頭を下げた。誰もが息を飲む。あの鬼の風紀委員長が頭を下げるだなんて。

 

 しかし、それも当然のことだった。最早四の五の言っていられないのだ。

 

 先生はいない。そして、相手はキヴォトスを滅ぼそうとしている存在なのだ。

 

 頭を下げてどうにかなるならいくらでも頭を下げる。ヒナにはゲヘナを率いる者としての、覚悟があった。

 

 今組織を舐められてしまっても構わない。どれだけ下に見られても構わない。それでも、ここは。キヴォトスは。

 

 ――先生が守ろうとしてくれた場所なのだから。

 

「頭をあげたまえ」

 

「……」

 

 セイアの言葉に、ヒナはそっと顔をあげる。

 

「そもそも新聞部が先生と関係を持ってしまったのは、私たちの独断専行が原因だ」

 

 ぺたぺた、とセイアも壇上に立った。

 

 そして、そのまま頭を下げる。

 

「私にどんな罰があっても構わない。ティーパーティーを降ろされても仕方ないことした自覚はある。だが、だからこそ――何をしてでも、この問題を早急に解決しなければならない義務感もある」

 

「百合園セイア……」

 

「だから頼む。私だけでは無理だ。助けてほしい」

 

 ――それは、明確な組織の敗北だ。

 

 トップはどんなことがあっても折れてはならない。一度でも他者に負けてはならない。

 

 だが、セイアはそんなこと分かったうえで――頭を下げているのだ。

 

 それも当然。自分のことよりも、先生を。

 

 自分だけではない、トリニティを、幼馴染を、聖園ミカを救ってくれた――彼を助けなくてはならないのだ。

 

 仮に先生が何も覚えていなくとも、自分たちは覚えている。恩着せがましいことを言うつもりはない。しかし、先生を助けるためならば、自分はなんだって捨てられる覚悟がある。

 

 その意志の表れだった。

 

「――お二人とも、頭を下げる必要はありません」

 

 リンが鋭く、そう言った。

 

「責任がどこにあるかという水掛け論をしに来たのではありません。今回は対策本部の設立が目的です。ベアトリーチェが今まさにキヴォトスを飲み込もうとしているこんな時に、誰かを責めている余裕はありません」

 

「……」

 

「――話を続けましょう。元々ここに来ている者は各校の代表であり――――先生を助けたいと、貴方たちと同じように希う者なのですから。今更そこを擦り合わせる必要はないでしょう?」

 

 ちらり、と周囲を見る。ノアが頷いて、イロハも肩をすくめた。

 

「……では、先生を助けるための連合組織をここに設立します。これ以降この組織は包括的にキヴォトスを破壊しようとする組織に立ち向かうと共に、先生を全力で支援します。で、名前は……まあ長いので、好きに略して呼んでください」

 

「じゃあ、……先助連ってのはどうかね」

 

「そのセンスはどうかと思う、百合園セイア……」

 

 壇上で、二人は少しだけ笑った。

 

   〇

 

「――待ってくださいっ!」

 

「……っ」

 

 私が声を荒げると、ようやく彼は足を止めた。大した距離ではなかった。そもそも、全力で走ってもいないようだった。

 

 彼はゆっくりとその場で止まった。少しだけ息が上がっているようだった。

 

「急に走ると……危ない、ですから」

 

「――――俺は」

 

「……」

 

「俺は……上手く、やれてたんだ」

 

 ぎゅう、と手を握って。確かめるように、そう言った。

 

「あれだけのことを言ってくれる子が……生徒がいるってことはさ。俺は、良く出来た先生だったんじゃないかな。それって多分、凄く良いことでさ――」

 

「――怖いんですか?」

 

「……ハナ、コ」

 

「……」

 

「……君は、賢い子だね」

 

 諦めたように、彼は笑った。生まれかけていた仮面を無理矢理外せたようで――少しだけ、嬉しくなった。

 

「正直、怖くなってきちゃった。だって君たちが知っているのは俺じゃないんだろ?」

 

「ええ。今のような貴方を知っているのは――私くらいのものですね」

 

「逆になんでハナコにだけ話してたんだよ、俺は……」

 

「私たちは男女の関係、でしたからね……♡」

 

「ええっ……マジ?」

 

「大マジです♡ もう、あんなところとこんなところがくっ付いちゃったりしているんですよ♡」

 

「どんなところが!?」

 

「乙女の口から言わせるおつもりですか……?」

 

 まあ、まだマウストゥーマウスなのだが。

 

 流石に性交渉――とまで行くのは、私が持たない。なんというか、そこまでは考えていなかった。

 

 とはいえ下ネタに多少は反応してくれるくらい、余裕が残っているみたいだった。

 

「……それで、逃げ出してしまった理由は、生徒からの期待が重すぎたから――ですか?」

 

「それもある」

 

 もうすっかり、口が軽くなっているようだ。それが私を安心してくれているから――だとすれば、少し嬉しいのだけれど。

 

「でも、なんていうか……どうしようかな、と思って」

 

「……?」

 

「だってほら、さっきの羽の子は……俺のことを、慕っているみたいだった。凄く敬っているみたいだった。でも、俺は……その期待には、応えられそうにないだろう?」

 

「それは、まあ……当然ですね」

 

 ミカさんが求めていたのは、ミカさんを助けてくれた先生――つまり王子様なのだ。

 

 でも、彼はそんなことは覚えていない。覚えにない記憶を頼られても、何が正しいのかまるで分からないだろう。

 

「――私は、何があっても貴方の味方です。先生であろうとなかろうと、構いません」

 

「……」

 

「既に男女の仲、ですからね」

 

「……あー……もしかしてハナコ、今抜け駆けしようとしてる?」

 

「貴方は大層おモテになりますから、こういう機会でもないと」

 

「随分と強かだね。まあ、でも……そんなハナコに、助けられてるのは事実かも。ありがとう」

 

「……っ」

 

 お礼を言われるとまでは思っていなかった。

 

「ようは……恥ずかしいけれど、期待に添えられる自信がないだけだ。特に……っていうか、あの子力強すぎじゃない?」

 

 ああ、そうか。確かに先生でいた時の記憶が丸ごとないのならば――私たちのヘイローも、『神秘』も、全てまだ知らない状況というわけか。

 

 それならば、恐怖もするだろう。キヴォトス外の人間からすれば、あの力は異様だ。

 

「心配しないでください。全員、貴方の生徒でしたよ。手のかかる子もいますし、厄介な子もいますが……みんな、根は良い子ばかりで」

 

「……だろうね」

 

「怖がるのも無理ありません。実は私も、先生より強かったりするんですよ?」

 

「マジで? ちょっと自信無くすなぁ……」

 

「――でも、貴方が先生であったことにも、貴方が貴方であったことにも、変わりはありません」

 

「……」

 

「貴方の全部が、好きです」

 

 ――と、言って。

 

 明らかに言い過ぎた。こんなこと言わなくても良かったのに。口が滑りすぎた――そう感じた。

 

 咄嗟に顔を隠す。真っ赤になっていることなど、鏡を見るまでもなかった。

 

 でもそれは私の本心でもあって、心の底から彼のことが好きなのは疑いようもなくて、しかしそれはそれとして今じゃないな、と思って。

 

 不意に、彼が私に近づく。

 

「ひゃ――」

 

 慣れない肉体接触。ふわりと彼の体が触れて、どきり。

 

 彼の匂い。彼の香り。鼻孔に溢れて、ふわり。

 

「――――ハナコ、危ない!」

 

 どん、と抱きしめられた。それが私を抱いて跳んだのだと気付くのには、時間がかかった。

 

「……っ!?」

 

 そのまま背中から地面につく。じゃり、と皮膚とアスファルトが擦れる。しかし、後頭部には彼の手が添えられていたから、痛くはなかった。

 

 直後――銃声。

 

「……――っ!」

 

 懐から銃を取り出す。L85。アサルトライフル。

 

 発砲音から狙撃先は特定出来た。当てる目的ではなく威嚇――彼の隙間を縫って、適当に射撃した。

 

 からからと薬莢がアスファルトにはねた。直撃はしていないらしい。

 

「……どうしてこのタイミングで……!」

 

「このタイミング、だからだろう……!」

 

「――!」

 

 確かにそうか。先生がいなくなってしまった今こそが狙い目。元よりベアトリーチェの目的はキヴォトスの陥落にある。

 

 ならば、先生の入院によって全体が緊張し、症状が分かると共に弛緩した今。まさに今が、格好の攻め時だ!

 

「ハナコ、ここは撤退しよう!」

 

「……ですね!」

 

 言葉と同時に立ち上がる。本来このような鉄火場は私の得意とする場所ではない。

 

 彼はまだ地面に倒れたままだが、急いで周囲を見渡す。

 

「……――!」

 

 敵影はない。茂みかどこかに隠れているのだろうか。あるいは、超遠距離での狙撃? いや、それはない。発砲音の後にすぐさま着弾音が聞こえた。ライフルでの狙撃ならば、発砲音と着弾音に時差がある。

 

 ――ならばまだ隠れていると考えるのが妥当。スコープに片眼を入れ、もう片方もきちんと開き続ける。こういう時、ついつい片目を閉じたくなるが、我慢する。両目で見た方が視野が広いし、強襲時に片眼が見えにくいことを防げる。

 

「先に逃げてください! 私はここで殿を――――」

 

 言いながら、彼に目を見やる。

 

「――――――――ぁ、っ」

 

 息を飲む。

 

 地面が、赤く染まりつつある。

 

 流れ弾が当たった? 足からの出血? 止血しないと。彼は――死んでしまうかもしれない!

 

 頭が真っ白になる。何も考えられない。妙案は浮かばない。何をするのが正しい? 何が間違っている? どうしよう――どうしよう!?

 

「落ち着けハナコ!」

 

「……っ!」

 

「敵の狙いは、多分ハナコだ!」

 

「なんっ――で」

 

「一瞬だけマズルフラッシュが見えた……! 射線は間違いなくハナコだった! だから――俺はいい!」

 

「――――そんな、ことを――」

 

 がちり、と頭の中のギアが入るような感覚。

 

 全身の筋肉が突沸めいて痙攣する。今すぐに動き出せと脊髄が勝手に命令する。

 

 その判断に、抗う必要などなかった。

 

「――言ってる場合ですか!」

 

 銃をしまって、地面に倒れている先生を持ち上げた。発砲音の方向から背中で庇うように、校舎に向かって走り出す。

 

 明確な隙を晒す。そんな絶好の機会を、逃すわけがない。

 

 ようやく発砲音が数回。これを彼に当てるわけにはいかない。

 

「――っ!」

 

 ばちん、と背中に被弾。激痛。多分肩甲骨のあたり。

 

 ――でも、構わない。

 

 続けて発砲。多分相手は一人だけ。何とか彼を庇う。

 

「ぁ――くっ……!」

 

 再び被弾、今度は太腿。激痛。一瞬だけ足が止まって、でも無理矢理動かし続ける。

 

「ハナコ、俺を置いていけば君は――」

 

「――――うるさいっ! ばかぁ!」

 

「……っ」

 

 黙らせる。本当にばかな人。

 

 だって見たでしょう。私は撃たれても死ぬわけじゃない。

 

 だけど貴方は簡単に死んでしまう。もう顔も真っ青で、全身汗だくで、今すぐにだって手当をしないと助からないかもしれない。

 

 そんな場面だって言うのに、自分の体よりも私を心配?

 

 ばかげてる。許せない。酷い人。

 

 頭の中がぐちゃぐちゃで、心の底からむしゃくしゃして、たまらない。

 

 誰がなんと言おうと、貴方だけは助けないといけない。それこそ貴方がそれを嫌がろうとも、構わない。これが私のエゴだ。

 

 こんな人を殺させるわけにはいかない。そのためだったら、私がどうなっても構わない。弾丸の雨に晒される程度、どうということはない。

 

 ばちん、とまた被弾。今度は場所が悪かった――踝のあたり。

 

「……っ!」

 

 声も出せなかった。足を挫いて転びそうになる。激痛で涙が溢れて前も見えない。視界が歪んで全身が熱くてたまらない。

 

 ――それでも、この人は、助けるんだ。

 

 なんとか足を踏み出す。痛みが薄れてきた。鋭い痛みだけが体をぼんやりと満たしていて、逆に何ともない。

 

 まだ体は動いてくれるらしい。前に前に、進み続ける。

 

「ハナコ……っ!」

 

 先生が急に、私に向かって強く抱き着いた。意味はわからなかったが、これでより走りやすくなった。

 

 最早匂いや熱がなんだと考えている場合ではない。そんな感覚はとっくに鈍重で、今は緩やかな痛みだけが脳髄を満たしている。

 

 もう少しで室内に入れる。ゲヘナの食堂。あそこにはミカさんたちがいたはず。

 

 ……でも、であればさっきの銃声は聞こえていると思う。でなければ、いないのかもしれない。

 

 だとしても、遮蔽物に隠れられればそれで良い。開けた場所よりも室内の方がずっとマシだ。

 

 とにかく前へ。細かいことは後で考える。

 

 ――その時、厭な音がした。被弾時に聞こえていた音。

 

 しかし、衝撃ばかりが私の背中に伝わって、痛みはなかった。代わりに強い熱と――何らかの液体。

 

 咄嗟に理解出来ない。意味がわからない。嘘だ。

 

「何、やって――――!」

 

 この男――本当にばか。

 

 私に抱き着いたのは、抱えられるためではなかった。密着度を増して、私の背中に自らの肉体を回すため!

 

 少しでも被弾率を下げるため!

 

「ばかぁあああああっ!」

 

 悲鳴と共に、私たちは窓ガラスを割り、室内に突っ込んだ。

 

 奥の方まで入って、清潔そうな場所に彼をおく。窓のない閉所まで来たから、もし攻め込まれでもしたら袋のネズミだ。でも、いい。それよりも先にやることがある。

 

 急いで止血しなければならない。ぱっと包帯でもあればよかったのだが、生憎そこまで用意周到ではなかった。

 

 なるべく綺麗で、丈のある布。私は自分のスカートを無理矢理千切って、彼の足と手にそれを巻いた。下着が見えることなんて気にならなかった。そんなことはどうでも良くて、何よりも彼の止血が先だった。

 

「死なないで……やだ、死んじゃやだ……!」

 

 ぼろぼろと涙を零しながら、先生の体に布を巻いていく。

 

 さっきから私、泣いてばかりだ。彼に泣かされてばかりだ。

 

 本当に酷い人。私のことばかり考えて、自分のことなんてまるで考えていない。

 

 自分が助けたいと思う相手に、まず自分が入っていない。

 

 それは彼のヒロイックな部分でもなければ、素晴らしい自己犠牲の精神でもない。

 

 ――ただ、絶望的なほどに、彼の自己評価が低いだけなのだ。

 

 自分は生きている価値がないだとか、存在している意味がないだとか、いつもいつもそんなことばっかり考えているから、いざというところで優先順位に自分が浮かび上がらないのだ。

 

 いつも深いところに沈んでいて、それが上の方までやってこないのだ。

 

 だから彼は自分を簡単に捨てられる。我が身可愛さというモノがない。

 

 なんて――――脆い人。儚い人。でもそれは美徳でなければ長所でもない。そんなわけがない。

 

「ばかぁっ!」

 

 手先がもたつく。彼の足に上手く布を巻けない。不器用な自分が許せない。

 

 スカートは多分綺麗だと思う。洗っているし、ご飯だって私は昔から零さずに食べられた。

 

 だから止まって。未だ流れ続ける血は早く止まってほしい。

 

 さっきまでは白いリノリウムだった床が、どんどんを赤く染まっていく。彼の中の彼を生かしている部分がどんどんと溢れ出て来る。

 

「止まって……止まって、止まって!」

 

 ぎゅう、となんとか足に布を巻くことが出来た。強く巻きすぎたかもしれない。でも、多分大丈夫だ。

 

 そのまま手を掴む。彼の体は力なんてほとんど入っていなくって、今すぐにだって死んでしまいそうだった。

 

 無理矢理巻き付けて、でも不器用だから、緩くなってしまう。そうしてもたついている間にも、血は流れて来る。

 

 手のひらに穴が空いている。骨が透けて見える。とろりとしたリンパ液が血液と混じって――桃色に染まっている。皮下脂肪が出てきて、黄色い。ぬめっとして指が滑る。

 

 吐き気がする。鼻をつく鉄の匂い。脂っぽいタンパク質が私の指を染めている。

 

 気にならない。どれだけ私が汚れてしまおうと、彼をどうにかしなくては。

 

 スカートが真っ赤に染まっている。私の太腿を汚している。いや、汚れなんかではない。この血は彼が生きているという証拠なのだ。だから、それを留めなくてはならないのだ。

 

「――っ、はあ……っ! はあ――っ!」

 

 息も忘れて必死に布を結ぶ。なんとか結べた。ようやく出来た。

 

 そもそも弾丸は致命部位ではない。失血さえ止めてしまえば死んでしまうことはないはずだ。

 

「――――やだ、やだやだやだ!」

 

 けれど、彼の顔はすっかり青ざめている。生気を失いつつある。

 

「ダメ、起きて!」

 

「……っ、ちょっと、これは……」

 

「っ!」

 

「頑張り、すぎたかもね……」

 

 腹の底から絞り出すような声。本当に、限界なのかもしれない。

 

「なんで助けたんですか! 私、銃喰らっても死なないのに!」

 

「でも……」

 

「でもなんですか! 死にたがりなんですか! それとも本当に死のうとしたんですか!?」

 

「……ハナコが、助けを求める顔をしてた、から」

 

「―――――――――っ」

 

「誰かに助けてほしそうだった……俺しかいなかったし、だったら、いいかなって……」

 

「――それで、満足なんですか!? 庇わなくても死なない私を庇って死にかけるだなんて――ばかげてる!」

 

「いいだろ……っていうかなんで、銃弾受けてぴんぴんしてるんだよ……」

 

「……っ」

 

 キヴォトスでの記憶がないならば――そうか。

 

 いや……それでも。

 

 記憶がないはずなのに。

 

 私との思い出も残ってないはずなのに。

 

 彼には何もなくて、先生としての全ては失っているはずなのに……!

 

 ――なんで!?

 

「だからって庇わなかったら……なんて、言うか……気に食わないだけだよ」

 

「……何が、気に食わないんですか……?」

 

「わかんない」

 

「……」

 

「気に食わないから、気に食わないんだよ。納得できないから納得しない。それじゃあ、ダメかな……?」

 

「そんな、子どもみたいな――」

 

「――俺、皆の前だとそんなに大人だったの?」

 

「……っ」

 

「道理で先生出来てたわけだ……」

 

 納得するように大きく息を吸うと、先生は力を抜いた。

 

「ちょ――ちょっと、やだっ!」

 

「ちょっと……眠るだけ、だから……」

 

「眠ったら死にます!」

 

「死なない死なない……人間そんなに、ヤワじゃ……」

 

「ヤワなんですよ! 貴方は! 撃たれたら死ぬんです! 簡単に血が流れて……簡単に――」

 

 ――死ぬ。

 

 人は死ぬ。

 

 呆気なく人は死ぬ。

 

 それは彼であっても例外ではない。特にキヴォトスにおいては。

 

「死なせません! 私が――貴方のこと! 絶対に!」

 

「うん……ハナコ」

 

「……っ」

 

「よろしく」

 

 そう言うと、彼は目を閉じた。

 

「――――っ」

 

 まだ、やらないといけないことがある。このままでは彼は死んでしまう。

 

 助けないと。この人にだけは死んでほしくない。

 

 涙はいつの間にか止まっていた。

 

  〇

 

「……アレを凌ぎますか。どちらかは落とせると思ったのですが、まあ、良いでしょう」

 

「先生は再起不能です。二発も入れば、ただの人間は立ち上がれない」

 

「さあ――――行きましょう。『人災保有者(Distorter)』たちよ」

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