先生を担いで運ぶ。医務室は少々遠いが、室内を経由して向かうことは可能だ。ひとまず応急手当程度だが、止血は済んでいる。あとは患部の消毒と、場合によっては輸血も――。
「――……っ」
考えるのは後。そもそも私は衛生兵ではない。細かいことはセナさんに任せる方が正しい。
運んでいく。なるべく遮蔽物に隠れながら、窓を避ける。
――幾ら襲撃だったとはいえ、あれだけの物音がして誰も気付かないのはおかしい。銃声がすれば普通誰かが駆けつけるはずだ。
ヒナさんは連邦生徒会に連絡するとも言っていたし、彼女たちが駆けつけていてもおかしくはない。人気はないようだったけれど、それでも銃声がして誰も来ないわけがない。ゲヘナはそこまで、ずぼらではないはずだ。
考えられるのは二点。何らかの理由で誰も近くにいなかった。例えば丁度会議中だとか、全員ゲヘナを離れている可能性。丁度私と彼は別行動をとっていたし、動向を把握出来ていないのだから、当然だ。場合によっては別の場所でも被害が発生しており、即座にそちらの対応に向かっている可能性もある。
だが――もう一点を考えるとするならば。
『天災保有者』、あるいはそれに類する異能を――『神秘』を持った者による強襲であった可能性だ。
もし後者であったならば、手のうちようはない。私の知るうち、『天災保有者』でそんな芸当が出来そうなのは――『劫略』か『旱魃』。どちらも『天災』の解釈次第で、先ほどのような状況を作り出せるかもしれない。
そう言えば――と思考が横に逸れる。アキラさんは、今どこで何をしているのだろうか。
彼女は公園で別行動を取って以降、連絡がない。既に数時間は経っているし、そろそろ連絡があってもおかしくない。
――彼女にも何かあったか。純粋に連絡が取れない状況であればそれで良いが……もし彼女の身に危険があったならば。
不安を抱いてぎゅっと飲み込んだ。今はそれを考えている場合ではない。恐怖が渦巻きかねない思考は全て一旦置いて、とにかく前に進む。
こんなところで怯えている場合ではない。何よりも彼を助けることを優先しなくては。
背中に担いだ彼の体を、ぎゅっと強く抱きしめた。彼の血液が衣服を通じて私の皮膚に触れる。
冷たい。すっかり彼の血は冷めてしまって――そのうち、彼もこの冷気に負けてしまうのではないかと思うと、気が狂いそうになる。
だから、そうなる前になんとかしなくては。
〇
どんっ、と背中に強い衝撃。肺がびっくりして酸素を全部吐き出してしまう。
呼吸がうまくいかない。上手く息を吸えない。
「政島イヴ、貴方に聞きたいことがあります」
「げほっ! ごほっ! ……こ、今度は何なんですか……?」
あれ以上食堂を荒らすわけにはいかない。ワカモは少し場所を変え――引きずるようにして、イヴとミカを持ち運んだ。
ぽい、とイヴの体を投げ捨てると――そのままゆっくり距離を詰める。
「――貴方の妹君はキヴォトスでも指折りの犯罪者となりました。七囚人だなんて非ではない、国家転覆クラスです」
「……っ」
「とある国の憲法で最も罪が重いものは、まさに国家転覆と偽装紙幣の製造だそうです。つまり、国家を破壊しかねない行為は重罪として認知されているようですが……政島ナギは、どうでしょうか?」
「それは……もう、聞きました。風紀委員長から」
「……」
既に話はされているのか。
とはいえ――おそらく彼女は何も知らなかった。人知れずナギがイヴのふりをして行動していたのだろう。だから、あの場に至ってものほほんとしていられた。
細かい辻褄合わせは『忘却』させられている可能性もある。もし、ナギに繋がる全てを『忘却』されてしまえば、こちらは完全に後手に回ってしまうだろう。あらゆる証拠は消え失せ、打つ手はなくなる。
しかしもし――イヴからナギに繋がる何かがあれば、そこから先手を打つことが可能になるかもしれない。
ベアトリーチェの目的がキヴォトスの破滅であることは分かっている。ならば彼女は必ずいつかどこかで攻めて来る。それは今日かもしれないし、明日かもしれない。いずれにせよ、早期に対策を練らねばならない。
――勿論、空崎ヒナを始めとする組織のトップたちが既に集まっているのは知っていた。連邦生徒会も事件に介入し始めている。本来であればそちら側の聴取を先決すべきではあろうけれど、その前にどうしても聞きたいことがあった。
「政島ナギは『天災保有者』です。貴方はそのことを知っていましたか?」
「し、知りませんでしたよ。ずっと一緒にいましたけど……『天災』だなんてチカラも、あんなことを企てたことも……生きていたことも」
「……」
そこまで聞いて、ワカモは少し後悔した。今のは確かめてもあまり仕方のない問題だった。
『天災保有者』であることをイヴが知っていようといまいと関係ないのだ。だって、知っていたとしても、ナギの『天災』で記憶を奪ってしまえばいい。結果的にイヴはナギに関する記憶を持てなくなる。
ただでさえバックについているのはベアトリーチェであり――彼女は大人だ。ならば、その程度の策は仕込んでおくだろう。
「政島ナギは……どんな子、だったんですか?」
だからつい、そんなことが気になった。
「え……?」
「だから……貴方にとって、妹である彼女は、どんな子だったのでしょうか。性格とか趣味とか……一緒に遊んだ記憶、とか」
「そりゃあ、勿論、ありますけど……なんてことはない、普通の話ばかりですよ」
「それでも構いません。聞かせてください」
「……」
一瞬イヴはワカモを訝しむように見て、それから話し始めた。
「……別に、昔は変わった子じゃありませんでした。私とナギは、凄く似ていて……家族でないと間違われることもありました。どこに行くにも私についてくるような可愛い子で……新聞部に入ったのも、きっとそれが理由なんです。多分、報道とか取材なんてモノにはさほど興味もなかったと思います」
「姉妹仲は?」
「喧嘩ばっかりしてたわけではないです。たまにどうでもいいことで争ってはいましたけど……私にとっては、可愛い妹でしたから」
「……」
不意に――違和感が芽生えた。
もし自分が政島ナギの立場だったとしたら、どうするだろうか。
ワカモは考える。自分だったら、きっと、自分にまつわる全ての記憶をあらゆる人間から消すだろう。
そうすれば証拠は残らない。死人に口無し、完全犯罪が達成できる。
幾ら先生を排除しようと言っても、今回の作戦は――どこか、大袈裟すぎる印象があった。確かにこれならば兵を集めながら先生を排斥できるが、こと先生だけに限って言えば、もっとスムーズに出来たはずだ。
それこそ、新聞部がシャーレに取材に向かったというあの日。きっとそこに政島ナギはいて、誰も気付けていなかった。視界に入れた瞬間から自分を『忘却』させ続ければ、先生を刺殺したとしても、誰も気付けなかっただろう。
結果はさておき、それは間違いなく可能だった。ナギがベアトリーチェ側についている以上、少なくとも先生はいつか排除しなくてはならない存在だ。だというのに、彼女は絶好の機会を逃した。
空崎ヒナが同伴していたということは勿論ある。何か違和感があればそこで作戦に支障が出ていたかもしれない。だが、それを言うならば『天災保有者』が複数名いたタイミングで襲ってきたあの時も、考え方によってはおかしかったのだ。
単純に、アキラの有無というのもあるかもしれない。彼女の『天災』は『忘却』と相性が良い。不得手とする相手がいない隙を狙った。これは大いに考えられる。
しかし――考えれば考えるほど、ナギの行動は違和感が多い。
そして、それらの違和感を完全に沈黙させられる解決案も、同時に思い浮かんでいた。
「……」
だがまだ推測も多い。確定的ではない。加えて、イヴにどれだけ聞いたとしてもその答えが浮かび上がることはないだろうとも思っていた。
「家族というのは、大変ですね」
「……?」
ぽつりとワカモはそう言った。
「手荒な真似をしたことを謝ります。事を急いていたもので」
「……本当ですよ。記事にしますよ?」
「どうぞ。自己紹介もしておきましょうか?」
「お名前は?」
「狐坂ワカモ。七囚人が一人、『災厄の狐』。今はただの良妻賢狐です」
〇
イヴを解放した後、ミカを連れて外に出た。先生はハナコに任せたとはいえ、あまり今の彼を放置しすぎるのも不安だった。
すっかり日は暮れかけていた。外は薄暗く、広場には遮蔽物一つないから風も強い。
「……ワカモ、ちゃん」
「ようやく喋ってくれましたか。風と話すのも飽き飽きしていたところです」
「……私」
「……」
ミカの手から、力が抜ける。するりとワカモから離れて、ミカは立ち止まった。
「――いい加減になさい」
「……っ」
「いつまで子どもでいるつもりなんですか? 駄々をこねていれば誰もが想像通りに動いてくれると? そんなわけがない。それくらい、貴方ならばとっくの昔にわかっていると思っていましたが」
きっぱりと言い切る。
子どもの世話をしていられるほど、今のワカモに余裕はない。
どれだけ心に余裕があるように見えても、ワカモも生徒の一人でしかない。年齢的に年上だからといっても、ワカモもまだ子どもなのだ。それに加えてこのシチュエーション。フラストレーションがたまらないわけがなかった。
「でも、私……先生に、酷い事、言っちゃった……」
「ええ、そうですね。貴方が他愛のない子どもだから」
「……っ」
鬱憤が言葉に出ていた。しかし、それを我慢する気にもならなかった。
――少しだけ、反省。子どもなのはどちらの方か。
苛ついて彼女に当たり散らす、自分の方ではないか。
「……ふぅ。今のは少し言い過ぎました」
「――ううん、そう、だと思う」
「……」
「どうしてワカモちゃんは――そんなに大人でいられるの?」
「――――ハ。私は大人ではありません。貴方と同じ、子どもです」
「それ。先生も言ってた気がする」
「……」
「私も大人になりたいな。どうやったらなれるのかな」
「大人っていうのはなれるものでもなければ――なりたいと願うものでもありませんよ」
「だったら、人は一生子どものままなんじゃないの?」
「いえ。
人は勝手に大人にされる。本人の意思があろうとなかろうと関係ない。
わかりやすいのは年齢だろう。もう良い歳なんだから、大人になれ、と。そこには本人の成長も資質も何も関係はない。
人はなろうと思って大人にはならない。誰かによって、大人にされてしまうのだ。
「20歳になったら大人? 誕生日になった零時零分から切り替わって、その瞬間から子どもではなくなる? そんなわけがないでしょう。先生も私も――きっと、まだ本当のところでは大人なんかじゃない」
いつまでも子どもで居たいという気持ちも、あるいは早く大人になりたいという気持ちもわかる。特に、ワカモは年齢的にも丁度その中間だ。他の子たちに比べれば一歩先を行っている。だからといって自分が大人として相応しいとは思わないし、思えない。なりたいとも思わない。
それでも、誰かはワカモに大人を求める。何がどうなったら大人だとか、そんな具体的な線引きがされているわけではないのに、だ。曖昧な概念を求められて、それを受け入れるのが当たり前なのだ。
――尤も、そんな社会の鋭さが分かってしまうからこそ、やはりワカモは一歩先を行っていると言えるわけだが。
「先生は……大人のふりをした子どもです。でもそれはきっと誰だってそうで、皆大人という概念に弄ばれている。特に先生は、その傾向にあるでしょうね」
だから――彼は生徒を、子どもを守る、先生という仕事に躍起になっていたのだろう。
そうすることで大人であり続けようとしていた。
「でも私は思うのです。大人だとか子どもだとか、そんな区切りはどうでも良いのではないか、と。本質的にそこに差はなくて、自覚的に犠牲者になれるかどうかでしかなくて……本当の意味で、大人は損をし続けるのですから」
あの人は嘘が下手だった。本当にはぐらかそうと思えば幾らでも嘘をつけたはずだ。何度だってその機会はあって、そのたびにわかりやすい嘘で誤魔化した。それが損をするということなのだろう。
「……ごめん。私には、よくわからないかも」
「私にも全くわかりませんよ。まだまだ子どもですから」
「その言葉が言えるだけで、もう充分に大人って気がするけど」
「――今、貴方が私を大人にしてしまったんですよ?」
「――――っ」
一度求められてしまえば、逃れることは出来ない。
大人らしい子どもと、子どもらしい大人。それは全くの別物なのだ。
一度大人になって壇上に上がってしまえば――そこから降りることは、また違った意味を持つ。
だから先生は私たちを子どもとして扱ってくれていた。壇上に立たなくてもいいように。
――厭なスポットライトを、避けるように。
「――違う、そんなつもりじゃ……」
「わかってますよ。今のは意地悪です」
「……」
「大人になろうとするのは難しいことです。誰だって嫌がる。私もそうです。でも、大人になろうとする貴方は――多分、素晴らしいのです」
誰だって、自分に足りないモノを求めている。その中で目的のため、一際努力している人は輝いて見える。
特に――ワカモのような落伍者からすれば、当然のことだった。
一度や二度汚れた程度ではびくともしない。何度転んでもまた立ち上がって、再び進んでいける。そんな人間は、素敵で、綺麗で、羨ましいのだ。
何故ならそれは自分にないチカラだから。
「ミカさん。貴方は私には、少し眩しいのです」
「な……なんで、急に褒めるの?」
「褒めてません」
「褒めてたでしょ!」
「勘違い」
「勘違ってない!」
ワカモは不意に、ミカに向かって手を差し出した。
「涙の痕が残っています。目元も腫れてますし、袖なんてべとべとに濡れています。髪もぼさぼさですし、酷い有様」
「な、なにそれ。ちょっと酷いんじゃ――」
「――だから、綺麗ですよ」
「……っ」
「貴方は
ぱちん、と手を弾かれた。
「――ふん。一人で立てるからいいよ」
「それは重畳」
「ワカモちゃん」
「何ですか」
「ありがとうと、ごめん」
「……」
「それから――もう一つ」
弾いたはずの手を――ミカが引き寄せる。
「私にとっては、ワカモちゃんも眩しいんだよ」
「……っ」
「大人だからとか子どもだからだとか、性質がどうとか資質がどうとか、何それって感じ。全然わかんない。でもね――」
「――」
「――今さ、もしかしたら、誰だってそうなんだろうなって思ったよ。ほら、よく言うじゃん。隣の芝は青いし、隣の花は赤い。私がワカモちゃんを羨むように、ワカモちゃんもそうで。上手く言えないけどさ――」
ぽつぽつと、ミカは続ける。
「――まあ、そういう感じ、なんじゃないかな」
「……」
全然しまらない女。ワカモはそう思う。
思うと同時に――少しだけ、納得した。道理で自分は、ミカを眩しいと思っていたわけだ。
「貴方の方が、私よりよほど大人ですよ」
「あ、私を大人にした~」
「小うるさい口ですね。塞いであげましょうか」
「えっ」
「バカ仰い。私だってお姫様です」
「でも時代の流れ的にはそういうのも……?」
「先生一筋なので」
「あははっ☆ うん、それは私も――――」
そうして、歩き出した。
――二人がほぼ同時に真っ赤に染まった地面を見つけるのは、この二分後のことである。