体が重い……それでも前へ。
心が苦しい……それでも前へ。
彼女を叱るため……それでも、前へ。
俺は進み続ける。進み続けなければならない。これまで多くの生徒に助けられて、見送られて、任されてきたのだから。
それが俺の責任であり、責務であり、役割なのだろう。
だから――。
「――――随分と」
「……っ」
「早かったね、先生」
――俺たちは、再び、政島ナギと対峙した。
「ナギ! どうしてこんなことをしたの!」
隣のイヴが叫ぶ。一番彼女と対話したかったのは、俺よりも彼女の方だろう。
いつにも増して大きな声。それだけ貯めていたことがあるのだ。
――でも、それも当然。俺はイヴじゃないから――彼女の心中など、察することは出来ても、理解することなんて出来ない。
「……うるさい。姉さんは来ないでって言ったでしょ」
「来るよ! だってお姉ちゃんなんだから!」
「……ホント、ムカつく。姉面ばっかりしてさ……」
「ナギ……?」
「私のことだって忘れてた癖に。本当は生きてたのに、途中で探すのなんて諦めて、死んだことにした癖に」
「……っ」
「姉さんに興味なんてないよ。私は――終わらせるためにここにいるの。先生、早くやろう。二人をどれだけ使えるかはわからないけど、先生なら多分上手くやれる。良い勝負になると思うよ」
そう言って、ナギは自然と目を逸らした。そして俺の目に合わせて、言う。
――しかし分かる。分かってしまう。彼女の真意が、そうではないことに。
やっぱり……ナギはそういう子だ。
「ナギ」
「何。まだぐだぐだと話を続けるつもり? 今時受けないよ、そんなの」
「――私は、君を叱りに来た」
「……」
「でも、殴りに来たわけでなければ、怒りに来たわけでもない。ただ、君を正すために、ここに来たんだ」
「――へぇ、どうやって正すの? 既にキヴォトスでの被害は甚大。この罪はどう償わせるおつもりで?」
「償って償えない罪なんて、ないよ」
「……っ、減らず口を……! いつもそうやってキレイゴトを言って! かどわかして! 甘い言葉で人を騙して!」
「――でも、大人が綺麗な世界を見せなくって、誰が子どもに見せてあげられるんだよ」
「……っ」
「確かに現実はそう甘くないよ。厳しいことも多い。取り返しのつかないこともある。でも、それは多分……そんな世界が間違ってるからだ」
社会を作るのは人間で、そのほとんどは大人が占めている。ならば社会を作っているのは大人だから……もし、子どもたちが苦しくて、生きにくくて、窮屈に感じてしまうのなら、それは世界が間違っているのだ。そんな世界を作ってしまった、大人が間違っているのだ。
だから俺は夢を語る。大人が夢を語らなければ、子どもは夢も見れない。
俺が先生として、子どもに綺麗な世界を見せるのは、きっと大人としての責務なのだ。
「分かったような口を聞くね、先生。貴方は私のことなんか、まるで何一つ知らない癖に――!」
「そりゃあそうだろう。他人のことなんか分からないよ」
「……っ、ほら、見なさい。適当なことを言って、子どもを化かす。それがいつもの大人のやり口でしょう!」
「――分かってもらうつもりもないのに、分かってもらおうだなんて……人間はそこまで賢いイキモノじゃないからね」
「――」
「人間さ、どれだけ相手に伝えようと頑張っても、本当に伝わる気持ちはほんのちょっぴりしかないんだ。だから――何も伝えるつもりがないのに伝わってないことを棚に上げるのは、全く無意味なことだよ」
意図して、少しだけ強い言葉を使った。
……勿論、その意味は、言葉通りだ。
人間は色んなものを通してコミュニケーションをはかれる動物だ。中でも言語は、とりわけ強いチカラを持っている。だからこそ、上手く使わないといけない。なのに、そもそも伝える意志を放棄していては、伝わるはずがないのだ。
それは俺も、イヴも、ナギも……ハナコもそうだった。
それでも、きっと、伝えようとしなくてはならないのだろう。
「言いたいことがあるんなら口に出せ。分かってほしいんなら唇が擦り切れても叫べ。そこからだろう、分かってもらえないことを嘆くのは」
「……っ、うるさい、うるさいよ、先生! 私は、大人が嫌い!」
「――そう、そう言うの。もっと聞かせてくれよ、君の本音を」
少々煽りすぎたか――がちゃり、と銃を構えた。その銃口は、間違いなく俺に向けられている。
しかし、すぐにイヴが前に出た。俺を庇うように、両手を広げて、武器など持っていないのだと示す。
「……それだけの大口を叩いておきながら! 結局は子どもに、後ろ盾に守ってもらわないといけない癖に!」
「――違う! それだけじゃない! ナギ、聞いて!」
「……っ」
一瞬怯んで、しかしナギはそれでも銃を降ろさない。
「……ごめん、なさい!!!」
そして、イヴは強く頭を下げた。地面にぶつかってしまうんじゃないかと思うほど、思いっきり。
「……ね、姉さん……!?」
咄嗟に驚く。それは予想していなかったのだろう。
――大方、怒られるとでも思っていたか。だが、それが思い込みなのだ。
自分の意志が相手に伝わっていると思い込んでしまう、間違えなのだ。
「先生が言ってるのは、正しいんだよ。ナギだって、分かってるんでしょ……?」
「……何を、分かったような――」
「――だって、私が一番、分かるから」
息を飲む。ナギは、イヴを見ていることしか出来ない。
「……ナギに伝えたつもりになってた。ナギは分かってくれてると思ってた。でも、言わないってことは、伝わってないってことなんだよ。本当に簡単なことだったのに……でも、出来てなかった。だから私は、謝りに来たの。ナギにどうしても、伝えなかったから」
「……っ」
「ごめんなさい。それと……ありがとう、も」
頭をあげて、彼女は言う。
本心を。伝えたつもりになっていた言葉たちを。
「いつも取材を手伝ってくれてありがとうも、記事を書くの手伝ってくれてありがとうも……ダメな姉でごめんねも、頑張ったねって褒めるの忘れててごめんねも、全部……いや、もっと、いっぱいあるの……」
「……」
「……だから、これで終わりとか言うの、止めてよ。ナギが生きてて、私は死ぬほど嬉しかったの。大切な妹なんだもん、家族なんだもん、当たり前なんだもん……! 泣いちゃうのもしょうがないじゃん! だから……やり直そうよ。終わってないんだから……これから続けられるんだから。私たちの――」
「っ――――」
「――――
両手いっぱいの感情を、ナギは受け取る。これだけ真正面から渡されてしまえば、受け取るしかない。
――それが、政島イヴの、政島ナギに対する思いだ。
結局は簡単な話だった。姉妹二人が、お互いに言葉足らずで起こってしまった小さな軋轢。それが大きく広がって、こんな事態になってしまったのだ。
気づけば、ナギの銃口は下がっていた。だらんと腕は伸びて、頬に雫が貯まっていた。
「……でも、出来るわけないの。そんな夢みたいな、奇跡みたいなこと」
「どうして?」
「だって私、いっぱい酷いことした。先生の記憶だって奪っちゃった。キヴォトスにだって被害を出してる。私が生きてる以上、これからもずっと被害は出続ける」
彼女は慟哭めいて……自らの罪を告げる。それは懺悔のようで、彼女の後悔の塊のようで――つまるところ、これが政島ナギの本音。
「――私さ、姉さん……先生に、殺してほしかったんだよ?」
「――――、嘘」
「嘘じゃない、本当。だって私が死ねば、先生の記憶は戻るかもしれないし、全部止まるかもしれない。それに……姉さんだって、私のことを忘れないでくれるかもしれない――」
「――忘れたことなんて無かったよ! ずっと考えてた!」
「……うん、今は分かってるよ。でも、私にこの『天災』が――『忘却』がある以上、私は私だから……」
「そんな……死ぬ以外ないわけない。何かあるはずだよ!」
――一度『反転』した者は、簡単には戻らない。いつか、そんな言葉を聞いたことがある気がした。
それが『忘却』に結びついているのならば、きっとナギは死ぬその瞬間まで、『反転』したままなのだろう。
実際、ナギの言っていることは事実なのだろうと思う。気に食わないけれど、筋は通っている。
だって綺麗な筋書きだ。俺がナギを殺せば、事件も終わるだろうし、これ以上被害が出ることもないだろうし、キヴォトスを救ったとして地位も回復出来る。もしかすると、記憶だって取り戻せるかもしれない。
「――でも」
「……先生?」
俺は懐に手を入れて――、
「――気に食わないな」
――銃を取り出した。
「先生!? どうして銃を――」
「――この弾丸、知ってる? ナギ」
もう片方の手に、真っ赤な弾丸を取り出した。
見る者の目を吸い込んでしまうかのように――おどろおどろしい色をした弾丸。
「……何? それは……」
「――『天災破壊弾』」
「……っ!?」
「色んなことがあったけど、やっぱり全部に関わってるのは『天災』だ。だから、その根源をどうにか出来たらって思って……どうにか出来る方法を探してみた」
先ほどナギも言っていた通りだ。もし彼女の『反転』が『忘却』に結びついているのならば――その『忘却』さえ無くしてしまえば、それで一件落着だ。
「いつ、そんなモノを……!?」
「さっき地下で。クラフトチェンバーって知ってるかい?」
「――連邦生徒会長の遺産……!?」
流石は元新聞部。詳しい。
「で、でも……そんな夢みたいな、奇跡みたいなことがあるわけ――」
「――あっていいんだよ」
「……っ」
「だってここはキヴォトスだ。
「ど……どうして、そこまで……? 貴方は今、先生じゃないのに……大人の責務ってやつですか? それだけで、そこまで……」
「いや、違うよ」
「だったらどうして!?」
「気に食わないんだ」
「……何がですか?」
「わからない。でも、気に食わないから気に食わないんだよ。誰かを犠牲に助かる世界だなんて――これっぽっちも気に食わない。例え神が許そうと、
ハッピーエンド至上主義? なんとでも呼べ。
これが
全員が幸せになる。それ以上の終わりがあるものか。
だからそのために足掻いているのだ。だからそのために藻掻いているのだ。
必死に、最高の終わりに辿り着くために。
「それに、奇跡は起こせる。それを大人の俺が見せてやれなくて――一体誰が、子どもに奇跡を見せて上げられるんだよ」
だからこれは――大人としてとかじゃなくて、責任感がとかじゃなくて……単純に、俺が悲しむ生徒を見ていられないだけの、気に食わないというだけの話なのだ。
幸せを望むことだって、それは俺のエゴに過ぎない。この結末は、何もかも俺のワガママなのだ。
どうせなら幸せな末路が良いだろう。討ち死によりも老衰が良いだろう。一人で死ぬより、囲まれて逝きたいだろう。
そうでないとしたら、それは強い自己陶酔があるか、ひねくれているだけだ。
――誰だってそのはずなのだ。この世に生きる全て者が幸せを望んでいるはずなのだ。
だから俺は、幸せな最後を、どうしても作りたいんだ。
「でも……その弾丸を撃ってしまえば……貴方は、もう記憶が戻らなくなってしまうのでは、ありませんか?」
目を細めて、ハナコが俺の方を見る。
「……かもね」
「だ、だったら撃ってもらわなくて構わない。先生、私を殺して!」
ナギが言う。慌てふためいて、俺の前から逃れるように。
「――やだね」
「やだね、って――そんな急に子どもみたいな!」
「さっきも言ったでしょ。これは、俺が気に食わないだけなんだ。だから――」
銃弾を、籠める。一発しか入らない、中折れ式のトンプソン・コンテンダー。
「――これでいいんだ」
それを、ナギに向けた。
元より生徒を相手取るつもりはないのだ。仮に刃を向けることが、もし今みたいにやって来たとしても――それは殺すためじゃない。
守るために、この銃を握らなくてはならないのだ。
新品同様で、ほとんど使われた形跡もない。だから俺は、きっと俺のままだったのだ。今と何も変わらないように。
「弾丸さえ当たれば君の『忘却』は消える。俺の記憶くらい……何度だってやり直せる。ナギと一緒だ」
「そ、そんな……ダメ!」
「もう一度、始めよう。初めから……君たちの」
「先生、ダメ、止めて! 記憶が――――!」
「――
そうして、俺はナギに向かって引き金を引いた。