ナギは気を失った。弾丸が頭に直撃したからだろう。幸い血は出ていないようで、意識だけが飛んだみたいだった。
「先生……!? どうして……!」
「いいんだよ、イヴ。これで」
「そんなわけない! 先生が、先生だけが損してる!」
「じゃあ、これが大人の責務ってやつなんだと思う。いいんだよ、このくらい。君たちの幸せに比べれば」
「ぁあ――――、ぅ、うぅぅ……!」
ぼろぼろと涙を流して――泣いている。
俺のためになんか、泣かないでいいのに。
死んだと思っていた妹が生きていて、彼女とこれから暮らしていける。それだけで、イヴにとっては最高のハッピーエンドだろう。
「どうして……自分を、勘定に入れないんですか……!?」
「……」
「どうしてそこまで、自分を……!」
「残念ながら俺は無価値なだけでなく無個性な人間でね。寿命とか、記憶とか……大人の責任とかさ。そう言うのがないと、自分を保てないんだよ」
「ああ――う、わ、私……貴方が、き、嫌いっ、です……!」
「……そうか。私も同意見だよ」
「貴方みたいな、格好良くて、ずるくて……そんな、大人が、嫌いです!」
「うん。こんな大人になるなよ」
「……ぁ、ううう……っ!」
「じゃあ、イヴ。私は少し用事があるから、ナギのことは任せたよ」
「……用事?」
「ああ。大人同士の、決着をね」
〇
オフィスに置いてあったコートをだけを掴んで、前に進む。
シャーレのオフィスを越えて、先へ。この先にあるのは、屋上だけ。お誂え向きの舞台というわけだ。
「――そのコート、お似合いですよ。先生」
「……ハナコは、付いてこなくてもいいんだよ」
「どこまでだってお供しますとも」
「……そうかい。有難うね」
「格好悪くて、卑怯で、ひねくれてる、貴方が、大好きになってしまったんですから」
「……それ、今言う?」
「あら、本音ですよ。大人であろうとなかろうと、先生であろうとなかろうと、私は貴方が大好きです」
「……嬉しいこと言うね」
「あれだけのことを生徒に言ったんですから、貴方も少しは本音を出すべきでは?」
「本当に、本気で俺のことなんかが好きなの?」
「大好き」
「信じられないな」
「信じてください」
「じゃあ具体的にはどこら辺が?」
「顔と性格ですかね。あと体」
「めっちゃ素直じゃん……変わってるね、ハナコ」
「変わり者、とはよく言われます」
「道理で」
ハナコを軽い会話を交わしながら、階段を登っていく。
かん、かん、と小気味の良い鉄の音。二人のデュエットだ。
……本当は、一歩を踏み出すだけで吐き出してしまいそうだ。倦怠感だけではなく、頭痛がする。全身を異様な悪寒が走っていて、あらゆる場所を温い汗が占めている。脇汗なんて凄い。絞れるくらいには染みているだろう。
それでも、前に進む。それが、任された者の役目だ。
「……貴方は?」
「ん?」
「私のこと、好きじゃないんですか?」
「今の俺に言う? 仲良かったの、記憶があった時なんじゃないの?」
「それでも確かめておきたいじゃないですか。体の相性、とか……♡」
「どっちかって言うと心の相性だね」
「ハートとハートの相性、ですね……♡」
「逃げ場ないじゃん。何その七色猥談」
「うふふ♡ 頑張って覚えました♡」
「いらん努力……」
「――それで? 私のことは、好きじゃないんですか?」
「……本当に答えないとダメ?」
「最終決戦前の本音の言い合いは少年漫画の基本です」
「俺達の物語はフィクションではない」
「でもでも、定番ですよ?」
「……」
「体だけのお付き合い、というのも悪くはありませんが……♡」
「――好き」
「え?」
「正直好き」
「どこら辺が、ですか?」
「顔とか性格。あと体」
「――ふふ。私たち、似た者同士ですね?」
「全くだ。さては自分が大嫌いだろ?」
「よくわかりますね」
「わかるさ。誰よりも自分だけが、自分のことを分かってるんだから」
かん、と一際強い音。目の前には一つの扉。これを越えれば――すぐ屋上。
きっとそこには、ベアトリーチェが控えているのだ。
「……聞かないんですか? 本当についてくるのか、って」
「答え、分かってるし」
「あえて言葉にすることで強くなる気持ちもありますよ」
「……そっか。じゃあ言うけど、本当についてくるの?」
「行きます」
「……うん。じゃあ、背中は任せた」
「正面も任せてくれて、いいんですよ?」
「追々ね」
「追々――ですか」
「そう、追々」
そして、扉を開ける。
――強烈なビル風。一瞬顔を覆って――それから、ゆっくり目を開ける。
「――――政島ナギは」
「……ベアトリーチェ」
「どうしたのですか? 先生」
「眠らせたよ」
「――ハ、殺さなかったと?」
「殺す必要がないからね」
「バカバカしい。彼女は『反転』しているのです。生きているだけで周囲に悪を振りまく――ああいや、貴方は覚えていないのでしたっけ? いずれにせよ、殺す以外に方法はない」
「もしそうだとしても、殺さない方法を探す。それが私のやり方だ」
「それで、見つかったのですか? その方法とやらは」
「……見つけたよ」
「――――バカな。そんなことがあるはずがありません。貴方の勘違いでしょう」
「それはどうかな。試してみるまでわからないよ」
「……まあ、それも今となっては些末なことです。いずれにせよ――貴方はここで朽ち果てるのですから!」
「――っ!?」
――その時、俺とベアトリーチェの間に、何かが撃ち込まれた。銃弾のようだった。
「――ああ、そう言えば到着が遅れていましたね。私の複製した『人災保有者』は七人。『賊害』と『伐採』は……まだ姿をお見せ出来ていませんでした」
遠く離れた場所、そこに人影があった。屋上の縁ギリギリに立つようにして、月夜に照らされている。正面は影で濁ってしまって、その姿は把握できない。
「『人災保有者』が一人、『
「……くっ」
考えが甘かったか。流石ベアトリーチェ――咄嗟に悪態ではなく賞賛が出てしまった。
こんなあからさまな舞台を用意しておいて――一対一で戦ってくれるはずがないか。
「来なさい、ファースト。先生を――同族を、終わらせて差し上げるのです」
「――っ!」
その時、何かに気付いた。先ほど地面に撃ち込まれた弾丸。いや――正確には弾丸ではない。
それは花のようだった。真っ赤な薔薇。それが、地面に突き刺さっているのだ。
何故薔薇が? 一瞬の困惑の後――それが崩れ落ちた。
「……!?」
さっきまで、ビルの縁に立っていた誰か。その体が崩れて――倒れたのだ。ふにゃり、と空気の抜けた風船のように。
「一体何が起こって――」
「――――紳士淑女の皆々様方。今宵は満月も躍る
「――貴様、何奴!?」
「名を問われればこう答えましょう、マダム。我が名は『慈愛の怪盗』! 既に貴方の戦力は――
名乗りと同時に、彼女は風を纏って――薔薇の元に着地した。どこに隠れていたのか、純白の出で立ち。仮面で顔を隠した、壮麗な少女。
「――清澄アキラです。長々と不在にしてしまい、大変恐縮です」
「あ――アキラさん!? 生きていたんですか!?」
「ええ、勿論。私が死ぬわけありません。何せこの世は美で満ち満ちていますから――」
そう言って、彼女は――アキラは、俺の元に近づいた。そして、今しがた拾った薔薇を手渡した。
――今宵、貴方の世界を映す七色の鉱石を頂く。
薔薇の花びらに、そう書かれていた。
「頂きましたよ、先生。貴方の大切な瞳は」
「ああ……生きているんなら、早く言って欲しかったな!」
「熾烈な戦いでしたから、連絡手段が破壊されてしまいましてね」
悪びれもせず、アキラは言う。
「ですが先生の声は聞こえていましたよ。『貴方の大切な生徒』――ですからね」
そう言って、アキラは耳の裏をトントンと叩いた。気になって自分の耳の裏を触ると、何か硬いモノに触れた。
「……盗聴器……!? 全部聞いてたの!?」
「タイミングはバッチリでしたでしょう。先生の私への思い、感激です」
「……っ」
別にそういう意味で言ったわけじゃないのに、こうも正面から言われるとそんな気がしてくる。
少しだけ気恥ずかしい。
「――ま、まだ! 『人災保有者』には『伐採』が残っています! これで終わりじゃあ――」
「――いえ、終わりです。『伐採』は現在アビドスの対策委員会の方々が交戦中です。彼女たちも歴戦の実力者――負けるはずがありません」
「……そ、んなことが――」
「――まあ? 最大戦力だとか言う『賊害』を私が一人で倒した時点で、貴方の負けは確定していたのですよ。マダム」
「……っ」
アキラの嘲笑めいた言葉に、ベアトリーチェの体が揺れた。怒りに震えて、少しずつ、体が肥大化している。
「――ならばこの場で、先生を殺します! そしてキヴォトスも破壊します!」
彼女の頭部はぱっくりと開き、花弁のように咲き誇る。細く、長く――その体を巨大に作り替えている。
「……先生。今のうちに言っておきますが、私はあまり戦力として扱えません。何せここ数日戦いっぱなしで、急いでシャワーを浴びて着替えてから来たもので……」
「結構余裕だったんだね」
とはいえ、アキラも疲弊している。ハナコも正面戦闘が得意というわけでもない。
なら、やることは一つしかないだろう。
「――分かった。二人とも下がってて」
「……、先生……?」
「ここからは大人の時間だ。二人を巻き込むわけにはいかない」
そう言って――
それ以外に出来ることなんて、もうないのだし。
「――一人で近づいてくるとは、ヤキが回りましたか先生! 『神秘』すら持たない貴方一人で、一体何が出来るというのです!」
「何だって――」
「……はぁ?」
「――何だって、やってやるんだよ」
私は――――
――――『大人のカード』を取り出す。
「――この期に及んで『大人のカード』ですか! 貴方はもうその『神秘』は使えない!」
「……」
「それとも何ですか? 『記憶を失っても新しく作った思い出がチカラになる』とでも!? そんなハズがない!」
「……」
「貴方はもうその『神秘』を失っているのです! 無駄なことです!」
「これは私の後悔の証、だよ」
「……、後悔の証……?」
「そうだ。このキヴォトスで何故私しかこの『神秘』を使えないのか。理由はなんとなく分かっていて……でも、誰に言ったわけでもなかった」
――あの時、黒服は私のチカラを『
「もしかしたらゲマトリア。君たちにだって使えたかもしれない。でも、そうはならなかった。きっと、君たちに後悔はないからだろう」
「な、何を言って――」
「――――正しくは『
何故なら、私はもう大人なのだから。
これを、他の誰が持っていて良いというのか。いや、私しかいない。子どもを卒業してしまった――私しか。
――既に私の湿った青春は終わりを迎えている。子どもではなくなって、大人になってしまった。
けれどもこうして惨めったらしく過去に縋って、青春をやり直そうとしている。それは紛れもなく、生徒たちと繋がることで。
だからこそ青春証明証書なのだ。ここにあるけれど、そこにはなかったモノ。でも、今こうして
あまねく奇跡が起こりうる場所、それがキヴォトス。その対象は、私でも例外はない。
「私の全てはここにある。私の過去はここにある。私の後悔はここにある。この一枚のカードが、惨めで無様に転がった、私の人生を違えようもなく証明しているんだ」
「なら――先生を『忘却』させたところで……無意味、ということですか!?」
「悪いね。君の欲した奇跡は、俺の嫌いな末路だから」
「そ――んな、ことが――――!」
「散々打ちのめされて……でも、しれっと生きてきた。それが後悔。でも……記憶が消えようと、私は同じように進むだけだ。もう一度、やってきた道をなぞるように。だから結局、変わらなかったと思うよ」
「――だったら」
「……」
「――だったら――――前へ前と、ただ真っすぐ進む……貴方の願いの果ては、後悔の行き着く先は、どこを目指しているというのですか!?」
「もう、知らねぇよ」
これ以上の言葉はいらないな、と思った。ベアトリーチェと私は決定的に違えている。まるで異なる心情や考え方があって、その行きつく先には反発しかない。
ならここからは、大人として戦うしかないのだろう。
そう言えば寿命が犠牲なんだっけ。まあそれでも構わないけれど。
私にだって見たいモノはある。それは手元に転がった最大級の幸せ。拾って拾って……気付けばそれは気の遠くなるくらいにあたりに満ちていて。
それに気付いた時、幸せを拾うことが幸せなんだと思った。
それは私にとって、このキヴォトスの平和に他ならない。この世界の平和に他ならない。そして何よりも、生徒たちの平和に他ならない。
だから戦うのだ。
だから構わないのだ。
だから前に進み続けるのだ。
だから――――私は、
「――エンディングだ、ベアトリーチェ」
”大人のカードを使う。”