浦和ハナコは言付ける   作:浅笠紗々

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05/鈍り

「先生の退任――とは。穏やかではありませんね」

 

 セイアちゃんが頷いた。けれどその瞳にはしっかりとした意志がある。少なくとも、雑な理由で行動しているわけではないらしい。

 

「まず初めに言っておくと、この話を持ち掛けてきたのはゲヘナ学園新聞部側だ。その時点では、私は正直協力など突っぱねるつもりだった。それこそ、ゲヘナの者に勉強を見てもらうべきだと思ったからね」

 

「道理ですね。トリニティの、しかもティーパーティーの人間が不正行為に関わるわけがない」

 

「ああ、一応言っておくが不正行為ではない。カンニングじゃないぞ。ちゃんと勉強を教えただけだ。彼女たちは元々地頭は良かったようだから、少しコツを教えるだけで学力は簡単に上がった」

 

「……」

 

 少しだけほっとした。まあ、幾ら彼女と言えど、そこまで大袈裟な違法行為に手を染めるつもりはないらしい。

 

「まあ、私にかかればテストの出題範囲など予想するのは容易いからね」

 

「……」

 

 黒と言い切るには微妙な気がしたが、極端なヤマカンだと思えばギリギリセーフか。

 

「では、何故協力しようと思ったんですか?」

 

「それでも、彼女たちが私たちを頼ったからさ」

 

「――――」

 

「エデン条約以降、色々とごたついて……結局、ゲヘナとの和解という点は有耶無耶だっただろう? 締結こそしたものの、まだ書類上の約束事に過ぎない。表立って何かをしたというわけではないからね」

 

 晄輪大祭――は流石にノーカウントか。あれはあくまでも多くの学校が共に競うという名目。トリニティとゲヘナ以外の学園も参加している以上、その二校のみのイベントとは言えない。

 

「だが二度も頼まれれば流石に勘繰る。何か意図があるのではないか、と。そこで、彼女たちと腹を据えて話すことになり、ティーパーティーに招待した」

 

 セイアちゃんは「その時はミカはいなかったがね」と付け加える。事の起こりがもう少し前だとするならば、確かに今ほど自由に動けてはいなかった時期だ。その場に同席出来なかったのも致し方ない。

 

「その時点でシャーレに取材がしたいという話までは聞いていた。理由を尋ねれば、先生を退任させたいからだと言う。私も初めは――ハナコ。君と同じような反応だった。でもまあ、話をしてみれば――細かい内容は忘れてしまったが――とにかく先生を休ませてあげたいという主張が目立った。それに関しては、私も同意見だった」

 

「私は後から色々聞いたんだよね。そしたら、角が生えてる癖に良いこと言うじゃんって思って。今じゃそっち側~☆」

 

「先生は――私たちにとって必要な人だ。だからこそ、休息は不可欠だろう。彼女たち曰く、シャーレでの仕事量をアピールし、連邦生徒会に訴えるカタチで異様な労働量を生徒たちに知らせようと言うのだ。退任というのは限定的な言い方さ、つまるところ――仕事量の減少。これが目的だ」

 

「先生に時間が出来てゆっくりしてくれたら良いって……やっぱり私も思うからさ」

 

 のほほん、とミカさんも続ける。なるほど、そう来れば――話を受けようという気になるのも納得がいく。

 

 メリットが二つあるのに対し、デメリットはほとんどない。その通りに運べば、まず先生が利益を得られる。休めと言って休む人ではないが、雑多な書類整理は心底苦労しているところだろう。その事務仕事を少しでも減らせるというのであれば、私たちが頷かないわけがない。それに、先生ももっと生徒たちと関われると言って嬉しがるだろう。そんな光景が容易に目に浮かぶ。

 

 加えて、トリニティとゲヘナ仲介の一因にもなりうる。新聞部がティーパーティーとの関係が作れれば、次はセイアちゃんたちを取材すると言ってその記事を書くことも出来る。両校和解への第一歩だ。

 

 仮にどちらかが失敗したとしても、片方が成功しただけで美味しい展開。これを新聞部の子たちが考えたのだとすれば――なるほど、確かに地頭は良いらしい。

 

「情報の価値は、今更語るべくもないだろう?」

 

「セイアちゃんの言う通りですね」

 

 深く頷いた。私も、彼女と同じ立場ならば同様に勉強を教えようという気になってしまっていたかもしれない。学生同士が勉強を教え合うことを――一体、どこの誰が批難出来ようと言うのか。

 

「――それで、彼女たちの素性は洗ったんですか?」

 

「……ハナコ。それは少し――失礼なんじゃないのか?」

 

 少しばかり、私のことを批難するような声音だった。ナギサさんとミカさんも、疑惑の眼差しを向けてくる。

 

「失礼を承知で言わせて頂きますが、セイアちゃん……いえ、ティーパーティーの皆さん――」

 

「――――」

 

「――鈍っておいででは?」

 

「……あはっ☆ もしかして、これ買った方が良い?」

 

「ミカ。ハナコ……相手は客人で、これから友好関係を築こうという相手だ。そんな相手に探りを入れるというのは――」

 

「――ここに、彼女たち新聞部のテストの点数があります。これは新聞部部長、政島イヴの点数推移です」

 

 私は懐から資料を取り出して、机の上に置いた。

 

「……彼女たちの点数なら聞いた。前回の点数は低かったんだろう?」

 

前回と前々回(、、、、、、、)その一つ前までは低かった(、、、、、、、、、、、、)、が正しいです」

 

「――――っ」

 

 セイアちゃんの目が釘付けになる。彼女は卓上の資料を手に取るを、目を丸くした。

 

「……去年まではほとんど高得点ばかりだ。しかも90点台前半……だが、ある時期にがくっと点数が下がっているな。まるで、勉強に興味を失った(、、、、、、、、、)みたいに――」

 

「――セイアさん、もしかしてその時期って――!」

 

 ナギサさんが駆け寄る。よくわかっていない表情で、ミカさんも駆け付けた。

 

 三人は資料に穴が開きそうなほどに目を当てて、それから、何度も瞬き。

 

「――――まさか……」

 

「その真逆(まさか)ですよ」

 

「これって……エデン条約(、、、、、)の時期と同じころに、学力が下がってるってこと? あんな事件があったんだもん、それくらい仕方ないんじゃない?」

 

 ミカさんの意見はごもっともだった。キヴォトスの全てが注目するほどの事件、それがエデン条約の締結時には起こった。

 

 結果として事態は収束し、再び平穏は訪れた。だが、未曾有の危機であったことに変わりはない――社会情勢のせいで調子が出なくなり、それが学力に現れるなんていうのは学生としては普通のことだろう。

 

「ええ。ですから、先ほども言ったでしょう。これは私の推測に過ぎないと――それでも、セイアちゃんならば、色々勘繰ってしまうところもあるんじゃないですか?」

 

「……」

 

 じぃ、とただ書類と睨めっこを続ける。だが、私にはわかっている。彼女は今、必死に考えているのだ。考え得るありとあらゆる可能性を。

 

 同時に、疑っている。彼女たちを。何故そうしたのか。そうしなくては信じられないと――私が言ったから。

 

「ハナコさん」

 

「なんでしょう」

 

「仮に……私たちの選択が間違っていたとして。貴方は、どうするおつもりですか?」

 

「もう決まっています。私のやること、私のやりたいこと……それは、たった一つなんです」

 

「それは、なんですか?」

 

「先生の役に立ちたい――いえ、これじゃあ出過ぎていますかね……でも、私はただ、先生の逃げ場になってあげたいだけなのです」

 

   〇

 

 エデン条約の一件に片がついて、虚妄のサンクトゥムが起こる少し前。つまり、私と先生が出会ってしばらくした頃。

 

 その日はとても冷たい風が吹いていて、折角だからと私は庭にある噴水で水遊びをすることにした。

 

 そこは綺麗な場所だから、私のお気に入りだった。人が何人も座れるスペースもあったし、二段になっているため奥まで入れば足を水に漬けられる。その何とも言えぬ公共の場での解放感はたまらなかった。

 

 何故そこにしようと思ったのか、何故そんなことをしようと思ったのか――理由を細かくは考えなかった。今思い返すと多分、一人になりたかっただけだと思う。面倒な人間関係から逃げ出そうとして、一人になれる場所を探していた。だから、噴水は丁度良かったのだ。

 

 冬場は飛沫が舞って、周囲の温度が特に低い。夏場ならばまだしも、わざわざ真冬にこんな場所を訪れる者はいない。遠目に眺めるだけならば良いとしても、近づくだなんてあり得ない。

 

 だから、私はそこにしたのだ。

 

 靴を脱いで靴下を脱いで、素足を外気に晒すと――異様に寒くてびっくりした。このまましばらくしていると、風邪をひいてしまいそうだな、と思った。それも悪くはなかった。風邪を引けば学校を休める――けれど、ヒフミちゃんは心配してしまうかもしれない。そう思うと、風邪を引く前には出て行こうかな、とか考えていた。

 

 しんと静まり返った空間だった。遠く耳を澄ませば誰かの声が聞こえてきて、どこかで部活でもやっているのかもしれない。だとすれば、それはちょっぴり羨ましい。だってそれは、普通の青春だからだ。

 

 私は足を池に突っ込んだ。ぴちゃぴちゃと跳ねる水滴がスカートについて、すぐに衣服が重くなった。急速に体温が下がっていく気がした。このまま絶対零度まで下がってしまえば、私はトリニティの浦和像として慕われるようになるのだろうか、と考えた。でもきっと夏になるまでここには誰も来ないし、夏になったら私は溶けてしまうだろうから、意味がないのだ。

 

 よくわからない想像をしていると、細々とした話題がどうでもよくなっていた。私が煩わしいと思う全ては冷気によって凍り付き、肌に触れることはないのだ。

 

 とすれば、ここでこのまま凍ってしまいたいな、と思った。よくある安易な破滅願望。この場で塵と消えてしまえたら――そんな思いが浮かび上がっていたものだから、私はすっかり近づいてきた彼に気付けなかった。

 

「ハナコ、何してるの?」

 

「……先生?」

 

 急に訪れた熱にびっくりして、私は正気を取り戻した。咄嗟に肌は温度を思い出し、ことさらに寒気を覚えた。散布された飛沫はすっかり私のスカートを濡らしていて、重い。

 

「それって自殺志願?」

 

 そんなことを言うのだから、思いがけずどきりとした。当たっているわけではない、と私は頭を振った。何か返そうと思って、唇が震えていることにようやく気がついた。上手く喋れなくって、困った。

 

 先生はじっと私のことを見ていた。顔が急に熱くなって、心拍数があがった。相対的に足の低温がわかって、体がぐちゃぐちゃになった。

 

 真っ白なコートは連邦生徒会のモノと少し似ている。真っ黒で少しぼさっとした、あまり丁重に扱われてはいなさそうな髪。表情は少しだけ柔らかくて、目の下にはクマが凄くて、眼鏡の奥で、私のことをただ見ているだけの彼。コートのポケットに手を突っ込んだまま、寒そうに、少しばかり体を丸めながら――彼は言う。

 

「――――やめておきな。その死に方は辛いだけだから」

 

 そう言われて、もっとぐちゃぐちゃになった。思考はぼろぼろに崩れてしまって、喋ろうとしていた言葉は消えてしまって、彼以外の何もかもは、私の視界からなくなってしまった。

 

 体のどこからどこまでが自分のモノなのか、まるでわからなかった。一体どこまで私で、どこからが水になって揺らめいているのだろうか。

 

「動ける?」

 

「……っ」

 

「あちゃあ」

 

 それだけ言うと、彼はコートを脱ぎ始めた。何を考えているのかわからなかったけれど、彼はコートをぐるりと丸めると、周囲に落ちていた私の靴下と靴を巻き込んだ。

 

 ざぶん、と波紋。ああそっか、ここまでが私なんだ。先生が来るまでわからなかった。

 

 理解が追いつかないまま先生は私に距離を詰めて、一言。

 

「これ持ってて」

 

 とだけ言うと、私の太腿と背中に手を回した。彼の手が触れて、また体が跳ねた。

 

 暖かい――というわけではなかった。冷たかった。それでも私の体よりかはずっとマシで、暖かく感じられた。

 

 そのままぐい、と引き寄せるようにして抱きかかえられる。お姫様抱っこだった。お腹の上には先生の衣服と私の靴たちがあって、少しだけ温もりが残っていた。

 

「あ~冷たいな、本当に。でも靴下脱いだのは正解」

 

「……」

 

「つまり、何も考えずに靴履いたまま来ちゃった私は間違いってこと」

 

 淡々と口を動かしながら、彼に運ばれる。ざぶ、ざぶ、と波立たせながら、池から引き上げる。大して広くはない噴水だから――すぐに出られた。

 

「ハナコ、談話室って暖炉あったよね?」

 

「え、あ――」

 

「どっちだったっけ? トリニティ、広すぎてさ」

 

「……」

 

 彼は言いながら、私を縁に座らせる。ポケットから取り出したハンカチで急ぐように私の足を拭って、靴下まで履かせる。かなり暖かくなってきたけれど、まだ体は震えていた。

 

 暖かい場所に連れて行ってくれると、そういうことらしい。

 

 未だ状況を飲み込めていなかった。何かを喋ろうにも、凍ってしまった唇はくっついたまま、彼への言葉は溶けなかった。

 

「まだ動けなさそうだね。んじゃ、お姫様抱っこ続行だ」

 

 彼は再び私を持ち上げると、そのまま歩き出した。

 

   〇

 

 談話室に着くころには私も多少は暖かくなっていて――具体的には、室内に入った時点で――暖炉の前に運ばれる頃には、すっかり恥ずかしさが勝っていた。

 

「せ、先生……っ」

 

「どうかした?」

 

「随分と……慣れていらっしゃるんですね?」

 

 いつも通りに揶揄おうと思って、失敗した。上手く言葉を喋れないうちに話そうとするからだ。こんなこと聞くんじゃなかった。すぐさま後悔した。

 

「慣れてるわけじゃないよ」

 

「……?」

 

「初めてじゃないだけだ」

 

 彼は私を暖炉の前に座らせると、周囲にあった椅子を引っ張った。空が暗くなっていたこともあってか、談話室には私たち以外誰もいなかった。こんなところを陣取るより、寮や自宅に戻った方が暖かいから、残る必要なんてないのだ。

 

 ぱちぱち、と薪が燃え続けている。目の前で時折爆ぜて、耳に心地良い。

 

 二人して椅子に腰かけて、体を暖炉に向けた。放射熱が伝わって、すぐに体温が戻って来る。背中側が温まるまではしばらくかかりそうだが、少しくらいはマシになっただろう。

 

「どう? まだ寒い?」

 

「いいえ、もうぽかぽかです。それより、先生は?」

 

()はまだ――――……あ」

 

「……? ……あ」

 

 一瞬気付けなかった。けれど、先生が口元を隠して、理解した。

 

「へぇ、もしかして、そっちが素なんですか?」

 

「……生徒の前で、あんまり一人称が乱雑なのも良くないでしょ?」

 

「それもそうですね。でも、私は『俺』って言う先生、ちょっぴり好きですよ? なんだか……どきっとしちゃいました」

 

「はは、それはどうも」

 

 情けなさそうに笑って、目を逸らされた。

 

 それから、一時の静寂。自然な会話の切れ目。お互いになんとなく違和感がなくって、新しく話を始めるのもどことなく難しい。そんな雰囲気。

 

「――ハナコはさ」

 

「……はい」

 

「寒い方が、好き?」

 

「熱い方が好きですよ。どろどろしている方が……♡」

 

「あ、ああ……そうですか……」

 

 一瞬構える先生。私もそろそろ解れてきた。

 

「だったらなんで、あんなところにいたの?」

 

「……」

 

「答えにくい?」

 

「いえ……そうですね。ちょっと……いや、やっぱり、少し答えにくいです」

 

「そっか」

 

「答えたくないわけじゃないんですけれど……なんと言えば良いか」

 

 また、会話が途切れた。途切れさせたのは私だった。

 

「……」

 

「……」

 

 気まずい沈黙。

 

「別に……好きじゃないだけです」

 

 だから、無理矢理何か言おうとして、頑張って口を開いてみた。

 

「ハナコ」

 

 けれど彼はそう言って、私の口を塞いだ。

 

「無理に話さないでいいよ。話したいと思った時、話したいと思える内容で、話してほしいな」

 

「……」

 

 また黙らされてしまった。そう言われては仕方なかった。

 

 私は金魚めいてぱくぱくさせた口をようやく閉じて、少し考えることにした。

 

 だって、あの場所にいたことに理由なんて特になかったのだ。なんとなく、開放的な気分になりたかっただけだ。外気に素肌を探して、冷えた路上に一人静かにしていたかっただけだ。

 

 でも、そんなことを言うのは――なんというか。ナルシズムに浸っているようで、言いにくい。

 

 それに、きっとそれは私の本心ではない。本質的でない。だから、それは多分、違うのだ。

 

 もやもやとした暗雲だけが、今日の天気みたいに私の胸に溢れた。気づけばドキドキは止まっていて、いつも通りの心音が帰ってきていた。

 

「……私」

 

「うん」

 

 穏やかで優しい声音。安心する。ずっと聞いていたいほどに。

 

「自分の心臓の音が、嫌いなんです」

 

「わかる」

 

 深く頷いた。ちょっと驚いた。

 

「共感されたの、初めてですよ」

 

「私もあんまりされないな」

 

「……寝る時とか、目をつぶってじっとしていると……どくんどくんと胸の音がします。母親のお腹にいた時を思い出すから、鼓動のリズムは心地良いだなんて言いますけれど――」

 

「落ち着かないよね」

 

「――はい。まるで、厭なスポットライトが当たっているみたいで」

 

 言葉にして、少しだけ腑に落ちた。厭なスポットライト。それはきっと、私の中で的確だった。

 

 お前は生きているのだと。ここに存在し続けているのだと。照らされたくもないステージに立たされ続けているみたいで、苦しいのだ。

 

 光は熱を帯びて、私を責める。次第に汗が浮かんで、息が荒くなって。どうしようもなくなって、でも私は光に逆らうことなんてできなくて。ただただ、照らされることしか出来ないのだ。

 

「生きるってのは大変だね」

 

 そう、先生は言った。その通りだと思った。

 

 生きていれば面倒なことが起こって、そのたびに私は面倒事に巻き込まれたり、心をもやもやさせたりする。そういうのは、全部煩わしいのだ。

 

 煩わしいと思っていても――それでも、私はきっとそれを見過ごせない。だから煩わしいのだ。

 

「だから自殺未遂を?」

 

「――――」

 

 その言葉は、正しいのだと思う。図星なのだ。私の心を的確に表しているのだ。

 

「……変な子、ですよね」

 

「私もそうだよ。そうだったし、今でもそうだ」

 

「意外です」

 

「能天気に生きてるように見えてた?」

 

「ええ。ただ真っすぐな人だと思っていました。だから、こんなこと、全然わかってもらえないと思いました」

 

「今の」

 

「……え?」

 

「『わかってもらえないと思った』……って言ったよね」

 

「……は、はい」

 

「でも私に言ってみた。それは凄く、素敵なことだ」

 

 何を言っているのだろうか。まるで理解が出来なかった。

 

 そんな態度が伝わったのか――先生は続ける。

 

「生きてると、わかってもらえないことって多くてさ。何をしてもダメだし、どうしてダメだったかなんて大抵の人は興味がない。だからついつい、だったらどうせ――って思っちゃうよね」

 

「……」

 

「でも伝えなきゃいけないんだ。わかってもらおうとするって言うのは、とても大切なことだから」

 

「それは、先生の意見ですか? それとも……」

 

「やだな、(先生)の意見だよ」

 

「……」

 

「結局さ。どれだけ躍起になって伝えようと思っても、人が人伝(ひとづて)に言われてわかることなんてたかが知れている。この世で一番自分に詳しいのは、どうしても自分しかいない」

 

 人が人伝――というのは、納得だった。私が先生に心情を吐露しようとしても――どうしてもそれは、浦和ハナコ伝になってしまう。

 

 この世で真に私の全てをわかっているのは、私一人だけなのだ。

 

「私はね。人には逃げる権利があると思っているよ。それは勿論、私にもハナコにも」

 

「……」

 

「人に悩みを聞いてもらう。言葉にすると簡単だし、実際簡単にやっている子もいるだろう。でも、難しい子には、難しいよね」

 

「もしかして、先生もそうなんですか?」

 

「勿論。悩みを話せないのが悩みなくらいには」

 

 そこは胸を張るタイミングではないと思うけれど、先生が自慢げなので指摘するのはやめておこう。

 

「ハナコ。君は、とても大変な子だと思う。大変な目にあっているし、きっとこれからもそうだと思う」

 

「……」

 

「だから、私が君の逃げ場になるよ。悩みがあったら話においで。解決したりってのは難しいかもしれないけれど、聞いてあげるくらいは出来るだろうから。それに――」

 

「――――」

 

「――君、こういうこと対面で言わないと、私にも隠し事しちゃうでしょ?」

 

 そう言って、やはり、彼は笑った。変な男だな、と思った。

 

 どうしてここまで親身になってくれるのだろうか。疑問が浮かんで、急に大きくなった。

 

 それは単に、私が彼の生徒だから? それとも、そういう性格だから?

 

「先生は――いえ」

 

 言葉を考えたかった。先生はきっと、私が話すまで待ってくれる。

 

 それから何度か暖炉がぱちん、と音を立てた。しばらくしてようやく、私は話せた。

 

「先生は、どうして先生なんですか?」

 

 きょとんとした顔。まるで、その質問は想像していなかったみたいな。

 

「先生になりたかったんですか?」

 

「違う」

 

「じゃあ先生以外にもなりたいものがあった?」

 

「それも違うね」

 

「では何故?」

 

「先生になるしかなかったんだよ。だから、私は今、逃げ場でうろちょろしてるのさ」

 

 また、変に笑った。

 

 違和感のある笑顔だった。貼り付けたような言葉だった。私はそれを知っていた。

 

 何故ならそれは、毎日鏡の前で見る、私の顔にそっくりだったからだ。

 

「だから、皆の逃げ場になるのは丁度良いんだ」

 

 この人に惹かれてしまうのは似ているから。同じ場所に逃げ場を求めているからなのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは、今の私にはてんでわからない。少なくとも、判断に足る材料は持ち得ていない。

 

 だから、そんな彼の表情が覚えられないほどに淡くて、けれど忘れられないほどに鮮明で――その時。

 

 私は、もっと先生のことが知りたいと、思ってしまったのだろう。

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