浦和ハナコは言付ける   作:浅笠紗々

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08/発覚

 今思えば、多分私はあんまり親に構ってもらえなかった子どもだったのだと思う。

 

 小さい頃から、割となんでも出来てしまったのが問題だったのだろう。両親に迷惑をかけたことなんて精々夜泣きが何十回もあったくらいで、根本的には手間がかからない子どもだったらしい。

 

 工作の準備は数日前から告げていたし、給食費を前日に強請ることもなかった。宿題だってこつこつやっていたし、夏休みの日記だって毎日ちゃんと書いていた。友達だって普通にいたし、家に呼んで遊んだこともあった。

 

 だから、親として、私をトリニティに入れたがったというのは、わからないことでもないのだ。私だってそうするかもしれない。自分で言うのはちょっとアレだけど、よく出来た子で、しっかり者で、勤勉。そんな娘なら、良い学校に行かせてあげたいと思うのが普通だろう。

 

 そうして私は思いのほか呆気なく、トリニティに籍を置くことになった。勉強だって頑張ったし、達成感もあった。両親も喜んでくれて、その日の夕飯はやけに豪勢だったのを覚えている。

 

 ――だけど、両親が喜んでいたのは文面でだったし、その夕飯は一人で食べた。

 

「……」

 

 トリニティの古書館。幾つか気になる点があって、私は手当たり次第に本を探していた。

 

 本来であれば、図書委員――小関ウイに頼むのが楽であった。彼女ほどこの場所に精通している者はいない――調べたい図書があればすぐにでもよろよろと持ち出してきてくれるだろう。

 

 しかし、今回に限っては彼女の頼るわけにはいかない。そのために、こうして忍び込むように物音立てずにこの場所を訪れたのだ。

 

 知るということは、情報を得るということだ。そしてその情報を得るということは、巻き込まれかねないということでもある。ただの本好きの司書さんである彼女を、この一連の事件に巻き込むわけにはいかない。

 

 知らないならば知らないままの方が良い。この世にはそんなこともあるのだと、私は知っていた。

 

「これ、かしら……?」

 

 適当に取った本をぱらぱらと捲る。これではなさそうだ。本を戻して、めぼしいものを探す。

 

 ――嫌な記憶を思い出しちゃった。

 

 こうして一人でいると、いつも思い出してしまう。寂しいからなのだろう。なんとなくだけど、自分でも理由はわかっている。

 

 求められるのは、誰だって嬉しい。貴方にしか出来ないことだと言われるのも、誰だって嬉しい。当然のことだと思う。

 

 けれど、それが当然のことになれば、次第に辟易する。私だって初めは嬉しかった。誰かに頼ってもらえると、自分が必要にされていると思えた。自分がそこにいて良いと思えた。だから嬉しかった。

 

 だから――なのだろう。私が出来た子どもを止めたのは。

 

 色々と面倒になってしまった、というのが大きい。どうしても、嫌になったのだ。

 

 浦和ハナコを頼ってくれるのは嬉しい。でも……いや、それはきっと、私でなくとも良いのだ。

 

 ほどほどに上手くやれて、ほどほどに賢い子ならば誰でも良くて、別にそれが浦和ハナコである必要なんてどこにもなくって。一度私じゃなくても良いと思えば――もう、ダメになってしまった。私は能力や素質ではなくて、私を見て欲しかったのだ。

 

 それが最も面倒くさい望みであることはわかっているし、そのために誰かに私のことを分かってもらおうと、滔々と自分語りを続けるのも憚られる。そうして手をこまねいている間に面倒くささだけが累積して、私は動けなくなった。

 

 まるで厚手の毛布でくるまれているような感覚。指一本動かすことは出来なくて、段々と私の熱で熱が高まって、息苦しくて――ただ、何かもが嫌になって。

 

 そんな私だから――先生のことが気になるのだろう。多分、彼と私は似ていて、同じところを欠いているのだと思う。それはとても大切なところで、失ってはいけないところで、だからこそ、そんな場所を失っているから、同じように生きにくいのだ。

 

 初めて彼と暖炉で話した時。彼はとても上手に、しかしとても下手に、私にそれを伝えてくれた。

 

『私は君と似た傷がある』

 

『だから、一人で抱え込まないで』

 

 そう言っているように思えた。実際、そういう意図はあったのだろう。結局のところ、どれだけの言葉を使っても、自分の気持ちなんて他人には少ししか伝わらない。自分という人伝になっている時点で、それは変わらない。

 

 でも、だからこそ――人というモノは、自分と似ている誰かを求めてしまうのだろう。

 

 私と彼の、似たような傷。最後まで、彼はそれを口にすることはなかった。暗い話だったのかもしれないし、単純に言いにくい話だったのかもしれない。いずれにせよ、それは私に言えない内容。

 

 だけど、私だってこんなことを先生に言うつもりはない。寂しかっただとか言っても、先生は困ってしまうだろう。私だって、急に先生に寂しいと本心から言われたら、困ってしまう。

 

 それでも――――彼の逃げ場になってあげたいと思うのは、私の高慢なのだろうか。

 

 誰かの役に立ちたい。ありがとうと言ってほしい。そして、それを彼の口から言ってほしいと思うのは、私のワガママなのか。

 

 まるで生娘みたいだな、と思う。それこそ、先生に――、

 

「――――」

 

 ――――()してるみたい?

 

「……」

 

 そこまで考えて、頭が詰まった。それ以上言葉が出てこなくて、塞き止められたようにアイデアが失せた。

 

 恋。恋をしているのだろうか。でも、だって、私はただ、先生の役に立ちたいだけだ。彼の傷があれば塞いであげたい。辛ければ頭を撫でて抱き寄せて、頑張ったねと言ってあげたい。それだけのはずだ。

 

 でも、よくよく考えてみれば、不意に思い出すのは先生の顔で、先生の姿で、先生のことで――どうやら私は、一日中先生のことを考えているみたいで。

 

「……っ」

 

 咄嗟に頬に手を添えた。熱い。きっと、真っ赤になっているのだろう。

 

 一人で良かった。こんな顔、私らしくない。誰かに見せるための浦和ハナコにそぐわない。彼女はそんな顔しない。

 

 真っ暗闇に隠れるように、私は周囲を警戒する。誰もいない。誰に見られたというわけでもない。

 

 体が熱い。どうしてなのだろうか。不思議と厭な熱ではない。スポットライトに当てられたような、私を撫ぜるような熱ではなくて――体の芯がどろどろと溶けるような、そんなほのかに甘い熱。

 

 うわ。

 

 嘘だ。

 

 信じられない。

 

 でも、嘘だと思えば思うほど、どうやら体は反発しているみたいに――私の脳裏に先生を映し出す。やめてほしい。違う。これは親愛であって性愛ではない。それに――。

 

「……」

 

 ――浦和ハナコ(わたし)に恋は、似合わないから。

 

 先生だってこんな女は嫌だろう。自分が自分のことを嫌っているのだから。多分先生もそうなのだろうけれど――いや、でも――。

 

 洗濯機みたいに思考がぐるぐると回る。そのうち脱水して乾燥までしてくれれば良いのだけど、もうしばらくはかかりそうだ。

 

 視界がぼやける。呼吸が荒くなる。自分だけが冷めていく世界に取り残されたみたいで、浮かび上がるような僅かな喜びだけがあって、体がぐちゃぐちゃになっている。

 

 倒れそうになって、棚に寄りかかった。指先が本に擦れて、少し痛い。

 

「――――あ」

 

 そして、目当ての本を見つけたのだ。

 

 そうだ。当初の目的は書籍探しだ。私の恋煩いをどうこうするということではない。

 

 本を手に取って、ぱらぱらと捲る。文章は斜め読み、古い書き方だから頭に入ってこないけれど、少なくともキーワードはないらしい。だが、この本であることには、おおよそ間違いないだろう。

 

 ――あった。ほとんど後半、僅かな文章。だけど明確だ。

 

 急いで読み込んでいく。時間はあまり残されていない。なるべく急いで記憶。

 

「……」

 

 これは。

 

 ……いや、まだ確定したわけではない。可能性があるというだけだ。ほんの僅かな、0に近い確率。

 

 ――それでも、1%でも可能性があるならば、それは疑わなくてはならない。

 

 疑って疑って疑い尽くして、表も裏も確認して、中身を見て手で触って舌で舐めて耳で聞いて、その上にようやく信用が訪れるのだ。それに――その1%に満たない僅かな可能性は、先生を傷つける可能性すらある。ならば、その芽は摘まなくてはならない。0%にしなくてはならない。

 

 私は、ただ彼の逃げ場になりたいだけなのだ。

 

 安心と安全は信用によって作られる。適当性(Just)の担保こそが正義(Justice)の保全に繋がる。

 

 何もかもを理屈なしに信用できるほど、私は素直で良い子ではない。だからこそ、他人を信用するためには――まず疑わねばならない。

 

 ある程度の考察は出来た。とはいえ、まだ確定はしていない。あくまでも、私がその可能性に辿り着いてしまったというだけ。

 

 きっと私の性格が悪いからだろう。そんなことは分かっている。既に良い子ちゃんは卒業したのだ。

 

 私はそのまま書籍を借りて外に出た。向かうべき先は、ゲヘナ学園において他ならなかった。

 

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