必死に感情を押し殺した天之河の声が響く中、その言葉を向けられているハジメはというと、まるでその言葉が聞こえていないかのように、憑依を解きスタスタと倒れ伏すメルドの傍に寄り添うシアのもとへ歩みを進めた。
ユエ達の方も、天之河達の護衛はもういいだろうと、ハジメ達の方へ向かう。背後で「あぁ、ママぁ!」と心の中に小さなおっさんを飼う鈴が叫んでいたがスルーだ。
「シア、メルドさんの容態はどう?」
「危なかったです。あと少し遅ければ助かりませんでした。……指示通り〝神水〟を使っておきましたけど……良かったのですか?」
「この人にはとてもに世話になったんだ。それに、メルドさんが抜ける穴は、色んな意味で大きすぎる。特に、勇者パーティーの教育係に変なのがついても困るしな。まぁ、あの様子を見る限り、メルドさんもきちんと教育しきれていないようだけど……人格者であることに違いはない。死なせるにはいろんな意味で惜しい人だ」
ハジメは、龍太郎に支えられつつクラスメイト達と共に歩み寄ってくる天之河が、未だハジメを睨みつけているのをチラリと見ながら、シアに、メルドへの神水の使用許可を出した理由を話した。ちなみに、〝変なの〟とは、例えば聖教教会のイシュタルのような人物のことである。
「……ハジメ」
「ユエ。ありがとう、頼み聞いてくれて」
「んっ」
「優花もありがとう」
「………恥ずかしいわね」
シアと話しているうちにユエと優花が到着する。自分の名を呼び見上げてくる二人の頭を優しく撫でながら、ハジメは、感謝の意を伝えた。それに、視線で「気にしないで」と伝えながらも、嬉しそうに目元を綻ばせるユエ。そして少し距離はあるものの、クラスメイトに見られて顔を赤くしている優花。
「……お三人共、空気読んで下さいよ……ぞろぞろ集まって来ましたよ‼︎」
シアがパンパンと手を鳴らしながらツッコミを入れて現実に戻す。
何やら、天之河とは違う意味で睨む視線が増えたような気がするハジメ。特に、天之河達とは別方向から来る視線に、何故か背筋が粟立った。
「おい、南雲。なぜ、彼女を……」
「ハジメくん……いろいろ聞きたい事はあるんだけど、取り敢えずメルドさんはどうなったの?見た感じ、傷が塞がっているみたいだし呼吸も安定してる。致命傷だったはずなのに……」
ハジメを問い詰めようとした天之河の言葉を遮って、香織が、真剣な表情でメルドの傍に膝を突き、詳しく容態を確かめながらハジメに尋ねた。
ハジメは、一瞬、自分に向けられた香織の視線に肝が冷えるような感覚を味わったが、気のせいだと思うことにして、香織の疑問に答えることにした。
「ああ、それは……ちょっと特別な薬を使ったんだよ。飲めば瀕死でも一瞬で完全治癒するって代物だ」
「そ、そんな薬、聞いたことないよ?」
「そりゃ、伝説になってるくらいだし……普通は手に入らないよ。だから八重樫さんは、香織に治癒魔法でもかけてもらって。魔力回復薬は幾らでもあるから」
「ええ……ありがとう」
ハジメに声をかけられ、薬を受け取り礼をいう雫。ハジメは、雫の反応を特に気にするでもなく、香織にも魔力回復薬を渡した。香織も、ハジメに一言礼を言って中身を飲み干す。栄養ドリンクな味が広がり、少しずつ活力が戻ってくる。香織さえ回復すれば、クラスメイト達も直ぐに治癒されるだろう。
取り敢えず、メルドは心配ないとわかり安堵の息を吐く香織達。そこで、天之河が再び口を開く。
「おい、南雲、メルドさんの事は礼を言うが、なぜ、かの……」
「ハジメくん。メルドさんを助けてくれてありがとう。私達のことも……助けてくれてありがとう」
そして、再び香織によって遮られた。天之河が、物凄く微妙な表情になっている。しかし、香織は、そんな天之河のことは全く気にせず真っ直ぐにハジメだけを見ていた。ハジメにどうしても伝えたい事があったのだ。メルドの事と、自分達を救ってくれたことのお礼を言いつつハジメの目の前まで歩み寄る。
そして、香織はグッと込み上げてくる何かを堪えるように服の裾を両手で握り締め、しかし、堪えきれずにホロホロと涙をこぼし始めた。嗚咽を漏らしながら、それでも目の前のハジメの存在が夢幻でないことを確かめるように片時も目を離さない。ハジメは、そんな香織を静かに見返した。
「ハジメぐん……生きででくれで、ぐすっ、ありがどうっ。あの時、守れなぐて……ひっく……ゴメンねっ……ぐすっ」
クラスメイトのうち、女子は香織の気持ちを察していたので生暖かい眼差しを向けており、男子の中でも何となく察していた者は同じような眼差しを、檜山達は苦虫を噛み潰したような目を、天之河は香織がハジメを想っているのを認めていない。雫の苦労が目に浮かぶ。
シアは「むっ、もしや新たなライバル?」と難しい表情をし、ユエはいつにも増して無表情でジッと香織を見つめている。そんなユエとシアを見て優花は「彼女が香織よ」と言うと二人は難しい表情と見つめるのをやめて、認めてもらうための作戦会議を始めた。
ハジメは、目の前で顔をくしゃくしゃにして泣く香織が遠藤に聞いていた通り、あの日からずっと自分の事を気にしていたのだと悟り、何とも言えない表情をした。
困ったような迷うような表情をした後、苦笑いしながら香織に言葉を返した。
「……心配かけたようだね、直ぐに連絡しなくて悪かったよ。まぁこの通り、しっかり生きてるから……謝る必要はないし……その、泣かないで」
そう言って香織を見るハジメの眼差しには香織を気遣う優しさが宿っていた。その眼差しに胸がいっぱいになる香織。思わずワッと泣き出し、そのままハジメの胸に飛び込んでしまった。
胸元に縋り付いて泣く香織に、どうしたものかと両手をホールドアップしたまま途方に暮れるハジメ。すると周囲から視線を感じ、見渡すと女子と男子の大半が『抱きしめてやれよ‼︎』といった視線が、傍らにいる雫からは「貴方の彼女で私の親友が泣いているのよ!抱きしめてあげてよぉ‼︎」という視線が叩きつけられたのでハジメは照れ臭くも香織を優しく抱きしめた。
「……ふぅ、香織は本当に優しいな。南雲が生きていた事を泣いて喜ぶなんて……でも、南雲は無抵抗の人を殺したんだ。話し合う必要がある。もうそれくらいにして、南雲から離れた方がいい」
クラスメイトの一部から「お前、空気読めよ⁉︎」という非難の眼差しが天之河に飛んだ。この期に及んで天之河は、まだ香織とハジメの関係を認めてないらしい。何処かハジメを責めるように睨みながら、ハジメに寄り添う香織を引き離そうとしている。単に、香織と触れ合っている事が気に食わないのか、それとも人殺しの傍にいることに危機感を抱いているのか……あるいはその両方かもしれない。
「ちょっと、光輝!南雲くんは、私達を助けてくれたのよ⁉︎そんな言い方はないでしょう?」
「だが雫、彼女は既に戦意を喪失していたんだ。殺す必要はなかった。南雲がしたことは許されることじゃない」
「あのね、光輝、いい加減にしなさいよ?大体……」
天之河の物言いに、雫が目を吊り上げて反論する。クラスメイト達は、どうしたものかとオロオロするばかりであったが、檜山達は、元々ハジメが気に食わなかったこともあり、天之河に加勢し始める。
次第に、ハジメの行動に対する議論が白熱し始めた。香織は、既にハジメの胸元から離れて涙を拭った後で、ハジメと共に奈落にやってきたユエとシア、優花について何かを考え込むように難しい表情で黙り込んでいた。
そんな彼らに、今度は比喩的な意味で冷水を浴びせる声が一つ。
「……くだらない連中。ハジメ、香織を連れてもう行こう?」
「あー………うん、そうしよっか」
絶対零度と表現したくなるほどの冷たい声音で、天之河達を〝くだらない〟と切って捨てたのはユエだ。その声は、小さな呟き程度のものだったが、天之河達の喧騒も関係なくやけに明瞭に響いた。一瞬で、静寂が辺りを包み、天之河達がユエに視線を向ける。
ハジメは、元々遠藤から話を聞いて、香織を助けるついでに来ただけなのでもう用は済んでいる。なのでハジメの手を引くユエに従い、香織の腰に手を回しながら部屋を出ていこうとした。シアも優花も、周囲を気にしながら追従する。
そんなハジメ達に、やっぱり天之河が待ったをかけた。
「待ってくれ。こっちの話は終わっていない。南雲の本音を聞かないと仲間として認められない。それに、君は誰なんだ?助けてくれた事には感謝するけど、初対面の相手にくだらないなんて……失礼だろ?一体、何がくだらないって言うんだい?」
「……」
天之河が、またズレた発言をする。言っている事自体はいつも通り正しいのだが、状況と照らし合わせると、「自分の胸に手を置いて考えろ」と言いたくなる有様だ。ここまでくれば、何かに呪われていると言われても不思議ではない。
ユエは、既に天之河に見切りをつけていたのか、会話する価値すらないと思っているようで視線すら合わせない。天之河は、そんなユエの態度に少し苛立ったように眉をしかめるが、直ぐに、いつも女の子にしているように優しげな微笑みを携えて再度、ユエに話しかけようとした。
このままでは埓があかないどころかユエを不快にさせてしまうと感じたハジメは、面倒そうな表情で溜息を吐きながらも代わりに少しだけ答えることにした。
「天之河。存在自体が色んな意味で冗談みたいな君に、いちいち構ってやる義理も義務もないけど、それだと君はしつこく絡んできそうだから、少しだけ指摘させてもらう」
「指摘だって?俺が、間違っているとでも言う気か?俺は、人として当たり前の事を言っているだけだ」
ハジメから『心底面倒です!』という意味のありげな表情を向けられ、不機嫌そうにハジメに反論する天之河に取り合わず、ハジメは言葉を続けた。
「誤魔化すなよ」
「いきなり何を……」
「君は、僕があの人を殺したから怒っているんじゃない。人死にを見るのが嫌だっただけだ。だが、自分達を殺しかけ、騎士団員を殺害したあの人を殺した事自体を責めるのは、流石にお門違いだと分かっている。だから、無抵抗の相手を殺したと論点をズラしたんでしょ?見たくないものを見させられた、自分が出来なかった事をあっさりやってのけられた……その八つ当たりをしているだけ。正しいことを言っている風を装ってね。タチが悪いのは、その自覚がないこと。相変わらずだね、その息をするように自然なご都合解釈」
「ち、違う!勝手なこと言うな‼︎お前が、無抵抗の人を殺したのは事実だろうが!」
「………悲しいけど、コレって戦争なんだよ。相手を殺す、それの何が悪い?」
「なっ⁉︎何がって、人殺しだぞ!悪いに決まってるだろ⁉︎」
「………君と議論するつもりはないから、もうこれでお終いだよ?──僕は、敵対した相手には一切容赦するつもりはない。敵対した時点で、明確な理由でもない限り、必ず殺す。甘さを見せた瞬間、死ぬということは嫌ってくらい理解したからね。これは他人に強制するつもりはない。が、それを気に食わないと言って僕の前に立ちはだかるなら……」
ハジメが一瞬で距離を詰めて天之河の肩に手を置く。同時に、ハジメの〝威圧〟が発動し周囲に濃密な殺気が大瀑布のごとく降りかかった。息を呑む天之河。仲間内でもっとも速い雫の動きだって目で追える天之河だったが、今のハジメの動きはまるで察知出来ず、戦慄の表情をする。
「例え、君でも躊躇いなく倒す」
「お、おまえ……」
「勘違いしないで。僕は戻って来たわけじゃないし、まして君の仲間でもない。香織を助けに来ただけでここを出たら君とはお別れだ」
それだけ言うと、何も答えず生唾を飲む天之河をひと睨みして、〝威圧〟を解いた。〝威圧〟が解けて、盛大に息を吐きハジメを複雑そうな眼差しで見るクラスメイト達だったが、天之河は、やはり納得出来ないのか、なお何かを言い募ろうとした。しかし、それは、うんざりした雰囲気のユエのキツイ一言によって阻まれる。
「……戦ったのはハジメ。恐怖に負けて逃げ出した負け犬にとやかくいう資格はない」
「なっ、俺は逃げてなんて……」
実はハジメ達が、ピンポイントであの場所に中華風の服を着た中性的な人物──哪吒の宝具で降りて来られたのは偶然ではない。ちょうど上階を移動している時に莫大な魔力の奔流を感じて天之河達だと察したハジメが、感知系能力をフル活用して階下の気配を探り、宝具で撃ち降りて来たというのが真相である。
そして、その時感じた魔力の奔流とは、天之河の〝覇潰〟だった。感じた力の大きさからすれば、あの状態の天之河ならカトレアを討てたはずだと、ハジメ達はわかっていた。なので、その後の現場の状況と合わせて天之河が人殺しを躊躇い、そのためにあの窮地を招いたのだと看破していたのだ。それが、ユエの言う〝恐怖に負けて逃げ出した〟という言葉である。
天之河が、ユエに反論しようとすると、そこへ、深みのある声が割って入った。
「よせ、光輝」
「メルドさん!」
メルドは、少し前に意識を取り戻して、天之河達の会話を聞いていたようだ。まだ少しボーとするのか、意識をはっきりさせようと頭を振りながら起き上がる。そして、自分の腹など怪我していたはずの箇所を見て、不思議そうな顔で首を傾げた。
香織が、メルドに簡潔に何があったのかを説明する。メルドは、自分が何やら貴重な薬で奇跡的に助けられたことを知り、そして、その相手がハジメであると聞いて、ハジメの生存を心底喜んだ。また、救われたことに礼を述べながら、あの時、助けられなかった事を土下座する勢いで謝罪するメルドに、ハジメは居心地悪そうにして謝罪を受け取った。
ハジメとしては、全く気にしていなかったというか、メルドが言った「絶対助けてやる」という言葉を守れなかったことを考慮して……深々と頭を下げて謝罪するメルドを前に空気を読んだのだ。
ハジメとのやり取りが終わると、メルドは、天之河に向き直り、ハジメにしたのと同じように謝罪した。
「メ、メルドさん?どうして、メルドさんが謝るんだ?」
「当然だろ。俺はお前らの教育係なんだ……なのに、戦う者として大事な事を教えなかった。人を殺す覚悟のことだ。時期がくれば、偶然を装って、賊をけしかけるなりして人殺しを経験させようと思っていた……魔人族との戦争に参加するなら絶対に必要なことだからな……だが、お前達と多くの時間を過ごし、多くの話しをしていく内に、本当にお前達にそんな経験をさせていいのか……迷うようになった。騎士団団長としての立場を考えれば、早めに教えるべきだったのだろうがな……もう少し、あと少し、これをクリアしたら、そんな風に先延ばしにしている間に、今回の出来事だ……私が半端だった。教育者として誤ったのだ。そのせいで、お前達を死なせるところだった……申し訳ない」
そう言って、再び深く頭を下げるメルドに、クラスメイト達はあたふたと慰めに入る。どうやら、メルドはメルドで天之河達についてかなり悩んでいたようだ。団長としての使命と私人としての思いの狭間で揺れていたのだろう。
メルドも、王国の人間である以上、聖教教会の信者だ。それ故に、〝神の使徒〟として呼ばれた天之河達が魔人族と戦うことは、当然だとか名誉なことだとか思ってもおかしくはない。にもかかわらず、天之河達が戦うことに疑問を感じる時点で、何とも人がいいというか、優しいというか、ハジメの言う通り人格者と評してもいいレベルだ。
メルドの心の内を聞き、押し黙る天之河。そう遠くないうちに人を殺さなければならなかったと言われ、カトレアを殺しかけた時の恐怖を思い出したようだ。それと同時に、たとえ賊であっても人である者を訓練のために殺させようとしていたメルドの言葉にショックも受けていた。賊くらいなら、圧倒出来るだけの力はあるので、わざわざ殺すなんて……と。
一方、香織の方も押し黙っていた。だが、後方から不意に視線を感じた。香織がその先を見やると、そこには金髪紅眼の美貌の少女。香織でも思わず見蕩れてしまうくらい美しいその少女が、感情を感じさせない瞳で香織をジッと観察していた。
そう言えば、ハジメと随分親密そうだったと思い出し、香織も興味を惹かれてユエを見返した。しばらく見つめ合う二人。
「……香織は、ハジメの彼女、であってる?」
「……うん」
「………私はユエ、ハジメの側室希望」
ユエの発言に香織は少し驚き思わず息を呑む香織。しかし、ハジメならありえるかもと
天之河達が微妙な雰囲気になっているのを尻目に、ハジメがユエとシア、優花と香織を連れて、開けた穴からどう出ていこうかと頭を捻っていたところ、それに気がついた天之河達もハジメ達に追随し始める。全員、消耗しているので地上に出るまでの間、ハジメ達に便乗しようと遠藤が提案し、メルドがハジメに頼み込んで了承を取ったのである。
地上へ向かう道中、邪魔くさそうに魔物の尽くを軽く瞬殺していくハジメに、改めて、その呆れるほどの強さを実感するクラスメイト達。
檜山は、青ざめた表情のままハジメを睨み、近藤達は妬みの視線を送り、永山達は感嘆の視線を向けながらも仲間ではないとはっきり言われた事に複雑な表情をしている。
背後からぞろぞろと様々な視線を向けてくる天之河達を、時々気にしながら我が道を進むハジメ。
途中、鈴の中のおっさんが騒ぎ出しユエにあれこれ話しかけたり、ハジメと何があったのか質問攻めにしたり、二人が余り相手にしてくれないと悟るとシアの巨乳とウサミミを狙いだしたりして、雫に物理的に止められたり、それを見た優花と香織が苦笑いを浮かべたり、ユエが香織にシアと優花、ここにはいないもう一人がハジメの側室希望だと話し再び驚いたり、近藤達がユエやシアに下心満載で話しかけて完全に無視されたり、それでもしつこく付き纏った挙句、無断でシアのウサミミとウサシッポに触ろうとしていつの間にか懐に入られたハジメから限界まで圧縮したデコピンをしこたま撃ち込まれたり、マジな殺気を受けて少し漏らしながら今度こそ恐怖を叩き込まれたり────色々ありつつ、遂に、一行は地上へとたどり着いた。
そしてそれは、【オルクス大迷宮】の入場ゲートを出た瞬間にやって来た。
「あっ!
ハジメをパパと呼ぶ幼女の登場である。