皆が知らない呪霊の味   作:柴猫侍

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虹龍/うな重

 

 

 

 合掌。

 

 

 

 それは両手の掌を合わせる礼拝の仕草。

 日本人であれば物心ついた時には目にしているであろう行いだが、そこに秘められた想いは多岐にわたる。

 

 たとえば食への感謝。

 たとえば謝罪の表明。

 そして、故人への哀悼。

 

「……」

 

 夏油の前には一つの死体が転がっていた。短い付き合いであったが、けっして浅い関係でもない。

 今回の任務は一人の少女の“護衛”と“抹消”だった。

 呪術界の中でも特に重要とされる人物・天元と同化できる適合者“星漿体”。この同化なくして、未来の呪術界の安寧はないと言っても過言ではない重要任務だ。

 

「すまない、君を守れなくて……」

 

 だが、守れなかった。

 “護衛”も。“抹消”も。

 どちらも果たせなかった。

 

 それでも夏油は謝る。

 しかし、いくら故人を悼もうとも命は戻ってこないが、そうしなければ自身の心の平静を保てそうになかったから。

 だから、謝る。

 

「私に出来る事と言えば、後は───」

 

 そうして夏油は膝を折った。

 目の前に転がった死体を前に、手を伸ばす。

 

 

 

 そして───。

 

 

 

「何をしておるのじゃ? 夏油」

 

 

 

 次の瞬間、後ろから少女の声が聞こえてきた。

 振り返る夏油。そこに居たのは()()()()()()()()()()

 

()()()()()

「うむ? ……おぉ。その龍は確かオマエの……」

 

 屈む夏油の隣にやって来る少女・理子も地面に屈み、眼前に転がっていた死体に手を合わせる。

 白い鱗が日光の反射で虹色に輝く美しい龍であった。

 この龍は夏油の使役する呪霊の一体・虹龍。天内理子護衛任務の最中でも、移動や防御に重用したかなり強力な呪霊だ。

 

「ありがとう、私を守ってくれて……」

 

 そのような呪霊でさえ殺された今回の任務。

 敵は強大だった。一人として無傷な者はいない。

 しかし、現に少女は生きている。その立役者の中に虹龍がいたのもまた事実であった。

 

 だからこその哀悼。

 理子は最上級の感謝の意を込め、虹龍に手を合わせた。

 数秒、数十秒と。長く続く合掌の途中、不意にパタパタと地面を叩く音が聞こえてきた。

 

「……理子ちゃん」

「う゛ッ……うぐっ……ごめん……! 辛いのはオマエの方だろうに……ッ!」

 

 理子は溢れる涙を手で拭う。

 彼女にとって呪霊とは恐ろしい存在だ。人間に害を与える悪霊、それ以上でもそれ以下でもない。

 だが、呪霊操術を扱う彼にとっては違うということもなんとなく察していた。命を懸けた戦場を共にする相棒といったところだろう。

 そんな存在を亡くして辛いのは夏油の方。そうだと分かっていても理子は自身から溢れる感情を抑えることはできなかった。

 

 しばし理子は嗚咽を漏らす。

 少しした後、夏油は優しく少女の肩に手を置いた。

 

「ありがとう、理子ちゃん……私の代わりに泣いてくれて」

「……うん!!」

 

 泣いてスッキリしたのか、顔を上げた彼女は幾分か晴れやかな顔つきとなっていた。

 

「よしっ!! いつまでも泣いてはおれん!! 夏油、虹龍を弔うのなら妾も手伝ってやるぞ!!」

「本当かい?」

「うむ、二言はない!!」

「じゃあ、下ごしらえ手伝ってくれない?」

「うむ?」

 

 聞こえた言葉に理子は小首を傾げる。

 

「オマエ……今何と言った?」

「下ごしらえ」

「下ごしらえって……何のじゃ?」

「調理の」

「チョーリノ?」

「かば焼きにするんだ」

「カバヤキ」

 

 夏油が虹龍に手を翳せば、みるみるうちに死体がウナギサイズへと縮小していく。

 なるほど。すでに真っ二つに切り開かれていたのも合わせれば、確かに蒲焼きにするにはちょうどいいだろう。

 

「い、いや……待て!!」

「どうしたんだい?」

「まさかとは思うが、食べるんじゃないだろうな……?!」

「食べるけど?」

「ッ───」

 

 刹那、理子は慌てて夏油の持っていた虹龍を奪い取った。

 

「あ、コラ!」

「嫌じゃ嫌じゃーーー!! この子はちゃんとお墓に入れてあげるんじゃーーー!!」

「理子ちゃん、それを返しなさい!!」

「龍ちゃんは妾が飼うんじゃーーー!!」

「もうそれは死んでいる!! ほら、貸しなさい!! 私が責任をもって食べるから!!」

「嫌じゃ~~~……前髪の胃袋なぞに収めたくないぃ~~~……!!」

 

 悲痛な声色で駄々を捏ねる理子に対し、夏油は割と本気で虹龍を奪い返そうとする。

 そんな攻防を傍から見ていた五条と理子の侍従・黒井は、何とも言えぬ目を浮かべていた。

 

「何やってんだ、アレ?」

「はぁ……さて……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 数日後。

 

「じゃあまずは下ごしらえから始めようか」

「うっ、うぅ……龍ちゃん……」

 

 寮のキッチン前で夏油と理子は並んでいた。

 色々事情があり理子が寮のお世話になっているが、今そこは割愛しよう。

 

 まな板の上には切り開かれた虹龍が置かれている。パッと見だとやはりウナギに見えなくもないが、光を反射する虹色の鱗が異形の存在感をこれでもかと主張している。

 

「出来れば切り開く前が良かったんだけど、鱗を取るところから始めようか。やる?」

「誰がやるかっ!!」

 

 半泣きの理子はキレ気味に夏油が差し出してきた包丁を突き返す。

 危うく夏油にぶっ刺さるところであったが、そこはやはり歴戦の呪術師。華麗に躱して包丁の柄を握って刺突を止める。

 

「おいおい……理子ちゃん、危ないじゃないか。家庭科で包丁の扱いは習わなかったかい?」

「生憎と呪霊の捌き方まではな……!!」

「それもそうか」

 

 たっぷりの皮肉を込めた台詞であったが、夏油にはさらりと流される。

 そうこうしているうちに夏油は慣れた手つきで虹龍の皮に包丁の背を立てる。そして鱗の向きに逆らうように包丁を動かせば、小さな鱗がポロポロとシンクに飛び散り始めた。

 

「もっと鱗が大きな生き物だったら直接手で剥ぐんだけどね。今回は小さいからこれで十分だよ」

「へー、そうなんじゃー」

 

 最早諦めの境地に達した理子は、感情を失った瞳で夏油の下処理を眺めていた。

 その間、夏油は虹龍の鱗を剥ぐ無骨な包丁に感心していた。

 

(この刀……()()()が虹龍を切り裂いていたからもしやと思ったが───なるほど。予想通りの切れ味だ)

 

 刃の付け根に毛があるのが少々邪魔であるが、手持ちの呪霊の中でも最高硬度の呪霊を捌けるとなると、持ち主の技量を差し引いても相当格の高い呪具になるであろう。襲撃者の従えていた呪霊を取り込んだ際に手に入った代物だが良い掘り出し物だ。

 それをあろうことか調理器具に用いる。同級生に知られれば爆笑され、担任に知られれば拳骨が飛んでくるであろう。

 

 しかし、夏油に躊躇いはない。

 ただただ今はこの包丁の切れ味に感心しつつ、丁寧に下処理を進めるのであった。

 

「背骨も取り除いて、と……理子ちゃん。そっちのタレはどんな感じ?」

「あー、うん。たぶんイイ感じなんじゃないかのー」

 

 夏油の横で鍋をへらでかき混ぜていた理子が空返事を返す。

 そんな理子の態度に夏油は『おいおい……』と頭を抱え、

 

「頼むよ? タレは蒲焼きの要なんだから。もうちょっと自覚というものをだね……」

「呪霊を食べる変人の自覚なぞ持ちたくないわ!!」

「おっと」

 

 理子がへらを振り上げれば、鍋の中で沸騰していた酒とみりんが混ざっていた熱々の液体が飛んでくる。

 直撃すれば火傷は必至であるが、そこはやはり歴戦の呪術師。攻撃を見越していた夏油はその場に屈んで弾丸を掻い潜ることに成功する。

 

「理子ちゃん……あんまり私の部屋を汚さないでくれよ? 後で掃除するのは私なんだから」

「妾が汚さずとも、オマエはとっくに腹の内まで汚れておるわ!! まっくろくろすけじゃ!!」

「ハハッ。健康診断なら引っ掛かった覚えはないね」

「うぐぐぐ……!!」

 

 いいように躱された理子は夏油からへらを奪われる。

 

「ちょっといいかい?」

「な、なにをするつもりじゃ……? そんな骨なんぞを持って……」

「今から炙る」

「あぶ、あ、あ、炙る!? 龍の骨をか!?」

「そう」

「嫌ぁ~~~!!」

 

 理子は悲痛な声を上げ、夏油に腰に抱き着いて目の前の男の蛮行を止めようとする。

 

「こ、こんなのってあんまりじゃ……!! あんなに頑張ってくれたのに、骨を焼かれるのがこんな薄汚れた部屋のキッチンでなんて……!!」

「……あんまり言われると私も傷つくよ。それに意味もなく骨を炙るはずがないじゃないか」

「え、本当?」

 

 夏油の言葉にきょとんとする理子。

 そうだ、きっと自分が知らないだけで彼の行為にはちゃんとした意味があるはず。無知のまま一方的に罵倒するのは下賤の輩がすることだと己を恥じ入った。

 

「……そうか! それじゃあ何のために炙るんじゃ?」

「これを炙ってタレと煮詰めるとイイ出汁が出るんだ」

「鬼!! 悪魔!! 夏油!!」

「外道みたいに言わないでくれないか」

 

 と、言っている間にも骨はガスコンロの火に炙られる。

 すると仄かに香ってくる。

 

「うっ!? こ、これは……!!」

「───気づいたかい?」

 

 夏油に指摘され、理子はすぐさま顔を逸らす。

 だが、鼻を塞いでいなかったのは悪手だった。

 顔を逸らそうと漂ってくる匂い。これは呪霊の骨にこびりついた身や脂が、じっくりと焼き焦がされたものだ。

 常識的に考えて呪いが焼かれる匂いなど良いイメージなど持たない。

 しかし、理子の本能が訴えている。良質な肉と上質な脂が焼かれる独特な匂い。牛とも豚とも違うが、それでも食欲に訴えかけてくるには十分過ぎるほど芳醇であった。

 

「お腹が空いてきたかい?」

「っ!? わ、妾は腹など……!」

「でも、()()()は正直みたいだね」

 

 刹那、部屋に鳴り響く爆音。

 それは他でもない理子のお腹から鳴り響いた腹の音であった。

 

 彼女も年頃の女の子だ。

 盛大にお腹を鳴らした羞恥心から顔を真っ赤に染める理子。しかし、その腕からは力が抜けていく理由は羞恥心だけではなかった。

 

「うぅ……そう言えば昼がまだじゃった」

「ふふっ、それならもう少し待っていてくれ。美味しい蒲焼きが出来るからね」

「誰が呪霊なぞ二度と食うか!!」

 

 ()()()は吼える。

 

「この前オマエの呪霊料理を食べたばかりに妾が腹を壊したのを忘れたか!!?」

「ハハッ、ウケる」

「ウケるなァ!!」

 

 あの時のことを思い返せば、今度は違う意味でお腹がゴロゴロと鳴り始める。

 

 護衛任務二日目。

 同化前に最後の思い出をと沖縄旅行へと繰り出した一行であったが、その途中、理子は夏油の呪霊料理を目撃してしまった。

 最初はゲテモノ料理を見る眼差しを向けていた彼女であったが、夏油の手際の良い調理風景と香ってくる良い匂いに好奇心をそそられ『一口くらいなら……』と呪霊料理を口にしてしまった。

 

 それがまあ美味いこと美味いこと。

 

 最初は一口だけと決めていた理子であったが、結局パクパクと一皿分平らげてしまった。

 

『やっぱ見た目がグロイ生き物は旨いんじゃな!! あんこう然り、かにみそ然り!!』

 

 しかし、悲劇は次の日訪れた。

 早朝から未だかつてない腹痛に襲われた理子。この世の終わりのような激痛に苛まれた彼女は出発ギリギリまでトイレから抜け出せずにいた。

 それでも同化までには間に合わなければならないと腹痛の中、頑張って飛行機等の交通機関を乗り継いだ。その間薬は飲んだ。ダメだった。

 

 息も絶え絶えになる中、心の中に満ち満ちていた感情はただひとつ。

 それは怒り。浅はかだった自分と料理を勧めた夏油───それらに対する一片の曇りもない怒りが全身に満ちた時だけ、この痛みが和らいだような気がした。

 

 そのまま高専前の結界に到着したかと思えば襲撃に遭い、夏油に連れられて薨星宮本殿まで辿り着いた。

 そして、同化を目前とした自分に対し、彼は引き返す提案をしてくれた。

 とても優しい言葉を掛けてくれた気がする。涙を流すほど嬉しかった気がする。

 でもお腹の方が痛かった。死ぬほど痛かった。コイツぶち殺してやろうかと思っていた。

 

 その直後から記憶がない。

 頭に衝撃が奔ったかと思えば、目の前が真っ暗になっていた。

 

『───あれ?』

 

 次に目が覚めたのは、どことも知れぬ屋根の下。それまで拍手していた人々が目を剥いて固まっていた。

 何が何だか分からぬ内にガンガン唸る側頭部に手を当てれば、激痛と共にポロリと何かが落ちた。血塗れの銃弾だった。次の瞬間、弾丸がめり込んでいた傷口から血が溢れる。しかし数秒もすると傷口は塞がった。

 

 

 

『───反転術式!!』

『正っ解っ!!』

 

 

 

 その頃、外では五条と襲撃者が死闘を繰り広げる寸前だった。

 

 天内理子。

 呪霊料理を食べて死の淵を彷徨い、呪力の核心に触れた。

 その結果腹痛を治すべく意図せず身につけた反転術式が凶弾から彼女の命を救っていた。そこから何とか脱出し、救出され、そして今に至る。

 

 間接的に夏油が理子を救ったことになるが、経緯が経緯である為、理子は呪霊料理にトラウマを植え付けられていた。少なくとも死を覚悟する程度には。

 

「妾はもう今生の内は呪霊なぞ食わんからな!! 食うぐらいなら死んでやる!!」

「そうか……それは残念だ」

 

 喚く理子に眉尻を下げた夏油は、沸騰していた鍋の中へ炙った骨を投入する。

 瞬間、蒸気と共に甘露な匂いが辺りに立ち込めた。

 

「うぅっ!?」

「次にザラメを投入してと。完全に溶けたら今度は醤油を入れて煮詰めていく」

 

 虹龍の出汁が出て白濁としていた汁が一気に琥珀色に染まる。

 それも10分、20分と経過していくにつれ、旨味の濃縮された濃い茶色へと変貌を遂げた。香りも骨を入れた時とは違う。ザラメの甘味と醤油のコクを感じられる、複雑なフレーバー。

 

「あ、あぁ……!」

「これだけでご飯三杯はいけそうだ。理子ちゃんもそう思わないか?」

「うん……っは⁉」

 

 思わず頷いてしまったが、理子はブンブンと頭を振った。

 

「ぜ、全然!! 全然おいしそうじゃないもん!!」

「でもいい香りだよね」

「いい匂いなんかじゃない!! 妾を唆そうとしたってそうはいかんぞ!! オマエがなんと言おうと呪霊は絶っっっ対食わん!!」

「そうか……それじゃあ虹龍は哀しむだろうね」

「は?」

 

 思いもよらぬ方面からの台詞に、理子の思考が一旦停止する。

 その隙を細い目の奥から覗く眼光は見逃さなかった。

 

「そうとも。そもそも理子ちゃんは呪霊がどういう存在か理解(わか)るかい?」

「今更言われなくとも……人の負の感情が生み出した悪しき呪いじゃ」

「そう。人間の何かを呪う気持ちが生み堕とした物の怪……それが呪霊さ。どんな呪霊かはさておき、十中八九呪霊は人に害を為す。ここまではいいかい?」

 

 理子はこくりと頷いた。

 

「となると、呪霊は生まれを祝福されることもなければ、生きていることを感謝されることもない。精々私のように呪霊を扱える人間が利用する程度……だが、そんな人生は悲しいと思わないかい?」

「悲、しい?」

「理子ちゃんだって誕生日を祝われなかったり、良いことをしたのに感謝されなかったら悲しいだろ? 『誰も自分を必要としてくれないんだ』って。でも、命あるもの全てに等しく許される感謝の仕方がある───それが何か分かるかい?」

 

 首を横に振れば、夏油はこう答えた。

 

───それはね、食べてもらうことさ。

 

「どんな命だって食べられる時は『いただきます』と。食べられた後は『ごちそうさま』と言ってもらえる。それはとても簡潔だけれど尊いことだと私は思うんだ」

「……」

「だからね、私は祝福も感謝もされない呪霊(かれら)に少しでもそれらを与えたいんだ。呪霊を食べるという形で」

「夏油……」

 

 コトコトと煮詰まったタレに掛ける火は止まっていた。

 

「さて、あとはこれを切り身に塗って焼くだけだけど……」

「なあ、夏油」

「……なんだい?」

「虹龍は、私に食べてもらえたら嬉しいと思うか?」

 

 夏油が振り返れば、そこには真摯な眼差しを向ける理子が立っていた。

 虹龍の死を悼み、涙さえ流していた少女。

 そんな彼女が今、虹龍に少しでも何かを手向けられないかと目で訴えている。

 

 夏油は頬を緩めた。

 

「……ああ、嬉しいとも」

「本当か?」

「私が保証する」

「そうか……じゃあ、()も食べる」

 

 一歩前へと出た理子が、夏油からタレの入った鍋を奪い取る。

 すると、何の抵抗もしなかった夏油が流れるように彼女へハケを渡した。これで塗れという意味だろう。

 

「さあ、それを塗ってあげよう」

「う、うむ……」

 

 いざ、ハケにタレをまとわせる理子。

 魚焼きグリルの上に移動させた虹龍を前に緊張した面持ちを浮かべる彼女であったが、覚悟を決めたように深呼吸する。

 

 そして、芳醇な甘辛いタレの匂いが鼻の中を通り抜けた時。

 

「!!」

 

 突如、理子の脳内に溢れ出した()()()()()()()

 

 両親を亡くしふさぎ込む自分に寄り添う虹龍。

 クラス全員で面倒を看て、大きく育てた虹龍。

 泣く泣く食肉加工センターに連行された虹龍。

 そして、極上のタレ共々こんがり焼けて香ばしく仕上がった虹龍。

 

「いただきますっっ!!」

「まだ早い」

 

 このまま齧りつきそうな理子を一旦止める。

 それから落ち着いた彼女と夏油は虹龍の開きにまんべんなくタレを塗り込んでいく。

 

「両面にまんべんなく塗って、ちょっと焦げるぐらい炙ろうか」

「夏油!! 米は!?」

「もう炊いてるよ」

 

 蒲焼きを焼くのであれば、炊き立ての白米は必須。

 そこを抜かる夏油ではない。すでに火に掛かっていた土鍋からはもくもくと湯気が上がっていた。

 既に瞼の裏には映っている───艶だった半透明の白い粒。一つ一つ米粒が立った白米は、きっと噛めば噛むほど上品で繊細な甘味が滲み出るだろう。

 

 料理の完成を待つ間、理子の腹は鳴りっぱなしであった。

 最早涎が溢れていることすら隠さず、ごくりと喉を鳴らしている。

 

「げ、夏油……まだか……っ!?」

「そう急かさなくてももうすぐさ」

 

 今は一分すらも待ち遠しい。

 こうなってくると想像の中の味が現実を越え、実食した時に落胆しかねない危険性を孕んでいるが、

 

───ピピピピッ!

 

「っ、夏油!!」

「ああ……」

 

 冷蔵庫に張り付けていたキッチンタイマーが鳴り響き、夏油は土鍋の蓋を持ち上げる。

 次の瞬間、中に籠っていた純白の蒸気が二人の顔目掛けて舞い上がった。ああ、なんと上品な香りであろう。日本人に生まれたことを心から感謝させるような強い衝動を駆り立てる、それこそが炊き立ての恐ろしいところだ。

 

───チンッ!

 

 だが、それはあくまで土台に過ぎない。

 本命はその上に乗せる主役にある。

 

「さあ、お待ちかねだ……!」

「おぉ……!」

 

 外にまで熱気が感じられるグリルを引けば、限界まで濃縮された香ばしい匂いの奔流が逃げ場を求めて飛び出してきた。

 こちらは炊き立ての米とも違う。あちらが食欲を優しくそそらせるものとするならば、これはガツンと食欲を殴りつける強烈な刺激。

 

 当然、腹が鳴る。

 『もう限界だ』と胃が痛いほどに唸っている。

 

「げ、夏油!! 盛り付ける器はどれじゃ!?」

「こんなこともあろうかと───重箱は用意済みさ」

「夏油ォ!!」

 

 はしゃぐ理子が重箱に白米をよそっていく。

 器からはみ出る勢いで盛り付ける彼女を優しい瞳で見つめる夏油は、食べやすいように完成した蒲焼きを切り分けていく。

 ちょうど全てを切り分けた頃、理子も十分に米をよそったと判断したのか、漆塗りが黒く眩しい重箱を差し出してきた。

 

「夏油!」

「ああ」

 

 皆まで言わずとも分かっている。

 夏油は切り分けた蒲焼きの下に包丁を滑り込ませる。全ての切り身を乗せた包丁は重箱の上へと持って行かれ、そのまま滑らせるように蒲焼きを白米の上へと盛り付けた。

 

「仕上げに三つ葉を乗せて、と……」

「おぉ……これは……!」

「完成さ───虹龍のうな重!」

 

 食卓(テーブル)の上に鎮座したうな重に、歓声と拍手が上がる。

 

「夏油! 早く! 早く味の感想を教えてくれ!」

「理子ちゃん……もっと素直になってもいいんだよ?」

「え?」

 

 きょとんとする理子の前へ、夏油はうな重を持ち上げた箸を差し出す。

 鼻先まで差し出された()()の香りに、思わず『あ……』と声が漏れる。

 

あとは少し顔を前に突き出せば口に入る。

 そんな距離を保ったまま、夏油は告げる。

 

「大丈夫。理子ちゃんがどんな選択をしようと、味は私が保証する」

「……私は」

 

 次の瞬間、理子は前へ身を乗り出した。

 そして、ホカホカと湯気の立つうな重にかぶりつく。始めにこんがり焼けた香ばしい香りが。次に切り身に塗られた芳醇なタレの香りが。最後に土鍋で炊きあげられた白米の芳しい香りが鼻を抜けていく。

 それらは噛み締める度に複雑に混ざり合う。だが、けっして互いを殺さず、むしろ引き立てるようなハーモニーを口の中へと演じる。

 

 味の存在も忘れてはいけない。

 見事な調和を果たす香りに負けないくらい、虹龍の肉と白米は濃厚なタレと絡み合いは極まっていた。

 

(なんだこの肉は……!? 牛でも豚でもない……だからといってウナギでもないけど、瑞々しくて弾力がある……!)

 

 世間では爬虫類の肉は鶏肉に近い味わいとされている。

 もし仮に龍を爬虫類に分類するとすれば、虹龍も鶏肉に近いかもしれない。だが、この歯を押し返すほどの弾力……それを噛み切った瞬間に溢れる肉汁と脂の旨味は、けっして鶏肉と同じとは言えない。

 

 しかし、一つだけ確かなことがある。

 

(旨い……!! 旨過ぎるッ……!!)

 

 それが呪霊の肉と忘れてしまう程には。

 

「旨い……旨いぞ、夏油……!!」

「ははっ、そうみたいだね」

 

 味の担保がしっかりとれたところで夏油もうな重を口に運ぶ。

 

「うん、うん……確かに良い出来だこれは。ここ最近でも一番良く出来た自負はあったが、流石は虹龍。低級呪霊とは比べ物にならない旨さだ……!」

 

 完成品の味に感動しながら食レポする夏油。後輩の七海が居れば悍ましいものを見る目を向けられていただろうが、生憎彼は今ここには居ない。

 誰の目も気にしなくていい食事というのは素晴らしい。

 じっくりと目の前の料理に向き合い、味わう。それこそが食に向き合う者としてあるべき姿だ。周囲の人間にやいのやいの言われながらの食事など、それこそ折角の料理にツバを吐く食への冒涜。

 

(けれど……)

 

 夏油は前に視線を向ける。

 そこにはすでに一口目を飲み込み、次はまだかと期待の眼差しを向けてくる理子の姿があった。

 

「そんなに気に入ったかい?」

 

 理子は無言でブンブンと頷く。彼女もすっかり呪霊料理の虜だ。

 『仕方ないなぁ』と夏油はもう一つ用意した茶碗に自分の分をよそい、残りを重箱ごと理子へと渡した。それを受け取った理子はパアア! と顔を輝かせ、運動部男子の如き勢いでうな重を掻き込んでいく。

 

「旨い、旨い!! 肉もじゃが、このタレもまた旨い!! これだけで米が進む、進むぞぉ!! なんじゃ、このタレは!? 普通の調味料だけじゃここまでの味わいは出せんはず……はっ!? まさかこれが虹龍の……!!」

「そう、旨味さ。そのタレには虹龍の旨味が溶け込んでいる」

 

 炙った骨から煮だした旨味。

 その複雑な味わいは、おおよそ世間で流通しているどの出汁にも当てはまらないもの。上品ながらもくっきりとした味の輪郭があり、それでいて後味は爽やか。しかし淡泊過ぎもせず、口の中に深みを思い出させる余韻を残していく。

 

「理子ちゃんも分かるようになってきたかい? 呪霊の旨味が」

 

 これが、呪霊の旨味。

 正の命が生み出すことのできない、味の深淵。

 

「これが……」

「ふふっ。そんな呪霊料理入門者の理子ちゃんに贈り物があるんだ」

「贈り物?」

 小首を傾げる理子に差し出されたのは急須。

 

「茶か?」

「ある意味茶と言ってもいいけれど……中に入ってるのはね、出汁だよ」

 

 急須の蓋を開ければ、本来茶葉を入れてあるであろう茶こしの部分には鰹節が泳いでいた。中に満ちている液体は、鰹節からにじみ出た旨味と香りで黄金色に染まっている。

 

 思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

 それはほとんど反射的だった。意識せずとも唾液を飲み込んだ理子は、自分がこれから何を食すかを想像し、期待を膨らませているかを自覚した。

 しかし、期待では腹は膨れない。実物を食さなければ満たされぬままだ。

 ここまでお膳立てされれば彼女も何をすればいいかは分かっている。

 

「これを掛けるんだ」

 

 理子が言い出すよりも前に夏油が告げる。

 

「出汁茶漬け……折角ならとことん味わい尽くそうじゃないか?」

「夏油……!!」

 

 残り少ないうな重を茶碗に移し、そこへ黄金色の液体を注ぎ込む。

 ほんの少し冷めてきた料理へ、また新たに熱が注がれたのだ。それはまた一つ違う味わいと共に器に満ち、白い湯気を茶碗から立ち上らせる。

 

「さあ、おあがり」

「いただきます!!」

 

 もう躊躇はなかった。

 理子は茶碗に口をつけ、啜るように出汁茶漬けを掻き込む。次の瞬間、押し寄せる旨味の波に彼女は目を剥いた。

 

(こ、これは……!? 鰹節の優しい出汁が濃厚なタレに溶け込んでいく!! じゃが、味が薄くなるわけじゃない。むしろタレが出汁に溶け込んだことで、米と肉の旨味が際立っていくじゃと!?)

 

 口いっぱいに出汁茶漬けを掻き込んでは、出汁と米と肉を噛み締める。

 

(そして今度は米と肉の旨味が出汁に溶け込む!! うな重の方ばかりを引き立たせたかと思えば、最後は自分が主役になるじゃと!?)

 

「旨い、旨過ぎるぅ~~~!!」

 

 そこから茶碗の中身が消えるのに数分と掛からなかった。

 米粒一つ残さず胃袋の中へ収めた理子は、満足そうに息を吐けば合掌する。

 

「ごちそうさまでした!!」

「どうもお粗末様でした」

「いやぁ~、それにしても旨かった!! 夏油、オマエはいつもこんな旨い物を食ってるんじゃのう」

 

 少し遅れて完食した夏油は茶碗を置き『いや』と答える。

 

「流石にいつもこうじゃないさ。今回みたいにうまくいくこともあれば失敗することだってある」

 

 今回の任務もそうだ。

 結局襲撃者を倒したのは五条。

 自分はその襲撃者に倒され、理子も一度は凶弾に倒れた。護衛任務としては失敗も失敗。大失敗だ。

 

「そうかぁ? オマエの腕じゃったらなんでも美味しく調理できそうじゃが」

 

 だがそこへ、理子の屈託のない称賛が送られる。

 これには夏油は笑みを禁じ得ず、破顔する。

 

「そうだね……これからずっとそうだといい」

「そうじゃそうじゃ! オマエは強い呪霊を美味しくいただく! そして強くなれる! そうすれば一石二鳥じゃ! 五条にだって負けはせん!」

「理子ちゃんはそう思うかい?」

「当然じゃ! アイツは呪霊を食えんからの!」

 

 今度こそ夏油は噴き出した。

 

 たしかに五条は呪霊を食えない。当然だ。五条にもできることがあればできないこともある。

 

(私も頑張れば、いつかお前に追いつけるかな……悟)

 

 今はまだ最強は一人だが、時間を掛ければ再び成れるであろうか?

 

 

 

───『最強の二人』でなく、『最強』の二人に。

 

 

 

「……その為にはもっと強い呪霊を取り込まなくちゃね」

「お? その時はまた調理するのか? その時は妾も呼んでくれ!」

「呪霊料理は二度と食べないんじゃなかったのかい?」

「あれは、そのぅ……なんというか……」

「あんまり黒井さんに心配かけちゃダメだよ。どうせお腹壊すんだから」

「う、それを言われると……」

 

 理子はそっぽを向き、目を泳がせる。

 反転術式で腹痛を治せるとはいえ、結局一度はお腹を壊すのだ。おいしいからと食べて体調不良になるなんて、美味故に毒キノコを食す愚行に等しい。そうでなければバラムツを食したかの如く、下から色々と垂れ流しになってしまうだろう。それはうら若き乙女にとっては地獄に等しい。

 

「最初は少量からだよ、理子ちゃん」

「わ、分かっておる……って、別に自分で作って食べるとは言ってないもん! 食べるとしてもオマエが作った奴しか───ゔッ!!?」

 

───ゴキュグルルルル、ゴル、ググッ、ピー。

 

 突如鳴り響いた腹の音。

 次の瞬間、顔面を蒼白に染め上げた理子がお腹を抱えて蹲る。

 

「げ、夏油……トイレは、どこじゃ……!?」

「部屋出て右の突き当りだけど……」

「助かるッ───うぐぅっ!?」

 

 鬼気迫る表情で扉を蹴り破っていった理子。

 あの一瞬にして尋常でない脂汗を掻いていたところを見るに、相当の痛みが腹を襲ったことは想像に難くない。

 

「……やっぱり食べさせない方が良かったかな」

 

 それで夜蛾先生に怒られたし、と。

 

 

 

 

 

『て、天元様に同化させる星漿体に呪霊を食べさせた、だと……? 傑、お前は───馬鹿かァ!!』

 

 

 

 

 

 いつもの拳骨から、その時ばかりは黒い火花が散ったのを夏油は覚えている。

 あれは本当に死にかけた。それこそ襲撃者に胸を切り裂かれたのと同じぐらい。

 

「……ま、結果的に理子ちゃんの同化が白紙になったしいっか」

 

 今となってはいい思い出だ。

 呑気に夏油は茶を啜るのだった。

 

 

 

「く、黒井ぃ……正○丸持ってきてぇ……早くぅ~……!!」

「理子様!? か、かしこまりました!!」

「お、おねがぃ……一秒でも、はやくっ……! この世の、この世の終わりが見える……!?」

「お気を確かに!! 今しばらくの辛抱を!!」

「うぅ~……も、もう二度と呪霊は食わんぞ……絶対……絶対じゃあぁああぁあ~……!! うぐぅお!? ……あ、お父さんとお母さんが手振ってる……今私もそっちに……」

「り、理子様!? 理子様!! そっちに行ってはいけません!! 理子様ァーーー!!!」

 

 

 

 一人個室で半泣きの理子は誓った。

 やっぱり夏油(アイツ)ぶん殴る、と。

 





天元「(呪霊食べた星脳漿との同化は)いやぁー、きついでしょ」
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