愛が欲しい一番星と愛を知りたい転生者 作:だんご大家族
唐突だが『トリコ』の世界にはノッキングという技術が存在する。
細い針状の棒など多様に存在する道具を使うことで、生物の小脳にある運動を司る神経組織に刺激を与えて一時的に麻痺状態にすることだ。現実にも主に魚類を漁獲した後や捌く前に行う処理方法で、活〆や〆るという言い方で技術は存在している。
序盤に登場し終盤まで出番があった技術ではあるが、終盤になるにつれてノッキング方法や効果のスケールが大きくなり、最終的に自分が受けたダメージを麻痺させて止めたり、地球の自転を一瞬だけだが止めたり、吐息でノッキングしたりと、もはやなんでもありなインフレを起こしていた。終盤途中で退場していなければ『もう全部あいつ一人でいいんじゃないか』と言われても仕方のない人物であり、ノッキング技術だった。
いや、よく考えたら序盤からおかしかったわ。何でノッキングで体がデカくなるんだ。力を込めた腕が一回りも膨れるならパンプアップでもわからんでもないが、下半身はそのままで上半身だけデカくなるって怖いわ。あと、フグ鯨をノッキングする時もそうだ。指でやるのはいいがどうして指先が細くなるんだよ。初めて読んだ時も驚きや興奮よりも何で? と疑問を覚えたわ。
まあ、あれやこれやぐだぐだと並べていたが、詰まるところ何が言いたいのかというと、
「ノッキングってやっぱ
「 」
「なあ?」
ノッキングは公式チート技術ってことだ。
同意を目の前の男に促すが、相変わらず男が何を言っているのか、そもそも喋っているのかすらわからない。たださっきまで俺に向けていた怒りは完全に消えて、涙や鼻水でべちゃべちゃになっている顔に浮かんでいるのは恐怖の感情だけ。視線が合っただけで震える始末だ。だから何だ?
「そんなに怯えるなよ。さっきまであんなに怒鳴り散らしてただろ?」
「 ! 、 ……」
な、と聞くが、ブンブンと首を横に振られ何かを叫ぶ。
おっかしいな、何が男をここまで怯えさせているんだろうか。あっと、アンタも動くな動くな。……少し振り返ってみるか。
アイの無事――あれを無事なんて正直言いたくないが――を確認した後、俺に罵声を浴びせ金属バッドを振り下ろした男の一撃を
『二連
直観に従って
前々から思ってたんだよ、釘パンチの奥まで浸透する打撃と神経を麻痺させるノッキングって相性良いんじゃないかって。初期設定は先に挙げたように小脳の神経組織に打ち込むとか言ってるけど、覚えている限り普通に肉体殴ってノッキングしてる描写もあったし。失敗しなくてよかったよかった――失敗してもよかったが。
声は聞こえないが慌てふためている姿を見れば、何を言っているのかはだいたい想像がつく。だから何だ? って話なんだが。
そこからは大したことはしていない。ただ少しの力で釘パンチを打ち込んだだけ。二連、三連と一発ごとに増やしてはいるが。今出せる限界の五連まで打ち込んだらもう一度二連からやり直す。
打ち込まれた側からすれば、殴った後に同じ衝撃が自分の体の内側から発生するんだ。加えて少しでも動けるような仕草を見せれば即座にノッキングで体の自由を奪われ動けなくなる。自分の身に起きている理解の範疇を越えた現象に男は段々と表情を変えていき、最終的に今、目の前で見えている汚い顔になっていった。
……うん、首を傾げたら駄目だな。原因は俺にあるわ。
ただまあ──だから何だ?
「アイの服を引き千切ったんだろ? 腫れるぐらい殴ったんだろ? アイが涙の跡を残すぐらい泣かせたんだろ? 好き放題したんだろ?」
喋りながら直観が反応したデジカメを手に取り保存された写真を眺める。下着や肌が露出して、空虚な表情で涙を流すアイを写したデジカメを、
「じゃあ──俺が好き放題やってもいいわけだよなあッ!!」
ぐしゃりと男の眼前で握り潰す。怯えた表情が更に深くなり男の顔は真っ青を通り越して真っ白になりかけていた。
デジカメに非はないが撮った以上存在することを許さない。その場に捨てたかったがデータが修復されて誰か人の目に付く可能性が捨てきれないのでポケットに仕舞い込む。後日改めて完膚なきまでに粉々に砕いて処分する。
さて、好き放題すると言ったが、どうしてやろうか。正直なところ、釘パンチのループだけで手を出す気はなくなった。そんな事よりもこんな汚い場所にこれ以上アイを滞在させておくほうが問題だ。さっさとアイを連れて帰りたい。
少し考えて──いや、やっぱ、もう一撃くらいいいよな? ……なァ?
「ふぅうう──十連
直観に任せて無理矢理十連まで増やした最後の一撃を男に叩き込む。ビギリと腕から嫌な音が聞こえ、聞こえないがたぶんそれ以上の叫喚と吐瀉物をゴミの山に撒き散らしてゴミ袋の中にめり込む男。ピクピクして動かなくなった男だが直観が生きていると判断したので、もうアイを害する心配がなくなった。よし、と呟いて、逃げないようにするだけで放置していたもう一人……アイの母親の前に立つ。
「な、なによ! なんなのよアンタはぁっ!?」
部屋の隅に身を寄せて必死に俺から距離を取ろうとし震えながら虚勢を張る母親を見下ろし俺はただ一言返した。
「家族だ」
「か、かぞく? 家族!? あの子の家族は私だけよっ!!」
「アンタは数年前に親権喪失の手続きを
俺とアイが壱護さんに引き取られる際、本当であれば二人とも後見人として引き取るつもりだったと、以前壱護さんが酔った勢いで漏らしたことがあった。師匠と何を話したかまでは聞けなかったが、司法が関わってくる面倒ごとは研修を除き、ほとんどを肩代わりされたこと、行方の分からなかった星野あゆみから親権喪失の同意書を金の力でもぎ取ってきたことで壱護さんも折れて、アイと養子縁組を結んだらしい。
加えてアイの養子縁組は通常のものではなく特別養子縁組と呼ばれる、養子と実親との法的な親子関係を解消させ、養子と養親が実親子と同様の関係を構築できる制度だ。ただ、本来は6歳未満の子どもが対象のはずなのだが、師匠は当時12、3歳のアイが特例扱いで制度を適用できるようにしてきたようで、その時だけは少し恐ろしかったな、とは壱護さん談。ちなみにそれが元でミヤコさんと籍を入れたらしい。
「そんな気持ちもアンタが今日ここで踏みにじったみたいだが」
部屋に転がるアイの財布と中身が散乱するコスメポーチを視界の端に収め、母親と同じ視線の高さまでしゃがむ。
「あ、アンタ……!」
俺と視線を合わせた母親は何かを見つけたのか、怯えながら震える指を突き立てる。
「そ、その目……」
「……目?」
「あの子と同じ、その目……! ッ、見るな! 見ないでちょうだいっ! あの子と同じその目でアタシを見るなァッ!!」
訳の分からないことを叫び、母親は頭を抱えてその場で蹲る。
あの子……アイと同じ目? 何言ってんだ? 俺の目がアイのような綺麗な目をしてるわけないだろ。首を傾げながら俺は立ち上がりアイの元へ戻った。本当は罵詈雑言でも言ってやりたかったが、たぶんこれ以上何を言っても届かない気がした。
「……アイ。そろそろ帰ろう」
「……」
「それとも、母親に何か言いたいか?」
アイは少し悩んだ後、ふるふると首を横に振った。アイの意思を確認し、金を抜き取られた財布を拾い身分証が入っていることを見てアイに持たせて横抱き……お姫様抱っこでアイを抱きかかえる。コスメポーチと鞄はまた買い直せばいい。
ブツブツと呟く母親の横を通り過ぎ玄関から部屋を、
「……待って」
出る直前、アイが止めた。
「やっぱり……お母さんと話がしたい」
「……大丈夫か?」
「平気、じゃないかも。でも……今話さないと、きっと後悔するから」
「……わかった」
踵を返し部屋に戻る。母親の手が届かない距離にアイを下ろす。
アイは財布と握り締めていたピアスを俺に渡し、一歩だけ前に進んで膝をついた。
「……お母さん」
「……」
「お母さん」
「…………………………なによ」
何も返さない母親にアイは何度も声をかけ、長い沈黙の後ようやく返事が返ってきた。
「少しだけ話がしたいの」
「アンタと話す事なんかないわ」
「どうして? 私のこと……嫌いだから?」
「だから……」
「……愛してないの?」
「ッ、ええそうよ! アンタなんか愛してるわけないじゃない!」
我慢の限界だったのか、母親は顔を上げ叫び散らす。
「アタシから何もかも奪っていった奴なんか!」
「私がお母さんから奪った……?」
「アタシの自由を! 時間を! 幸せを! あの時好きだった男の意識でさえ──アンタは全部奪っていく!!」
「っ……」
「アンタが生まれてからアタシは不幸だらけよ! 返しなさいよ、アタシが取りこぼした全部!」
「……」
「愛せるわけないじゃない……。アンタなんか」
消え入りそうな呟きを最後に母親は口を閉ざした。
アイは母親の言葉に何も返さず、沈黙する。
勝手な、と思い声を発する──
「でも……でもね? 私はお母さんのこと、嫌いじゃないよ」
その前にアイが呟いた。
「叩かれるのは嫌だった。怒られるのも怖かった。捨てられて独りになった時は胸が冷たかった」
「でも、嫌いにはなれなかった」
「なんでだろうってずっと不思議だった。けど、お母さんに再会して、昔みたいに傷つけられて、やっと思い出せた」
「憶えてる? ちっちゃい頃、一度だけお母さんが私の誕生日にケーキを作ってくれたよね?」
「スポンジケーキにイチゴを挟んで生クリームを塗っただけのショートケーキ」
「生まれて初めてお母さんが作ってくれたケーキはとっても美味しかった」
「何より私を見てくれたお母さんの笑顔が優しかった」
「叩かれても、怒られても……きっと、また優しい笑顔を見せてくれるって思ってた」
「だから私は叩かれても、怒られても……平気だったんだって」
何かの漫画で、どんなに贅を凝らした料理でも思い出に残った料理には敵わない、なんて描写があったのを不意に思い出しながら、後ろで聞いていた俺は思い出を話すアイを羨ましいと思ってしまった。
だって俺には思い出の料理なんて何一つないのだから。
アイの話が終わるまで黙っていた母親だったが、
「……だから何?」
そう、短く切って捨てた。
「そんな昔のことなんてとっくに忘れたわよ」
「……そっか」
「それに今はもっと良い物を食べてるんでしょ」
「……うん。ハルカが……後ろの彼が美味しい物いっぱい作ってくれてる」
「あっそう」
そこで会話は途切れる。
互いに何も言わずまた無言が続き、それを俺がアイの肩に手を置いて終わらせた。アイは肩に置いた手にそっと触れるともう一度母親に視線を向けた。
「お母さん」
「……」
「私、行くね」
「……勝手にどこにでも行きなさいよ。もうアンタはアタシの子じゃないんだから」
「……うん」
立ち上がろうとするアイに、ピアスと財布を渡しカーテンを被せて顔を隠し抱きかかえる。
「お母さん」
「っ、いい加減に──」
「私を産んでくれてありがとう──愛してる」
「っ……!」
その言葉を最後に俺は部屋を出た。背後から待って、と聞こえた気がしたが、聞こえないフリをして俺は手すりから屋根へと上り、屋根から屋根へと駆け抜けていく。部屋に突撃した時は夕日が眩しかったが今は陽が沈み屋根の上は街灯も届かないので屋根を走っている所を見られる可能性は少ないだろう。
それよりも、だ。
「あはは、すごいすごい! 漫画みたい!」
「──アイ」
「なーに?」
「もう、我慢しなくていい」
「我慢なんかしてないよ?」
「アイ」
「……」
「……」
「……本当に、我慢……」
嘘ではしゃいでいた姿を演じていたのはわかってた。仮面を外したアイは胸元を掴んで小さく呟く。
「……嘘。我慢してる。すっごいしてる」
「だろうな」
「なんでわかったの?」
「今ばかりは何も隠せてない。ミネたちどころか壱護さんにもすぐにバレるくらいに」
「そっか」
「それに……」
「それに?」
「愛してるって言ったからな」
それが決定打だった、と言い終わる前に胸元を掴んでいる手の力が強くなった。
「……言いたくなかった」
「そうか」
「ホントの言葉で、本物の愛を言いたかった……」
「……」
「っ、ひぐっ……言いたかったなぁ……!」
「アイ……」
「私は、ぐすっ……どうして……ぅう、ぅぁああ……ッ!」
顔を俺の服に埋めて、アイはしゃくり上げながら声を上げて泣いた。かつて、捨てられたと聞いてしまい飛び出したあの日のように。
俺は慰めの言葉を何も掛けてやれず、ただただ走る速度を上げた。
胸の内で、出していた答えにもう一度向き合いながら──