愛が欲しい一番星と愛を知りたい転生者 作:だんご大家族
数年前。私――星野アイが彼に初めて会ったのは、お母さんがお店の物を盗んで捕まったあと施設に入って自己紹介した時だった。
「名桐悠だ」
一番最後に挨拶した彼が言ったのはたったそれだけ。
他の子は名前だけじゃなくて「よろしくね」とか「まーちゃんって呼んで」とか、色々言ってきたり、怖がったり恥ずかしがったりしていたのに、彼はお星さまの見えない真っ暗な夜空みたいな目で私をジッと見つめているだけ。名前は他の子と同じで覚えられなかったけど、彼のことは少しだけ気になった。
気になる相手、それが他の人より一歩抜き出た相手になったのはすぐ後の夜ご飯の時だった。
私が施設に入った日の夜ご飯は彼が作ったものだった。なんでも毎日、三食の中で必ず一食だけ皆のご飯を作っているらしい。
メニューはハンバーグにオムレツ、サラダとスープ。それとパン。
もっと小さい頃に、まだお母さんに叩かれることのなかった頃にしか食べたことがなかった料理。それが目の前に置かれていた。
いつも食べるのはお母さんが食べた残り物で、どれも冷たいものだった。それに最近はご飯に入ったガラスを食べてしまい怪我をして、食事が少し怖くなっていた。
なのに、私は気付けばハンバーグを頬張っていた。
すごく、すっごく美味しかった。
ハンバーグは柔らかくて嚙むたびに熱いけど美味しい肉汁が溢れてくる。
オムレツはふわふわトロトロで、少し甘い。
スープはずっと飲んでいたいし、サラダはシャキシャキでずっと噛んでる音を聞いていたかった。
どれもこれも味わったことのない初めての料理だった。
夢中で食べていると、不意に誰かが私の頭を撫でていた。
見上げると、彼だった。特に何も言わなかったから、私はまた食べるのに集中する。彼は食べ終わるまでずっとそうしていた。
変な人と思った。でも気付いていた。彼が小さく微笑んでいたことを。
ただ、それから彼は私に積極的に関わろうとしなかった。私も自分から声を掛けようとはしなかった。どうせすぐにお母さんが迎えに来て、彼とはお別れすると思っていたから。だからいつも通り嘘をついて過ごす。
だけど――
だけど、お母さんは私を迎えには来てくれなかった。
一週間が過ぎて、二週間が過ぎて、一ヶ月が過ぎても、ずっとお母さんは迎えには来てくれなかった。
どうして? どうして? どうして?
それから少し経ったある日、私は休憩している職員さんたちの話をたまたま聞いてしまった。
「アイちゃんのお母さん、どうしたのかしら?」
「出所したのは警察の方から連絡はあったのよね」
「ええ。でももらった住所の連絡先はもちろん、携帯電話にも掛けたのに通じなかったんです」
「警察に連絡は?」
「もちろんしました。けど家はもぬけの空だったという連絡だけでした。それ以降は何も……」
「……そう。可哀そうだけど、あの子――」
職員さんの言葉に、私はその場から逃げ出した。
職員さんから、部屋から、施設から。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ! 嘘だ!!
私も嘘つきだけど、職員さんはもっと噓つきだ。お母さんが私を置いてどこかへ行くはずない。だって、お母さんは私を愛してくれているんだ。私もお母さんを愛してる。だから絶対、迎えに来てくれるんだ。
走りながら必死に、私は自分に言い聞かせた。だけど、どんなに叫んでも私の耳にはガラスを引っ搔いた嫌な音が耳に残るように、職員さんの言葉が繰り返し聞こえてくる。
――あの子、捨てられたんでしょうね。
★★★★
滅茶苦茶に走り回ってる間のことを、私は覚えていない。とにかく施設から離れたくて、もしくはお母さんが帰っているかもしれない家に戻りたかったのかもしれない。でも、元の家がどこにあるかなんてわからない私が走り続けて、最終的に立ち止まったのは誰もいない、名前もわからない公園だった。
胸がすごく苦しくて私はその場に崩れ座り込んだ。大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返す。汗がポタポタと流れ落ちるのを見て休憩していると、周りの地面にもポツポツと水が落ちてきた。誰かいるのかと顔を上げたけど、
「……雨」
ただの雨だった。そういえば職員さんが今日は夕方ぐらいから雨だって言っていた気がした。
動かないと、と思ったけど体は動いてくれなかった。屋根のあるベンチが公園の中にあるのに、その少しさえ歩けそうになかった。
そうこうしている内に雨は強くなって私の体にどんどん落ちてくる。でも私は一歩も動けなかった。動きたくなかった。
今ならハッキリとできるかもしれない。私は口を開いた。
「私は、お母さんに……、す、捨てられた」
雨音がうるさいのに、自分の言葉はしっかりと聞き取れた。胸にもストンと落ちて、ナニかが冷めた気がした。
「私は、お母さんに……愛されて……いたのかなぁ」
冷めると同時に何もかもどうでもよくなっていった。
いつもは言わないこともするするでてきた。
嫌だなぁ、すごく嫌だ。
捨てられるのが嫌だ。
愛されなくなるのが嫌だ。
なにより――
「独りは……嫌だよぉ」
「そうか」
私の独り言に誰かが答えた。グイっとお腹から上に持ち上げられる。
「…………え?」
「話は後で聞く。今は大人しくしろ」
「……ねぎり、くん?」
「名桐だ」
見上げると、彼が私を片腕で持ち上げていた。そのまま屋根のあるベンチまで連れて行く。ベンチに私を下ろすと差していた傘を立て掛けて背負っていたリュックからタオルを取り出し、少し乱暴に私の頭や顔を拭いてきた。
「わっ、むぐ」
「我慢しろ」
拭き終わると、さっきより大きいタオルを取り出して私に羽織らせる。
「流石に外で着替えさせる歳でもないからな。帰るまではそれ羽織って我慢してくれ」
「う、うん……」
「これは温めた雲苺ミルク。加熱しただけで冷ます時間がなかったから熱い。気を付けて飲むんだぞ」
隣に座り、今度は水筒を出してコップに注いで渡してくれる。聞いたことのない飲み物だったけど私は言われるままフゥフゥ冷ましてホットミルクを飲んだ。
瞬間、衝撃が走る。私の中でイチゴの被り物を頭に付けた牛が走っていく、そんなイメージが浮かんだ。
イチゴ味のミルクは優しい甘さでイチゴを直接食べているみたい。飲んだ後に牛乳の濃厚な味が口の中に残らなくてあっさりしている。それがまた飲みたい欲求を増す。
私は思わず一息にホットミルクを飲み干す。喉からお腹に伝わる熱い感覚。けれど優しくて、あったかくて、それから、
「……美味しい」
「そうか」
「美味しい、よぉ……ぐすっ」
「あと三杯くらいは入ってるはずだ。飲むか?」
「ひくっ、……んく、飲むぅ」
お代わりしたホットミルクを飲みながら、私は胸の奥が熱くなって、目と鼻も熱くなっていき、とうとう我慢できなくなって泣いた。
お母さんの前で泣けば叩かれるから泣くことはなくなったけど、今だけは我慢できずボロボロと涙が溢れだした。涙が止まらなくて、気づけばいつも言えなかった気持ちを大声で叫んでいた。
彼は静かに私の頭を撫でてくる。初めての夜ご飯の時と同じように。
「待ってた! ずっと待ってた!」
「だろうな」
「なんで迎えに来てくれないの!? 愛してるって言ってたのに!」
「なんでだろうな」
「どうして愛してくれないの!? 愛されたい! 愛してほしいよぉ!!」
「俺は知りたいな、愛」
「なんでめざし君はこんなに冷たいのぉ!? ミルクはこんなにあったかいのにぃ!!」
「ごめんな。あと名桐な」
「おがわりぃっ!」
「はいはい。これで最後だ」
「もっどおがわりするぅっ!」
「代わりにレモモンを使ったホットレモネードを飲みな」
「飲むぅ……酸っぱいレモン味と甘い桃味があったかくて美味しいよぉっ!!」
優しい言葉は言ってくれなかったけど彼は私の泣き言を全部聞いてくれた。最後の方は何言ってるのか私自身でもわからなかったけど、好きなだけぶちまけたら胸の中で冷たくなったナニかはいつの間にかあったかくなっていた。
あとレモネードも美味しかった。
★★☆☆
差し出してくれた飲み物を飲み切り、私が泣き止んだ頃、雨もやんでいた。彼はリュックを胸に背負い私をおんぶして公園を出た。
どうして迎えにこれたのか聞いたら、施設を飛び出すのが見えて追いかけてきたらしい。ミルクやレモネードを準備して遅れたから、見つけるのに手間取ったみたいだけど。
見つからなかったらどうしたの、と聞くと、見つけるまで探してた、と返された。
嬉しくて、首に回した腕に力が入った。
ゆらゆらと揺れながら、私は彼にもう一つ聞いた。
「ねえなざし君」
「名桐な」
「さっき言った、愛を知りたいって、何?」
「言葉通りの意味だ」
彼は隠すことなく、本当に何一つ隠すことなく答えてくれた。
前世の記憶があること。前世では私と同じ――後で詳しく聞いたら、私がお母さんにされたよりも酷かった――扱いだったこと。生まれかわったら、赤ちゃんの時に今の彼を生んだお母さんに捨てられたこと。それからずっと愛がわからなくて知りたいことを。
「愛っていう意味自体はわかるんだけどな。理解できないんだ」
「意味はわかるの?」
「友愛、家族愛、情愛……種類はあれど、愛ってのは見返りを求めない感情らしい」
「見返り?」
「愛してあげたんだから君も私になにか返してよ、お金とか」
「その愛はなんか嫌……」
「だろうな。曰く、愛は一方通行。とにかく与えるだけってのが愛、らしい。だが自分はそれがわからない。これが愛なんだって自分の中で理解できない」
だから知りたいんだ、と彼は言った。
そこまで聞いて、私は彼のことが少しわかった気がした。
施設で暮らしている間、私から見て、彼はいつも施設の子たちや職員さんに対して、ほぼ同じ態度で接していた。例えるなら、定規で真っ直ぐに引いた線に誰もが立っている。そこに一番も二番もない、誰もが彼にとって一番でありドベチンなんだ。
私もそうだ。誰からも愛されたいと思われるように嘘をついている。やり方は違うけど、きっと最初は同じなんだ。
「なんだか似てるね、私たち」
「そうか? 自分は嘘はつかないが」
「……気付いていたの?」
「気付いたというか、前世はお前さんほどじゃないが、我慢するため、誤魔化すために嘘をついていたからな。なんとなく嘘ついてるなとは感じていた」
「前世だけどやっぱり似てるじゃん!」
「そうか? そうなのか……まあ、君の嘘よりはバレやすいものだったが」
彼はそう言うと少しの間静かになった。
私も黙って背中で揺られる。
ゆらゆら、ゆらゆら。
赤ちゃんがよく使ってる、ゆらゆら揺れるベッドってこんな感じなのかなぁ、なんてどうでもいいことをうつらうつらと考えていると、
「……そうだな」
彼は呟いた。
「これはあくまで提案だ。断ってくれてもいい」
「なーに?」
「愛が欲しい女の子と愛が知りたい転生者。試しに家族になって一緒に愛を探してみないか?」
「……? ……え?」
彼の言葉を少しだけ理解できなかった。ゆっくり頭の中で繰り返して、ようやく理解できた。理解して、心が震えた。
「正直、関係はなんでもいい、義
「……」
「嫌ならいつでもやめてもいいし、誰か愛したいって人を見つけたと思ったのなら協力もする」
「それは、でも、そんな嘘……」
「関係は嘘でも、その中で芽生えた愛は嘘ではないと思うがな、多分。めいびー」
「そこははっきりとしようよ。でも……でも、
「血が繋がった相手で駄目だったんだ。だったら他人で試しても悪くないだろう。そもそも親子の上下は繋がっていても夫婦の横は他人だしな」
「でも……えっと、えっと……」
反論、なにか反論したかった。嘘でもいい、とにかく何か言わなければ、と。
だけど、私は戸惑う声を上げるだけで、言葉を出すことができなかった。
「……言っただろ。断ってもいいって」
「あ……」
顔は見えないが、それでもどんな表情を浮かべているか想像できた。
「悪かったな、混乱させることを言って。今のは忘れ」
「ち、違う!」
なかったことにしようとする彼の言葉を遮って、私は叫んでしまった。
叫んで、叫んだあとは、声が震えないように小さな声で、
「……いいの?」
「こちらが提案した側だが?」
「嘘つきだから、ずっと見つからないかもしれないよ?」
「その時はその時だ」
「誰かに愛されたら、名桐君を捨てちゃうかもしれないよ?」
「少なくとも君が愛を見つけたのなら、自分は祝うだろうな」
その言葉が嘘だってことはすぐにわかった。
ああ、駄目だ。やっぱりこの人は私と似ている。
私は誰かを愛したい。誰かに愛されたい。心の底から愛してるって言ってみたい。
彼も誰かに愛されたかったんだ。誰かを愛してあげたかったんだ。
それにもう、私が限界だった。
お母さんに捨てられて、愛されていないって受け止めてすぐに言われたこの提案は、私にとってガラスが入った白米と同じものだった。
どこかで聞いた、ろしあんるーれっと。アタリを引くかハズレを引くか。
私は答えるために口を開いた。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「名前、もう一度教えて」
「名桐悠。名桐でも悠でも兄でも好きなように」
「家族は苗字で呼ばないでしょ。……私のことは名前で呼んで」
「わかった――アイ」
「――ハルカ」
「なんだ? アイ」
「愛してるって言って」
「……今の自分が言っても嘘にしかならないぞ」
「嘘でもいいから言って」
「……愛してるよ、アイ」
「私も」
いつかきっと。
私も言えるようになりたい。
家族としてなのか、友だちとしてなのか、あるいは男と女としてなのかはまだわからないけど。
「……あなたを、愛したい」
これは決して嘘じゃない、本当の気持ちだから。