爽やかな夏が静かに死んでいく、それが秋。
つがえた矢が痩せ細った獣を貫き、真新しい雪の上に赤色を溢した。
今にも雨が降りそうな暗い空のおかげで目を傷めずに済んだのが幸いし、狩りは手際よく進んでいく。
あの警戒心の薄さからして、おそらくどこかの村から逃げ出した個体なのだろう。
1人になった時点でお前の死は決まっていた様なものさ。お前の命、有効に使わせてもらうよ。
停泊中の
感染者が立ち上がって、手に入れた
去年の雪を覆い隠すように雪が降り始めたウルサスの荒野で獲物を見つけるのは大変だ。手に入れたところで血を抜いた野生の獣はより一層軽くなり、皮と骨しかないと言っても過言じゃない。それでもあるかないかじゃ大違い。
火を通せば誰もが喜ぶ肉となる。皮をなめせば武器や衣服の補強に使える。骨も尖らせれば鏃になるし、無駄になるところなんてそうそうない。
感染者なんかよりも、ずっとみんなが喜ぶんだよ。特にサルカズなんかよりずっと、ずっとさ。何分にも、何十分にも細かく切り分けられて、スープに入れられ誰かの腹を少しだけ満たす。有意義だね、まったく。
水とキャベツだけのシチーだって、木の根を齧ることに比べればずっとマシだけど。
「アンヌシカ? あぁ、おかえりアンヌシカ」
今にも折れてしまいそうな細い声がアタシを呼ぶ。振り返ると軋んだ白っぽい髪にぼろきれを纏った天使が、おぼつかない足取りでこちらに向かっていた。よく見れば破れた靴を直接素足で履いているじゃないか。
「ちょっと、寝てなって言ったでしょ!」
慌てて彼女の元へ駈け寄り、手のひらで額の熱を診る。冷えた指先がほぐれていくが、彼女にとっていい状態ではない。
すると天使はアタシの手を握って、額から無理やり手を外した。
「まず先に言うことがあるよね?」
人の心配をお構いなしに、彼女は不満そうに唇を曲げる。あぁ、もう! そんな顔するな!
「わかったわよ! わかったわよ! ただいま。これでいい?」
「よろしい」
彼女は、『イーゴリ』は、雲の切れ間から差し込む太陽の様な笑みを満足そうに浮かべた。
ウルサスにサルカズの居場所はないと思っていたけど、例外はあるらしい。
アタシが『イーゴリ』と出会ってから約半年が経った。
レユニオンの狙撃手兼狩人、それがアタシの役割。この街で起きた騒ぎの後にレユニオンに加わって、荒野で祈る彼女と出会った。
顔も覚えてない親が残してくれたのは、緑色の髪と鉱石病だけ。妹と2人で過酷な生活を何とか乗り越えてきた。
だけどその妹も2年前に殺された。運悪く監視隊の奴らに目をつけられて、あっさりとね。
あの子は好奇心旺盛で、よく笑って、アタシのことが大好きで、アタシも大好きだった。
きっとアタシはこの天使にあの子を重ねちまってんだろね。だから世話を焼かなきゃ気が済まない。
『イーゴリ』の小さい肩をアタシの外套で包んで、抱きかかえてやる。こうでもしないと、上衣なんて受け取るだけで着やしない。
あまりにも軽い。日を越すごとに破けた袋みたく中身が零れて無くなっていく。
きっと『イーゴリ』だなんてあからさまに男の名を使ってることと関係があるんだろう。
彼女とが今までどんな目に遭ってきたか、アタシは知らない。
それでもコイツを奇跡をもたらすレユニオンの『聖女』だなんて、死んでも呼んでやるものか。
「お帰りなさい!」
「……おかえり」
子供たちもアタシの帰りを待ち侘びていてくれた様だ。
が、
「イーノ、サーシャ、アタシがいない間は見てくれっていっただろ。なのに、なんでコイツがこんなところまで出歩いてるんだい?」
気まずそうに2人の視線が交わる。……ハァ、とって食いやしないって。
「二人を責めないで、私がこっそり抜け出しただけなの。二人に非は無いわ」
「アンタがおとなしく寝てればいいんだよ」
この人の目を盗んで動くことが天才的に上手い天使め。軍の元工作員じゃないのかって本気で疑いたくなるよ。アンタのおかげでサーシャの隠密スキルがべらぼうに高くなって訓練で勝て一泡吹かされるようになってきたんだぞ。只得さえ隠密アーツで姿を消せるってのに、存在感消されるとたまったもんじゃない。
「ったく、アリーナの負担増やす訳にはいかないんだからさ」
アリーナ、あの利発なエラフィアは、子供達に勉強を教えるだけでは無く、苦しくなっていく生活を改善させるために、農業や非感染者との交流などタルラとは違う方向で感染者のために活動を始めた。
『イーゴリ』の面倒を見ていたのはアリーナだったのだけど、今ではそんな余裕はない。だからアタシが見てるって訳。まぁアタシも増え続ける感染者のための食糧確保でさらに忙しくなってきたから、誰かに頼まなきゃいけないことも多いのだけれど。
ふと肌に何かが当たる感触を感じて視線を向けると、彼女がアタシの首に手を伸ばしていた。優しく、まるで壊れることを恐れるかのように。そっと指先で皮膚に浮き出た源石を撫でる。
「だ、ダメだって! 先生もヨハンも使っちゃダメだって……!」
青ざめたイーノが慌てて彼女を止めようと声をあげる。医療部の人間としちゃ黙ってられないからね。
「『奇跡』なんか使うな」
アタシは彼女の手を掴んで、上着の中に押し込んでやる。
感染者から痛みを取り除き、代わりに温かさで包む『奇跡』。それが『イーゴリ』が『聖女』と囃し立てられる要因だ。
医者もどき共はこれが彼女の衰弱の原因だということを突き止めた。
「命を削って他者を癒す」だ? これの一体どこが奇跡なんだい?
気難しい医者もどきのエリク曰く、「命の無駄遣い」だそうだ。アタシも同感だね。
アタシと同じくサルカズのヨハンがコイツの『奇跡』を再現して見せたけど、屑源石がいくらあっても足りやしない。(片言のヨハン曰く、「恩師のアーツの模造品」ってのは何言ってるのか意味が分からないけど)
これに人と触れ合うことが困難なぐらい症状の重いフロストノヴァや、誰よりも強いパトリオットの旦那とかが最優先にされて、結局アイツがほかの感染者を癒しに行っちまう。
ただえさえタルラが手あたり次第感染者を拾って来るってのに、一人ひとり相手にしてたら命が幾つあっても足りやしないよ。
だからこうやって布でくるんで、ベットに閉じ込めるのが一番。
アタシが間借りしてる小屋に到着するなり、弱々しい抵抗を続ける彼女をベッドに押し込んだ。
どれだけ嫌がろうとも、命を削ってまで他人を助けに行ったり、ぼろきれだけ着て荒野で一日中祈るなんて許せるもんか。
わざわざ自分から苦しい思いをしに行く必要なんてないんだよ。
ここは暖かいって程じゃないし、食べ物も凍土よかマシって程しかないけど、住まいもある場所が天災や監視隊を避けて存在し続けられる。
痛みで満ちた大地なんだ、少しぐらい楽になってもバチは当たらない。移動都市さまさまだね。
まあ、たくさんの人間の日常をぶっ壊して得たものなんだが。
度重なる逃亡に意見の対立を経て移動区画はこま切れになって、街はもう原形をとどめていない。
待遇をよくしろって訴えた労働者は、勤め先自体を失った。
活動家たちはたかだか集団の名称で言い争って自壊。
学生貴族共も劣悪な環境に耐えられず、多くが姿をくらませた。
感染者もこのままウルサスの手の届かないところに逃げてたい奴と、多くの感染者をまとめ上げウルサスに反撃しようと燃えるバカに分かれ始めてきた。
なんでもタルラが筆頭の過激派だとか、アリーナ中心の穏健派だとか、お互いが勝手に言い出してレユニオンの雰囲気は最悪。アタシはウルサス相手に自殺行為なんかしたくないから、穏健派かね。
何もかもばらばら。
一体あの騒ぎで何が得られたんだろうね?
アタシも街の騒ぎの際に何人もの監視隊の糞ったれどもを殺してやったけど、手に入れたのは矢を撃ちすぎてできた傷ぐらい。それ以外、何もない。
妹が復讐を望むはずなんかないし、あれはただの鬱憤ばらし。アタシがやりたいからやった、ただの殺し。あの糞ったれどもと、さほど変わらない。
でも後悔なんかしてないさ。だって感染者監視隊なんかいても居なくたって困る奴なんか居ないんだからね。
「なに、考えているの?」
「ん?」
色々思いふけっていると、彼女の黄色い瞳がアタシを覗き込む。優しいが、どこかすわった眼に恐ろしさを感じることがある。
非感染者、完全に被害者の彼女は一体アタシらレユニオンに対して何を思っているのだろうか。
「どうやったらアンタの脱走癖が治るか、考えてたのさ」
「あら、それに意味があるかどうか予言してみる?」
彼女はカラカラと力なく笑い声を漏らすが、咳へと変わってしまった。
「ほら見ろ、脱け出した罰が当たったんだよ」
咳一つで砕けでしまいそうな細い背中をそっと擦る。
彼女は笑顔を作るが、漠然とした不安が胸をかき乱す。これはただの病なんかじゃ無いことぐらい直感でもわかる。出会ってからまだ短いとはいえ、アタシはそこまで鈍感じゃ無い。彼女の命は尽きかけた蝋燭の様なもの。彼女は残り少ない命を他人を温めるためだけに使い切ろうとしているのか?
……馬鹿馬鹿しい。愚かにもほどがあるだろ。まったく、「命の無駄遣い」だ。
「予言ってので自分の未来をどうにかできないのかい?」
「さぁ? どうなのかしらね」
息を整えた彼女は、擦り切れたリボンで髪をまとめ直す。アタシの言葉に対して、あからさまに反応が薄い。
「試したこともないし、今更試すまでもない、みたいな顔しやがって。やってみろよ」
苛立ちを覚えたアタシが詰め寄ると、彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、多分無理だわ。予言としか言い表しようがないだけで、誰かの記憶のようなものを横から見てるだけなの」
「何だそりゃ? 記憶ってことは過去じゃないのか? 何でそれが未来になるんだよ」
「ごめんなさい……自分の見たいものを見たいときに見れたらよかったのにね」
誰に一体謝ってるんだか。
『イーゴリ』の不思議な力その2、超絶曖昧な予言。
「川が血で染まってる」という夢を見れば、誰かの死がやってくるなどと非常にアバウトだったり、やたら具体的に誰かの縁を結んだりと、まぁ直接彼女の役にたったことはない。
昔は神託とかいうやつもあったらしいが、今じゃ頭が痛くなって見えないだとかなんとか。頭痛で見えなくなるってなんだよそれ。サンクタって本当によくわかんない。
「だったらこれも未来のお前が見てる記憶ってやつなんじゃないかい?」
「そうね、死ぬ時に覚えてたら思ってみるわ」
まるで他人事のように軽々しく口にすると、そっと目を閉じる。どうやら眠ったようだ。
死ぬとか簡単に言うなよ。そう言い返したかった。でも喉に引っかかったまま飲み込むことしかできない。
『イーゴリ』が弱弱しく吐いた白い息が、靄のように辺りに広がった。彼女の体は震え、僅かな熱すら保てない。
ペチカにいくら火を焚べても、彼女自身が拒んでいるかのように一向に温まらない。
「イーゴリ……」
時折彼女が漏らす男の名前は、彼女が名乗る名前と同じ。
良くない夢を見ているのか、その表情は苦痛を訴えている。起こしてやりたい気持ちに駆られるが、夢と現実のどっちがマシかわかったもんじゃない。しぶしぶ軽くその手を握る程度にとどめておいた。
彼女は意識を失う頻度が増してきた。体の衰弱もあるだろうけど、それ以前に何か見えないところで大切なものが壊れてるんじゃないだろうか。
自分ものことも「僕」だの「私」だのまるで安定しない。
「お前は何者なんだい、『イーゴリ』」
アタシはようやく譫言がやんだ彼女が起きてしまわないよう、そっと小屋を出た。
◇◇◇
「生憎だけど、アイツは寝たところさ。『奇跡』以外の用事なら聞くよ」
小屋の外に出て、窓から視線をよこしていた男に声をかける。
ウルサス人特有の丸い耳に若者らしい張りのある頬が愛らしさを醸しているが、その眉間に刻まれた皺をごまかすことはできない。
確かレオニードという名だった気がする。アタシの大っ嫌いな感染者監視隊だったとかなんとか、直接話したことはないが存在ぐらいは知っている。
まぁ、アリーナの右腕みたいなもんだから、悪い奴じゃないだろう。
だがそんな男がなんの様なんだか。
「アンタよくアイツのこと見にくるけど、知り合い? 話す気はないのか
?」
若いウルサスはバツが悪そうに顔を背ける。
「……どんな顔して会えばいいんだよ」
苛立ちと怒りを滲ませた呟きが、新雪に落ちる。
「何も知らないくせに」
「知ってるから何もしないのか」
「っ!?」
レオニードは痛いところを突かれたのか、目を見開いて言葉を詰まらせる。
「何も知らなかったら、何もしちゃダメなのかい? 名前ぐらい呼んでやっても
「呼べるかよ!!」
どうやら男の気に障ったようで、アタシの言葉を拒絶するように怒声を飛ばした。その表情はデリカシーのないアタシに対する怒りと、何かに対する嫌悪感で歪んでいるように見えた。
怒りに染まった熊はそのまま勢いに任せて口を開こうとしたが、急に思いとどまる。
泳ぐ視線の先はアタシの背後、要するに『イーゴリ』の眠る小屋。
「顔見ていくかい?」
今にも泣きそうな男を不憫に思い、ドアに手をかける。だが、男は首を振るだけで何も言わない。
そのまま踵を返し、心ここに在らずといった調子で新雪を踏みつぶしていった。
大切な人の名を使い続けるのはなぜか。
そんなことどうでもいい。アタシはしたいようにする。
「死ぬとか簡単に言うなよ」
ぽつり、言えなかった言葉を零す。
すると、ぽつり、ぽつりと、頬に何かが当たる。
雪を踏み躙る様に、雨が降り始めた。
そろそろ終わります。