泉浜鎮守府航海日誌 飛べないハヤブサ   作:沖野潤一

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アナタノ声

一.

 

 夢を見ていたわ 望み高く生きて

 

「また、そのウ夕」

 皮肉な声にも、女は歌を止めなかった。そのままふわりと笑い掛けられて、逆に文句を付けたほうの女が顔を逸らす。

 

 愛が全てだと 神は許し給うと

 

 そこで、歌が止んだ。

 それを合図にしたかのように、女は海へと一歩を踏み出した。

 顔を逸らした女も、まるで準備運動のように伸びをして、そして海を奔り出す。歌っていた女を置き去りに、自分の力を誇示するように。

 戦艦棲姫。それが、人類から呼ばれる時の名。

「この後モ、あちこち行かなきゃいけないのでショ。早く始めてしまいましょウ」

 戦艦棲姫が呼び掛けると、歌っていた女はまるで、空の星を掴むかのように手を挙げた。水しぶきを上げて、台座のような黒い塊が女を海から持ち上げる。

 空母棲姫。それが、人類から呼ばれる時の名。

「さあテ」

 すぅ、と挙げた女の手の先で、炎が揺らめく。風に吹かれた長い髪、そして服がはためき、そうしてふたりと多くの異形が海を滑り出した。

 遥か先に目当てを見定めて、空母棲姫は笑う。

「忘れ物、取りにいかないト。……色々と、ネ」

 

二.

 

 泉浜鎮守府は、太平洋から内海に入った比較的平穏な地に存在する。

 この地域ではよくある、海に面した工業地帯と内陸にある市街地。張り出した埋立地には流通関連の倉庫などが並んでおり、平和を取り戻した海を利用した物流が復活して久しい。

 そんな街が、燃えていた。

 正確には市街地の手前、埋立地にあるコンビナートや物流倉庫が炎上している。時折響く砲撃音は、それがただの事故ではないことを教えている。

 泉浜鎮守府からは、徐々に砲火が市街地へ迫る様子が見えていた。当然、それを阻止するのが役目。とは言え、普段海で戦う彼らには陸上戦闘、しかも揚陸部隊を相手にした市街戦のノウハウなどない。

 唯一の希望は、最初に襲われた一角がただの廃倉庫街だったこと。人的な被害が出始めるとしたら、それはこの後の泉浜鎮守府による邀撃(ようげき)が失敗した時になるだろう。

『手順無視でいい! 全設備エマージェンシーで立ち上げろ!』

『ありあけづき、うたみづき、出港準備急げ!』

『艤装の弾薬補給急げ、予備も持たせろ!』

『どけッ、車両通るぞッ!』

 かつてない混乱の鎮守府を、真田と加賀は走っていた。目指すは執務室ではなく電算室。執務室でも情報は見られるが、直でデータを処理している場所の方が手っ取り早い。

 何より、地上にある執務室よりは地下にある電算室の方が安全だった。

「敵の数が不明って……センサーが潰されてるのか? 深海雲は観測されてないだろ」

『とにかく分からんのです。目視による確認では、少なくとも二、三艦隊分は目撃されてます』

「おおよその数と、せめて制空権の有無だけでいい、はっきりさせてくれ。空母の有無で艦娘の装備が左右されるんだ、格納庫に向かってる艦娘たちに伝わるよう、情報連携を密にしろ」

『了解! 観測員を向かわせます。市民への避難通知は』

「とっくにやってる。そっちは頼んだぞ」

 特海の隊員たちとのやり取りを終えた真田は、休む間もなく艦娘たちとの直接回線を開く。

「泉浜、全艦隊。こちら真田、全員ただちに戦闘配備。とにかく、出れる奴から迎撃に向かってくれ! 市街戦が予想される。単独行動するな、必ずペア以上で動け!」

 急ぎ隼鷹たち空母艦娘に偵察機を出すよう指示を飛ばしながら、ふたりは走る。

「埋立地から、市街地へ向けて北上していると見たほうがよいでしょうか」

「多分な……クソッ、こんな内海まで一気に侵入されるなんて、レーダー設備故障か? 他の鎮守府は何をやってる……!」

「落ち着いて下さい。住民のいる市街地まで侵攻されるには、まだ時間があるわ」

「分かってる! 分かってるさ!」

 珍しく焦った声の真田。無理もない、鎮守府どころか市街地を対象とした深海棲艦の揚陸作戦など、よほどの激戦地域でなければ起こりえないこと。それが外海からかなり離れた泉浜鎮守府のそばで現実となっているというのは、彼らにとって悪い冗談でしかなかった。

 しかも今回は奇襲、事前に敵を検知できないということは想定外。その上、センサー故障なのか敵の正確な情報も満足に手に入っていない。敵の数や艦種どころか目的や進行方向が分からないというのは襲撃の規模を掴む上でも致命的だった。

 加賀は電算室へと向かう角を曲がる直前、立ち止まった。

「加賀、どうした」

「執務室に行きます。提督は、電算室側から各種運営データの確保を。私は念の為に、機密保持対応をしてきます。紙の書類だけでも、処分をしてこないと」

「ああ……そうだな、向こうがこちらへ侵攻してこないとは限らない。頼む」

「執務室からも救援要請しておきます」

 加賀は走る廊下の窓から、他の艦娘たちが走って行くのを捉えた。陸に出撃する艦娘というのも妙な取り合わせだが、敵が海でなく陸に上がっているのであれば仕方のないことだった。

 目の前で起きている襲撃に、加賀はなるべく怒りを抑えて当たろうとした。何しろ、ケッコン当夜の食事会を台無しにされたのだ。どれほど取り返そうとしても取り返せない時間、加賀の哀しみは怒りと奇妙に同居していた。

(……敵の目的は何)

 深海棲艦たちの襲撃は、基本的に根拠地の確保や敵……人類側の拠点を潰す目的でしか行われない。海上船舶や航空機への襲撃は別だが、前線における陣地の確保以外で揚陸戦を行うことは、少なくともあまり例のないことだった。

()()を取ったとして、維持はできない。侵攻のための一時しのぎだとしても、意味が無さ過ぎる)

 加賀の考え通り、敵の目的が判然としない。ただの戦力消耗なのか、破れかぶれか、それすらも。

 だからこそ、泉浜鎮守府は混乱している。艦娘たちは慌てて迎撃に向かっているが、陸上では艦娘の能力は十分発揮できない。魚雷は何の役にも立たず、建物の林立する市街地においては航空機も自由に飛ぶことはできない。彼女たちに出来る役目は、せいぜい丈夫な砲台程度のものだ。

(制海権もなしに、ゲリラ的な襲撃。艦隊規模自体はそれなりのようだけれど、ほどなくして周辺からやってくる艦娘たちに対抗できるほどとは思えない。何より……)

 人類側の拠点である泉浜鎮守府を放置したまま、すぐ近くの市街地を襲う。奇襲が出来る状態にある敵が、真っ先に戦力であるこちらを叩かずにいることに、加賀は違和感を抱かずにいられなかった。

「――ッ!」

 目的地に辿り着いたその時、加賀は激しく胸を締め付けられる感覚に、思わず立ち止まった。

 まるで、体の奥底にある何かが這い出ようとしているような、おぞましい痛み。

 執務室へと駆け込んだ加賀は、机に縋り付きながらも端末の画面を叩く。データがスタンドアロンに保存されていない電子機器はともかく、部屋に残された書類だけは外部へ漏れないよう始末しなくてはいけない。まだそうなると決まったわけではないが、鎮守府が直接の襲撃を受けてから始めても対応が間に合わない可能性もある。

「っく、はぁッ……! ぅ……、これで……!」

 胸の内で脈動する謎の痛みは続いている。自分と戦いながら、加賀は書類を所定のコンテナに詰め、焼却されるように所定のコードを入れ終わった。数分後、コンテナが炎に包まれて全てが完了する。

 ずしりと機密書類を抱えたコンテナを、加賀は窓から投げ降ろした。

 ふと加賀は、しん、とした中心から執務室を眺めた。自分の荒い息づかとい、遠くから聞こえてくる砲撃、破裂音以外には何も聞こえない。

「――は、ぁッ……」

 歴史資料。

 艦艇の装備目録。

 過去の証言を記した戦記。

 海戦の教本集。

 それらを手に、真田や龍田と過ごした幾夜もの時間。

 立て付けのよくない入口のドア。

 榛名と共に作った食事を食べたテーブル。

 そして、ケッコン指輪を受け取った応接机。

 この執務室だけでも、加賀の抱えた思い出は山ほどある。

(……やすやすと、潰されて……なるものですか)

 艦娘として生まれ変わって数年。ひとのかたちを手に入れてから過ごした濃密な時間は、やはり誰にとってもかけがえのないもの。そして、時間そのものが自分たちのアイデンティティでもある。

 泉浜鎮守府の『加賀』は、ここにしかいない。ここにいる多くの仲間たちと、ここで過ごした時間と記憶こそが、いまの『加賀』を作っている。

 だから、ここを壊されるわけにはいかなかった――

「っ!」

 瞬間、加賀は咄嗟に部屋の窓を突き破って跳んだ。一瞬の殺気、それを捉えた瞬間に、加賀は窓際の小物ごと外へと躍り出る。何とか身を捻って地面へと降りた加賀。

 

 その直後、執務室は飛来した無数の砲撃により崩壊していた。

 

三.

 

「榛名! 比叡! 応答しろッ!」

 執務室が砲撃される直前。電算室から前線の指揮を執っていた真田を異変が襲う。

「深海雲でも出てるのか、通信妨害か?」

 突如、前線で戦う艦娘たちとの通信が途絶する。同時に、レーダーなど計器類の反応も消失した。

 横で戸惑う情報士官たちも、状況を掴み切れていない。

「ふ、不明です。どのチャンネルでも応答ありません! 通信途絶!」

「やっと隊形を組んで反撃し始めたってのに、これじゃまた押し返される……!」

 陸上での市街地戦術――付け焼き刃のそれを応用、艦娘たちに防衛線を張らせた直後のことだった。ようやく始まった反撃のさなか、泉浜の艦隊は孤立したことになる。

 遠くから聞こえる砲撃音から、戦闘自体は続いているらしいことが分かった。真田は取り出した防弾ジャケットを手に取り、マイクを通信士へと手渡す。

「回復を試みてくれ。オレは現地に行って直接指揮を執る」

「しかし真田提督、危険です! 通信回復まで待って下さい!」

「艦娘たちがやられる前に回復する保障があるのか! 比叡や榛名たちは指揮なしで、ほとんど経験のない地上戦をやってるんだぞ!」

「百も承知です! ですが、何の準備もなしに我々人間が行ったところで役に立てませんよ!」

 真田も特海の職員たちも、地上で行われる市街戦など経験したことはない。下手に人間が近寄っては戦いの邪魔になるが、しかし指揮はしなくてはいけない。艦娘たちも戦闘に関しては素人ではないが、全体を見通して動かす存在となるには戦闘に近すぎる。そして、全てにおいて予断を許さない状況。

 ふと、真田はある装備品のことを思いだした。

「広報用の車に、拡声器があったな。あれで叫ぶか」

「素っ裸よりはよほどいいでしょう。通信復旧は続けます。インカムは電源入れっぱなしにしておいて下さい、繋がったらお呼びしますから!」

「頼んだッ」

 広報車は少し離れた駐車場に停車している。キーは最悪直結してしまえばどうにでもなる。とにかく今は、慣れない地上戦をしている艦娘たちを助けることが何よりの優先事項だった。

「みんな、持ちこたえてくれ……!」

 地上への階段を駆け上がる真田。背後の喧騒を置き去りにして、真田は走る。

(……なんで、ここを最初に攻めなかった。攻撃目標はここじゃない……?)

 奇しくも真田は、加賀と同じ疑問を抱いた。激しく動く戦況に流されて見失っていたが、本来襲撃を受けるべきは泉浜鎮守府であり、市街地ではない。奇襲という手段を取るからには、その最初の一手は最も有効な場所に振り降ろされるべきだ。

(まさか、陽動か……だが、ウチ一か所の艦娘をおびき出したとして何になる。近くにも他の鎮守府が点在してるんだ、ここをターゲットにする意味はない)

 その時、真田の視界が建物ごと揺れた。

「な、んだッ」

 急ぐ青年の足を止めたのは、激しい揺れだった。破裂音と響く重低音が、建屋を揺らしている。

「まさか、こっちに攻めて……?」

 音は止むどころか続いている。真田は胸にこみ上げる予感を抑え付けるように息を呑んで、それから走り出した。天井から降り注ぐ破片、通路に舞う砂埃を掻き分けるようにして、真田は脚を動かす。

 階段を上るにつれて、イヤな予感はより強くなる。

 そうしてドアを開け放ち、地上へと出た真田が見たのは、鎮守府の鼻先で燃え上がる警備艇だった。

「ありあけづき……!」

 炎に照らされて、黒煙を上げている警備艇。くすんだ船体に書かれた番号だけが、辛うじてその船の正体を教えてくれている。艦橋部は崩壊し、船体は既に傾斜が始まっていた。

「少し前に出港したはずじゃないのか、どうして……!」

 その時真田は、少し先に人影を認めた。執務室へ向かった加賀だ。上空へ向けて弓を放つ加賀の後ろ姿に、真田は奇妙な安心を覚えた。

「加賀!」

 見れば周囲の建屋はほとんど崩壊し、炎と煙を上げている。電算室が地下でなければ自分が下敷きになっていたことは間違いない。

 パートナーの無事を一瞬でも喜んだ真田。そうして加賀に駆け寄った彼は、次の瞬間、信じられないものを見た。

「な……」

 周囲の海に不気味な光がたゆたっている。

「まさか」

 一部の深海棲艦たちは、組成の不明な謎の炎を纏う。蒼、赤、黄。通常の個体よりも強力なそれらの実力を、真田はいくつもの海で味わっている。

 そんな深海棲艦が、泉浜鎮守府の海を囲んでいた。

「街を襲ってるのとは別の部隊だっていうのか……!」

 不気味に砲撃を止めている敵の艦隊に、真田は戦慄した。これではまるで、()を待っていたようにも思える。

 息を呑んだ真田に差しのべられたのは、大切なパートナーからの声だった。

「提督」

 声に目線をやった真田は、捉えた加賀の瞳に吸い込まれそうになる。

「――!」

 真田は、彼女の目が好きだった。美しい鳶色の瞳、深い思慮を秘めた、加賀の瞳が。

 炎の照り返しで輝く瞳は、周囲の様子とは不釣り合いに、穏やかに真田を見つめている。

「榛名や比叡たちはどうなっていますか」

「聞いてたと思うが、通信ができない。直接行って、現地で指揮を執るしかない状況だ」

「そう。周辺施設へ救援要請はしてありますが、多分もうしばらく掛かると思います」

 背後で大きな音を立てて、建屋の一角が崩れた。

「――あっけないもんだな」

 取り返しのつかない判断ミスだったかどうか、もう真田には分からなかった。一部の戦力を市街地に回さず鎮守府に残していたとして、この直接の襲撃を防げたかどうか。

 答えは出せそうにない疑問だった。しかし少なくとも、襲撃を受けた市街地側の防衛を優先した彼の判断を責める者は、鎮守府にはいないだろう。それほどに、鎮守府への直接攻撃は想定外だった。

「ええ、本当に……。無粋な邪魔もあったものですね」

「そうだな」

 もう、真田は、加賀が何を言い出すのか分かっていた。

 背後で揺れている炎と、それを背負って立つ加賀の笑顔。自分が心の底から惚れた相手だからこそ、彼女がいま考えていることが、手に取るように。

 そしてついに、加賀はその言葉を口にした。

「行って下さい」

 優しく、しかし叱咤するように。

 一切の悲壮感もなく、力強ささえ感じる加賀の言葉。

「あの子たちだけでは、街を守り切れません」

 真田は、お前はどうする気だ、などと言うつもりは無かった。

 慣れない戦闘に戸惑う艦娘たち。市街へと迫る深海棲艦。陸での戦いに一切のアドバンテージがない艦娘たちがまともに戦うには、指揮官が必要。それは百も承知だった。

 そして――加賀が()()に付いて行く気がないことも。

「行ってあげて」

 言いながら、加賀は艦載機の矢を手挟み、真田に背を向ける。

 少なくとも、鎮守府に残った隊員たち、そして背後の市民たちを護ることができるのは、ただ一人、ここにいる加賀だけだった。加賀を奮い立たせたのは、艦娘としての使命、共に戦う仲間としての意識――そんな、今ある自分を作ってくれた全ての物ごとへの感謝だった。

「――加賀、お前……っ」

「私を誰だと思っているの。一航戦……いえ、泉浜鎮守府の加賀です。鎧袖一触よ」

「……!」

 笑顔の加賀が、()()()()()()()()()()()()()()()

 血が出るほど唇を噛む真田が、()()()()()()()()()()()()()

 互いに言葉が要らないということが、こんなにももどかしく、悲しいこと。二人は皮肉にも、それを嫌というほど実感していた。

 ついに、加賀が一歩を踏み出した。二人の目前には暗い海が広がり、そして揺れる炎が埋めている。一歩、また一歩と海へと向かう加賀。

 真田はその背中に掛ける言葉を探し、しかしついに、それは単純な想いを吐きだすだけだった。

「加賀。……愛してる」

「ええ。私もです。……その言葉だけで、百人力」

 真田は加賀に背を向けた。彼の戦場へ向かうために。

 加賀も、己の戦場へとさらに踏み出した。愛した相手と、彼の背負うもの……そして、自分の時間とかけがえのない記憶を守るために。

 ふたりは振り返らない。

 それは互いの決心に泥を塗る行為だったし、そうした時に決意が鈍らないという自信を、ふたりとも持ち合わせていなかった。

 街へと走る真田の(まぶた)の裏には、炎の照り返しに笑う加賀の顔――。

 海へと降り立った加賀のそれには、真田の情けなくも愛しい顔――。

 

 それぞれの最後を焼き付けて、人間と艦娘、違う二人は互いの戦場を目指していた。

 

 

四.

 

 空母は夜戦において、艦載機を飛ばさない。

 大きくわけて理由は二つある。一つは、夜戦における航空攻撃の有効性が低いこと。視認性の落ちた状態での爆撃や雷撃が当たる確率は低く、夜空を飛び回る敵機へ機銃弾を当てることも難しい。

 防空のために直掩の戦闘機を上げることもあるが、それ以外の目的で艦載機を飛ばすことは基本的にしない。それは、もう一つの理由ともつながる。

 そしてもう一つは、飛ばした艦載機を収容することが困難であること。飛行甲板へと着艦させて収容した艦載機は、それぞれの空母艦娘固有の待機状態……空母道式であれば矢、陰陽道式であれば護符に変換される。そうして再び艦娘の手によって発艦していくのが、通常の流れ。艦娘たちが飛ばした艦載機は、撃墜されない限りまた戻ってくるのだ。だからこそ、甲板に降ろせない夜には飛ばさない。

 そして今、夜空には加賀の手で星が流れている。

 流星。愛知航空機開発の『間に合わなかった』艦上攻撃機。そして零戦隊がそれに続く。

 つまり加賀は、空母艦娘としては常識外の夜間攻撃を行おうとしていた。

「行きなさい……!」

 本来は洋上で巡航状態から発艦させる艦載機を、陸上で走りながら、不安定な姿勢から飛ばす。そうしなくてはいけない理由が、次々と加賀の周囲で弾けた。

 深海棲艦たちの砲撃が開始され、雨のように銃弾が降り注ぐ。

「こんなもの、ミッドウェーに比べたらッ」

 岸壁を駆ける加賀を追い掛けるようにして、砲撃の花が咲く。

 加賀は懐に仕舞っていた秘書艦専用の携帯端末、待機状態にしていた画面を操作した。

(ごめんなさいね……もし動けるなら、力を貸して)

 誰にともなく謝りながら、加賀は端末を投げ捨てて、岸壁から跳んだ。

 着水と同時に、至近弾が波間を揺らす。

(今はとにかく、上げなくては……!)

 手持ちの流星を全て上げ、続けて彗星の矢を手挟んだ加賀。構えると同時に、上空から流星とそれを護る零戦たちが姿を現した。

 扇状に展開している敵、そのど真ん中を突っ切るようにして加賀は(はし)る。

 加賀は共に敵へと向かう流星たちに、イメージを伝えた。

(正面、一斉雷撃)

 流星が、機体下に懸架した魚雷を加賀と並走するように投下した。着水した魚雷が加賀を追い抜いていき、立ち塞がる深海棲艦へと向かう。

 深海棲艦は動かない。まるで魚雷など見ていないかのように。

(さすがに道を空けてはくれないわね)

 加賀は構わず、魚雷を追う。敵機の機銃が飛行甲板や矢筒を掠めて火花が散った。

 魚雷はまっすぐに正面の駆逐艦へと吸い込まれ、着弾の水柱を上げる。悲鳴と共に傾いた巨体へと、加賀は船速一杯で突っ込んだ。

 彗星が上空から、加賀に主砲を構える巡洋艦たちへ爆撃を見舞う。一瞬の砲撃の間断、加賀は海面を蹴って跳び上がり、駆逐艦の背を駆ける。ごつごつした感触を踏みしめ、加賀は再び海に舞い降りた。

「抜けたッ」

 爆撃や雷撃の後、攻撃手段の無くなった艦載機たちはまっすぐに敵の空母へ突っ込んでいく。機銃で撃ち落とされ、或いは敵艦載機を道連れに散って行く航空隊。唇を噛み締める加賀。

 それは、かつての海で()()たちが取らざるを得なかった戦法。

 皮肉にも現代でそれをやることになるとは、加賀は思ってもみなかった。

 ――力を貸してくれてありがとう、ごめんなさい。

 胸のうちだけで頭を下げて、敵を駆け抜けた加賀は(はし)る。包囲網を抜けた加賀は、反転して再び敵へ向き直った。自分が逃げたあと、鎮守府に攻撃が集中するのは目に見えている。退くことはできない。

 その時、加賀の目線のずっと奥で、巨体がのそりと動き始めた。

(動いてくれた……!)

 泉浜鎮守府所有の艦船は二隻ある。加賀の正面で今にも沈みかけている警備艇ありあけづき。そしてもう一隻は、岸壁で擱座していたかのように見えた護衛艦うたみづき。

 うたみづきは生きていた。加賀の緊急用遠隔操作により、主を乗せないままに進む護衛艦。

(最後の仕事よ。もう少しだけ、もって頂戴)

 扇状に展開した深海棲艦たち目掛け、うたみづきの機関は最後の咆哮を上げた。

 深海棲艦たちに通常兵器は効かない。しかし、物理的な実体がある以上、物をすり抜けて通るようなことはできない。

 巨大な質量を持つ護衛艦が、小さな深海棲艦たちに覆い被さるように海を(はし)る。

(よし……! これで、少しは)

 うたみづきは、見事に深海棲艦の陣形を崩し、半数近くを一時的に分断して見せた。

 その間にも加賀と艦載機たちは戦う。

(十七時方向、敵攻撃隊。そろそろ直掩が持たない)

 護るべき流星隊を失った零戦たちは、主である加賀の直掩として舞い戻っていた。しかし戦闘による損耗は激しい。加賀は早くも、次の艦載機に手を伸ばす。

(少しでも……数を減らさなくては)

 最初から加賀に勝ち目はない。出来るのは、自分が時間を稼ぎ、敵を洋上に押し留めることだけ。

 市街地へ向かった敵を、真田たちが片付けて戻ってきてくれる。

(やめましょう)

 加賀は胸によぎった希望を一瞬だけ愛しく撫でて、そして投げ捨てた。

 加賀が手に取ったのは、艦上攻撃機天山。中島飛行機製の雷撃機は加賀にとっては使い易く、好んで流星よりも重用していた。そんな相方とも言える天山を、加賀は戻って来られない空へ飛ばす。

 天山を構えた右手を、再び機銃が掠めた。

(この子たちを全部上げるまでは、まだ……っ!)

 痛みを力に変えるように、加賀は弓を引き絞り――。

「ッ!」

 そして咄嗟に、飛行甲板で体を庇う。

「ぅあッ! ……ぐ、っ」

 反射的に構えた飛行甲板は、直撃するはずだった主砲弾から加賀を護っていた。衝撃は殺しきれず、加賀の身体は派手に海上をバウンドし、そして勢いのままに滑る。

 何とか体を滑るままに起こして反転した加賀。はるか遠く、自分を見つめる目線に気付く。

「あれはっ……まさか」

 戦艦タイプの深海棲艦。しかしそれは、近海でも見られるル級などではなかった。巨大なもう一体の生物のようにも見える、艤装の一種と呼ぶのも憚られる主砲を文字通り従えている。大きく口を開けた『主砲』が、加賀をあざ笑うかのように蠢いた。

 ――戦艦棲姫。美しい黒髪に、異形の角を生やした深海棲艦は、紅い瞳で加賀を見た。

 一部の敵根拠地で目撃例がある、上位等級の深海棲艦。加賀に主砲を見舞った女は、悔しがりもせずただ唇を釣り上げた。

「これで、ますます……退けなくなったわね」

 より強力な深海棲艦が現れたことで、それを食い止めるべき加賀の責務は必然、重さを増す。

 飛行甲板だったものは、既に切れ端を残して吹き飛んでいる。避けられたのは勘と幸運でしかない。吹っ飛んだ衝撃で脚部主機も怪しい音を出していた。手持ちの艦載機は、わずかに天山を残すのみ。

 しかし、加賀は止まらない――止まれない。

 今立ち止まったら、もう動けなくなってしまう気がしていた。敵の数は減らない。空母の数は多くはないが、夜間雷撃や爆撃よりも制空に力を割いている。状況が加賀の力を削ぎ、気力を奪う。

 しかし、加賀は弓を引いた。傷口から血が噴き出し、衣を紅く染めていく。

 ここで退くことは、加賀にとって死と同じだった。生きてこそ成せることがあるとしても、今も戦う仲間、そして過去の自分が守った、守ろうとした、普通に生きる人々の命と引き換えにはできない。

 加賀が放った天山は不格好に編隊を組み、敵機と対空砲火の舞う空を飛ぶ。

 流星は一機を残して全滅。彗星は六機、零戦は直掩と合わせても二十機。損耗も激しい。

 上げた天山が魚雷を使い切ったら、いよいよ加賀に打つ手は無くなる。

(――出撃前に龍田と会えていれば。いえ……過ぎたことは止しましょう)

 天山たちに散開と攻撃を命じた加賀は、十時方向に視線を感じた。一瞬見切れたその方向には、戦艦棲姫とは別の存在が見てとれる。彼女からの目線……殺気か何かに反応したのだろうか。

 いや。

 ひょっとしたら、彼女たちは、私を『観ている』のではないのか。

 加賀の胸に浮かんだ疑問は、一斉に撃ってこない深海棲艦たちの不自然さから来ている。

(まるで、ここはコロッセオ……観客の中心で猛獣と戦わされる奴隷が私)

 ようやく、加賀は自分が踊らされているのでは、と思い始めた。数十はいる深海棲艦の砲門が一斉に火を噴けば、少なくとも自分が無事で済まないことぐらいは分かる。

 では、何故今自分は彼女たちを相手にして立ち回れているのか。

 確かに攻撃はされている。駆逐艦や軽巡洋艦、重巡洋艦たちは加賀を追い回し、艦載機たちが爆撃、雷撃を仕掛けて来る。戦艦の砲撃で海は揺れ、髪を焦がし――。

(それだけ……そう、それだけで、済んでいる)

 唯一と言っていい被弾は、先ほど戦艦棲姫から見舞われた主砲の一撃のみ。

(あれは、間違いなく私を仕留めようとした一撃。けれど)

 以後、加賀に対する彼女からの砲撃はない。

 遊ばれている。

 そんな単語を胸に抱き、加賀は天山隊を先程の視線へと向けることにした。

(高みの見物……だったら、引き摺り出してやります)

 零戦隊を先行させた加賀は、残る流星と彗星、そして直掩に付けていた零戦をも差し向けた。

 ノーガードの状態となった加賀を、敵艦載機部隊が襲う。

 もはや切れ端しか残っていない飛行甲板で機銃を受け、戦闘機動だけで砲撃を(かわ)す。

 正面から襲い掛かってきた駆逐艦。雷撃をぎりぎりで回避、滑り込むようにした加賀の眼前を砲撃がかすめていく。直接の攻撃手段を持たない空母ができる、ギリギリの砲雷撃戦。

(天山隊、雷撃コース侵入。あとは……うッ!)

 数機の彗星を犠牲にして、天山が目標へと食らい付く。その瞬間、加賀を再び胸の痛みが襲った。

 まるで胸の内で疼くなにかが、加賀を内から食らおうとしている。そんな風に。

(これは、一体……! こんな、時にッ……)

 何とか姿勢を崩すことを堪えた加賀は、正面の目標を睨みつけた。

「――!」

 目が合った。

 加賀が見たことのない、巨大な艤装に乗った深海棲艦。見たところ砲撃装備は大したものではない。しかし玉座にも似た艤装には、飛行甲板とも滑走路とも取れる機構が備わっている。

 明らかに空母である深海棲艦は、加賀の目線を正面から受け止める。

(何を……)

 あの女は、何を笑っているのか。

 加賀を捉えた深海棲艦は、海を(はし)る加賀を指差すかのようにゆっくりと右手を挙げる。勿体ぶるかのように空を撫で上げたその手。天の星を示した指先が次に指したのは、加賀。

 ヤレ。

(……!)

 加賀のなかに、まるで直接響くかのような声。反射的に、加賀は身を捻る。弓掛けを掠めて飛来した主砲弾が、背後で水柱を上げた。まったくの想像だったが、それが戦艦棲姫によるものだと加賀は直感する。正確な狙いと掠めただけでも分かる威力。並の深海棲艦には備わっていないものだった。

(私は、このふたりに狩られている……!)

 そして加賀の背を駆ける悪寒は、新たに頭上からやって来る悪魔どもの存在を教えていた。先ほどの空母が示した()()を仕留めるべく、球状の艦載機が襲い掛かる。

「くッ……あれが、艦載機」

 背中越しに反転してくる敵機は、今まで加賀が見たことのある異形の艦載機たちとは全く違う。

 ドーントレス。ヘルキャット。かつての自分や航空隊を水底へ葬り去った翼たちの名を思い浮かべ、加賀は唇を噛んだ。

 深海棲艦たちも進化している。新たな力を得た自分たちと同様に。

 回避行動で初撃を(かわ)す。投下された爆弾がまるでスローモーションのように見え、加賀は自身の極限状態を悟った。感覚は鋭敏になり、繋がった艤装は出力を増す。だがそれは同時に、彼女が命を削って戦っていることの証左でもあった。どのみち、長くはもたない。

(零戦隊の損耗から言って、もう次の攻撃隊を飛ばしている余裕はない)

 雷撃コースから離脱していた天山たちを、再び空母の深海棲艦へと向ける加賀。天山たちへと敵機が襲い掛かり、何機かが夜空に炎を上げた。

(彗星の爆撃で気を逸らし、天山を低空から侵入させる……!)

 もはや残った彗星は数機。急降下爆撃を狙っても恐らく撃墜される可能性が高い。ならば、囮として使うことで、何とか天山の雷撃を命中させるしかなかった。

 彗星や損耗した零戦すら囮に使う。そうやって全力を掛けても、沈められるかどうか。

(そんなこと、今考える必要はない……!)

 目の前の敵を沈める。恐らく艦隊を指揮しているのは、加賀を狙っている二隻。

(どちらか片側だけでも潰せれば、必ずスキが生まれる……うたみづきの突撃で生まれた分断は僅かに効果が残っている。ほんの少しでもいい。艦載機の補充さえ出来れば、私はまだ戦える)

 背後の鎮守府はほぼ半壊している。格納庫の予備艦載機が無事という保証はない。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

(それでも、私はまだ沈まない。沈んでなるものですか)

 市街地からこちらへの増援が来る気配はない。提督も仲間たちも戦っている。加賀の気力は、背中の仲間たちによって支えられていた。

 何より、真田の存在に。

(彼と共に過ごした時間が、私の何よりの宝物)

 その宝物を守るためなら、加賀はきっと何でもできる。そう信じていた。

 加賀はついに、勝負へ出る。

「第二次攻撃隊、行きなさいッ」

 零戦隊と彗星が左右から空母の深海棲艦へと突っ込んだ。遅れて天山が海面すれすれを飛ぶ。

 機銃弾が波を貫き、対空砲が空に線を描く。

 彗星が空中に花を咲かせ、それを護ろうとした零戦が煙を噴いて海へと墜ちて行く。

 まるでいつか見た風景のようで、加賀はこみ上げるものを必死で抑えた。あの日とは違う。降り注ぐ爆弾が甲板に穴を穿ち、燃え盛る炎が全てを吹き飛ばし、そして沈んだあの日とは。加賀は否定した。

(あとは、天山隊が……!)

 飛ばした天山がほぼ無傷で雷撃コースに入る。加賀も自らを射線に晒して彼らを守る。

 戦艦棲姫の砲撃が、加賀の腰の艤装を弾き飛ばした。姿勢を崩しながらも、加賀は前へ進む。

「まだッ」

 まだ沈まない。あの深海棲艦を仕留めるまでは。

 そう叫ぼうとした加賀の目の前で。

 

 若く勇気溢れ 夢は輝いてた

 自由にはばたき 歓び追い掛けた

 

 空母の深海棲艦から、突如加賀の中へ流れ込んできたのは……歌だった。

 それは、いつか真田が話してくれた、『夢破れて』。

「――夢は、悪夢に」

 

 狼の牙が

 望み引き裂き 夢喰いちぎり

 

 呆然とした加賀の目の前で、天山隊が墜ちて行く。追い縋る球状の敵機。周囲に潜み、加賀が勝負に出るのを待ち構えていたのだろう。零戦は陽動に回っており、彼らを護るものはない。

(ああ……)

 息を呑んだ加賀。僅かに生き残った零戦数機を残して、加賀の飛ばした航空隊は全滅していた。

 

 夏 あの人来て 喜びにあふれた

 私抱いたけれど 秋にはもういない

 

 まるで歌の歌詞が今の自分と重なるようで、加賀は息を呑む。

 何より、加賀を混乱させたのは。

「どうして……私は、この歌を聞いたことが」

 何故あの空母は歌を歌っているのか。

 何故自分はその歌を知っているのか。

 何故、艦娘と深海棲艦、違う存在が()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ぐ、ぅ……っ」

 まるで加賀の中に浮かんだ疑問に答えるように、ふたたび彼女を胸の痛みが襲った。

 

 待ち続けてるわ あの人の帰りを

 愚かな幻 木枯らしが吹き消し

 

 痛みは強くなり、加賀は航行を維持することすらままならない。ふらついた加賀を見た空母は、さも楽しそうに笑って見せた。

 それに反発するかのように、加賀は弓掛けの手を背中へと伸ばす。

(私には、まだ……この子たちが……!)

 加賀の背負った矢筒には、最後の天山が残っている。まだ零戦も飛んでいる。

(ここで、諦めたら……私は、何のために……!)

 その時、戦艦棲姫の放った主砲弾が加賀のすぐ前方、海を揺らす。水柱が立ち、激しく揺れる海面。

 意識するより先、その波へと突っ込んだ加賀は、ついに姿勢を崩した。

(しまっ……!)

 ぐらり、と揺れた加賀。そのスキを、戦艦棲姫は見逃さなかった。

 加賀の世界から音が消える。仰角を僅かに修正した戦艦棲姫の主砲が自分の方へと向けられたのを、加賀は感覚で捉えていた。自分の全てを奪う主砲弾が、次の瞬間にはそこから飛び出してくる。

 

 夢見た人生 今地獄に

 落ちて二度と私には

 

()()――()()()()()

 

 加賀の胸中に歌詞が浮かぶのと、夜の闇に砲撃の花が咲いたのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

『おかえりなさイ、わたシ』

 

 

 

 

 

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