泉浜鎮守府航海日誌 飛べないハヤブサ   作:沖野潤一

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雨とともに

一.

 

「――提督っ!」

「司令官さん!」

 口々にそう呼ばれて、崩れかけたブロック塀に身体を預けた男……真田は、顔を上げる。

 慌ただしく彼を囲んだのは配下の艦娘たちだった。無事な姿でいるのは一人もいない。傷付き、血を流し、艤装から煙を吐いている者もいる。

 一様に悲壮な顔をした艦娘たちに、真田はくしゃりと自分の髪をかき上げて見せた。

「悪い。少し……ぼうっとしてた」

 さらりとそう言った真田の周囲は、とても『ぼうっと』できる環境ではない。崩れた建物、散らばる瓦礫、海上では燃え盛る護衛艦が今にも崩れ落ちそうになっている。吹き付ける風が、煙を運ぶ。

 変わらないのは、夜空の星だけ。それすら今にも雲に隠れようとしていた。

 数時間前までは平和だった背後の市街地、そして彼の目の前に広がる海は、文字通りの戦場となり、その爪痕を深く刻み込まれていた。

「司令。第二、第三、第四艦隊。ご覧の通り、総員健在です」

 全員を代表して、第二艦隊の旗艦だった比叡が報告した。しかし、普段の彼女にある快活さは見られなかった。それは健在と言うには満身創痍の彼女たちが余りに痛々しいから、というだけではない。

「そうか。すまない、みんな。無理をさせてしまったな」

「いえ。司令が来てくれなかったら、防衛線は崩壊していました。こちらこそ……」

 当然ながら艦娘が陸で戦うことは、本来ならば想定外。何しろ彼女たち艦娘は『艦』だ。揚陸部隊を相手にした、しかも不慣れな市街戦において人的損耗がなかったことは、奇跡に近い。

「みんな、無事で良かった」

 真田はそう言って笑ったが、見つめる艦娘たちは一様に暗い。そして、言葉を発する者もいない。

 沈黙を払うかのように、真田は言葉を続けた。

「街はこの通り無茶苦茶だが、市民が避難する時間は稼げた。深海棲艦の部隊も撃退した。みんなに、何の非もない――よくやってくれた」

 数人の駆逐艦たちが、堪えきれずに泣き始めた。

 金剛姉妹、唯一長女を欠いた三人は、険しい顔で海を見ていた。戦艦、重巡、空母もそれに倣う。

 龍田は、ひとりそっぽを向いていた。

 そんな中、彼はまだ微笑んでいる――恐らくは、必死に。

「流石にオレは、降格で済まないかも知れん。だが……」

 預かった鎮守府が壊滅するなど、よほどの前線でなければ起きようがない。国内の、しかも制海権も制空権もある泉浜鎮守府がこうなったことが、果たしてどんな結果になるか。誰にも分からなかった。

「少なくともお前たちのことは悪いようにはしない。必ず、守ってみせる」

 そんな彼の言葉は、艦娘たちの耳を撫でただけ。

「――降って来たな」

 にわかに降り始めた雨は、夜の闇を優しく濡らしていく。

 炎も、煙も、生も死も、全てを分け隔てなく。

 等しく全員の頬を伝う雨粒たちは、もはや誰が涙を流しているのかをすっかり隠してくれていた。

 或いは、誰かの代わりに泣いてくれていたのかも知れない。

「まあ、鎮守府はこの後……どうなるか分からん」

 背後で黒煙を上げる瓦礫のことをそう言って、真田はそこだけ『お手上げ』をした。

 ようやく、といった風に真田はもたれた塀から身を起こした。雨に濡れた砂利が音を立てる。

 駆逐艦たちの前で震える電へと、彼はゆっくり歩み寄った。

「電。通信は回復しているらしい。状況確認の上で、本部とやり取りして手配をしておいて欲しい」

「っぐ、司令官、さん……っ」

「そんなに泣くなよ」

「う……っ。でも……でもっ!」

「一番初めから、ここで一緒にやってきたお前だから言ってる。よろしく頼む」

 電は、ただ首を振った。

 真田はそれを見て、ようやく、彼女たちが全て分かっていることに気付いた。

 今夜の戦いが、取り返しのつかない事態になっていることも。

 自分の強がりも。

 ほんの少し前、ここで何があったのか。

 誰が戦い、そして――どうなったのかも。

「司令官さんっ」

 頬を伝う涙を拭おうともせず、電は真田に縋った。

「おい、電」

「っ、か、加賀さん、はっ……!」

 電の悲鳴のような声に、真田は、提督として耐えてみせた。

 言われなくとも彼はよく知っているし、それを嘆くことは、『彼女』の全てを否定することになる。そう感じたからこそ、真田は耐え、強がってみせた。

 まるで父親のように電の頭を撫でて、真田は雨の空を見上げる。

 ふたりのそんな様子を見て、ついにその場の全員が堪えきれなくなった。泣いていない者も、まるでそうすることで涙を誤魔化すように、ただ空を見ている。

 

「加賀は……哨戒任務中だ」

 

 艦娘たちのすすり泣く声を背景に、真田はただ一言だけ、優しい建前を口にした。

 

二.

 

 とある鎮守府の一角で、真田はペンを置いた。

 目の前でそれを待っていたのは、姫島提督。泉浜を真田に任せ、こうして新たな任地へとやってきていた彼は、真田の少し痩せた顔に苦笑いをした。

「出来ました」

 そう言って真田が差し出したのは、艦隊の編成表。

 襲撃事件から一か月あまりが過ぎ、ようやく解放された真田を待っていたのは、泉浜鎮守府の再建が無期限で見送られるという知らせだった。元々戦略上は重要ではなく、周囲の基地や鎮守府でカバーができること、また地域住民から再建について反対があったことも影響している。

 そうして戻るべき場所を失った真田。そんな彼に、旧知の人物から手が差し伸べられた。

「しばらく私のところで働くのもどうか、と思っていたが……声が掛かったのなら仕方ないな」

「聞いた話では、ただの無人島だそうです。ちょっとした補給用の前線基地みたいなものにするとか」

 彼がかつて世話になり、今は特海に所属している関係者から舞い込んだのは、新規鎮守府の立ち上げプロジェクトだった。小さな無人島を小さな基地にするという話は、今の真田には魅力的に思えた。

 既に施設の建設は八割方が終わっているものの、離島ゆえに着任したがる者がいない。辞令によって強制することも可能だったが、そんな折に丁度いい人材として真田が降って湧いたということらしい。

「それにしたって、こんな少人数でいいのか」

「小さな場所なら少ないほうが手に余らずに済みます。それに」

 ――失くすものも、少ない方がいい。

 口にしなかった言葉を、姫島提督は聞かずとも理解していた。

「了解した。移籍の手配はこちらでやっておこう。……龍田が名簿にいないようだが、いいのか」

「一応確認しましたが、断られました」

「フラれたか。まぁ、当人の意向を優先するという君の意思なら仕方ない」

 真田の編成表に書かれていたのは、電や夕張を始めとしてわずか数人。その他の艦娘たちは、姫島の鎮守府にて一時預かりとなる。移籍という形で姫島や他の鎮守府へ移っていくことになる彼女たちと、真田は事件の夜以来ろくに話せていない。唯一、今回の移籍に関するヒアリングで会ったのみだった。

 その話し合いでも、お互いに言葉少な。失ったものの大きさが分かる艦娘たちには、努めて事務的に振る舞ってみせる真田の姿は、見ていて痛々し過ぎた。

 ブリーフケースに仕舞い込まれる書類を見送って、真田は立ち上がった。

「姫島提督。みんなを、よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げた真田に、姫島はただ頷いて返す。

 そうして立ち去ろうとした真田。

「真田提督。忘れ物だ」

 姫島に呼び止められた真田の虚ろな瞳は、それを見て、初めて感情のようなものを見せた。

 差し出された手に載っていたのは、リングケース。

「こいつは、君が持っているように。本部にも照会したが、それで特に問題ないそうだ」

 半ば無理矢理手渡されたそれを、真田は震える手でそっと開ける。

「これは」

 中に納まっていたのは、加賀の身に着けていた指輪だった。

 襲撃事件のあと、現場に残っていた唯一の痕跡。加賀の弓、切れた弦に結びつけられていた指輪。

「洗浄も研磨も済んでいる。既に一度持ち主が登録されているから、使い回すなんてこともできない。それに……そんなことをしたら失礼だからな。誰に対しても」

「――そうですか。そう、ですね……」

「何より……」

 敢えて加賀が最後に残した、彼女の生きた証。それを残された者が持たずにどうする。

 そんな姫島の言葉は、真田の耳にぼやけて聞こえた。

「しばらく人払いをしておく。三十分後に、また来よう」

 そう言って応接室を出て行く姫島提督。

「――ありがとう、ございます……っ」

 真田は何とかその背中に敬礼を返し、一方で受けた姫島提督は、真田を見ずにドアを閉める。

 

 それから真田は、一人、リングケースを抱いて床に座り込んだ。

 

(続) 

 

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